三回目のバイト。まだオープン前のがらんとした園内は、貸し切っていると錯覚しそうなほどの特別感があって、謎にテンションが上がる。
噴水広場のど真ん中からは、メリーゴーランドも観覧車も、空をぶった切るようなジェットコースターのレールも全部ひとり占め。
そんな最高の眺めの中、俺は今日もうさ太をアテンドする蓮と一緒に、スマホの画面を覗き込んでいた。
「ドリームランドに、若者たちが『エモ』を求めて集まるのを狙って、宣伝用のショート動画ってやつを撮ってほしいんだ」
隣に立つ園長が、腕組みをしながら鼻息荒く語る。要するに、ドリームランドのテーマソングに合わせてうさ太と付き添いのお兄さんがダンスする動画をアップして、SNSで一発バズりを狙いたい……ということらしい。
「クリスマスイルミネーションの準備で私も修羅場だから、蓮くん、よろしく! 中野さんと二人で頑張ってね!」
園長はそれだけ言い残すと、絡まり合った大量の電源タップと脚立を抱え、嵐のように去っていった。
残された蓮は、渡された事務用スマホを手に絶望した様子でうなだれている。
(うわ、さすがにこれは同情するわ。蓮はたしかに現役DKだけど、こういうの自分からやるタイプじゃないもんな)
ダンスが下手なわけじゃない。けれど、ショート動画なんて俺や悠生に付き合わされて渋々撮るくらいで、本人の興味は無いどころか、マイナスのはずだ。
アイデアを出してやりたいけど、喋るわけにはいかない。俺は今、あくまで中野さん。下手に動いて正体がバレるのも怖い。
すると蓮は、わずか十五秒という尺のために、驚くほど真剣な顔で考え込み始めた。
「俺、ダンスは苦手なんですけど。たぶん、こういうのって誰でも真似できる、簡単な振り付けの方がいいと思うんですよ」
苦手と言いながら、眉間にシワを寄せてめちゃくちゃ真剣に動きを練っている。出たよ、蓮のストイックな性格。
世の中、要領よく適当にこなす奴はいくらでもいるけど、こんな無茶振りにまで真っ正面からベストを尽くそうとする奴を、俺は他に知らない。
(……あー、こういうとこなんだよな……。やっぱかっけーな、蓮……)
見栄を張るわけでも、嫌々やるわけでもない。やるからには誠実に向き合おうとする。その横顔は、朝の光も相まって、直視しづらいくらいにサマになっていた。
筋が通った蓮の生き方に、俺の心臓はさっきから勝手に、少しだけ誇らしげに跳ねている。
「友達といつもこうやって撮ってて。頭がグリッドの一番上の線に合うようにすると、全身綺麗に映るらしいんです。ちょっと、一回練習してもいいですか?」
……うわ、その「友達」って絶対俺のことじゃん。いつも面倒くさそうに俺の準備を見てるだけだと思ってたのに、意外としっかり観察してたんだな、なんてちょっと嬉しさまである。
蓮は一応の顔バレ対策として、私物の黒マスクを装着すると、帽子の角度を深めに被るようにして整えた。
「じゃあ、カメラ回しますね」
いざ撮影が始まると、蓮は何度か振りを間違えてしまい、なかなか一発合格とはいかない。けれど、ひたむきに画面を確認し、音楽のテンポに合わせて無理にでもテンションを上げようと奮闘している。
(一生懸命すぎ……なんか見てるこっちが照れそうなんだけど)
いつもは一歩引いて、恥ずかしいのも照れるのも隠す蓮が、ほんの少しだけはにかんでいる。
相手が中野さんで、親子くらい年が離れているからこそ、変に格好つけずに自然体でいられるのかもしれない。
「……今の、割と良くなかったですか?」
何度目かのトライで、ようやく会心の動画が撮れた。俺がコクコクと深く頷くと、勢いのままに自然とハイタッチを交わす。
