蓮くんの好きぴは着ぐるみのなか


 そうして迎えたバイト二日目、土曜日の朝。
 バスを降りた瞬間、スタッフ専用口のゲートをスマートに通り抜けていく私服姿の蓮の背中が見えた。

(普通に居ますやん……はぁー、うまく演技できっかな……)

 結局、あのあと蓮の方から『実は俺もドリームランドで働いてる』というネタバレをされることはないまま、運命の鉢合わせタイムを迎えてしまった。
 なに勿体ぶってんだか、と心の中でツッコミを入れつつも、蓮は何食わぬ顔で俺の先を歩いていく。そのせいで、俺は今からとんでもない一芝居を打たなきゃいけない。だって今日が、俺の初バイトの「設定」だし。ぜってーバレないような名演をしてやんよ。

 そんな気合を入れて、俺はスタッフルームの扉を三回ノックする。ガチャ、と重い扉が開いた瞬間――。

「う、うわぁあー! 蓮!? なんでお前がここにいんの!?」

 俺はのけぞるように両手を頬に当てて、渾身の「まさかの遭遇に超ビックリ演技」を披露した。オスカーも色んな意味で真っ青な大根芝居だ。
 蓮はきょとんとして瞬きをした後、小さく吹き出して俺の額を指先でコツンと小突いた。

「何だよその、お遊戯会みたいなセリフ。ビックリしすぎて頭おかしくなった?」
「だ、だって……お前、介護のバイトしてるって言ってたじゃん! どーゆーこと!?」

 俺のすっとぼけに、まるで小さい子どもを見るみたいに、その目尻が優しく下がる。
 演技の評価は星一つだったみたいだけど、蓮の方に「サプライズ成功」と信じ込ませることには成功してるっぽかった。

「……ビビらせてごめん。でも、ドリランで働くなんて言ったらお前らギャーギャーうるさそうだし」
「まぁ、百パーからかうよね。だって面白すぎるもん、蓮が遊園地で働いてるなんて。介護よりウケる」
「近所で時給いいし、効率よく貯金できると思って。でも、マジで介護は嘘じゃない。着ぐるみの中のオッサンの隣で、ずっと世話してるし」

(んー、それな。でも、そのオッサンの正体、先週から俺なんよなぁ~……!)

 喉まで出かかった言葉を飲み込んで、俺は『あー、もう。早く言えよな』と不貞腐れて見せた。

「でも、普通に嬉しい。蓮と同じバイト先なら安心しかねーわ」
「……うん。俺も」

 その言い方で、やっぱり蓮は俺に「本心」はまだ伝える気がないのだと思った。
 更衣室で隣に並び、まだ糊の効いたピカピカの制服を取り出す。
 俺がロンTを脱いで上裸になると、蓮はロッカーに向き合う形で前を見たまま、慣れた手つきで着替えを始めた。

「真紘は持ち場とか、これから決まる感じ?」
「あー……それは、うん。基本、俺は幼児コーナーの補助だって。あとはヘルプで色んなとこ回るらしい」
「良いじゃん。その感じならあんましキツくないし、真紘ならすぐ馴染めると思う。……俺の受け持ちエリアとは、ちょっと離れてるけど」

 残念そうな顔を見て、胸の奥がチクリとした。俺はうさ太の時があるから隣にいるって思えるけど、蓮からしたら、そうじゃないもんな。

「今日のシフトってどんな感じ?」

 蓮は少し前屈みになり、ロッカーの鏡で髪を整える。制帽を深く被り直して、こちらを向いた。

「着ぐるみの補助ともぎりの手伝い。たまに清掃も入るっぽいけど……悪い。もぎりの持ち場が遠いから先に行くわ。頑張れよ、新人」

 パタン、とロッカーを閉める硬い音。腰のバッグにインカムをスマートに差し込み、颯爽と歩き出す。その去り際――ほんの一瞬だった。
 蓮の大きな手が、俺の肩を包み込むように、優しくポンと叩いた。

「じゃあな」

 パタン、と扉が閉まり、一人取り残された更衣室。
 俺はボタンを留めたまま、その場でフリーズしてしまった。

(……え、いや……ちょっ……今、なに? 触ったよな? 撫でたよな!?)

