「先生居ねぇし。太田、久々に『アレ』やっちゃうか!?」
「だるいってマジで。……しゃーねぇなぁ」
「「おー、うぇいうぇい! あうぇーーい!」」
週明け、水曜の現代文の授業。センセーの急用で自習になった教室は、やりたい放題のパラダイスと化していた。
教壇では野球部が、夏の大会でバズった応援ダンスをアホ面全開で披露中。
そんなお祭り騒ぎの片隅、一番後ろの席。そのノリに混じらない俺たちはいつも通り、ゆるーい遊びで時間を潰していた。もちろん、課題プリントは蓮の答案を丸写しした後だ。
「じゃあー、次は葵の番ね。はい、口開けてー」
「変なの食わせたら殺す」
「なにそれ、いきなし物騒でウケる」
あの『着ぐるみ恋バナ事件(仮)』のあと、俺だけがなんとなく蓮と一緒にいるのが気まずくて。
いつも通りを装っているけれど、常にそわそわして、落ち着かないし……気付けば、いつも以上に蓮の様子を盗み見てしまう。そんな、最悪に自意識過剰な日々が続いていた。
「えー、余裕すぎ。これ『ふわグミ』のいちご味でしょ?」
目元を白いマスクで隠した葵が、得意げに言い当てる。顔が小さすぎてマスクで全顔がもはや隠れそうだ。
自習時間の暇つぶしに始めたのは、俺たちの間でちょっと前から絶賛流行中の『目隠しグミ当てゲーム』。
ただし今日は、悠生と俺が、登校途中のコンビニで買い占めてきた最強のラインナップ。机の上には、色とりどりのパッケージが十個以上散乱している。
「うわ~、葵の連勝やばくね? ちょい、一旦選手交代しようぜ」
そう言ってふと顔を上げると、視界の端をかすめたのは、教室のあちこちから注がれる熱い視線。
プリントで顔を隠しながらチラチラと俺たちを盗み見る女子たちの頬は、心なしか赤い。いつものことだけど。
「正解!じゃあ、次は蓮の番な」
悠生が強引にマスクを被せようとする。蓮は一瞬だけ嫌そうに眉を寄せたけれど、結局は諦めたように大人しく視界を塞がれた。
整った顔立ちが白いマスクで半分以上隠れてるのに、なんで漂うイケメンオーラまでは隠せないんだろう。
目隠しした蓮をみつめる女子たちは小声で『やばいやばい』『なんかエロくない?』と足をバタつかせて盛り上がっている。はいはい、さっきから楽しそうね。アナタたち。
「はい、蓮。あーんして」
葵が甘ったるい声とは裏腹に、ドSな笑みを浮かべて一番酸っぱいグミを蓮の唇へ運んだ。可愛い顔して、とんでもねぇ悪魔じゃん。
「……楽勝。サワーグミのレモン味」
蓮は眉ひとつ動かさずに正解を叩き出した。咀嚼するたびに動く喉仏すら、どこか色っぽい。
そのクールな面を崩したかったらしい葵は、『つまんな……じゃあ次ね』と悔しそうにさらに難易度の高いやつを俺と選び始める。
「えー、どれにする? 味はともかく、形でバレないやつがよくね?」
「なら、これとか。……よくある形だし、絶対分かんねーだろ」
「悠生もう動画回してる? じゃあ二回目のチャレンジ、いってみよー」
俺は、スマホで動画を撮ってる悠生にパッケージを見せて、『絶対当たらねぇな』なんて内心ニヤけながら、前屈みに蓮にグミを差し出した時だった。
『ちょっ、やば! この高速ステップやばくね!?』
ドスッ、と背中に走った、強烈な衝撃。椅子に座ってる蓮の方へ、派手に弾き飛ばされる俺の体。ぐらりと視界が揺れて、一瞬でバランスを崩す。
「痛っ……!」
