「……お前にやる愛など、一滴もありはしない」
婚礼の儀を終え、初めて二人きりになった奥の間。
私の夫となった九条家の当主――九条燈火様は、一度も私と目を合わせることなく、冷徹な声を放たれた。
銀糸のような髪が、灯火に照らされて美しく輝いており、彫刻のように整った横顔は見惚れるほどに麗しい人だった。
一目見て、どうして私がこの人の妻になれるんだろうと思っていたけれど、すぐにそんな考えも捨てる事が出来た。
燈火様のその瞳に宿っているのは、凍てつくような拒絶の光だけだった。
歓迎されていないんだなと、すぐに理解する事が出来た。
「お前を妻として迎えたのは、単なる家同士の契約に過ぎない……九条家の正室という肩書きはくれてやるが、それ以上のものを望むな……俺に触れる事も、近づく事も許さぬ」
吐き捨てられた言葉は、刃物のように鋭く、普通の花嫁であれば泣き崩れてもおかしくない残酷なものでした。
けれど、私は――。
「――はい、畏まりました」
深く、深々と頭を私は下げた。
心の中にあったのは、悲しみではなく、底知れぬ安堵だったから。
「命じられた通り、離れで静かに過ごさせていただきます……このような立派なお屋敷に置いていただけるだけで私には勿体ないほどですので」
顔を上げ、嘘偽りのない感謝を込めて微笑むと、燈火様が初めて私を直視しました。
鋭い眉が、怪訝そうに僅かに動きます。
「……何を言っているだお前は?離れは長らく使われていない埃まみれの場所だぞ?」
「そうですか」
「使用人も最小限しかつけぬ。実家からも見捨てられたお前を、あえて惨めに扱うと言っているのだ……理解しているのか?」
「はい。屋根があって、雨風を凌げる場所があるのですね……それだけで、充分です、旦那様」
私は、自分の言葉に嘘を混ぜてはいなかった。
だってこれまで過ごしてきた場所に比べれば、全然良い方だったから。
どんなに荒れ果てた離れであっても、そこは天国に違いなかった。
私の実家である鷹宮家において、私の居場所は陽の当たらない隙間風だらけの「蔵」だけでした。
『いいか小夜?お前は不幸を呼ぶ泥なのだ』
父の冷酷な声が、耳の奥で蘇える。
『霊力も持たぬ出来損ないのくせに、忌々しい呪毒だけを吸い寄せる。お前が少しでも幸せを願えばその欲が呪いとなって周囲を汚し、人を殺す……お前に幸せになる資格など、万に一つもないんだぞ?』
母もまた私が蔵から出ようとするたび、冷たい目で私を突き放した。
『大人しく死ぬまで蔵の中にいなさい。お前が笑えば、誰かが泣く事になる。それが、呪われたお前の運命なのよ』
食事は一日に一度、腐りかけたもの。
衣服は継ぎはぎだらけのボロ。
誰にも触れられず、誰の体温も知らず、幸せを願う事――そのモノが罪だと教え込まれて育った。
そんな私にとって、九条家への嫁入りは、単なる「場所の移動」でしかありません。
「愛されない」ことも「放置される」ことも、私にとっては日常の延長で、少しも辛い事ではない。
「……変わった女だ」
燈火様は、苛立ちを隠そうともせずに立ち上がる。
その指先が、僅かに震えていることに私は気づかなかった。
彼自身もまた、その身に「愛する者を結晶化させる」という絶望的な呪いを宿し、孤独の淵に立っていたのだという事を。
「二度は言わない……離れで静かに、朽ち果ててしまえ」
そう言い残して、燈火様は背を向けて去っていった。
一人残された私は、広々とした畳の上で、そっと胸元に手を当てる。
そこには、実家で刻まれた不気味な花の【紋様】――呪いの核が、静かに脈打っている。
「……朽ち果てるのは、慣れてるし」
私は小さく呟いて、もう一度、誰もいなくなった闇に向かって頭を下げた。
「……さて、とりあえず死ぬまではここでのんびり過ごそうかな」
いずれ、私は死ぬ。死ぬからこそ、静かに暮らしたいと願った。
旦那様である燈火様の願いはありがたいモノだ。
これから始まる自分自身の新たな生活に胸を滾らせながら、私は足を動かしたのだった。
この時、私はまだ知らなかった。
「近づくな」と命じた冷酷な旦那様が、やがて私を腕の中に閉じ込め、「離してくれ」と泣いて縋っても決して許してくれないほどの、重すぎる愛を注ぐ事になるなんて。
九条小夜としての、私の孤独な新婚生活が、こうして幕を開けたのだった。