 ずっと隣にいた親友だからこそ、分かってしまう。
 あいつは普段、自分からベタベタしてくるタイプじゃない。ふざけて小突くことはあっても、あんなに柔らかいスキンシップなんて――初めてだ。
 「俺への片想い」を知るまでは、ただそういうのをしないタイプなんだと思ってたのに。

「……いきなし、やめろや……マジで」

 ポツリと呟き、鏡を見上げて絶句した。
 そこには、隠しようがないほど真っ赤に上気した自分の顔。
 向けられた好意の重さを自覚したせいで、指先が触れそうになるだけで、目が合うだけで、直視できないほど鼓動が跳ねる。
 こんな些細な触れ合いに神経を尖らせている自分、チョロすぎて嫌になる。……いや、これ全部、蓮のせいだ。絶対そう。

(てか、そうじゃねーと……そうじゃねーと…………あれ、俺、どうなっちゃってんの?)


 □■□■


 午前中の持ち場は、幼児用の乗り物コーナー。入り口でのチケットもぎりと、ちびっ子たちの安全確認がメインだ。

「真紘くん、飲み込み早いね。次はベルトのダブルチェック、お願いしていい?」
「あ、はい! 了解です!」

 大学生の先輩に教わりながら、ベルトの緩みを確かめる。
 乗り物が止まるたびにエビ反って大泣きする子を宥めるのは一苦労だけど、賑やかな園内の空気は、やっぱり自分の性に合っている気がした。

「真紘くーん、交代。次の持ち場行っていいよ」
「あざーす! また次のシフトもよろしくお願いします!」

 交代のスタッフが来た瞬間、俺は「本番」に向けて走り出した。息を切らしながら、裏手のプレハブ小屋へと滑り込む。
 蓮が迎えに来るまで、あと十分。そのわずかな時間で、俺は「うさ太」にならなきゃいけない。
 ダサいポロシャツを脱ぎ捨て、着ぐるみに慌てて足を突っ込む。
 重たい足、ぶかぶかの胴体。最後におまけのような丸い尻尾を整えてから、巨大な頭部をえいやっと被った。

「……うっし、完璧」

 鏡の中に映る、少し間の抜けたうさ太の顔。
 ちょうどその時、ノックの音が響いた。

「お疲れ様です。今日もよろしくお願いします」

 ドアを開けると、そこには爽やかな笑顔の蓮がいる。俺は『お疲れ』も発せない代わりに、手をひらひらと振ってみせた。
 この蓮の顔は、営業スマイルだって分かってる。けれど、その笑顔の威力たるや……着ぐるみの視界を通しても眩しすぎるんやが。

「今日は噴水広場じゃなくて、レストハウス前に変更です。……行きましょうか」

 蓮は着ぐるみの中野さんに対して、驚くほど過保護だ。
 歩き出すと、蓮は何度も振り返っては『暑くないですか? 喉は乾いてないですか』と優しく声をかけてくれる。
 広い園内を歩く足取りも、わざとゆっくりモードにしてくれているみたいだ。
 移動中、少し段差がある場所では『転ばないように』と、そっと俺の二の腕を引いてくれる。
 不意に人混みが押し寄せた時は、迷わず俺の両肩に手を添えて、自分を盾にするようにしてサッと軌道修正してくれた。

(……うわ、近……っ)

 その手の温度は分からない。けれど、その力強い感触は、分厚い着ぐるみの生地越しでもハッキリと伝わってくる。
 俺の顔は真っ赤で、心臓の音は着ぐるみの中で響いてんじゃないかってくらい激しいのに。本人はそれに当然気づくこともなく、ただうさ太をエスコートすることに全力を注いでいる。

