悪魔の証明


——正直に言えば、俺は最初から遺書を信じていなかった。

いや、正確に言うなら、「信じてはいけない気がした」と言った方が近い。

俺の指示で招集した臨時アルバイトは、結局いつもの三人しかいなかった。

平井。
フリーランスの営業職。
人見知りという言葉を辞書から削除したような男で、初対面の相手とも三分で友達になれる。聞き込み調査担当としては理想的すぎる人材だ。

各務。
リサイクルショップのオーナー。
機械オタクで、盗聴器や小型カメラをいじらせたらプロ顔負け。
最近は赤外線センサーを組み込んで、暗所でも反応し、なおかつ電池の消耗を抑える改造にハマっているらしい。

棚田。
個人タクシーの運転手。
鉄道マニアという変わり種だが、時刻表と地図を頭に叩き込んでいるので、徒歩でも車でも尾行を失敗しない。

「じゃ、今回のターゲットはこの女性」

僕はホワイトボードに写真を貼った。

片桐亜美。
行方不明の元会社員。

「住所変更、退職、連絡先不明。典型的な“蒸発”だ」

平井が口笛を吹く。

「うわ、厄介そうっすね」

「厄介だからこそ、うちの出番だよ」

棚田は無言で頷き、
各務はもう写真をスマホで撮っていた。

指示はシンプルだ。

平井は聞き込み。
各務は機材設置。
棚田は尾行。

「この女、必ずどこかで誰かと接触してる。痕跡を拾ってきて」

三人は慣れた様子で散っていった。

——ここまでは、いつもの仕事。

問題は、そのあとだった。

椅子に座って、俺は改めて遺書を読み返した。

柏葉隼人。三十歳。自殺。

文章は丁寧で、感情的で、よくある遺書の典型。
妻への感謝、迷惑をかけたことへの謝罪、
そして最後に——

「夫婦のまま、死なせてください」

「……」

何度読んでも、そこだけ、引っかかる。

「何か引っかかるな……」

独り言のつもりだったが、
横にいた夏野がすぐ反応した。

「何が引っかかるんですか?」

「ここの一文」

俺は指で示した。

「夫婦のまま死なせて欲しい?」

夏野は少し考えてから言う。

「普通に考えれば、最愛の人と生きてるうちに別れたくない、って意味に見えますけど」

「うん、普通に考えればね」

「……?」

「でもね、普通すぎるんだよ」

夏野は眉をひそめる。

「普通すぎる?」

「人が本当に追い詰められて死ぬときって、もっと文章が歪む。論理が飛ぶ。意味不明になる。でもこれは、綺麗すぎる」

夏野は遺書を見つめたまま、何も言わなかった。

俺はふっと息を吐いて、別の封筒を開いた。

遺品。

財布。鍵。スマホ。
そして——一枚のメモ用紙。

走り書きのような文字列。

「……?」

最初はただの意味不明な文字列に見えた。

でも、二秒で分かった。

「これ、暗号だ」

夏野が目を丸くする。

「暗号?」

「数字とアルファベットの並び方が規則的すぎる。ランダムじゃない」

俺はペンを取り、裏紙に分解して書き出した。

数分後。

「ああ……やっぱりだ」

「何が分かったんですか?」

「これは文章じゃない。情報への“鍵”だ」

俺はメモ用紙を持ち上げた。

「おそらく、何かのパスワードだ」

夏野が息を飲む。

「パスワード……?」

「こんな暗号、普通は残さない。でも逆に言えば、“残す理由があった”ってことだ」

夏野は黙っていた。

「これは遺言じゃない。——何かあったときのための“保険”だ」

俺は夏野を見た。

「お兄さん、情報を“守ろうとしてた”」

その瞬間、ただの自殺案件が、完全に“事件”に変わった感覚があった。

俺は電話を取った。

「柏葉君に連絡して。すぐ」

「何て伝えますか?」

「こう言って」

俺は、遺書と暗号を机に並べながら言った。

「お兄さん、何かを残してます。それが“何か”を確かめる必要があります」