蓮はちょっと照れくさそうに笑っていたけれど、撮れた映像にテーマソングを重ねて再生してみれば、まさに今どきなキャッチーな仕上がりだ。これに文字入れをすれば、すぐにでもバズりそうな宣伝動画の完成だ。
蓮がその動画を園長に送信すると、肩の荷が下りたような顔で噴水の縁に腰を下ろした。俺も『お疲れ』という労いの気持ちを込めて、ポンポンとその肩を叩き、隣に座る。
すると蓮は、深く、大きなため息をついて、ぽつりと話題を切り替えてきた。
「あの、最近の報告っていうか……。拗らせてることがあって」
(おぉ、やっぱ来た。てか、拗らせてる自覚はあったんだな……)
着ぐるみの中で、思わず口元が緩む。けれど、蓮のトーンはさっきの動画撮影の時よりもずっと真剣で、地面のコンクリートをじっと見つめたまま続けた。
「向こうが、その……愛されキャラっていうか。誰からも好かれるタイプで、よく他の奴にベタベタ触られたりしてて。それ見てると、すげー嫌な気持ちになるんです」
蓮の声が、少しだけ湿っぽくなる。
「親友としての距離感はなくしたくないけど、本当は俺も、もっと触りたいとか思っちゃって。……もっと俺の気持ち、分からせたい、意識させたい……って嫉妬しまくりで」
必死すぎる蓮を、励ましたくて仕方がない。けれど、純粋に『意識させたい』と嘆く親友に、今の俺はどんなアドバイスを返せばいいんだろう。
だって、俺の心が、蓮との関係をまだ整理できていない。
それに、これ以上「うさ太」として彼の背中を押すのは、蓮を自分の望む方へ誘導して、無理やり仕向けているような気がする。
嘘を重ねている罪悪感が、じわじわと胸の奥で大きくなっていく。応援してあげたい。親友として、蓮には絶対に幸せになってほしい。
けれど、もし本当に「真紘」として告白されたら……どんな気持ちを、言葉をコイツに返せばいいんだろう。
(……俺も、お前のことが『すき』だけどさ)
それは、嘘じゃない。ずっと隣で笑い合っていたいし、何よりも代えがたい唯一無二の相手だって分かってる。
でも、蓮が求めているのは、今の心地よい距離感のずっと先――もっと親密で、もっと深い、「恋人」という形で。
その想いに応えきれないのだとしたら、俺は間違いなく、世界で一番大切な親友を深く傷つけてしまうことになる。
失いたくないから、「好き」って言われたから、好きになる。そんな単純なことじゃない。
意識はしている。心臓だって痛いくらいに跳ねる。でも、それは蓮が俺に「好き」を向けていると知っているから、その熱に当てられているだけなんだと思う。
(蓮と縁が切れるのだけは、絶対に嫌だ。それだけはずっと、何があっても変わんねー……)
友情という、形を変えなければ壊れないはずの繋がり。それを「恋人」という不安定な関係に変えて、もし失敗したら。
俺たちは、もう二度と今まで通りには戻れない。
同じような葛藤を抱えた俺が、すぐ隣に居るとも知らずに、蓮は自分の不甲斐なさを嘆いている。
何とかしてやりたいけど、その広い背中をただ「うさ太」としてポンポンと叩くことしかできない。
俺のほうが、よっぽど情けなくて、ズルいと思った。
「……そろそろ、着替えに戻りますか」
俺が背中を撫でるばかりで、黙って側に居るのが気まずかったんだろう。蓮は体調を気遣うように立ち上がり、スマートウォッチで時刻を確認した。
うさ太の重たい頭を首だけで支えながら、つられて立ち上がったその瞬間。開園を知らせる軽快なテーマソングが、園内に響き渡る。それと同時に背後で、まるで合図を待っていたかのように噴水が勢いよく吹き上がった。
――ブシャアッ!!