「うさ太。ちょっとそこ、道が狭いから」

 蓮が俺の腰の辺りに手を回し、お城の下をくぐるように出来ているトンネルへ誘導してくれる。
 いくら普段の距離感が近くても、こんな風にされたことなんてない。俺が中に入っているなんて露知らず、蓮はめちゃくちゃ丁寧に俺を扱ってくれている。
 おっさん相手でもこの神対応……。惚れてまうやろー!ってイジりたい。蓮的には、「介護」のつもりなんだろうけどさ。

(でも、もし……蓮にバレたら……どーなんだろ)

 絶対に起きてはいけない事故。最悪のパターンを想像してしまう。
 あんなに必死に隠してたガチすぎる本音を、俺が一言も漏らさず聞いてたなんて知ったら……恥ずかしすぎて二度と顔を合わせてくれないだろう。
 うん、やっぱり絶対にバレたくない。でも、このまま黙ってあいつの秘密を知り続けるのも、親友として相当マズい気がする……。

「それでは、ハイタッチ会を始めたいと思います。前の方から順番にどうぞ」

 そんな、正解の出ないモヤモヤを抱えたまま、前回とほぼ同じ動きを繰り返して、俺はハイタッチとハグにいそしむ。

 今日は三連休のせいか親子連れが多くて、列に並ぶ子どもの人数も二割増しだった。うさ太のワンオペっつーのがそもそも無理がある。他のキャラでもなんでもいいから、とにかく着ぐるみの頭数を増やしてくれ、園長。人件費のこともあんのかもしれないけど、マジで頼む。

 少し時間をオーバーしてしまったけれど、なんとか全員分とのふれあいを終えると、お昼前のレストハウスには長蛇の列が出来ているのが見えた。

「裏ルートから戻りましょうか」

 繋がれた手はそのままで、再び二人で歩きながらプレハブに向かう。
 ……けど。今の俺の状態は、控えめに言っても地獄だ。
 背中を伝う嫌な汗が着ぐるみの内張りに吸われ、なんとも表現しがたい独特の激臭を醸し出している。

(今の俺、絶対にクセぇ! 早く、一刻も早くこの毛皮を脱ぎ捨てたい……!)

 切実な願いを胸に、うさぎの足で必死に大股歩きをしていた、その時だった。
 またしてもプレハブの前で、蓮がピタリと足を止める。

「……すみません。ちょっと……その。実はあの後、困ったことになっていて」

(キタキタキタ……! もはやこれ、蓮の本音がダダ漏れるボーナスタイムじゃん)

 俺が返事を待っていると、蓮は軽く俯き、口元を片手で隠した。
 普段の冷静沈着な姿からは想像もつかない、余裕ゼロのオーラが溢れ出している。

「この前……事故で、キスをしてしまって。すごい気まずくて、避けるような態度を取っちゃったんです。なのに向こうは、わざわざジュースまで買ってきて気遣ってくれて……」

 蓮の声が、静かな小道に溶けていく。俺は着ぐるみの頭を少し傾けて、聞いてるアピールをした。
 いや、オッサンに事故チューのガチ相談すんなよ、とは思うけど言えるわけがない。
 けれど、次に続いた蓮の言葉は、俺の想像よりずっと重い本音だった。

「ずっと罪悪感もあったし……『ノーカンにしよう』って言われたのも、やっぱり親友の枠は超えられないって突きつけられた感じがして」

 明らかにトーンの落ちた声に、胸の奥がチクリと痛んだ。
 俺としては、蓮をフォローして元通りになるための提案だった。波風を立てない道を選んだつもりだった。
 けれど結局、それは自分を守るためでしかなかったのかもしれない。

(俺の言葉が……蓮を傷つけてた? こんな顔、させるつもりじゃなかったんだけどな……)