目の前の蓮の広い肩に手をついた瞬間、蓮は何事かと驚きつつも咄嗟に脇の下に手を伸ばして、雪崩れ込んだ俺を抱き留めてくれた。
重なった体温。鼻を掠める、蓮がいつも使ってる香水の匂い。――そして、唇に感じる、柔らかい感触。
グミを食べようとして、無防備に少しだけ開いてた蓮の唇が、俺の唇に重なっていた。
「…………」
その瞬間、教室から音が消えた。静まり返った教室に女子たちの『嘘……』という、悲鳴みたいな小さなざわめきが広がっていく。男子同士のまさかのハプニングに、周りの会話まで止まっていた。
「あっ、蓮! ごめん、今のわざとじゃない!」
弾かれたみたいに、蓮の膝の上から飛び退く。胸の奥から熱がブワッと広がって、体中が熱い。心臓が耳の奥で爆音を鳴らしてて、顔も茹で上がるみたいに赤いのが自分でも分かる。あまりの動揺に、指先すらまともに動かない。
その横で動画を撮ってた悠生も、頬杖をついて余裕ぶってた葵も、目を見開いたまま俺たちをじっと見つめている。
蓮は黙ったまま、目隠しにしていたマスクを乱暴に剥ぎ取ると、乱れた前髪を無造作にかき上げた。
露わになったその瞳は、今まで見たこともないほど鋭く、凍りつきそうなほど冷え切っている。
(え……マジか。蓮、ガチギレじゃん。いや、でも……)
いくら親友とはいえ、いきなり男にキスされたら、嫌悪感を抱くのは当然だ。けれど、もし「うさ太」の時に聞いた言葉が本当で、蓮が俺のことを好きなら。「ワンチャン、ラッキーだと思ってる説」が頭をよぎる。
けれど、今の蓮にそんな甘い気配は微塵もなかった。キスへの喜びなんて一つも滲ませることなく、ただその冷たい怒りの矛先を、クラスメイトへと向けている。
「真紘にぶつかった奴、誰だよ」
地を這うような、低くて重い声。教室の中央をダンススペースときて広げていた野球部たちのバカ騒ぎがピタッと止まって、俺にぶつかった張本人の太田は『悪い、俺だわ』と気まずそうに手を挙げた。
蓮はポケットに手を突っ込んだまま、俺の後ろに立っていたゆっくり太田に歩み寄る。
「危ねぇだろ。……つーか、さっきからうるさすぎ。ちゃんと真紘に謝れよ」
教室の温度が、一段と低くなる。事故キスに色めき立っていた女子たちも、今は全員が息を呑んで固まっていた。
気まずい空気の中、太田から「真紘、ごめんな」と絞り出すような謝罪をされ、俺は慌てて作り笑いを浮かべる。
「いーって! てか、太田の図体デカすぎ。骨折れるかと思ったわ!」
俺の明るい返しに、野球部の連中も空気を読んで『おい太田~』『そういうとこやぞ』と茶化し始め、強引に雰囲気を柔らかくしようと騒ぎ出す。
けれど、蓮は一度だけ俺と目を合わせると、すぐに眉を寄せて視線を逸らした。その瞳の奥にある、単純な怒りだけではない複雑な感情を直視するのが怖くて――俺も逃げるように俯く。
「……ちょっと出てくる」
蓮は荒々しい足取りで教室を去っていく。
一度も振り返らないその背中に、引き止める言葉さえ見つけられなかった。
「れーん! 待てって、落ち着けよ!」
呆然とする俺を見かねて、悠生が慌てて後を追いかける。二人の足音が廊下の向こうへ消えると、クラスはいつもの喧騒へと戻っていった。
「真紘。……大丈夫?」
「んー、まあ。大丈夫……多分」
数秒の沈黙を破って、葵が近寄ってきた。俺の制服の袖口を、遠慮がちにキュッと引っ張る。
