転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!

エドに案内され、石畳の小道を抜けると、一気に視界が開けた。
そこは昼間から熱気に包まれた中央広場。
色とりどりの布旗が風に踊り、屋台からは甘い果実酒や焼き菓子の香ばしい匂いが漂ってくる。

さっきまでの安全な通路の静けさとは別世界。
ひとたび足を踏み込めば、熱気と人いきれに体ごと飲み込まれるような人の波。

一角には農民たちが持ち寄った麦の穂や葡萄の房が山のように積まれ、
香辛料の濃い香りが鼻を突く市では、色鮮やかな陶器や木工細工が並んでいる。
職人が誇らしげに織物を広げる声に、値段を競り合う商人の声が重なり、空気全体が熱を帯びていた。

そのすぐ横では、屋台が果実酒や蜂蜜菓子を売り、串焼きの煙が漂う。
笛や太鼓の陽気な音に合わせて人々の足取りが軽くなり、子供たちの笑い声が人混みを駆け抜ける。

「わっ」
「手を……はぐれないように」

人の波に押されそうになった瞬間、エドの手が自然に引き寄せられる。

あまりにも自然に繋がれた手。
ほんの少し、こそばゆくて、でも離したくないような気もする。

手を繋いで大通りを進む。
以前見た市場とはまた違う。見慣れない物が山ほど並んでいる。

青白く光る、よくわからない光源を仕込んだランプが山のように積まれ、見たことのない草束を抱えた庶民が、喧しく値切り交渉を繰り広げている。

あれは……角が生えたウサギ?
マジか。食べられるの……?

「エド!エド!!あれ!食べてみたい!」

屋台の店主がにやっと笑って声をかける。

「嬢ちゃん、こっからは勝負だ!じゃんけんして勝ったら、もう一本おまけ!」
「いいね、いいねーー!!」

思わず手をクロスさせて握り、手の隙間を覗き込む。

「……それは何をしているんだ?」
「あ。えっと、願掛け!!おまじないみたいなもん!」

右手を握りしめ、店主に向き直る。

「じゃーんけーん、ぽん!」
「……お嬢ちゃん強いなぁ!ほれ、おまけ!」
「やった!!」

2本の串焼きをもらったアリエルが、1本差し出してくる。

「わっ!なにこれ!?初めての食感なんだけど!!」

収穫祭は王家にとって毎年恒例の行事。
何度も経験しているはずなのに、不思議と、まるで初めてのように感じる。

「ねぇ!エド、さっきの人が持ってたのも食べてみたい!」
「なんか、すごい色の飲み物!!」
「ねぇ!あっちクジだって!!」

何でも美味しそうに頬張り、目を輝かせるアリエル。
彼女と一緒に口にすれば、何度も食べたはずの料理ですら新鮮で、驚くほど美味しく感じられる。

通りすがりの人が持っている物、口にする物……
アリエルがきらきらした目で見つめれば、それを全部与えてやりたくなる。

「クジを引くなら、逃げる準備もしないとかな」
「あははは!確かに!!」

無邪気に笑う声。
その笑顔ひとつで、景色全体が鮮やかに色づいて見える。

……時間が経つのも忘れ、気付けば夕暮れが迫っていた。

広場には素朴な笛と太鼓の音。
庶民たちが輪になって飛び跳ねるように踊り、陽気な音楽に合わせて、ズレようがお構いなしに体を揺らしている。

「行こうか」
「え、ちょっ、これ私もやるの!?ダンスと全然違うんだけど!?」

アリエルの手を取り、強引に輪の中へ。

王太子が庶民のダンスに混ざるなどと考えたこともなかった。
笑顔の庶民たちに囲まれているうちに、アリエルの笑顔につられ、心の底から笑ってしまう。



「あーーー疲れた!!喉乾いた~~」
「飲み物でも買ってこようか」

ダンスの輪から外れ、ベンチに腰を下ろす。
まだまだ続く音楽と踊り。視線を向けていると、小腹が空いてきた。

飲み物だけじゃなく、つまめるものも頼めばよかったな……
なんて考えていると、隣に気配。

「お嬢さん、一緒に向こうの店回らない?」
「一人だと退屈だろ?」

振り返れば、見知らぬ男性二人。にやけ顔でこちらを見下ろしている。

……これって……ナンパ!?