 だからといって、期待させるような真似をするのはもっと不誠実な気がする。
 蓮のことは大好きだけど、それ以上の関係なんて、まだ想像もできないから。

 隣で蓮は自嘲気味に少し笑うと、遠くの幼児エリアへと視線を投げた。
 その彷徨う視線が、今も無意識に俺の姿を探しているのだと分かってしまう。

「でも、今日からここで一緒に働けることになったんです。さっきも『同じバ先なら安心』って言われて……死ぬほど舞い上がってて。やっぱ、むちゃくちゃ好きな気持ちは、簡単には消えないっすよね」

 あんなに澄ました顔で「新人」なんていじってたくせに、心の中ではサンバでも踊る勢いのお祭り騒ぎだったのか。
 しょぼくれたり、舞い上がったり。その振り回されっぷりに、「顔に似合わず可愛い奴め」と謎の親心が爆発する。
 俺はもふもふとしたうさぎの手を伸ばし、制帽を被った蓮の頭を、精一杯の愛情を込めて撫で回した。

(いいか蓮、好き避けとか不器用すぎるけど……この間の罪悪感は、マジでいらねーぞ!)

 言葉が喋れない分、想いを手に込める。
 蓮は一瞬、目を丸くしたあと、何かを悟ったような真剣な面持ちで俺を見上げた。

「……頭、ナデナデ? もっと、スキンシップで攻めろってことですか?」

(――は?)

 着ぐるみの中で、俺は盛大に口をあんぐりと開けて固まった。
 待て待てまて。今のは『大丈夫だよ』っていう全肯定の励ましであって、アプローチの督促じゃねーんだけど!

「真紘からはよく触ってくれるんですけど、俺からは肩ポンが精一杯で……でも、そっか。そうやって分からせないとですよね」

 蓮は顎に手を添え、一人で深く納得している。『分からせもなにも、全部分かってんだよ!』と言ってやりたいのに。時速百キロを超えるスピードで、蓮は間違った方向へ爆走を始めた。てか、オッサンに俺の本名を晒すな!

 励ますどころか、結果的に自分への猛アタックを全力で後押ししてしまった。俺が心中でのたうち回っているのを他所に、蓮は憑き物が落ちたような、眩しすぎる笑顔を浮かべている。

(俺、自分で自分の首を絞めるどころか、自ら墓穴を掘ってダイビングしてないか……!?)

 蓮は期待に満ちた瞳でうさ太を見つめ、最後の一押しを求めるように口を開いた。

「あの……最後に一つだけ、いいですか。相手のことを可愛いなって思った時、そのまま『可愛い』って言葉にしていいと思います?」

 時が止まった。着ぐるみの中、いま俺の顔は間違いなく、完熟のトマトより赤い。

(ハァ!? 何? 俺、このあとお前に「可愛い」と言われるってこと? やめやめ、そんなん言わんでいいって!)

 動揺で思考回路がショートしそうになるけど、目の前にはキラキラした瞳でもっとうさ太に自分の背中を押してほしそうにしている蓮がいる。
 ここで否定なんて、鬼でもなきゃできやしない。その相談だけ、否定するのもきっと不自然になる。
 俺は覚悟を決め、両手で作ったハートを左右にゆらゆらと揺らし、目一杯の応援ポーズをしてみせた。

「……ありがとうございます。ちょっと気持ち切り替えられたんで、このあと『一緒に帰ろう』って誘ってみます」

 蓮は嬉しそうに、まるで大事な試合にでも挑むような気合でそう告げた。一緒に帰るのなんて、俺たちが毎日やっている当然のルーティンなのに。

「それじゃあ、お先に失礼します」

 蓮は満足げに手を振り、プレハブ小屋の前を去っていった。
 その後ろ姿が視界から消えた瞬間、俺は部屋の中でガゴン!とおでこをロッカーに打ち付ける。そうでもしてなきゃ、嬉しいような、困ったような。とにかく、顔がどうにも普通を装えそうにない。