顔を覗き込んできた葵に『平気だって』と笑いかけようとしたけれど、引きつった笑みしか返せない。
「……ねぇ、悪いんだけど。ここにあるグミ片付けるの、手伝ってくれない?」
葵が声をかけると、一軍女子たちが目を輝かせて集まってきた。机の上に散らばっていた色とりどりのグミが、次々と消えていく。
それをぼんやり眺めながら、俺の頭の中はさっきの、蓮の唇の感触で埋め尽くされていた。
人差し指で、自分の口角にそっと触れる。
(……蓮の唇って、あんな感じなんだ……うわ、やば……マジでキスしちゃった……)
いーや、女子かて。今考えるべきは、蓮が戻ってきたときに掛ける言葉だ。動揺していないはずがない。あんな最悪な形で、片思いの相手である俺と「して」しまったんだから。
まさかの不意打ち。ファーストキスは、ほんのりとレモンの味。……だった気がした。
□■□■
結局、自習が終わるまで蓮と悠生は戻ってこなかった。
あとで悠生がこっそり教えてくれたけど、あの後の蓮の不機嫌っぷりは凄まじかったらしい。非常階段の踊り場で、地を這うような空気のまま座り込んでいたんだとか。
その苛立ちは、昼休みになっても絶賛継続中だ。いつもの四人で中庭のベンチに集まっていても、蓮はピクリとも口を動かさない。
「悠生、メロンパン買ってきて」
「出た、ワガママお姫様。もっと早く言えよなー」
「言わなくても買って来れるようになってくんない?」
「……葵が言うとなんでこんな傍若美人も可愛く聞こえるんだろうな。マジで俺をたぶらかす天使なの?」
「傍若無人な。はい、いつまでベンチにケツくっつけてんの。早く行って来て」
葵と悠生のいつものやり取りも、今の蓮の耳には入っていないっぽい。
ふと顔を上げた俺と目がバチッと合うと、蓮は露骨に顔を背けた。
喧嘩をしたわけじゃない。けど、あの事故チューを蓮がどう思っているのか、さっぱり分からなかった。
(……こんなにキレてる蓮、初めてじゃね? てか、この不機嫌は何? 俺のこと好きっていうの、まさかの勘違いだったりする……?)
好きな相手とキスできてラッキー、なんて様子は微塵もない。むしろ『誰も話しかけんな』と言わんばかりの、トゲトゲした拒絶オーラを放っている。
「俺、葵のこと誘拐して購買行くけど。お前らどうする?」
「……俺はいい。先に戻るわ」
蓮は俺と二人きりになるのを避けるように、空のパン袋をゴミ箱にポイッと投げ入れると、さっさと歩き出してしまった。その背中が、いつもよりずっと遠くに見える。
「おい、蓮! お前マジでさっきからフキハラしてんじゃねぇよ」
「は? ――なに、そんなんしてねーけど」
「自覚なしかよ。しかも、なに真紘のこと置いてこうとしてんの。ありえねーだろ」
葵が珍しく大きな声を出して、蓮の腕を引っ張った。
俺と悠生が、鬼つょ顔面同士の言い合いを固唾を呑んで見守る。ちょっとの言い合いは今までも何回かあるけど、この二人がここまで強くぶつかるのを、初めて見たかもしれない。
けれど、蓮はそのまま一度も振り返ることなく、廊下の向こうへ消えてしまった。
(ヤバい、葵にもあの態度って相当じゃね……? 今日中になんとか話さないと、マジで終わるかも……)
焦る気持ちのまま、悠生と葵が購買から戻ってくるのを待つ間、俺は震える指でメッセージを送った。
本当なら、言わなくても当たり前のこと。けど、この状況ならハッキリ言葉にしないと、蓮はひとりで帰ってしまう気がした。