堰き止めていた水を一気に解き放つ、暴力的なまでの勢い。無数の水滴が、容赦なく俺の方まで飛び散る。
びしょ濡れ、とまではいかないけれど、その飛沫を浴びたのを見て、蓮も驚いて目を見開いていた。
「大丈夫ですか!? うわ、結構濡れてる……急いで乾かしましょう!」
あの冷静沈着な蓮が、『誤作動?』なんてあらぬ方向に飛沫をあげる噴水を見て、今までにないほど狼狽えている。
俺はプレハブの方を指差すと、蓮にアテンドをお願いした。
ゲートの外には入場を待つお客さんの列が出来はじめている。開演前のオフ状態で、ウロついている姿を見つかるわけにはいかない。
ふたりで手を繋ぎ、ちょっとだけ小走りで人の目を避けながらプレハブの陰に滑り込むと、蓮は必死の形相で言った。
「頭、外して下さい。色変わってるところ、中野さんが着替えている間に俺が拭いておきますから」
鼓動が、心臓を突き破りそうな勢いで高鳴る。
今ここで脱いだら、俺だって正体がバレる。全力で回避するため、デカい頭を左右に大きく振って、ノーを示した。
「いや、でも。事務所からドライヤー借りてくるより、ささっと拭いた方が早いですし」
駄目押しで、両手をブンブンと振り回し、顔の前で大きなバッテンを作る。さらに野球の審判の「セーフ!」の動きを模して、全力で拒絶の意を示す。
ダメ。死んでもダメ。一人で何とかするから、お願いだから見てないでくれ。
蓮はあまり納得がいっていないような、心配そうな顔で、うさ太越しに俺を見つめていた。
「中野さんがそこまで言うなら、任せますけど……」
その瞳に浮かぶ、混じりっけのない純粋な心配。それでも俺は、必死にチケットもぎりのジェスチャーをして、『時間だ! 持ち場へ戻れ!』とサインを送る。お願いだから、これ以上俺の寿命を縮めないで。たのむから早く諦めて、行ってくれ。
「分かりました。持ち場に戻りますけど、何か困ったときは無線で教えてくださいね」
蓮の丁寧で、どこか心配げな声が扉の向こうへと消えていく。
その足音が完全に遠ざかったのを確認した瞬間、俺はうさ太の頭の中で盛大な溜息をついた。
(……っぶねぇーー~~!! 心臓飛び出るかと思った……)
脱ぎ捨てたうさ太の頭からは、噴水の水気と、俺の体温が混ざり合った、なんとも言えない生温かい匂いが立ち上る。
俺はその頭部を床に置き、汗でぐっしょりと重くなったインナーを総取り替えした。
タオルでまだ湿った髪をガシガシと乾かし、パンイチで椅子に座ってぐったりと項垂れていた、その時。
――コンコン。
不意に扉をノックする音が響き、飛び上がった衝撃でパイプ椅子が派手な音を立てて揺れる。
ほぼ全裸に近い格好なのもパニクり要素になって、咄嗟に腕で上半身を隠してしまった。
「中野さん、すみません。無線の番号なんですけど」
ドアの向こうから聞こえる蓮の声に、心臓が再び暴走を始める。
「今日、三番じゃなくて五番の無線機なので。もし上がるまでの間に連絡があるときは、チャンネル間違えないでくださいね」
蓮のしっかりしている所は尊敬しかしてねーけど、今だけは止めて欲しいでしかない。ひいひいと心の中で悲鳴を上げながら、音を立てないように口元を手で押さえた。
「中野さん?」
返事がないことを不審に思ったのか、蓮が怪訝そうに名前を呼ぶ。中野さんの声の真似なんてそもそも知らないし、出来ないし。今はジェスチャーも見せられない。
(マジでヤバい、どうしよう……!)
パニックで視線を泳がせ、俺は苦肉の策として、目の前の扉を『コン』と拳で一度だけ叩いた。こんなんで納得してくれんのかな、と生きた心地がしない。
「……お疲れ様でした」
少しの沈黙の後、ようやく蓮の声がして、砂利道を進んでいく足音が遠ざかっていった。
あぁ~もう。死ぬ、死んでしまう。こんなスリル、あと何回味わえばいいんだ。
疲労とは別に、どっと押し寄せる精神的な疲れ。けれど、止まっている暇はない。
俺は震える手で無線機を掴み、うさ太の救出作戦を園長にこっそり報告した。
会話を切り上げる直前に『このあとのシフトも宜しくね』と言われてシフトを確認すると、俺の担当は幼児向けの乗り物コーナーになっている。
蓮の方は……上の欄と見れば、お城の向こう側。ゴーカートや、お化け屋敷エリアの担当だった。今日一日、もう一緒になることはなさそうだ。
