神道家は坂道を登ったところにある。その道すがら、民家がポツポツと存在していたが、誰も棲んでいないかのように人の気配はなかった。それなのに、蛇が獲物に絡みつくように、ずっと誰かの視線が大輝の体にまとわりついていた。気になってあたりを見渡してみても、ここに入った時とは違い、どこにも誰もいない。集落全体で神隠しに遭ってしまったようだった。
「変なところだな」
ポツリと呟いた言葉は集落の静けさに溶けていく。それでも、ここにいたいと思い始めている自分は、何かがおかしくなってしまったのだろうか。
坂道を登りきって目の前に現れた立派な建物に目を奪われる。
黒塗りの重い門が大輝を出迎える。門柱は太く、瓦屋根は長い年月を経て鈍く光っている。門の向こうには広い前庭があり、手入れの行き届いた松が風に揺れていた。
広い縁側が周囲をぐるりと家を囲み、窓は全てを拒絶するようにしっかりと閉じられている。昔ながらの旧家という感じで、場所が違えば荘厳で美しいと形容できるはずなのに、その家に纏わりつく重たい空気が首をゆっくりと締め付けてくる。長い年月とともに、何かが積み重なっているのを感じた。
大輝はその圧倒的な雰囲気に呑まれながら、インターホンを探す。インターホンを見つけて押そうとした時、タイミングを見計らったかのように母屋の入り口が開いた。
カラカラ。
まるで骨がぶつかり合うような音が耳に届く。
暗闇の向こうから現れたのは、大輝を祖母の家まで連れて行ってくれたお婆さんだった。
お婆さんは深くお辞儀をしながらしゃがれた声で大輝を迎える。
「お待ちしておりました、須藤様」
お婆さんは体を横に退けると大輝を促すように手招く。その動きはあの子供の手の動きに酷似しており、大輝は思わず体を振るわせる。
「さぁ、こちらへ」
ここにはいないはずの大人たちの合唱が聞こえてくる。その声は大輝に中に入るようにと背中を押している。
足は止まりたがっているのに、胸の奥が「早く入れ」と急かしていた。この時の大輝にはなぜか引き返すという考えが頭の中からなくなっていた。
カラカラ。
大輝の後ろで、ゆっくりと扉が閉められる。その隙間から、ボサボサの頭をしたあの青年が悔しそうに顔を歪めながら大輝を睨みつけていた。
大輝は目を見開き引き返そうとしたが、不意にお婆さんに背中を押され戻ることは叶わなかった。
「あの、あの子は……?」
「須藤様が気にかける必要のない者です。あれは、不要な者ですから」
薄く引き延ばされた唇が明確な拒絶を表していた。これまでは必要以上に迎えいれる姿勢だったのに、ここに来て初めて線を引かれたようだ。
この先に、踏み入れるな、と。
突然の態度の代わりように戸惑いながら、大輝は扉の向こうにいる青年を見つめる。
「さぁ、参りましょう。神道様のところまでご案内いたします」
お婆さんは話を断ち切るように暗い廊下を歩き出す。その姿が闇に呑まれる前に、大輝は後ろ髪を引かれる思いでついていく。
長い廊下には灯りがなく、どの部屋の襖もピッタリと閉められていたため廊下はどれだけ進んでも暗いままだった。木造建築ならではの木の香りとひんやりとした空気が足元から昇ってくる。相変わらず人の気配はしないのに、視線だけはあらゆるところから突き刺さる。
大輝はとある部屋に通された。
そこは応接間のようで、漆塗りの机と二枚の座布団が向き合う形で配置されていた。井草の匂いが鼻腔をくすぐり、縁側を通して届く光の眩しさに一瞬目がくらむ。
「こちらでお待ちください。只今、神道様をお連れいたします」
お婆さんは深々とお辞儀をすると襖の扉を閉める。一人残された大輝は落ち着かない気持ちになり、縁側の方に向かう。ガラス張りの扉から見える庭園は美しく整えられている。小さな池の水面は妙に静かで、風が吹いても時が止まったように揺れることはない。シンとした音が耳を突き刺すように痛く、美しい庭にはどことなく立ち入ってはいけない気がした。
それなのに、なぜか懐かしさも同時に感じた。あの小さな池を誰かと一緒にじっと見つめて、美しくも不気味な庭園を誰かと走り回った。そんな既視感を覚える。
大輝は鋭い頭痛を感じて頭を抑える。
真っ黒に塗りつぶされた誰かの顔が、大輝に向かって笑いかける。
その誰かが、大切で、何に変えても守りたくて。それで――?