(……マジでやばい。一緒に帰ろうって誘われんのはいいけどさ。このあと『可愛い』って言われるかもしんないの? なんてリアクションすればいいんだよ……)

 蓮が帰りに誘ってくるのは、着ぐるみを脱いだ「素の俺」だ。
 うさぎの皮を脱ぎ捨てて人間に戻った俺に、アイツはどんな顔をして、どんな言葉をかけてくるんだろう。

 ズルズルと壁に凭れかかり、うさ太の頭を外す。
 もわっとした熱気が顔を覆い、自分の汗と、混じり合った着ぐるみの匂いが鼻をくすぐる。普段なら間違いなく顔をしかめるところだけど、今はそれどころじゃない。だって顔の熱が、一向に引く気配がない。
 着ぐるみを定位置に戻して、鏡の前で自分の顔を確認する。

(めっちゃ髪ぺったんこ…………これ、どう考えても『可愛い』って言われる要素ねーぞ)

 そんなことを早速気にしている自分。そして、自分の心臓の音はまるでドリームランドのBGM並みにうるさい。
 いつもより早いリズムで鳴る爆弾を胸の奥に抱えたまま、俺はなぜか逆ギレ気味に『言えるもんなら言ってみろや』と心の中で毒づきながら、蓮が居るスタッフルームへと歩き出した。


 □■□■


「お疲れ。どうだった? 初日は」
「ああ……うん、意外と広いんだなって思って。迷子にならないように、園長に紙の地図もらった」
「……お前、地図苦手じゃん。貰ってどうすんだよ」
「うっせーな、が、頑張って……頭に叩き込むん、ですよ」

 スタッフルームのロッカー前。リュックに汗で湿った制服を乱雑に詰め込みながら、軽口を叩く。
 語気を強めると、少しだけ眉をひそめたのが分かった。何気ない一言で蓮を傷つけてしまうのが怖くて、慌てて口調を柔らかくする。

「そうですか。……てか、真紘。バス停まで一緒に帰る?」
「当たり前じゃん。今、支度するから。ちょい待ってて」

 キタキタ来た。そう思いつつも、親友としていつも通りを装う。出来るだけナチュラルに聞こえるようにそう言い放つけれど、返事がない。
 不思議に思って顔を上げると、鏡の前で少し慌てて前髪を直す蓮の姿が映っていた。

(……え、なにそれ。カッコつけんな! なに好きピと帰るからって髪チェックしてんだよ!)

 その仕草があまりにも一生懸命で、俺の胸は変な音を立てて跳ねっぱなし。国宝級の顔面にその恋愛初心者みてーな可愛さを乗っけてくんな。ギャップがありすぎんだろ。
 だけど、さっきまでうさ太に向けていたあのハッピーなオーラは、すっかり鳴りを潜めていた。

 いや、出せよ。さっきまでキラキラした笑顔、俺にも見せろよ。なんでうさ太の前ではあんなに素直で無防備なくせに、なんで俺と二人きりになると、顔はカッコつけて涼しい顔してんだよ。
 じぃー、とそんな蓮を横から見て、俺は少しだけ手を止めて考え込んでしまった。

 “当たり前じゃん。今、支度するから。ちょい待ってて”

 そう言った時の、蓮の少しだけ輝きを増した瞳。
 本音で返しただけのつもりが、蓮を手のひらで転がしているような後ろめたさが胸にぐさりと刺さる。

(蓮の嬉しそうな顔を見ると……すげー後ろめたい。モヤりまくるんだけど……)