(……会いたくない、わけじゃないけど……なんつーか……)
この矛盾した気持ちに、自分でも思わず溜息が出る。
確かに、今の関係は心地いい。うさ太に向けられる蓮の変わらない優しさも、うさ太の前でしか見せない表情も、この中でずっと見ていたいって思う。でも――それはクリスマスが来たら、終わる。
(そしたらいつか、ちゃんと『俺』として話さないといけないんだ)
蓮が悩んでいる「拗らせた恋」を、うさ太じゃなくて本人である俺にぶつけてくる日が来るかもしれない。
それは想像するだけで恐いけれど、アイツが抱えているその切実な想いに、ちゃんと「俺自身の言葉」で向き合うべきだ。
たとえ今の関係が壊れるのが怖くても、傷つくのが嫌でも、自分からぶつかっていかないと、何も始まらないし、何も変わらない気がした。
□■□■
――待ちに待った、球技大会当日。
本来なら今頃、お揃いのクラTに身を包んで、大歓声の中で盛り上がっているはずだった。
まさかの、ホームルームの少し前から降り始めた大雨のせいで、教室の窓から眺めるグラウンドはまるで池。そして、担任の口から無慈悲に告げられたのは「延期」の二文字。
「「えええええーっ!?」」
隣のクラスからも、さらにその奥の教室からも、地鳴りのような悲鳴とブーイングが廊下に響き渡る。
一大イベントに向けて膨らみきっていた空気は、針を刺された風船みたいに一気にしぼんでしまった。
特に、気合の入っていた女子たちの嘆きようといったら凄まじい。
フリルでアレンジしたクラTに、朝からバッチリ仕上げたメイク。頭には花冠やティアラを載せてるってのに。
「……はい、静かに。というわけで競技はなし。午前中は全クラス自習だ」
担任が事務的に告げて、ホチキス留めされたプリントを配っていく。
『昼休みまでに終わらせて提出しろ』なんて言われても、この状況でそんな気になるわけがない。課題なんてそっちのけで机を囲み、愚痴をこぼし合っている連中が殆んどだ。
激しく窓を叩く雨音よりも騒がしい教室の隅で、俺たちは行き場のないエネルギーを持て余していた。
「葵、なにそれ。いつからガチの猫になったん?」
「……女子に無理やりやられた。抵抗すると面倒だし、好きにさせただけ」
ブルーのはちまきを器用に猫耳の形に結び、目の下には水色のキラキラシールを貼った葵が、机の上で腕枕をしている。
不機嫌そうな美形の顔と、プリティすぎるデコレーションのギャップが凄まじい。
「可愛いじゃん。え、これ顔に貼っても大丈夫なシールなん?」
「らしいよ。めっちゃ違和感ありまくりだけど」
「でも似合ってる。映えまくり。あとで写真とろーぜ」
「ねぇー、誰か。真紘もこのキラキラつけたいって言ってるよ」
ついニヤニヤしながら弄ったのが運の尽きだった。葵の一言を聞きつけた女子たちがワラワラ押し寄せて来る。
俺の目の下には葵とお揃いの、ピンク色のキラキラハートを強制装着させられた。
「真紘ばぶすぎてヤバい、ベビーフェイス日本代表なれるよ」
「えー、まじ? いぇーい、ありがと」
一ミリも嬉しくない。でも、俺に求められてるのはこーゆうノリだ。デコってくれた女子達とギャルピースして写真を撮っていると、首元にはちまきを巻いた悠生が葵にまたしてもちょっかいを出していた。
「葵、どーした。まじおキャワ♡じゃん」
「……そーゆうの、誰にでもヘラヘラ言うのやめたら?」
悠生がニヤニヤしながらスマホを向けている。葵はすかさず、悠生のカメラレンズを指先でべったりと塞いだ。なかなかの徹底した拒絶っぷりだ。ツンデレの「デレ」がひたすらに無いやーつ。
悠生はといえば、そんな葵を面白そうに眺めるばかりで、ちっとも肝心なことを言わない。ふざけないで、シンプルに『ホントに可愛いよ』とか、そういう直球を投げてやればいいのに。
「また不機嫌かよ。せっかく可愛い格好してんのに、台無しじゃん」
あろうことか葵の顎をグイと掴んで、特大の地雷を真っ向から踏み抜いた。もはや地雷の上へトランポリンでもしに行ってるんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。
葵もその行動はさすがに予想外だったみたいで、ただでさえ大きい瞳をパチパチと瞬かせたまま固まっている。
(おお、顎クイが効いてる? ど、どうなるんだこれ……?)
