転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!

歩き疲れた頃には、両手は完全に空っぽなのに、周囲には山のような荷物を抱えた護衛が無言でついてくる。
すごい。完璧に自然で、まるで最初から荷物が無かったかのよう。

「……これ、私たち、完全に王族の買い物デートじゃない?」

思わず小声で呟いたけれど、エドは涼しい顔で『市政調査だ』と言い張るだけ。
……絶対に嘘だろ。

胸の奥がくすぐったく、顔はほんのり熱い。
楽しくて、呆れて、でもやっぱり楽しい……そんな市場巡りになった。

市場の喧噪の中で、ひときわ大きな人だかりができている屋台が目に入った。
香ばしい肉の匂いや果物の甘い香りが渦巻く中、そこだけ空気が張りつめている。

「なにあれ。サイコロ?」

木の台に布が敷かれ、胴元らしき男が器にサイコロを入れて振っている。
カラン、と乾いた音が響くたび、周りの男たちは真剣な顔で金貨や銅貨を置き、歓声や怒号が飛び交った。

「面白そう!やってみたい!」
「……当たるはずがない。胴元が必ず勝つようにできている」
「いいから!外れてもいいんだって!一回だけ!」

エドの制止を振り切り、銅貨を一枚置く。
同元に囃し立てられながら木の器にサイコロを振ると、コロコロと心地よい音が響いて……ぴたりと6で止まった。

「おぉーー!」

小さなどよめき。
胸が高鳴る。いやいや、まぐれだ、まぐれ。

「次も同じの出すよ!!!」

……まぁ、一回くらいなら1/6で16%ちょい…!
2個目のサイコロも無造作に投げ入れると、ぴたりと6で止まる。

「またか!」
「嘘だろ!?」

さっきより大きなどよめき。背後でエドが額を押さえる気配がした。

「……お嬢ちゃん、もう1回やるかい?」
「もちろん!!見てなよ!!?」

三個目。
11/36…確率2.78%…!来い!!!理屈では当たりにくいはずなのに、またもや6。
歓声が爆発し、男衆が身を乗り出す。

「次もやれやれ!!!」
「いけぇぇ!!!」

熱気に押され、4個目を投げ込む。
転がるサイコロに、視線が集まる。
器の中で跳ねたサイコロが、ころんと転がって……
木の器の中には奇麗に6が揃った4個のサイコロ

「うそだろ!?」
「うぉぉぉぉおおお!!!!」

……いやいやいやいや。さすがにこれはおかしいでしょ。
確率は1/216…0.46%…を引くって…
クローバー家は強運の家系って、聞いてたけど……そんなの検証できない迷信だと思ってた。
……もしかして、まじなの?

「イカサマだろう!!」
「なにか細工してるぞ!」
「え!?してないしてない!!」

ざわざわと人垣が迫ってきて、胴元の顔が真っ赤に染まる。
息が詰まるほどの熱気と視線。やば、これ本気で危ない雰囲気じゃん!?

「……走るぞ」
「え、えっ!?ほんとに!?」

次の瞬間、エドに手を掴まれ、人混みをかき分けて走り出す。
石畳を蹴る音が響き、怒声と足音が背後から迫る。

「ははっ……ほんとに追いかけてきてる!」
「君が当てすぎるからだ」
「だから勝手に出るんだってば!!」

角を曲がり、狭い路地へ。
次の瞬間、壁際に押し込まれる。
片方の手はまだ握られたまま、もう片方が壁に支えられ、逃げ場を塞がれる。

「っ……!」

顔を上げた瞬間、すぐ目の前にエドの顔。
吐息がかすかに触れる距離。

足音と影が通り過ぎる。
指先が私の唇に触れ、低い声が落ちる。

「……静かに」

鼓動が耳の奥で爆音を立て、息が詰まる。
すぐ隣で彼の胸が上下しているのも伝わって、心臓が跳ねる。

やがて足音が遠ざかる。
なのに、彼はすぐには離れない。
目が合って、数秒の沈黙。

ふ、と目尻が緩む。
こらえきれずに、私も小さくクスクス笑ってしまう。

「……君は、こうしてる方が大人しいな」
「なっ……!?」

耳まで真っ赤になるのが分かる。
ちょ、ちょっと待って!絶対わざとでしょ!!

