蓮くんの好きぴは着ぐるみのなか

 四時間目の死ぬほど眠い古文の授業。
 チャイムまであと数分というタイミングで先生が『じゃあ、今日はここまで』と終了の合図を告げた瞬間、ザワつきはじめる教室。
 前後のドアには、購買ダッシュを狙う運動部たちが獲物を狙う目つきでスタンバイ。悠生も財布を片手にそこに混ざっていて、チャイムが鳴ると同時に、バン!と勢いよく扉が開き、廊下はたちまち戦場と化した。

「急げ急げ! おい、どけコラ!!」

 購買部の数量限定、焼きたてパンをめぐる仁義なき戦い。もはやうちの学校の定例イベだ。その騒ぎを尻目に、机に腕枕をしていた葵がぼそっと呟いた。

「……うるせー……、血の気多すぎ」
「え、悠生は何を買いに行ったん?」
「俺のメロンパン」

 葵はふぁ……と猫のようにあくびをすると、当然といった様子で言ってのけた。
 たかだかメロンパン一つで、あんなに楽しそうに戦場へ走っていく悠生も悠生だけど、罵りつつ平然とアイツをパシっている葵も葵だ。

「真紘も購買でなんか買う? メッセすれば悠生が買ってきてくれると思うけど」
「じゃあ唐揚げ頼もうかな。あとで金払うわ。……てかさ。悠生、なんであんな葵の言うことばっか聞いてんの? 奴隷すぎて草なんだけど」

 茶化しつつも、前々から気になっていた疑問を俺は初めてぶつけてみた。葵と悠生が一年の頃から仲がいいのは知ってたけど、にしたって最近はパワーバランスが狂ってる。測るまでもなくゼロと百だ。

「俺のことが好きだからじゃない?」
「なにそれウケる。葵は悠生のこと好きなん?」
「……別に、普通だよ」

 葵はわざとらしく窓の外を向いたけれど、耳の先が少し赤くなっている。

「え……ちょ、なに急に。葵?」
「……逆に何? なんもないけど」
「いや、何もなくは無くね? ちょい、いきなし爆弾落としてんじゃねーよ」

 返事がない。え、全然茶化せない雰囲気じゃん。なに急にぶっこんできてんの? と葵を凝視してしまう。
 けれど、その繊細な「好き」をイジるのは、ヤバい気がして何も言えない。俺がそれ以上突っ込むのをやめると、葵は『……おっそ』とボヤきながら、まだ一分も経っていない悠生の帰りを、今か今かと待ちわびているようだった。

「真紘」

 不意に背後からかけられた声。
 振り返るよりも先に、頬にピトッと冷たくて硬い感触が押し当てられた。

「うひゃあ……っ!?」

 驚いて顔を上げると、そこには悪戯が成功した子供みたいな、目を細めて笑う蓮の姿。左手には、パステルピンクの液体が入ったイチゴみるくのペットボトル。中でちゃぷん、と軽やかな音を立てて揺れている。

「え、なんで?」
「この前、サイダーくれたじゃん。お返し」
「真面目かよ。でも、一番ありがたいやーつ」
「知ってる」

 蓮は少しだけ照れたように笑うと、当然のように隣へ腰を下ろす。流れるような動作で、その右手が、ふいに俺の頭の上にポン、と乗せられた。
 撫でられたわけじゃない。ただ、置かれただけ。それだけなのに、その今まで一度もなかったスキンシップのせいで、俺の頭の中は一気にサイレンが鳴り響くような大パニックに陥った。

(来た……! うわ、マジでやりやがった……!)