固唾をのんで二人の攻防を黙って見守っていると、葵はぷいっと顔を背けて、いっそう深く眉を寄せた。
「……悠生、香水くさい。あっち行って」
女子の移り香を鋭く指摘して、葵がジャージの袖口で鼻と口をグイッと隠す。
蓮はそんな二人を、黙ったまま頬杖をついて眺めていた。恋愛初心者とはいえ、このピリついた空気くらいは察しているのか。それとも、単に親戚である葵の扱いに慣れているのか。余計な口出しをせず、悠生を焚き付けることもしない。
「え、そんな? ごめんて、気をつける。え、もはやジャージ脱いだほうがいい?」
「知らねーよ、こっち来ないで。女子と駄弁ってればいいじゃん」
悠生は拒絶されたのが地味にショックだったのか、うんざりした顔でスマホに視線を落とした。
葵は少しだけ唇を尖らせて、当てつけのようにプリントに取り組み始めてしまう。互いに顔を背け合う二人。……あーあ、ますます見ていられない。
そんな気まずい沈黙の中、教室の入り口から遠慮がちな声が響いた。
「あの……藤崎くん、いますか?」
不意に教室の入り口が華やいだ。
顔を上げると、そこにはC組の「可愛い」代表――花村さんが立っている。
「藤崎ー、花村さんがお呼びだぞ」
「……今いく」
蓮は入り口のドアに片手を預け、廊下で待つ彼女と向き合った。
俯きがちに頬を染め、必死に何かを訴える彼女の仕草。……用件なんて、もはや言わずもがなだ。
「ごめんね。あの……ここじゃ、ちょっと話しにくくて」
「あー……分かった。じゃあ、一階の渡り廊下に行こう」
二人のやり取りを、俺は吸い込まれるように目で追ってしまう。その瞬間、胸の奥にじわ……とまたしてもモヤつきが生まれた。
これまでだって、校門で待ち伏せする他校の女子まで含めて、全員を一刀両断にしてきた男だ。今回だって、きっと同じ。そうなるはず。いつもと同じ、うんうん、大丈夫。
「……また藤崎、朝イチで告られてるし。しかも花村さんとか、えぐすぎ案件じゃね?」
「琴子ちゃん狙いのC組男子爆死してそう。でもあいつ、彼女作る気ないって言ってるらしいよ」
「嘘じゃん。ゆーてそれ、裏では年上の大学生とかと付き合ってるやつ」
教室の隅で、野次馬根性丸出しの男子グループがヒソヒソと騒いでいる。
蓮が花村さんを促し、二人の姿が廊下の向こうへ消えていく。
俺は磁石に引かれるみたいに窓際に寄り、雨に濡れた渡り廊下を進む二人の背中を視線で追いかけた。
(花村さん、泣きそう……あ、違う。もう泣いてるわ。やば……)
話し始めて間もなく、花村さんがカーディガンの袖で何度も目元を拭うのが見えた。
対する蓮は、片手をポケットに入れ、もう片方の手で首の後ろをさすりながら、黙って視線を落としている。秒殺かよ、とちょっと居た堪れない気持ちにさせられた。
そのまま、花村さんが蓮の腕を掴んで食い下がろうとする。短くなにかを伝えて去ろうとする蓮を、花村さんは小走りで追いかけると、背中にギュッと抱きついた。
(…………は?)
頬杖をついていた手を離し、思わず背筋が伸びる。
視線の先で振り返った蓮は、ダメ押しするみたいに――花村さんの頭を一度だけポンと撫でて、再び距離を置いた。
(……なにそれ)
自分の中に、こんなにドロドロした感情があるなんて認めたくない。けれど正直、どこかで奢っている気持ちがあった。
蓮は俺を好きで、俺が一番の特別で、他の誰が割り込もうとしても揺らぐはずがないって。
それなのに、自分だけのものだと思っていたその優しさや「特別」が今、他人に向けられている。その光景を目の当たりにしたダメージは、想像以上に深かった。
(そういう、無自覚に優しすぎるところが、ずっと好きだったけど……俺以外の奴にも、そういうことすんのは……おかしくね?)
今は、『嫌い』だ。
誰彼かまわず、しかも自分が振った癖に、ホイホイ優しくしてんじゃねーよ。そんなんされたら、諦めるどころかもっと好きになるに決まってんだろ。
ぶっちゃけ、蓮が告られてどう振舞ってたのかなんて、今まで見たこともないし聞いたこともない。本人が言ったこともない。
けど、今はそれが気になって、『お前、何してんの?』って気持ちが次々に湧きあがってくる。
(……俺のことが好きなんじゃねーのかよ)
めちゃくちゃ傲慢。でも、蓮の優しさの矛先が、俺以外の誰かに変わるかもなんて、一回も考えたことなかった。
だって、それが当たり前で、もはや日常で。親友っていう逃げ道が、「恋人」の特等席に勝てなくなる日が来る可能性なんか、これっぽっちもないと思っていた。
もし俺を諦めて次の恋に進むとしたら、自分以外の誰かとあんな甘い空気を纏う蓮を、俺は「親友」として一番近くで見届けなきゃいけないことになる。
頭を撫でるのも、抱きしめるのも、手を繋ぐのも。そこから先、キスすんのと、それ以上のことをする時の蓮は、一生俺が入り込めない、知らない部分になる。
(蓮は……そういう時、どんな顔して……)
そこまで妄想がデカくなって、はっとして我に帰る。
いや、何これ。こんなの考えている時点で、まるで俺が……めちゃくちゃ嫉妬してるみたいじゃないか。
そんな、自分の中の最悪な答えに打ちのめされた瞬間。
「葵さぁ。冬休み入ったら……クリスマス、どっか行かね?」
「……えっ、なに? 急に」
こっちはこっちで、あまりの直球なぶっこみトークが始まっていて、俺は振り返って絶句した。
慌てて蓮たちの方を振り返るけれど、そこにもう二人の姿はない。
(え、ちょ、待って。……悠生、さっきの空気挽回しようとしてんの? てか、これ、俺がここに居ていいやつ?)
