死ぬまでに叶えたい十の願い——名ばかりの正妃、最後の一年

三月になった。

麗華の体は、いよいよ限界に近づいていた。
一日の大半を寝台の上で過ごし、食事もほとんど取れず、胸の痛みは絶えず、息をするのが辛い日が増えた。

それでも麗華は穏やかだった。
侍女が涙をこらえながら世話をする傍らで、麗華は柔らかく微笑んだ。

「泣かないで。私は今まで、こんなに穏やかな気持ちで生きたことはなかったかもしれないのだから」
「正妃様……」
「陛下に伝えてもらえる?最後の願いを、叶えてほしいと」

その日の夕方、延徳帝が来るのを麗華は寝台に起き上がり待っていた。
蝋燭の光の中で、彼女の顔は蒼白だったが、目だけが変わらず静かに輝いていた。

延徳帝は部屋に入り、寝台の傍の椅子に腰を下ろす。
かつては廊下から短い言葉を交わして去っていた人が、今はこうして傍に座っている。

三年間で変わったもの、変わらないもの、そのどちらも今夜この部屋にあった。

「最後の願いを」
「なんだ?いってみろ」
「はい。それは……」

延徳帝は長い間、麗華を見つめていた。

「嫌いだと、言ってください。そうすれば私は安心して逝けます」

延徳帝はしばらく沈黙していた。
夕陽が最後の光を放ち、地平線の向こうに沈んでいくと、部屋が急速に暗くなっていく。

「言えない」
「なぜですか」
「なぜかわかるだろう」
「わかりません。だから訊いています」

延徳帝は視線を落とした。大きな手が膝の上で握られた。

「私は三年間、お前を誤解していた。お前が何も言わず、笑顔でいる間も、お前が何かを我慢しているとは思わなかった。お前が夢を持っているとは思わなかった。お前が……こんなにも、穏やかで強い人間だとは」
「陛下——」
「お前が死ぬまでの間、共に過ごして、初めてわかった。お前がどんな人間であるかを」

延徳帝の声が低くなった。

「嫌いだとは言えない。それが答えだ」
「では……お好きなのですか」
「好きか嫌いかで言えば」

沈黙が降り、蝋燭の炎が揺れた。

「好きだ」

その言葉は、静かに、しかし確かに麗華の胸に届いた。

「……三年間遅れましたね」
「そうだ」

延徳帝はようやく顔を上げた。
その目は、麗華には初めて見る光を帯びていた。

「遅すぎた。だからこそ、今この言葉に意味があるかどうか、わからない」
「意味があります。ちゃんと届きました」

延徳帝の手が動いた。麗華の手を、両手で包んだ。

「なぜ最後の願いが、嫌いだと言ってほしいというものだったんだ」
「陛下を楽にしてあげたかったのです。嫌いだと言ってしまえば、私が死んでも引きずらずに済むかと思って」
「……馬鹿な話だ」
「ふふ。そうかもしれません」
「嫌いでも何でもない」

延徳帝の声が揺れた。

「むしろその逆だ。お前を……」

その先が続かなかった。
どうして本当の気持ちを言えるだろう。

雪蘭を正室にできず、側室に留めおいた。
そのうえで、政略結婚として麗華と結婚した。

初めて会った麗華を見たときに、あまりの美しさに目が眩んだこと。
それを認めることは、雪蘭への明確な裏切りに他ならない。

それでも結婚し、違和感を感じながらも、雪蘭の言うことを鵜吞みにして、麗華を避け続けた。
近付いてしまったら、きっと惹かれてしまう。

それは自らの愛が不誠実である証明であることを、延徳帝はわかっていたのだ。

麗華は延徳帝の手の温かさを感じながら、穏やかに笑った。

「知っています。私も、陛下のことが嫌いではありません。随分と好きになってしまいました。だから、もっと早く話しかけていただければよかったと、少しだけ思います」
「ああ。そうだ、そうだった。……謝ることも間に合わなかった」
「今、謝ってくださいました。それで十分です」
「十分ではない」

麗華は少し咳をすると、延徳帝の手が強くなった。

「どうか。最後の願いを、叶えてください」
「叶えられない。嫌いではないのに嘘はつけない」
「では、言えないことを最後の願いにしましょう」
「どういう意味だ」
「言えないということ自体が、私への答えです。陛下が言えないと言ってくださった。それが最後の願いの答えです。ありがとうございます」

延徳帝は麗華の手を握りしめた。

「逝かせたくない」
「私もできれば逝きたくありません。でも、呪いは解けませんでした」
「解く方法を探す。まだ時間が——」
「陛下。一つだけ、お願いできますか。正式な願いではなく、本当に最後のお願いを」
「何だ」
「……私が逝った後でも、幸せでいてください」

延徳帝は何も言えなかった。
麗華は手を握り返した。
その夜、麗華は深く眠りについたその時、部屋の中の時間が、止まった。

それは、延徳帝の答えを聞いた彼女自身の選択だった。
命を留める魔法ではなく、彼女自身の『時間』を差し出して抗う術だった。