 鏡越しに目が合って、蓮がふいっと逸らした。
 その真っ赤になった耳元を見て、どうしようもなく蓮は俺のことが好きなんだと痛感させられる。

「お待たせ、行こ」

 ふたりで歩く、オレンジ色に染まった夕暮れの帰り道。
 バス停までの道のりにあるコンビニで肉まんを買って、蓮と半分こした。

「うわ、ごめん。割るのミスった」
「いいよ、俺が小さい方で」

 去年の冬も、よくこうやって放課後に肉まん買い食いして帰ったっけ。
 いつも俺は割るのが下手で、大きい方を蓮がくれて。
 蓮に割るのを頼んでも、ちょっとだけ俺の方が大きくなるように割ってくれた。そういう蓮の無言の優しさみたいなのに、俺はいつも心のどこかで期待していて、甘えっぱなしだった。

「うまー、やっぱ小腹減るとこれ買っちゃう」
「わかる。この前、真紘が買ったネコ形の餡まんも、小さいけど可愛かったよな」

 それは、この前というか――もう数か月前のことで。『そんな細かいこと、まだ覚えてんのかよ』って言おうとして、言えなかった。
 俺の中では何でもない日々。そんな毎日のなかで、一体いつから蓮は、俺のことが好きだったんだろう。そんな疑問でいっぱいになる。

(つーか、そもそも俺のどこが好きなんだろ……もし俺が逆の立場なら、蓮に惚れる要素はありまくるけど、マジで俺ってなんの魅力もなくね……?)

 肩を組んだり、ポッキーゲームしたり、俺が告られたり、恋バナするのを、どんな気持ちで隣で聞いていたんだろう。
 思い返してみるけれど、蓮は本当に何気なく、友達として側に居た気がする。
 うさ太の中に入らなければ、きっと俺は――蓮に告白されるまで、その好意に全く気付かないままでいたかもしれない。

(……下手したら、俺が別の人と付き合って蓮を傷つけた未来もあったってこと? いや、でもそれはないか。蓮以上の気が合う奴と出会うとか、そもそもイメージつかねーし)

 少しの沈黙の後、何かを言いたげに蓮がそわそわしている。まさか、と思うと、本当にその「まさか」はやってきた。

「あのさ……真紘」
「ん、なに」

 隣を歩く蓮の気配に、つられて心臓が跳ねる。好かれていると知らなければ、こんな風に意識することもなかったのに。
 けれど、この鼓動はただの緊張とも違う。どこか「はじめてのおつかい」を見守る保護者みたいな、そわそわする感じが混じっていた。

「……うすうす、朝から気付いてたんだけど。髪切った? 前髪だけ」

 蓮が恐る恐る、俺の目元あたりを指差す。

「えっ、あ、あぁ! バイト始めるし、あんま長いと印象良くないかなって思って、昨日あわててセルフでやったんだけど。……え、もしかして事故ってる?」

 まさか気づかれるとは思わなかった。しかも今の俺の前髪は、着ぐるみの汗と湿気で絶望的にぺったんこになっている。さっきタオルで必死に拭ったけれど、直りきってない。
 気まずさに耐えかねて俯く俺の隣で、蓮が少しだけ声のトーンを落とした。

「……普通に可愛い。似合ってる」

 ばちっ、と目が合って絞り出された一言。蓮がマジで言った。
 ……言ったんだけど! 俺のことを『可愛い』って!!

 蓮のこんな顔、俺は知らない。見たことがなかった。
 余裕なんてないのが丸わかりで、有り得んくらい恥ずかしそうで、緊張している顔。
 けれど、そこには逃げずに伝えようとする真剣な気迫があって、有無を言わせない男らしさが滲んでいた。

(……やばくね? そんな顔で言われたら、俺だって……。フツーに『嬉しい』って思っちゃうじゃんかよ。女子じゃねーけど……女子じゃねぇけどさ!)