慌てて適当な理由をつけて席を立とうとすると、机の下で葵がぐいっと俺の袖を掴んで引き留めた。まるで『行くな』とでも言いたげに、全く離してくれる気配がない。
「どっかって、どこ?」
「真紘の働いてるドリームランドとか。コイツが働いてるとこ、ちょっと茶化しに行こうぜ」
「……それだけの理由?」
「まぁ……あとは、イルミネーションとか。見たいし。普通に」
おいおい、「普通」って何だよ!?
普段、女子の前ではあんなに軽快にチャラチャラしてるくせに、葵を前にすると途端に語彙力を失った小学生男子みたいになる悠生に呆れそうになる。一方で、葵は真っ黒になったスマホを左手に持ったまま、じっと沈黙を守っていた。
(……ホントは葵だって、行きたいくせに)
嬉しいのが隠しきれないくせに、何でそんな悩んでるフリなんかしてんだよ。
俺は机の下で、葵の掴んでいる俺の袖をクイクイと揺らして『早く頷けよ!』とサインを送る。
「何それ。普通とか意味わかんないし」
「葵が行きたくないなら、無理にとは言わないけど」
「は? まだ俺、なんも返事してねーじゃん」
デートの誘いとは思えない緊迫した空気のなか、葵の指先が小さく震えるのを俺は見逃さなかった。無駄な抵抗してないで、さっさと『行く』って言ってやれよ。
こっちまで胃がキリキリと痛くなる。今すぐにでもここから逃げ出したい衝動に駆られまくりだ。
けれど、二人をこのままにしておくわけにはいかない。
俺は葵が少しでも頷きやすくなるような話を付け足した。
「あー、それ。ドリームランドってイルミネーションにめちゃくちゃ力入れてるらしーよ。点灯の瞬間とか、マジで綺麗だって。……この前、一緒に働いた大学生の先輩が言ってた」
我ながら、とんでもない嘘をついた。そんな話、ありもしない。園長のイルミ仕事をみて思いついたでっちあげだ。
けれど、こうでもして強引にレールを敷いてやらないと、こいつらはまた互いの本心を隠したまま、すれ違って終わってしまう。俺は必死で、それが「事実」っぽく聞こえるように声を弾ませた。
「何の話?」
そこへ、タイミングよく蓮が何食わぬ顔で教室に戻ってきた。奥の廊下では、花村さんのグループがお通夜モードになっている。
その光景に『やっぱり』と思う自分は、やっぱ嫌な奴で。それを振り払うように、違う話題を振った。
「なっ、蓮も! 近所に住んでるなら知ってるだろ!? ドリームランドのクリスマスイルミ!」
蓮は『は?』という顔で切れ長の目をパチクリさせた。
けれど、俺のあまりの必死さに何かを察したのか、ポケットに手を突っ込んだまま、呆れと微かな笑みを混ぜて相槌を打つ。
「……あー、クリスマスは毎年すごい混雑してるけど。……葵、ガキの頃もイルミとか見るの好きだったろ。悠生に連れてってもらえば?」
――完璧だ。これ以上ない援護射撃に、俺は心の中で蓮にスタンディングオベーションを送った。
さすが蓮、阿吽の呼吸すぎる。
すると、葵は伏せていたスマホをゆっくりと机に置くと、頬杖をついたまま、やっと悠生と視線を合わせた。
「……いいけど」
「え?」
「一緒に行ってやってもいいけど、って言ってんの」
相変わらずの、強気で上から目線な返事。
けれど、悠生は『おう』と短く返すと、噛みしめるように深く俯いた。あれが食べたいとか、これは乗りたくないとか。今度は葵が我儘を言い始めると、悠生はそれに合わせるように身を乗り出し、二人でスマホを覗き込み始めた。
俺と蓮は視線を交わすと、無言で了解し合って席を立った。邪魔者は退場だ。
「蓮と自販いってくるわ」
「んー、いてら」
それだけ短く伝えると、悠生は蓮と視線を合わせて少しだけ口元に笑みを浮かべる。
教室を出て、曲がり角から一階の昇降口まで降りる。雨のせいで肌寒さをいつもより強く感じる廊下を進み、俺と蓮は二台の自販機の前に並んだ。
「……真紘、さっきの付け焼刃にしては良いこと言うじゃん」
