悪魔の証明


 実家の玄関は、三年前と何も変わっていなかった。

同じ靴箱。
同じ傘立て。
同じ、少しきしむ床。

違うのは、そこに立っている人間だけだった。

「……全部、話すよ」

居間のテーブルを囲んで、優斗は、ゆっくりと言葉を選びながら話した。

零士の計画。
片桐の虚言。
遺書の偽造。
兄は殺されたこと。
遺産目当てだったこと。

母は、途中から声を押し殺して泣いていた。

父は、最初は黙って聞いていたが、最後まで聞き終えたところで、突然、顔を覆った。

「……俺は」

しばらくして、掠れた声で言った。

「俺は……信じなかった」

拳を握りしめて、震える声で続ける。

「浮気してるって決めつけて……殴って……」
「……あれで、あいつが死んだと思ってた」

母が、そっと父の腕に手を置いた。

優斗は、首を振った。

「違うよ」
「兄さんは、自殺したんじゃない」

「……」

「父さんのせいじゃない」
「誰のせいでもなくて……」
「殺した人間のせいだ」

父は、しばらく何も言えなかった。

やがて、小さく、息を吐いた。

「……そうか」

それだけ言って、
また静かに涙を流した。

その表情は、後悔よりも、どこか救われたように見えた。

その夜、優斗は自分の部屋から、田所の事務所に電話をかけた。

『はい、田所探偵事務所』

「柏葉です」

『……ああ』

田所の声は、いつも通りだった。

「ありがとうございました」
「本当に……」

『礼はいらん。費用はもらっている。それに見合う仕事しただけだ』

「それでも、です」

少し間があって、田所は言った。

『兄さん、ちゃんと“事件”として終わった』
『それで十分だろ』

「……はい」

『あとは、生きてる人間の問題だ』

電話は、それだけで切れた。

短くて、不器用で、でも、田所らしい言葉だった。

翌日、優斗は一人で墓地へ向かった。

墓石の前に立つと、不思議と、言葉は自然に出てきた。

「兄さん」

風が、静かに吹いていた。

「……全部、分かったよ」

零士のこと。
片桐のこと。
遺書のこと。
本当は、自殺じゃなかったこと。

「兄さんは……何も悪くなかった」

喉の奥が、少し詰まった。

「みんな、兄さんのこと、誤解してた」
「……俺も、いなくなるまで、ちゃんと話さなかった」

しばらく、沈黙。

墓石に刻まれた名前を、指でなぞる。

「でも、もう大丈夫だ」

「殺した人間は捕まった」
「真実は、ちゃんと残った」

優斗は、最後にこう言った。

「……兄さんは、ちゃんと生きてた」

それだけで、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ、軽くなった気がした。

風の音だけが、静かに響いていた。

まるで、「もういい」と言われたような、そんな気がして。

優斗は、深く一礼して、ゆっくりと、その場を後にした。

——悪魔の証明は、ようやく終わった。

残ったのは、生きている人間が、どう生き直すかだけだった。