 予想以上の破壊力に、俺の顔は間違いなく今、夕日よりも赤く染まっている。
 一方、蓮は自分の言葉に耐えきれなくなったのか、逃げるような早足でバス停へと歩き出してしまった。

「……っ、おいコラ! 置いてくなし!」

 慌ててその広い背中を追いかける。
 背後から見える蓮の耳の先は、俺と同じくらい、いや、俺以上に真っ赤になっていた。

「ビビったわ、その……てっきり、切り過ぎたかと」
「……俺は、短い方が好きかも。なんか幼く見えるし、高一の頃思い出す」

 げしっと蓮の長い脚に蹴りをいれて『幼い言うな』とすかさず反発する。

「蓮は逆にあの頃、前髪長かったよな。今のセンターパート、やっぱカッコよくて俺は好きだよ」
「知ってる」
「はは、その顔でボケてもマジで笑えん。顔が良すぎてギャグになってないし」
「真紘にそう思って欲しくて、切ったから」

 ナチュラルにアピってる。やべぇ、平然と言われてなんて返したらいいか分かんねぇ。
 内心の動揺を隠し、俺はすんとした顔で炭酸を飲む蓮を横目に焦る。
 しかも、こっちだって割と勇気を出して褒めたのに、照れないんかい。感情バグじゃん。
 「カッコいい」が単なる肯定以上の意味に取られた気がして、慌てて『髪型がな!』と付け加えた。

「あ、バス来たかも。……てか乗るまで付き合わせてごめん」
「ん、いーよ。じゃあまた来週な」

 バスに乗り込み、蓮と別れる。閉まったドアの向こうで小さくなっていく姿を、ガタンと揺れる窓に頭を預けて見送った。
 いつもと同じ、数え切れないほど繰り返してきた「バイバイ」。けれど、遠ざかる蓮の表情を、今はどうしても目で追ってしまう。

(……あんなんズルいだろ。あんな名残惜しそうな顔してたなんて……知らなかったんですけど)

 今になってようやく気付いた。今日だけじゃない。放課後も、休日の遊びの帰りも。バスや電車が来るまで、蓮は必ず俺を先に見送って、ギリギリまで隣にいてくれた。
 そこには単なる「好き」だけじゃなく、俺を「大切にしたい」っていう気持ちが混ざっていること。

 流れる景色が夕暮れの街灯に溶けていく。一人になっても、頭の中は蓮のことでパンパンだ。

(……蓮は、なんで親友じゃなくて『恋人』になりたいんだろう……)

 男同士の蓮に好かれていると知っても、嫌な気はしない。友人としてはぶっちぎりで大好きだ。
 だけど、その境界線を越えた「先」にある景色。
 もし、あの真っ直ぐな瞳で見つめられたら。あの整った顔がじりじりと近づいてきて、柔らかい唇が重なったら。
 恋人になるってことは、当然その、もっと先の関係まであるわけで……。

(蓮は俺と、そういうことまでしたいって……思ってるんだよな? うわ、生々しすぎてヤバくね……?)

 エロいイメージが脳裏をよぎった瞬間、ガバッと頭を跳ね上げた。顔が熱い。心臓がうるさい。こんなこと考えてる自分、重症すぎるけど。
 震える手でスマホを取り出し、画面の輝度を一番暗くして検索窓を叩く。

【男同士 恋愛 変?】
【男同士 えっち やり方】

 出るわ出るわ、未知の情報量。俺はそっとスマホを伏せ、膝の上のリュックに顔を埋めた。

(あぁぁぁー!! もうわかんねぇ!! 俺、どうしたらいいんだマジで……!)

 蓮が本当にそこまで望んでいるのか、確証なんてない。告白されるかどうかも怪しい。
 なのに俺はあの着ぐるみの中で、「もっと攻めろ」と言わんばかりにアイツの背中を全力で押してしまった。

(俺、バカすぎ!? 普通どうすんのこういう時……誰にも相談出来ね―し……)

 来週の月曜、学校でどんな顔をして隣にいればいいんだ。
 駅に着くまで「蓮がもし彼氏になったら」をシミュレーションしては、親友すぎてリアルに想像できてしまう自分に、本気で恐ろしくなった。