幸せになるなと呪われた私を、冷酷な当主様は二度と離してくれない

 本邸での生活は、これまでの私の人生からは想像もつかないほど、温かく光に満ちていた。
 燈火様は公務の合間を縫っては私の元を訪れ、髪に触れ、頬を撫で、まるで壊れ物を扱うかのような熱い視線を注いでくる。

「小夜、何か欲しいものはないか」
「今日は顔色が良くなったな」
 
 そんな言葉をかけられるたびに、私の胸にある呪いの核は、毒ではなく柔らかな熱となって私を包み込んだ。

「……一人になって、のんびりしたいです」

 と、流石にそれは言えなかったのである。
 けれど、その平穏を切り裂くようにあの人々がやってきた。

「九条殿!娘の体調が思わしくないと聞き、見舞いに参ったぞ!」

 屋敷の広間に響き渡ったのは聞き間違えるはずもない、父である宗一郎(そういちろう)の傲慢な声だった。
 私を【泥】と呼び、蔵に閉じ込めた男。
 その後ろには、私を汚物のように見ていた母・志乃(しの)の姿もある。

 彼らは燈火様が呪いに蝕まれ、既に事切れているか、あるいは動けなくなっていると確信しているようだった。
 九条家と言う存在を乗っ取り、陰陽界での地位を取り戻す――そんな浅ましい野心がその歪んだ笑みから透けて見えているのがわかる。
 燈火様に促され、私は彼の背後に隠れるようにして広間へと向かった。

「……見舞い、だと?どの口がそんな言葉を吐く」

 上座に座る燈火様の声は、嘗て私に向けられた時よりも何倍も冷たく、鋭かった。
 父と母は、生気にあふれた燈火様の姿を見て、幽霊でも見たかのように目を見開いた。

「な……九条、殿……?なぜ、それほどまでに健在なのだ。小夜の体内の核がお前の命を喰らい尽くしているはず……」
「お父様、お母様……」

 私が燈火様の背後から姿を現すと、母が金切り声を上げた。

「小夜!お前、何をしているの!?さっさとその男に抱きついて、呪いをぶちまけなさい!役立たずの泥のくせに命令も聞けないの!?」

 その言葉が終わるより早く、広間の空気が凍りついた。
 燈火様の体から溢れ出した圧倒的な霊圧が、鷹宮の二人を床に叩きつける。

「……やはり、お前たちが仕組んだ事だったのか」

 燈火様がゆっくりと立ち上がる。
 その指先には、青白い雷のような霊力が集まっていた。

「小夜を道具として扱い、俺を呪い殺すための生贄にしたのか……その罪、万死に値する……だが、安心しろ。俺はお前たちをすぐには殺さない」
「な、何を……」
「小夜はな、お前たちが植え付けた呪いを、その清らかな心で【愛】と言う文字へと書き換えた。だが、器から溢れた端切れが少し残っていてな。……これを、本来の持ち主へ返してやろう」

 燈火様が私の胸元にそっと手を添える。だが、痛みはない。
 ただ、ずっと私を縛り付けていた重荷が、スッと抜けていくような感覚があった。
 自分の身に一体何が起きたのか、その時の私は理解が出来なかった。
 しかし、次に燈火様に視線を向けた時、燈火様の掌の上に、禍々しい黒い花の結晶が浮かび上がる。
 その黒い花は禍々しく、別の意味で美しいと感じてしまうほど。

「返礼だ。受け取れ鷹宮(たかみや)
「や、やめろ!来るなあぁぁ!」

 燈火様が放った黒い結晶は、逃げようとする二人の胸へと吸い込まれていき――瞬間、二人の悲鳴が屋敷中に響き渡る。
 彼らが私に植え付けた呪いは、彼ら自身の醜い欲望を糧にして、今度は彼らの体内で【花喰い】を始めたのだ。

「ぐああぁっ! 体が、体が石のように……っ!」
「助けて、小夜!お前、お前の力でこれを吸い取りなさい!母親でしょう!?」

 縋りつくような母の視線。けれど、私の心に波風は立たなかった。
 あんなに怖かったはずの人々が、今はただ、ひどく惨めで、小さな存在に見えた。

「……私がどんなに叫んでも、どんなに願っても、あなた達は何もしなかったでしょう?」
「っ!」
「私はもう、泥ではありません。九条燈火様の妻です」

 震えながらそのように答える私が静かに告げると、燈火様が私の肩を引き寄せ、耳元で「よく言った」と優しく囁いた。

 数日後、鷹宮家は禁忌の呪術を使用した罪で陰陽界から永久追放された。
 霊力を根こそぎ失い、自らが放った呪いに蝕まれながら彼らは二度と立ち上がれないどん底へと落ちていったのである。
 ある意味、自業自得だ。
 屋敷の庭に、静かな風が吹く。
 私を縛っていた過去という名の鎖は、今、花びらのように完全に砕け散ったのだと言う事を理解した。