蓮が不意に笑う。その横顔の安らぎに少しだけホッとして、俺も一緒に笑うと、あの時いかに自分が必死だったかを蓮に打ち明けたくなった。
「だ、だってさ! 葵が素直に『行く』って言わない癖に、俺の手ぇ掴んで『助けろ』アピールしてくるし……。でも、ごめん。蓮が働いてるって二人にバレるかもしんない」
「いや、マスクと帽子あるし……クリスマスなら、人も多いから見つからないだろ」
まだ、クリスマスのシフトは分からない。一応、希望休は取れるけど、俺の予定はまっさらだ。
「てか、葵と……悠生のこと。いつから蓮は前から気づいてた?」
「今年の春くらい。悠生から『葵のこと、好きかもしんない』って相談受けてた。あんま、役に立つようなアドバイスは出来なかったけど」
やっぱり。けど、そんな前からあの二人はくすぶってたのか。
悠生にだけやけに当たりが強いな、と俺が感じ始めたのが確か夏頃だったから、蓮は悠生の一番の理解者として、ずっとあの二人を見守ってきたことになる。
「……お前、偏見とかある? 男同士で付き合うのに」
唐突な蓮の問いかけに、胸の辺りを思い切りパンチされたような衝撃が走った。その視線も、少しも外れることなく俺に向いている。
「えっ……ある訳ねぇじゃん! 二人とも大事な友達だし。お互い好きあってるなら、尚更。幸せになれよって思う」
「……やっぱ真紘なら、そう言うだろうなって思ってた」
蓮は少しだけ肩の力を抜くと、自販機でいちごミルクのボタンを押した。
ペットボトルを渡してくれた時に見えた、どこか切なげで、それでいてどこか救われたような複雑な笑み。その表情は、俺を想いながらも自分の気持ちを言い出せずにいる、苦しさにしか見えなくて、目が離せなかった。
「真紘も、葵に相談とかされてた?」
「いや、ハッキリ打ち明けられたわけじゃないけど、いきなしメシ食ってる時にぶっこんできて……でも、客観的に見てて、やっぱ両想い……じゃん? なんで告って付き合わねーのかマジで疑問すぎて謎だわ」
蓮のサイダーを選び、お返しのようにボタンを押した。俺の手からそれを受け取った蓮は、こっちをじっと見つめたまま、低い静かな声で答えた。
「悠生にとって葵は、やっぱ特別な相手だろ。『付き合う』ってことは、今の関係を一度壊して、全く別のものにするってことだから……今の葵との関係を失う怖さのが、恋人になれる幸せよりデカいってことなんだと思う」
その声には、葵と悠生のことだけじゃなくて、蓮自身の切実な想いが重なっている気がした。うさ太越しじゃない。初めて顔を合わせて聞く、蓮の友情と恋愛に対する葛藤の気持ち。
「蓮は……悠生に共感できるってこと?」
「は? ……今の流れで、なんでそうなんだよ」
つい、口が滑った。自分の失言にすぐさま気づいて、血の気が引く。
「あっ……ごめん、今のミス。なんでもない。……てか、さっき告られてたのはどーしたん?」
焦って話題を強引にすり替えた俺に、蓮は一歩だけ距離を詰めてきた。
逃げ場を塞ぐようなその気配に、焦りで心臓が不規則に跳ねる。
「……なんで?」
「いや……やっぱ振ったのかなー、と思いまして」
「違くて。何でそんな気にすんだよ。いつも大した興味無さそうにしてんのに。なんかお前、さっきから変じゃね?」
「そう? いや、ほら、花村さんってインフルエンサーだし、爆裂可愛いし、モテるじゃん。だから……」
今までなら、『付き合わねーとかもったいな!』なんて笑い飛ばして茶化せたはずだ。
それなのに今の俺は、その言葉を喉の奥に飲み込むのが精一杯で、何も言えない。
そんな俺の動揺を見透かしたように、蓮が低い声で呟いた。
「真紘は、花村さんみたいな子がタイプ?」
「……意味わかんな。ぜんぜんタイプじゃねーよ」
静かな昇降口に、自販機の稼働音がヴーンと低く響く。
教室の賑やかな笑い声が、まるで遠い世界のことのように遠ざかっていく。
ドキン、ドキンと、左胸の奥で心臓が暴れて、その音が蓮にも聞こえてしまうんじゃないかとヒヤヒヤした。
「俺も花井さんはタイプじゃない。だから振った」