 蓮の体温が、指先から頭皮へ伝わってくる。ちらりと横目で蓮を見ると、もう俺から意識を逸らして葵と会話している、ように見えた。

「葵はメシ食わねえの?」
「……悠生に頼んでメロンパン待ち。あと、真紘の唐揚げ」

 でも、葵が食い入るように蓮を見つめている。そして、すーっと目を細めて俺にその視線の先が移動してきた。
 やめろやめろ、気づきに来てんじゃねーよ。見るな。
 いつも通り俺は弁当を広げてご飯を口に運ぶけれど、どんだけ食っても食った気がしない。味わうことができない。
 ただただ、噛んで流し込んで――頭の中は、隣にいる蓮に、そしてさっきの「頭ポン」に全部持って行かれている。

「お前、また悠生に甘えてんの? そろそろ愛想つかされるぞ」
「別にいいよ。うるさいし、暑苦しいし。願ったり叶ったり」
「……マジでお前、素直じゃねーな。悠生の気持ちちょっとは考えろ」
「うざ。なんで上から目線? 蓮には関係ないじゃん」

 再び始まった美形同士の一歩も引かないレスバは、なかなかの迫力がある。とりあえず葵の悠生への拗らせは「センシティブ指定」だ。別な話題でさっさとこの言い合いを流そうとしていると、噂の張本人が戻ってきてしまった。

「おまたー」
「遅いんだけど」
「え、辛辣すぎて凍死しそうなんやが」

 悠生がメロンパン、唐揚げ、焼きそばパンとミルクティーを抱えて座る。
 『ほらよ』と手渡されたメロンパンを、葵は少しだけ表情を綻ばせて、嬉しそうに受け取った。
 その瞳が一瞬だけ嬉しさで輝いたのを見て、俺は思った。めっちゃ嬉しい癖に、顔に出にくいのは蓮にそっくりだ。

「悠生~! ちょっといい?」

 悠生が葵との距離を詰めるやいなや、教室の入り口から呼びかける声。四人全員で振り向く。
 現れたのは、いわゆる一軍女子のグループ。中でもグイグイ系で有名な子が、さも当然といった様子で悠生の席まで詰め寄ってきた。
 カーディガン代わりに着ている悠生のパーカーの紐を、引っ張ったりリボン結びにしている。明け透けなボディタッチに『うわ……』と葵と蓮の顔が引き攣る。さすがイトコ同士。苦手なタイプの子まで共通してるっぽい。ぶっちゃけ、俺も積極的な女子は流す方だけど。

「ねぇー、悠生のジャージ貸して? 五時間目体育なんだけど、忘れてきちゃった」

 その女子が狙っているジャージは、今まさに葵が膝掛け代わりにしている。
 悠生が『あー……』と歯切れの悪い返事をする中、葵はガン無視。まるで我関せず。というか、絶対に貸さねぇと言わんばかりのオーラが漂っている。
 ちょっと気まずい視線のやり取りが交差するなか、さらりとスマートに助け舟を出したのは蓮だった。

「俺らも五限、体育に変更だから無理だよ」
「えー、悠生が半袖で頑張ればよくない?」

 かなりの無茶振り。だけど、悠生は嫌な顔ひとつせず『なんで俺?』と笑って流している。
 そんなやり取りを横目に、葵は眉間に深いシワを寄せ、相変わらず女子たちを存在しないものとして扱うようにメロンパンを齧っていた。

(……やば。葵、めちゃくちゃキレてね?)

 さっきの『俺のことが好きだからじゃない?』発言のせいで、俺の目には嫉妬のフィルターがバッチリかかっている。
 蓮も葵の様子を一瞥すると、説得力しかないトーンで女子たちにトドメを刺した。

「他のクラスあたって。あとはチア部の後輩に頼めば? 貸してくれる奴いると思うけど」
「……分かった、ありがと。バイバイ!」

 目に見えて肩を落とした女子たちが去っていくと、葵は空になったメロンパンの袋を丸めると、窓の外を向いたまま冷たく言い放った。

「……ごちそうさま」
「葵、もう終わり? 食うの早すぎだろ。てか、ミルクティーも買って来てやったのに飲んでねぇし……って、おい。どこ行くんだよ」
「図書室。ついて来ないでね」

 ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、さっきまであんなに貸したくなさそうだった悠生のジャージを、本人の顔面に向かってぶん投げる葵。一度も振り返らずに教室を出ていくその背中を、悠生はジャージをキャッチして、パンを咥えたままポカンと見送っている。
 あまりの冷え込みっぷりに、横でスマホをいじっていた蓮が、呆れたように顔を上げた。

「……おい、何フリーズしてんだよ。さっさと追いかけろって」
「え、無理。俺、『ついて来ないでね』って一方的にキレられた側なんすけど」
「アイツは言葉と態度が本音と逆だって前から言ってんだろうが。早く行けよ」

 蓮に鋭い視線を向けられ、悠生はようやく腰を浮かす。納得いかない表情を見せつつも、その足取りには隠しきれない焦りが混じっていた。

「五限までには回収して来るわ。はぁー、クソ我儘なプリンセスだな全く……」

 悠生が、一方的に葵の言うことを聞いて、尽くして、一挙一動に振り回されているだけじゃない。
 アイツを傍若無人に振り回している葵だって、本当は悠生のことを好きで、甘えてるとしか思えない。
 親友同士の、あまりに複雑で、あまりに不器用すぎる「両片思い」。ふと、隣に座る蓮に視線を送ると、葵たちの去っていったドアの方をじっと見つめている。その横顔はいつになく真剣で、どこか自分自身を重ねているようにも見えた。

(自分の恋愛には精一杯だけど、二人の気持ちは蓮も気づいてるっぽいな。さっきの助け舟しかり……)

 けれど、今の俺たちはそれ以上、その話題に触れることはできなかった。
 まさかのグループ内恋愛。どう扱ったらいいか分からなさすぎて、頭がパンクしそうだ。

 何より、あいつらの「恋」をハッキリ指摘してしまったら、その矛先が自分たちにも向いてしまいそうで怖い。
 悠生と葵のあまりの青臭さに、鏡を見せられているような居心地の悪さを感じて、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「……今日の体育って、何やるんだっけ」
「バスケ。他クラスと合同だから、トーナメント戦かもな」
「だるー。なんか急に風邪引いたかも」
「お前、体育の時だけ免疫ゴミになりすぎ。先週もサボって怒られただろ」

 全く別の、でもどこか今の自分たちに繋がっているような話を無理やり広げて、必死にその場の空気をやり過ごす。

 ふいに会話が途切れると、俺は少し冷たくなった唐揚げを口に押し込む。
 もぐもぐと頬を膨らませ、『今、喋れないから』という無言のアピールを蓮に向かって必死に繰り返した。


□■□■


「葵くーん! 頑張ってー!!」

 体育館に女子たちの黄色い声援が響き渡る。
 あの後、図書室から悠生と戻ってきた葵は、涼しい顔でさらりとスリーポイントシュートを決めてみせた。
 割れんばかりの声援を向けられても、『嬉しくない』とでも言いたげな無表情。ブザーが鳴った瞬間に、俺の元へ戻って来る。

「相変わらず、顔に似合わずエグいプレーですこと」
「評価下げられたくないだけ。あー、疲れた」

 葵はぶっきらぼうに呟くと、床に座る俺の膝を勝手に枕にして、大きなため息をついた。完全な省エネモード突入だ。

「葵、ちょっと退いて。俺、次出なきゃだから」
「無理。もう一歩も動けない」
「え、なにその可愛い葵くゅ。激レアSSRじゃん」

 呆れながらも、子供をあやすように葵の背中を撫でる。
 ふと、葵が羽織っている長袖ジャージの袖口が目に入った。そこにははっきりと、「中元悠生」と刺繍された文字。

(うわ……バッチリ『彼ジャー』決め込んでんじゃん……いや、まだ『彼』じゃねーか)

 不機嫌そうな顔をして、しっかり悠生の匂いに包まれてる葵。そのいじらしさに、思わず口元が緩んでしまう。
 意固地だけど、悠生にすきすきアピールしてる。悠生はこの葵の我儘と独占欲をどう思ってるんだろう。気づいてないフリしてるのかもしんないけど。