【放課後、一緒に帰りましょーよ】
送った瞬間に『既読』がついて、秒で返信がくる。
なんだ、蓮もトーク開いてんじゃん、と俺たちの教室がある校舎の窓を見上げる。
【昇降口にいて】
そんな短すぎる一言に、心臓がぎゅっと掴まれたように苦しくなった。怒ってんのか、そうじゃねーのかマジで分かんないんすけど。
教室に戻ってからも、蓮は頑なに俺の方を見ようとしなかった。とりあえず怒ってるっぽく見えるし、謝るしかない。
そのことばかり考えてるうちに、退屈な日本史の授業は、気づけば板書が二段目に突入してた。ノートの端っこに描いたハゲ頭の先生の似顔絵が、なんだか今の俺みたいに寂しげに仕上がっている。
(キスが嫌とかいうより、どっちかっつーと俺は蓮とこんなに気まずくなってる事のが、無理すぎてやばい。普通にしんどいわ……)
ただでさえ、あの「着ぐるみ恋バナ事件」でどう振舞ったらいいかわかんね―し、意識しちゃうしでテンパってたのに。こんなん、よりにもよってタイミングが悪すぎる。
(……蓮は、まさか俺が気持ちに気付いてるなんて思ってない訳だし……どう捉えて、あんな振る舞いしてんだろ……)
――そして迎えた放課後。
昇降口で心臓をバクバクさせながら待ってると、思ったよりも早く、鞄を肩にかけた蓮がやってきた。
夕陽を背負って歩いてくる蓮は相変わらず無駄に絵になってるけど、その顔は、何を考えてるか分からないくらい無表情だった。
「藤崎パイセン、さっきはスンマセンっした」
努めて明るいトーンを作って、謝罪の言葉と一緒に差し出したのは、自販で買ったキンキンに冷えたサイダー。
蓮は差し出されたお気に入りのボトルをじっと見つめ、『マジか』と小さく呟いた。予想外だったのか、少しだけ目を見開いたあと、ふっと表情を緩めてそれを受け取る。
「なんで真紘が謝んだよ」
「え、だって蓮、明らかにキレてるっぽかったし。……さすがに親友でも、俺とチュッチュすんのは嫌だったかなと思いまして」
「……いや、言い方」
「あほ、キスとか言わせんなて。ふつーに俺も恥ずいし」
校門へと続く帰り道。並んで歩く二人の間に、心臓の音が聞こえそうなほど気まずい沈黙が流れる。そんな空気の中、不意に蓮がぽつりと口を開いた。
「別に、俺は真紘に怒ってるわけじゃない。ただ……お前の方が、さっきの、嫌だっただろうなって思って……」
顔を逸らしたまま、そっぽを向いて答える蓮。その声はいつもより低くて、なんだか元気がなくて、少しだけ寂しそうに聞こえた。
たとえ表面上は親友のフリをしてくれてるんだとしても、やっぱり今の蓮からは『キス出来てラッキー!』みたいな空気は一ミリも感じられない。むしろ、悪いことしちゃったって本気で落ち込んでるオーラがすごかった。
「なに、俺がイヤだったろうなーって気にし過ぎて、あんなにバッド入ってたってこと? あー、もう。俺が蓮のこと、嫌だと思うわけねーじゃん!」
思わず蓮の腕をぐっと掴んで、無理やりこちらを向かせた。お前を嫌うことなんて天地がひっくり返ってもあり得ない。その一心だった。
「キスより、お前と気まずくなることの方が俺は耐えらんないし。……それは蓮もっしょ?」
蓮は俺の手と顔を交互に見て、驚いたように瞬きを繰り返している。そして、あからさまに動揺して顔を逸らした。
(あ、ヤベ。これじゃ俺、別な意味でちょっとグイグイ行きすぎ……か?)