「うわ、バッサリかよ。じゃあどういう子が好きなの、蓮は」
「……もっと元気っていうか、明るくて。いつも『こっちだよ』って力強く引っ張ってくれる感じの子」
蓮は眉を下げて小さく笑うと、壁に寄りかかるようにして、サイダーのキャップを静かに捻った。シュワッとはじける小さな音。その「誰か」を思い浮かべている横顔に、また視線が泳ぐ。
「それって、リードされたいってこと? めっちゃ受け身じゃん。意外過ぎる」
「俺はリードするより、相手の好きなようにさせてやりたい派だから。だから、俺を振り回すくらいの気概がある方が好みなだけ。……真紘は?」
蓮が正面から、真剣な眼差しで問いかけてくる。いつもの四人で話すテキトーな恋バナとは、明らかに空気が違った。
俺のことをそんな風に思ってんのか……と内心で照れながら、自分の理想のタイプを必死で言葉にしようとする。
けれど、どうしても蓮以外の誰かが隣に立っている姿なんて、想像ができない。
「……蓮みたいに、一緒にいて楽な奴がいいかな」
期待させてしまうような言葉。
でも、それは嘘偽りのない俺の本音だった。どんなに探しても、蓮以上に俺の心根を理解してくれる相手なんて、この先きっと現れない。
ふと、隣にいる蓮の顔を見上げる。
すると、蓮はサイダーを持つのとは反対の手を伸ばし、俺の頬に触れた。
目の下に貼ったキラキラシールに、蓮の指先がふにっと優しく添えられる。
「それさ……俺『みたい』じゃなくて――」
今まで見たことのない、どこか覚悟を決めたような、それでいて微かに頬を染めた蓮が真っ直ぐに俺を見つめている。
その触れ方も、覗き込むように少しだけ前屈みになる仕草も。
俺の頭の中では「え、えっ」と意味のない言葉が羅列されるばかりだ。
(待って待って、これ、今ここで告ろうとしてる……!? いや無理、急すぎて心の準備が……!)
息を呑んで、硬直したままその続きを待っていると――。
「あーっ! 蓮先輩と真紘先輩だ! クラTめっちゃカッコいいー!」
蓮の言葉を遮るように、廊下の向こうから弾けるような声が響いた。
色とりどりのTシャツを纏った一年生女子のグループが、俺たちを見つけて駆け寄ってくる。
「一緒に写真撮ってもらっていいですか!?」
蓮はスッと俺の頬から手を離すと、一瞬だけ唇を噛み締め、すぐにいつもの涼やかな表情に戻った。
「あー……うん、いいよ。でも一人ずつだと大変だし、集合でいい?」
「ありがとうございます! ストーリーズ載せても大丈夫な感じですか?」
きゃあきゃあと騒ぐ声に囲まれ、俺たちはリクエストされた顎ピースで写真に収まる。
お礼と共に満足げに去っていくグループを見送りながら、俺は心の中で小さく溜息をついた。
「ウロついて声かけられるのダルいし。……戻ろうぜ」
「えっ……ちょ、待って」
「何?」
「葵と悠生……まだ、二人っきりで居てぇんじゃねーかなって……思って……邪魔くない? 俺ら」
踵を返して歩き出す蓮の背中を、どうしても引き止めたかった。
心の準備ができてないなんて抜かしておきながら、『さっきの続きを言えよ』という言葉が喉まで出かかっている。
(本当に二人っきりでいたいのは、あいつらじゃなくて――)
自分の心の奥。塗りつぶしたはずの本音に、向き合う勇気も覚悟もなかった。
「あー……まあ、そうだけど。一応自習中だしな」
「いや、それは分かってるけど」
「なに? 真紘、珍しくワガママかよ」
茶化すような言い方。
その一言で逃げるように、蓮はさっきの言葉を自分から「なかったこと」にした。
それは何よりも、蓮が俺を特別に思っていて、二度と戻れない関係になるのをやっぱり怖がっている証拠だった。
「わがままじゃねーし、葵ほどではないだろ」
「確かに。じゃー、どっかサボれる場所探す?」
「最高。アリでしかない」
どこまでも不器用な優しさと、じれったいほどの慎重さ。
俺はもう、何も言えずに、ただ先に歩き出す蓮の背中を追うことしかできなかった。