さっきまでのドタバタが嘘みたいに、胸の奥が騒いで止まらなかった。
完全に人の気配がなくなったのを感じた瞬間、二人して笑い転げていた。

「あはははは!ほんとに追いかけられるなんて!」
「……ふふ……君は、やはり……油断ならない」
「いやいや!サイコロが勝手に当たったんだから!」

笑いすぎて涙が滲む。喉がひくひくして、呼吸がやっと整った頃……まだ握られたままの手に気づく。
いつから繋いでたんだろ……

大通りに出た瞬間、波のように人が押し寄せた。
籠を抱えた商人、買い物袋を提げた主婦、子どもたちの笑い声、車輪の軋む音。
ぐらり、と視界が揺れた瞬間……肩ごと、すっぽりとエドに抱き寄せられる。

「わっ!」
「……危ない」

耳元に、低い声。
熱を帯びた息遣いと共に、腕が私の肩をすっぽり包む。

「もう少し、ゆっくり」
「……う、うん」

近っ……近い!今、何センチ?ゼロに近い!
患者さんの体温に触れたことなら数え切れない。なんなら手術で素肌を見慣れていた。
なのに全然違う。理屈じゃ説明できない何かが、体の奥で跳ねている。

顔を上げられずにいると、エドの指がふと襟元を直した。
視線が、そこから胸元に落ちてくるようで心臓が爆発しそうになる。

「手を。はぐれないように」

そう言って繋ぎ直されたのは、さっきまでの掌同士ではなく……指と指を絡める『恋人繋ぎ』。
触れた瞬間、静電気みたいに弾ける。

……っ、な、なにこれ!
胸の鼓動が跳ね上がる。呼吸が浅くなる。
言葉が出なくて、ただ横顔を盗み見る。

ふっと目が合い、柔らかく笑みを浮かべられた瞬間、息が詰まった。
熱くなった顔を慌てて背ける。
でも、指先だけはしっかり絡め取られていて離れない。

なにこれ!私より年下のくせに……!!
なのに、どうしてこんなにドキドキ止まらないの!?

ラノベで何度も読んできた定番展開。
読んでいる時は 『キュン』とか『尊い』で済んだけど、実際にされる側になると……心臓に悪い!

王子って、こんな行動や言葉まで訓練されてんの!?反則でしょ!?

思わず、繋いでいない方の手で顔を仰いで誤魔化す。
けれどエドは涼しい顔で、しれっと歩調を合わせてくる。

市場を抜け、小さな路地を進むと古本屋があった。
軋む扉を押し開けると、ちりんと鈴が鳴る。
中は背の低い棚が並び、革の背表紙がずらりと並ぶ。埃の匂いとインクの匂いが混じり合い、どこか懐かしい。

「珍しい顔だね。目のきれいなお嬢さんだ」

店主は年配で、目尻に皺を寄せて笑う。
私は夢中で背表紙を撫で、ぱらぱらとページをめくる。

「この序文……好き……」

ぽつりと漏れた言葉に、店主がゆっくり頷く。

「それを分かる人は、良い読者だ」

頬が熱くなり、少しはにかむ。
ページを抱きしめる手が小刻みに震えるのを、エドは横からじっと見ていた。


古本屋を出て数冊を抱え、歩き出すと街の空は茜色に染まっていた。
高台へ続く石畳は舗装が甘く、思った以上に足に堪える。
息が切れ、胸が上下する。

「もう少し先の店で夕食にしよう」

そう言われ、ふと後ろを振り返る。
夕陽に染まった街が一望できた。

今日二人で歩いた市場。喧噪と笑い声がまだ耳に残っている。
屋台の煙と香ばしい匂いまで蘇る。
遠くには森に囲まれて白く浮かぶ王宮、反対側には公爵邸の屋根。

以前いた日本と、あまりにも違う景色が広がっていた。
ここには見慣れたはずの高層ビルも、タワーマンションも、電柱すらない。
電線も、車も、信号も。
クラクションの代わりに響くのは、石畳を軋ませる馬車の車輪の音。
窓辺に吊された小さなランプがゆらりと揺れ、街の一角一角を温かく照らしていく。