悪魔の証明

——正直に言えば、俺は外に出たくなかった。

警察の内部資料なんて、本来は探偵の仕事じゃない。
しかも他所の署の案件だ。面倒になるのは目に見えている。

だから電話口で、はっきり言った。

「山岸さん、悪いけど持ってきて」

『……お前な』

受話器の向こうで、ため息が聞こえた。

『他所の署の捜査書類を外に持ち出すのが、どれだけ大変か分かってるか?』

「分かってるから頼んでる」

『……ほんとに出不精だな、お前は』

数秒の沈黙のあと、山岸は諦めたように言った。

『まあ……普段から世話になってるから何とかするが、次はないぞ、マジで』

三十分後、事務所のドアが乱暴にノックされた。

「はいはい」

夏野がドアを開けると、山岸が分厚い封筒を抱えて立っていた。

「これな」
「柏葉隼人、自殺案件の捜査資料一式だ」

封筒を机に放り投げながら、山岸は悪態をつく。

「ほんとに面倒だったぞ。俺の立場も少しは考えろ」

「感謝してるよ。心の底から」

山岸は鼻で笑った。

俺は資料を広げた。

現場写真。
検死報告書。
遺留品リスト。

遺体は、リビングの吹き抜け階段からロープで吊られている。

踏み台になるようなものは見当たらない。
椅子も、テーブルも、きれいに元の位置。

警察の結論は明快だ。

首にロープをかけ、
上階から飛び降りた自殺。

テーブルの上には遺書。
状況証拠は、確かに揃っている。

「……自殺と判断されたから、解剖なし、か」

俺は小さく呟いた。

「遺書が偽造だとすれば……自殺の根拠も半減だな」

山岸は肩をすくめる。

「まあな。だが一応、首のレントゲンは撮ってある」

「飛び降りだと首が引き伸ばされるからな。その確認用だ」

山岸は一枚のフィルムを差し出した。

俺はそれをじっと見た。

……違和感。

「山岸さん」

「ん?」

「これ、舌骨……折れてないか?」

山岸は一瞬、冗談だと思った顔をしてから、もう一度よく見た。

「……あ」

黙り込む。

「確かに……ヒビ入ってるように見えるな」

俺は次に、遺体写真を引き寄せた。

首元のクローズアップ。

「ここ」

薄く残る索条痕。

「ロープの痕にしては……薄すぎる」
「しかも幅が広い」

山岸が眉をひそめる。

「……ロープなら、もっとはっきり線が出るはずだ」

「だろ」

俺は写真を指でなぞった。

「ロープより太くて、柔らかいもので首を絞めてる」
「だから皮膚への食い込みが弱くて、痕が薄い」

山岸は、はっとしたように息を吸った。

「……それで警察も気付かなかったのか」

「そういうことだ」

俺は続けた。

「しかも索条痕が、ほぼ水平だ」
「飛び降りなら、後ろに向かって斜め上になる」

山岸の顔色が変わる。

「……水平は」

「絞殺だ」

俺は淡々と言った。

「先に首を絞めて殺して、
そのあとロープで吊った」

山岸は、しばらく何も言えなかった。

「……だが、もう遺体は火葬されてる」
「これ以上、直接は調べようがない」

俺は写真から目を離さずに言った。

「ロープは?」

「証拠品として、まだ保管されてるはずだ」

「それで十分だ」

——首の痕は消えても、
首を吊るした“道具”は残っている。

そこへ、事務所の電話が鳴った。

「各務です」
『仕掛けてたカメラ、反応しました』
『片桐亜美、映ってます』

俺は即座に立ち上がった。

「場所は?」

『今から送ります』

すぐに棚田に電話をかける。

「棚田、聞こえるか」
「片桐を見つけた」
「尾行して、住居と職場を割り出せ」

『了解です』

電話を切って、俺はもう一度、資料を見下ろした。

——自殺として処理された事件。
——痕が薄かったせいで見逃された殺意。
——そして、消えた女。

点が、ようやく線になった。

これは事故じゃない。
これは最初から、誰かが作った「計画」だ。