29年生きて来て、初めての経験。
あ、そうか……このアリエルの見た目なら、ナンパの一つや二つされても全然不思議じゃないのか。

心臓が、変な意味で跳ね上がる。

「えっと……ちょっと、私そういうのは……」
「いいじゃん!ちょっとだけ!すぐ終わるからさ!」
「好きな物おごるし!!な!!」

手を掴まれそうになった瞬間、鋭く遮るように、エドが男たちの前に割り込んできた。

「……俺の婚約者に何か?」

低く抑えた声に、空気が一気に張り詰める。
ナンパしてきた男たちは顔を見合わせ、青ざめたように小声で言葉を交わす。

「おい……」
「やべっ……」

一瞬で蒼白になり、情けないほどの勢いで逃げていく。
その背を見送ってから、エドは小さく息を吐き、険しい顔で振り返った。

「離れたのは、俺の失敗だったな。君は、もう少し自覚を持ってもらわないと」
「……自覚?」

真っ直ぐに見据え返す。
さっきまで楽しくて仕方なかったのに。収穫祭を心底楽しんでいたのに。
急に突きつけられた言葉が胸に刺さる。

「王太子妃としての自覚だ」

その瞬間、ぐっと心臓が縮む。

「……王太子妃の?私の意思を無視して……お前が勝手に婚約者にしたくせに……?」
「……っ」

言葉にした瞬間、後悔が押し寄せた。
言うつもりなんてなかった。
でも、抑え込んでいた気持ちがあふれて止まらなかった。

陽気な太鼓の音や笛の旋律はまだ広場に響いているのに。
私とエドの間だけ、まるで音が消えたみたいに静まり返る。

「……いいよ。もう、帰ろう」
「アリエルっ……」

振り返らず、早足で来た道を歩く。
今はもう、エドの顔をまともに見ることも、手を取る気にもなれなかった。

その背後で、別の声が飛ぶ。

「果実酒、ご一緒しませんか♡」
「お兄さん~!この花どうですか~!」

手を繋いでいないせいか、エドが次々とナンパされている。
私に声をかけてくる人もいたけど、完全に無視を決め込んだ。

……だって。
自覚を持てって言ったのは、あんたでしょ?
私にはそう言ったくせに。自分は?お前こそ自覚あんのかよ!?

胸の奥に、じわじわと怒りが溜まっていく。
マジで、もう我慢ならない。
文句の一つでも言わないと、気が済まない。

広場に差しかかったとき、振り向けば……
花売りの少女を断りながら、必死に私を追ってくるエドの姿があった。

「アリエル……!」
「あのなぁ、お前っ!!!」

ドーーーーンッ!!!!

言葉を吐き出そうとした瞬間、夜空に大輪の花火が咲いた。
轟音とともに、鮮やかな光が夜を染め、群衆から大きな歓声が上がる。

思わず手にしていた花束を、花火を見上げるアリエルに差し出す。

「……アリエル。すまない」

……許されるなんて思っていない。
彼女が怒るのも当然だ。
俺は、彼女がこれまで口にしてきた不満を軽く受け流し、甘えていた。
そしてついに、彼女を傷つける言葉をぶつけてしまった。

アリエルも公爵令嬢だ。立場は理解しているだろう。
きっとこのまま、俺の望む通り王太子妃になってくれる。
……だが、それは俺の一方的な強要だ。
彼女の意思を聞かぬまま、婚約を強行したのは他でもない俺だ。

「君が……周りからどう見られているか自覚せず、あまりにも無防備で……つい」

あの瞬間、見知らぬ男がアリエルに触れようとしたのを見て、頭が真っ白になった。
以前、彼女が元の婚約者と寄り添っている姿を何度か目にしていたというのに。
今は自分の婚約者だと思うと、それだけで触れることさえ許せなかった。

どうしたら許されるのかも、もうわからない。

無言のまま俺を見上げる彼女の視線が、花束に落ちる。
そして……ゆっくり手を伸ばし、受け取った。

「……きれい」

花火に照らされたその横顔が笑みに染まり、吐き出された声は、あの日と同じ。

12年前。
花吹雪の中で、幼い少女が『きれい!』と笑った姿が脳裏に蘇る。

……何も変わっていない。
あの日の君と同じ言葉、同じ笑顔。
いや、今の君はあの時よりも遥かに眩く、美しく成長している。

数多の花束も、大輪の花火も、彼女の前では色褪せる。

頭上で一際大きな花火が咲き、夜空を一瞬だけ昼のように照らす。
その光に浮かび上がった横顔は、呼吸を忘れるほど鮮やかだった。

……もう、止められない。

思わず彼女の髪に触れ、唇を重ねる。
世界の音は消え、残るのは花火の轟音と、胸を叩く鼓動だけ。

この瞬間のためなら、国中の花を全て捧げてもいい。
そう思うほどに、彼女の存在は俺にとって代え難いものだった。