急に恥ずかしくなって、俺は頭に浮かんだ言葉を片端からまくしたてた。
「つーまーり、あんなの、ただの事故! 不可抗力! 完全なる事故チューだし、ナシにして綺麗さっぱり忘れよ、な?」
必死に弁解する俺を、蓮はじっと見つめていた。数秒の沈黙が、永遠のように長く感じる。
でも、これくらいしか俺のアタマでは「いつも通りの俺たち」に戻るための会話を思いつかなかった。
「……真紘にとっては、ただの事故チューで済ませられること? 軽く流して、忘れられんの?」
「えっ? いや……だって、そーじゃないと……どうにもならなくね?」
お前が俺のこと好きだとしても。そうやって線引きしないと、「いつも通り」に俺だって戻れない。
苦し紛れの返答に蓮はいつものように少し眉を下げ、困ったような笑みを見せた。
「……分かった。ノーカンな」
その一言で、岩でも詰め込まれたように重苦しかった胸の奥が、ふわっと軽くなった。
ああ、よかった。いつもの空気に戻れたっぽい。
「うい、ノーカン。この話はもうおしまいな!」
極限の緊張から解放された途端、急激に喉が渇いた。
自販機で買ったいちごミルクのキャップをひねり、人工的な甘さを一気に流し込む。
冷たい液体が喉を通った瞬間、ふと余計な考えが脳裏をよぎった。
(てか……そもそも蓮って、誰かとキスしたことあんのかな)
いや、ないわけがない。過去の『彼女いたことない』発言も、恋愛対象に男も入ると判明したし、言葉のあやで「彼氏」がいた可能性がある。
それに引き換え、俺。さっきの事故チューが、正真正銘のファーストキス。おまけに絶賛童貞だ。
陽キャのフリをしてそれなりに告白もされてきたけど、実は全部未経験。この年で「初めて」がまだなんて、死んでもみんなには言えない秘密だ。
これまで、告られてそれとなーく付き合ったことはある。でも、いつも一ヶ月以内に破局。
「恋人持ち」というステータスに憧れて安易にOKしちゃうから、相手を本気で好きになれていないのが言動でバレて、結局冷められる――。その繰り返しだった。
(ノーカンって決めたけど。……蓮が俺の『初めて』だったことは、一生忘れらんないかもな)
いちごミルクの容器を握りしめ、隣を歩く蓮の横顔を盗み見る。
夕日に照らされた蓮の輪郭は相変わらず綺麗で。その唇がさっき自分のものと重なったなんて、やっぱり現実味がなかった。
同じようにサイダーを喉に流し込んだ蓮が、ちらっと視線をこちらへ向ける。
「そういえば。真紘、ドリームランドのバイト……どうなった?」
不意に飛んできた言葉に、ギクッ!と肩が大きく跳ねる。
その過剰な反応を見た蓮は、不採用だったと勘違いしたらしい。『え、まさか落ちた?』と、少し意地悪そうに口角を上げた。
俺は言葉を濁しながらも、意を決して答える。
「……受かった。いやー、案外楽勝だったわ」
「マジ? 良かったじゃん。いつから働くん?」
「んとー、今週末から。朝早いのだけ地味にキツいかも」
「初日から寝坊すんなよ」
「じゃあ、蓮がいつもみたいにモニコしてよ」
そう返した瞬間の蓮の笑顔は、これまで見たこともないくらい柔らかくて、嬉しそうで。
今までは当たり前に目覚まし代わりのモニコを頼んでいたけど、今の俺にはわかる。きっと蓮にとっては、それさえも「特別に嬉しいこと」のひとつなんだって。
そんなふうに「いつも通り」の振る舞いを選ぶことが、結果として蓮を過剰に喜ばせ、期待させてしまう。
頭では分かっているのに、今まで築き上げてきた心地いい関係を壊すのが怖くて、どうしても突き放すことができない。
優しくすればするほど蓮の片想いを煽ってしまう罪悪感と、かといって他人行儀にする勇気もない臆病な自分。
「親友」という安全な場所にしがみつきながら、蓮の真剣な想いを無自覚に利用しているような気がして、胸の奥がズキズキと痛んだ。
(……しかも、初日はもう終わってんだよな。お前の隣にいたし、着ぐるみの中で恋バナ聞いてたんだっつーの!)
