三度目のインターホンは、
これまでで一番、躊躇した。
ドアが開いた瞬間、
美玲は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに警戒した表情に戻った。
「……また?」
優斗は深く頭を下げた。
「この前は、感情的になりすぎました。すみませんでした」
美玲は何も言わず、しばらく優斗を見ていた。
「今日は、責めに来たんじゃありません。片桐亜美さんの行方を探してて……」
その名前を出した瞬間、美玲の眉がわずかに動いた。
「……それで?」
「何か知ってることがあったら、教えてほしいんです」
しばらくの沈黙のあと、美玲は小さくため息をついた。
「……上がって」
リビングは相変わらず綺麗だった。
整いすぎていて、生活感がない。
優斗は、持ってきたメモ帳を開いた。
「片桐亜美さんのことで、確認したいことがあります」
美玲はコップに水を注ぎながら、視線だけで促した。
「……何?」
「告別式のあと、片桐さんと連絡を取ったことはありますか」
「電話でも、メッセージでも」
「ない。あんなの……顔も見たくない」
美玲の答えは即答だった。
「片桐さんの実家とか、友人とか、心当たりも?」
「引っ越し先の話を誰かから聞いたとか……」
「何も知らない」
「本当に」
美玲は少し苛立ったように言った。
優斗は頷いて、メモを閉じた。
「……分かりました。ありがとうございます」
「最後にひとつだけ。片桐さんが来た日、何か普段と違うことはありませんでしたか」
美玲は一瞬だけ考えて、首を横に振った。
「……違うこと?」
「例えば、誰かに相談してたとか。誰かが急に近づいてきたとか」
美玲は、そこで少し間を置いた。
「……そういえば」
優斗の背筋が伸びる。
「片桐が来た数日後、近所でばったり会ったの」
「大学が一緒だった人……零士」
その名前が出た瞬間、優斗は表情を動かさないように必死だった。
「滝川零士さん、ですよね」
美玲は小さく頷いた。
「向こうから声かけてきて……私、つい、隼人の浮気の話しちゃって」
「それで連絡先聞かれて、何度か相談に乗ってもらった」
優斗は、そこで“ようやく”本題に移る。
「零士さんとは、大学の頃から知り合いだったんですね」
「その頃から、どういう関係だったんですか」
優斗がそう切り出すと、美玲は少し視線を逸らした。
「大学が一緒だったの。その頃から、ずっと好きだった」
声は、意外なほど静かだった。
「でも、結婚してからは連絡取ってなかった。隼人がいたし……」
少し間を置いて、続ける。
「片桐さんが来た数日後、近所でばったり会ったの」
「向こうから声かけてきて……私、つい、隼人の浮気の話しちゃって」
優斗は黙って聞いていた。
「それで連絡先聞かれて、何度か相談に乗ってもらって……」
その言い方は、まるで偶然の積み重ねみたいだった。
「隼人が死んでからも、ずっと親身だった」
「話を聞いてくれて、そばにいてくれて……」
美玲は、遠くを見るような目で言った。
「気づいたら、結婚してた」
それは、あまりにもあっさりした言葉だった。
しばらく沈黙が流れたあと、美玲は突然、声を震わせた。
「……でも」
その一言で、空気が変わった。
「零士、浮気してる」
「相手は……蓮見乃亜って子」
優斗は眉をひそめた。
「蓮見……?」
「渋谷のショップ店員」
「若くて、可愛くて……」
自嘲するように笑う。
「何人もいるみたいだけど、今はその子が一番長い」
優斗は何も言えなかった。
「お金も、勝手に使う」
「家の貯金、ほとんど残ってない」
美玲の声が、だんだん掠れていく。
「怒ると……手も出る」
それは、ほとんど聞き取れないほど小さな声だった。
「……私ね」
美玲は、膝の上で手を握りしめていた。
「零士さんの浮気、知ってても……別れられないの」
優斗は、ゆっくり息を吸った。
「……」
「隼人が、どうして私と別れなかったのか」
「今なら……分かった気がする」
その声には、言い訳も強がりもなかった。
「裏切られてるって分かってても、それでも一人になる方が怖い」
美玲は、かすかに笑った。
「……最低でしょ」
優斗は、何も言えなかった。
同情したわけじゃない。
許したわけでもない。
ただ、この人は——
もう、自分で選んだ地獄の中にいるんだと思った。
事務所に向かう途中、優斗はスマホで田所に連絡を入れた。
「美玲さんから、零士さんの話を聞きました」
「浮気、暴力、散財……全部です」
田所の声は冷静だった。
「なるほど。典型的だね」
「典型的……?」
「人を利用する側の人間は、同じことを何度も繰り返す」
優斗は歩きながら、美玲の泣き顔を思い出していた。
「……美玲さんは、何も知らないと思います」
「うん。たぶんね」
田所は一拍置いて言った。
「でも“知らないまま利用される”のが、一番都合がいい立場なんだ」
その言葉が、胸に重く落ちた。
この事件には、まだ“動いている人間”がいる。
そして、その中心にいるのは——
滝川零士。
優斗は、ようやくはっきりと理解した。
この物語の敵は、もう一人の男に、姿を変えていた。