婚礼の儀を終え、初めて二人きりになった奥の間。
私の夫となった九条家の当主――九条燈火様は、一度も私と目を合わせることなく、冷徹な声を放たれた。
銀糸のような髪が、灯火に照らされて美しく輝いており、彫刻のように整った横顔は見惚れるほどに麗しい人だった。
一目見て、どうして私がこの人の妻になれるんだろうと思っていたけれど、すぐにそんな考えも捨てる事が出来た。
燈火様のその瞳に宿っているのは、凍てつくような拒絶の光だけだった。
歓迎されていないんだなと、すぐに理解する事が出来た。
「お前を妻として迎えたのは、単なる家同士の契約に過ぎない……九条家の正室という肩書きはくれてやるが、それ以上のものを望むな……俺に触れる事も、近づく事も許さぬ」
吐き捨てられた言葉は、刃物のように鋭く、普通の花嫁であれば泣き崩れてもおかしくない残酷なものでした。
けれど、私は――。
「――はい、畏まりました」
深く、深々と頭を私は下げた。
心の中にあったのは、悲しみではなく、底知れぬ安堵だったから。
「命じられた通り、離れで静かに過ごさせていただきます……このような立派なお屋敷に置いていただけるだけで私には勿体ないほどですので」
顔を上げ、嘘偽りのない感謝を込めて微笑むと、燈火様が初めて私を直視しました。
鋭い眉が、怪訝そうに僅かに動きます。
「……何を言っているだお前は?離れは長らく使われていない埃まみれの場所だぞ?」
「そうですか」
「使用人も最小限しかつけぬ。実家からも見捨てられたお前を、あえて惨めに扱うと言っているのだ……理解しているのか?」
「はい。屋根があって、雨風を凌げる場所があるのですね……それだけで、充分です、旦那様」
私は、自分の言葉に嘘を混ぜてはいなかった。
だってこれまで過ごしてきた場所に比べれば、全然良い方だったから。
どんなに荒れ果てた離れであっても、そこは天国に違いなかった。
私の実家である鷹宮家において、私の居場所は陽の当たらない隙間風だらけの「蔵」だけでした。
『いいか小夜?お前は不幸を呼ぶ泥なのだ』
父の冷酷な声が、耳の奥で蘇える。
『霊力も持たぬ出来損ないのくせに、忌々しい呪毒だけを吸い寄せる。お前が少しでも幸せを願えばその欲が呪いとなって周囲を汚し、人を殺す……お前に幸せになる資格など、万に一つもないんだぞ?』
母もまた私が蔵から出ようとするたび、冷たい目で私を突き放した。
『大人しく死ぬまで蔵の中にいなさい。お前が笑えば、誰かが泣く事になる。それが、呪われたお前の運命なのよ』
食事は一日に一度、腐りかけたもの。
衣服は継ぎはぎだらけのボロ。
誰にも触れられず、誰の体温も知らず、幸せを願う事――そのモノが罪だと教え込まれて育った。
そんな私にとって、九条家への嫁入りは、単なる「場所の移動」でしかありません。
「愛されない」ことも「放置される」ことも、私にとっては日常の延長で、少しも辛い事ではない。
「……変わった女だ」
燈火様は、苛立ちを隠そうともせずに立ち上がる。
その指先が、僅かに震えていることに私は気づかなかった。
彼自身もまた、その身に「愛する者を結晶化させる」という絶望的な呪いを宿し、孤独の淵に立っていたのだという事を。
「二度は言わない……離れで静かに、朽ち果ててしまえ」
そう言い残して、燈火様は背を向けて去っていった。
一人残された私は、広々とした畳の上で、そっと胸元に手を当てる。
そこには、実家で刻まれた不気味な花の【紋様】――呪いの核が、静かに脈打っている。
「……朽ち果てるのは、慣れてるし」
私は小さく呟いて、もう一度、誰もいなくなった闇に向かって頭を下げた。
「……さて、とりあえず死ぬまではここでのんびり過ごそうかな」
いずれ、私は死ぬ。死ぬからこそ、静かに暮らしたいと願った。
旦那様である燈火様の願いはありがたいモノだ。
これから始まる自分自身の新たな生活に胸を滾らせながら、私は足を動かしたのだった。
この時、私はまだ知らなかった。
「近づくな」と命じた冷酷な旦那様が、やがて私を腕の中に閉じ込め、「離してくれ」と泣いて縋っても決して許してくれないほどの、重すぎる愛を注ぐ事になるなんて。
九条小夜としての、私の孤独な新婚生活が、こうして幕を開けたのだった。