喉まで出かかったツッコミを、いちごミルクと一緒に強引に飲み込む。
さっきまでの不機嫌はどこへやら、今の蓮の周りにはキラキラしたピンクのハートが飛び交っている……ように見えた。
俺と一緒に働けるのがそんなに嬉しいのか。顔面からダダ漏れすぎていて、こっちが恥ずかしくなる。
「うさ太」の姿で蓮のガチな本心を知ってしまったからかもしれない。それでも、出会ってから一、二を争うほどの幸せそうな顔をしていた。
「蓮……どした? すげー嬉しそうだけど」
「いや、別に普通」
ぶっきらぼうな返事が返ってきたけど、声のトーンは隠しきれないほど弾んでいる。さっきまで不機嫌全開だったくせに。
(もうその顔には騙されねーぞ……爆裂に嬉しいって思ってる癖に)
そう思うと、こっちまでムズムズするような、変な感じがする。
けれど、校門の前に差し掛かった瞬間に蓮のハッピーオーラは一気に消え去った。すれ違う一年生女子たちが、二度見、三度見と自転車を止めてこっちをガン見している。
『蓮せんぱい、真紘せんぱーい! さよならー!』
案の定飛んでくる黄色い声に、俺は愛想笑いで手を振り返した。ついでに、隣でいつもの鉄仮面モードに入ろうとしている蓮の手首をガシッと掴んで、強引にブンブン振らせてやる。
「ほら、蓮も! ぐにゃぐにゃすんな! はいっ、手首の運動!」
まるで力を込める気のない蓮の塩対応にも、『キャー! 手ぇ振ってくれた!』『やばい、生きていける』と女子たちは大興奮だ。
『これから先輩達はどこ行くんですか〜!?』
グループの一人が身を乗り出して聞いてくる。期待に満ちた視線に、俺はいつもの癖で、蓮の腕に自分の腕を絡めて笑った。
「え、蓮とフツーに帰るだけ。お前らも気をつけて帰んなよー」
そのまま『ばいばーい♡』と蓮を連行するように退散。これ以上捕まると、せっかく機嫌が直った蓮がまた不機嫌モードに突入しかねない。
背後からはまだキャイキャイと興奮している声が聞こえてきたけど、あの子たち、チャリから落ちてないだろうか。
校門を抜けて、少し人通りの少なくなった道に入ったところで、蓮が小さくため息をついた。
「……お前、あーいうの。適当に流しとけよ」
「え、何が? ファンサだよ、ファンサ。人気者はつらいねー」
おちゃらけて返したけど、蓮の表情はどこか固い。
あまりベタベタ触ってほしくなさそうな空気を察して、俺は絡めていた腕を解きながら、不自然にならない程度に半歩、距離を取った。
(……やべ。つい、いつも通りやっちゃった……)
さっきの事故チューは論外だけど。
蓮が俺のことを好きなら、こうやって腕を組んだりするのも、普通にドキドキするのかもしれない。
そう意識した途端、今まで当たり前だった距離感が急に迷子になった。
俺たちが積み上げてきた「親友」としてのスキンシップは、今の蓮にとって嬉しいことなのか、それとも実はしんどいことなのか。正解が分からない。
「てか、時間ある? 駅前のガチャ寄りたいかも」
「はいはい。またお目当てが出るまで回すんだろ、お前は」
呆れたような、でもどこか安心したような蓮の声。
少しだけ歩幅を合わせてくれる蓮。夕日に伸びる二つの影は、まだ親友の形のまま、つかず離れず並んでいる。
「ダブったら蓮にあげる。強制オソロ、わら!」
「……お前とのオソロ増えすぎな」
「ゆーて、蓮は鞄につけてくれてないくせに」
「いや、全部とっておいてあるから。俺の部屋に」
「まじ? なんでよ、邪魔っしょフツーに」
「……捨てらんねーから」
その一言に返す言葉が、見つからないまま。
いちごミルクの空き容器をゴミ箱に放り込み、俺はスラックスのポケットに両手を突っ込んだ。
いつもなら当たり前にしていたはずの腕組みも、蓮の方から腕を絡めてきたことなんて、一度もなかったことに今更気付く。
「この前やんなかったキーホルダー欲しい。ちょいグロくてキショいやつ」
「有り。俺はアレ、わりと好き」
全部を知ってしまった今の俺には、腕をまた自分から絡める勇気なんて、どこにもなかった。