「「れんれん~、ゆ~せ~♡」」

 ネットで仕切られた隣のコートでは、女子が壁のように連なっていた。
 その中心で、蓮が悠生からのパスを鮮やかに受け止める。流れるような動作で放たれたレイアップシュートが、吸い込まれるようにリングを潜り抜けたのと同時に、試合終了を告げるブザーが鳴った。

「あっつ……さすがに二試合連続はキツい」
「お疲れ。相変わらず、汗も滴るいい男っすね」

 戻ってきた蓮が、無造作にジャージの裾を捲り上げて顔の汗を拭う。その隙間から覗いた、引き締まった腹筋。俺はガン見しそうになるのを誤魔化すために、慌てて明後日の方向へ視線を投げた。

「やば、タオルとシート忘れた……」
「俺の使う?」
「あ、悪い」

 黄色いパッケージの汗拭きシートを蓮に差し出すと、蓮はその場に座り込んで、火照った首筋に流れる汗を拭い始めた。
 その横で体育館の床に大股で座り込んだ悠生が、葵の背中を小突く。

「葵、俺のプレー見てた? カッコ良すぎて見惚れてたでしょ」
「……バカなの? 俺だってさっきまで隣のコートで走ってたんだから、見てるわけないじゃん」
「いや、絶対見てた。じゃねーと、あんなに目が合うわけないと思いまーす」
「うざ……自意識過剰も大概に……えっ、ちょっと、なに!?」

 悠生がひょいと葵の体を横抱きにして、強引に自分のあぐらの中へと回収した。

「真紘サンの試合が始まりますからね。代わりに俺の膝でおねんねしていいですよー」
「はぁ!? 絶対ヤダ! 悠生の脚、硬くて痛いし……!」
「へー、じゃあ腕枕にしてやろうか?」

 顔を真っ赤にして『死ね』とかなんとか、暴言を吐いて暴れる葵。ぎゃあぎゃあと言い合う二人を尻目に、俺は重い腰を上げてコートへと向かった。

「真紘~。負けた方が勝ったチームに自販おごり。乗る?」
「うぃっす。佐藤真紘、ガチでやったりますわ」
「よな。お前がいねーと始まんねぇのよ」
「じゃあ、元バスケ部の本気出しまーす」

 チームメイトと景気よくハイタッチを交わし、ボールの感触を確かめる。
 ネットの向こうでは、葵がまだ威嚇する猫のように悠生を叩いてジタバタと暴れていたけれど、悠生の方はハチャメチャに嬉しそうだ。
 さっきの昼休みとの落差に、苦笑混じりにその光景を見つめていると、その隣でペットボトルの水を飲んでいた蓮と不意に視線がぶつかった。

(……え、なに。なんすか、藤崎さん……)

 あんなにガン見されると、さすがに気まずい。
 ビブスの襟元を整えるフリをして、その熱視線から逃げるように前だけを見据える。
 けれど、ホイッスルが鳴って試合が始まってからも、その視線が外れることはなかった。

「真紘! 行け!」

 気づかないフリを貫いて、チームメイトからのパスを収める。
 ドリブルで切り込む一瞬、どうしても磁石みたいに視線が吸い寄せられてしまった。そこには、ただひたすら俺だけを目で追いかける蓮がいて。

 不意に跳ね上がった鼓動のまま、半ば投げやりに放ったシュートは、リングの上を二回転して静かにネットを揺らした。

「ナイッシュー!」

 駆け寄ってきたチームメイトと拳を合わせ、頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。
 馬鹿笑いしてふざけ合ってみせるけれど、意識はどうしたって蓮の方へと引き戻されていた。

(あー、もう……見すぎ。流石にそれは分かりやすすぎるって……)

 ただのチームプレイだけど、それをどんな気持ちで見ているかくらい、バカな俺でも想像がつく。
 とりあえず『偶然、目があっちゃいましたね』の意味を込めて軽く手を振ると、蓮はピクッと肩を跳ねさせた。
 そして慌てたように小さく手を振り返すと、すぐに遠くのコートで続く別の試合へと顔を背けていた。