これまでで一番、躊躇した。
ドアが開いた瞬間、
美玲は一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに警戒した表情に戻った。
「……また?」
優斗は深く頭を下げた。
「この前は、感情的になりすぎました。すみませんでした」
美玲は何も言わず、しばらく優斗を見ていた。
「今日は、責めに来たんじゃありません。片桐亜美さんの行方を探してて……」
その名前を出した瞬間、美玲の眉がわずかに動いた。
「……それで?」
「何か知ってることがあったら、教えてほしいんです」
しばらくの沈黙のあと、美玲は小さくため息をついた。
「……上がって」
リビングは相変わらず綺麗だった。
整いすぎていて、生活感がない。
優斗は、持ってきたメモ帳を開いた。
「片桐亜美さんのことで、確認したいことがあります」
美玲はコップに水を注ぎながら、視線だけで促した。
「……何?」
「告別式のあと、片桐さんと連絡を取ったことはありますか」
「電話でも、メッセージでも」
「ない。あんなの……顔も見たくない」
美玲の答えは即答だった。
「片桐さんの実家とか、友人とか、心当たりも?」
「引っ越し先の話を誰かから聞いたとか……」
「何も知らない」
「本当に」
美玲は少し苛立ったように言った。
優斗は頷いて、メモを閉じた。
「……分かりました。ありがとうございます」
「最後にひとつだけ。片桐さんが来た日、何か普段と違うことはありませんでしたか」
美玲は一瞬だけ考えて、首を横に振った。
「……違うこと?」
「例えば、誰かに相談してたとか。誰かが急に近づいてきたとか」
美玲は、そこで少し間を置いた。
「……そういえば」
優斗の背筋が伸びる。
「片桐が来た数日後、近所でばったり会ったの」
「大学が一緒だった人……零士」
その名前が出た瞬間、優斗は表情を動かさないように必死だった。
「滝川零士さん、ですよね」
美玲は小さく頷いた。
「向こうから声かけてきて……私、つい、隼人の浮気の話しちゃって」
「それで連絡先聞かれて、何度か相談に乗ってもらった」
優斗は、そこで“ようやく”本題に移る。
「零士さんとは、大学の頃から知り合いだったんですね」
「その頃から、どういう関係だったんですか」
優斗がそう切り出すと、美玲は少し視線を逸らした。
「大学が一緒だったの。その頃から、ずっと好きだった」
声は、意外なほど静かだった。
「でも、結婚してからは連絡取ってなかった。隼人がいたし……」
少し間を置いて、続ける。
「片桐さんが来た数日後、近所でばったり会ったの」
「向こうから声かけてきて……私、つい、隼人の浮気の話しちゃって」
優斗は黙って聞いていた。
「それで連絡先聞かれて、何度か相談に乗ってもらって……」
その言い方は、まるで偶然の積み重ねみたいだった。
「隼人が死んでからも、ずっと親身だった」
「話を聞いてくれて、そばにいてくれて……」
美玲は、遠くを見るような目で言った。
「気づいたら、結婚してた」
それは、あまりにもあっさりした言葉だった。
しばらく沈黙が流れたあと、美玲は突然、声を震わせた。
「……でも」
その一言で、空気が変わった。
「零士、浮気してる」
「相手は……蓮見乃亜って子」
優斗は眉をひそめた。
「蓮見……?」
「渋谷のショップ店員」
「若くて、可愛くて……」
自嘲するように笑う。
「何人もいるみたいだけど、今はその子が一番長い」
優斗は何も言えなかった。
「お金も、勝手に使う」
「家の貯金、ほとんど残ってない」
美玲の声が、だんだん掠れていく。
「怒ると……手も出る」
それは、ほとんど聞き取れないほど小さな声だった。
「……私ね」
美玲は、膝の上で手を握りしめていた。
「零士さんの浮気、知ってても……別れられないの」
優斗は、ゆっくり息を吸った。
「……」
「隼人が、どうして私と別れなかったのか」
「今なら……分かった気がする」
その声には、言い訳も強がりもなかった。
「裏切られてるって分かってても、それでも一人になる方が怖い」
美玲は、かすかに笑った。
「……最低でしょ」
優斗は、何も言えなかった。
同情したわけじゃない。
許したわけでもない。
ただ、この人は——
もう、自分で選んだ地獄の中にいるんだと思った。
事務所に向かう途中、優斗はスマホで田所に連絡を入れた。
「美玲さんから、零士さんの話を聞きました」
「浮気、暴力、散財……全部です」
田所の声は冷静だった。
「なるほど。典型的だね」
「典型的……?」
「人を利用する側の人間は、同じことを何度も繰り返す」
優斗は歩きながら、美玲の泣き顔を思い出していた。
「……美玲さんは、何も知らないと思います」
「うん。たぶんね」
田所は一拍置いて言った。
「でも“知らないまま利用される”のが、一番都合がいい立場なんだ」
その言葉が、胸に重く落ちた。
この事件には、まだ“動いている人間”がいる。
そして、その中心にいるのは——
滝川零士。
優斗は、ようやくはっきりと理解した。
この物語の敵は、もう一人の男に、姿を変えていた。