「……い。おい!」
外から聞こえた大きな声にハッと意識を戻す。
庭園の方から縁側に身を乗り出したボサボサ頭の青年が険しい顔で大輝を見つめている。その表情の中には大輝を心配する気持ちも見られた。
大輝は青年と庭を見比べて、先ほどまで感じていた既視感も息苦しい空気もどこかへと消えていることに気がついた。この集落に来て初めてちゃんと息をした気持ちになった。
「大丈夫か? だからここには来るなって言ったんだ」
「……お前は、どうして」
「いいか、よく聞けよ。今すぐここから出ていくんだ。ここはお前みたいなやつがいていい場所じゃない」
呆然とする大輝を取り残すように青年は言葉を続ける。
「今ならまだ引き返せる。まだ、普通の生活に戻れる。だから――」
「何をしている」
低く、有無を言わせぬ声が後ろから聞こえてくる。途端に目の前の青年の顔が曇ると大輝から身を離した。
「変なところだな」
ポツリと呟いた言葉は集落の静けさに溶けていく。それでも、ここにいたいと思い始めている自分は、何かがおかしくなってしまったのだろうか。
坂道を登りきって目の前に現れた立派な建物に目を奪われる。
黒塗りの重い門が大輝を出迎える。門柱は太く、瓦屋根は長い年月を経て鈍く光っている。門の向こうには広い前庭があり、手入れの行き届いた松が風に揺れていた。
広い縁側が周囲をぐるりと家を囲み、窓は全てを拒絶するようにしっかりと閉じられている。昔ながらの旧家という感じで、場所が違えば荘厳で美しいと形容できるはずなのに、その家に纏わりつく重たい空気が首をゆっくりと締め付けてくる。長い年月とともに、何かが積み重なっているのを感じた。
大輝はその圧倒的な雰囲気に呑まれながら、インターホンを探す。インターホンを見つけて押そうとした時、タイミングを見計らったかのように母屋の入り口が開いた。
カラカラ。
まるで骨がぶつかり合うような音が耳に届く。
暗闇の向こうから現れたのは、大輝を祖母の家まで連れて行ってくれたお婆さんだった。
お婆さんは深くお辞儀をしながらしゃがれた声で大輝を迎える。
「お待ちしておりました、須藤様」
お婆さんは体を横に退けると大輝を促すように手招く。その動きはあの子供の手の動きに酷似しており、大輝は思わず体を振るわせる。
「さぁ、こちらへ」
ここにはいないはずの大人たちの合唱が聞こえてくる。その声は大輝に中に入るようにと背中を押している。
足は止まりたがっているのに、胸の奥が「早く入れ」と急かしていた。この時の大輝にはなぜか引き返すという考えが頭の中からなくなっていた。
カラカラ。
大輝の後ろで、ゆっくりと扉が閉められる。その隙間から、ボサボサの頭をしたあの青年が悔しそうに顔を歪めながら大輝を睨みつけていた。
大輝は目を見開き引き返そうとしたが、不意にお婆さんに背中を押され戻ることは叶わなかった。
「あの、あの子は……?」
「須藤様が気にかける必要のない者です。あれは、不要な者ですから」
薄く引き延ばされた唇が明確な拒絶を表していた。これまでは必要以上に迎えいれる姿勢だったのに、ここに来て初めて線を引かれたようだ。
この先に、踏み入れるな、と。
突然の態度の代わりように戸惑いながら、大輝は扉の向こうにいる青年を見つめる。
「さぁ、参りましょう。神道様のところまでご案内いたします」
お婆さんは話を断ち切るように暗い廊下を歩き出す。その姿が闇に呑まれる前に、大輝は後ろ髪を引かれる思いでついていく。
長い廊下には灯りがなく、どの部屋の襖もピッタリと閉められていたため廊下はどれだけ進んでも暗いままだった。木造建築ならではの木の香りとひんやりとした空気が足元から昇ってくる。相変わらず人の気配はしないのに、視線だけはあらゆるところから突き刺さる。
大輝はとある部屋に通された。
そこは応接間のようで、漆塗りの机と二枚の座布団が向き合う形で配置されていた。井草の匂いが鼻腔をくすぐり、縁側を通して届く光の眩しさに一瞬目がくらむ。
「こちらでお待ちください。只今、神道様をお連れいたします」
お婆さんは深々とお辞儀をすると襖の扉を閉める。一人残された大輝は落ち着かない気持ちになり、縁側の方に向かう。ガラス張りの扉から見える庭園は美しく整えられている。小さな池の水面は妙に静かで、風が吹いても時が止まったように揺れることはない。シンとした音が耳を突き刺すように痛く、美しい庭にはどことなく立ち入ってはいけない気がした。
それなのに、なぜか懐かしさも同時に感じた。あの小さな池を誰かと一緒にじっと見つめて、美しくも不気味な庭園を誰かと走り回った。そんな既視感を覚える。
大輝は鋭い頭痛を感じて頭を抑える。
真っ黒に塗りつぶされた誰かの顔が、大輝に向かって笑いかける。
その誰かが、大切で、何に変えても守りたくて。それで――?
「……い。おい!」
外から聞こえた大きな声にハッと意識を戻す。
庭園の方から縁側に身を乗り出したボサボサ頭の青年が険しい顔で大輝を見つめている。その表情の中には大輝を心配する気持ちも見られた。
大輝は青年と庭を見比べて、先ほどまで感じていた既視感も息苦しい空気もどこかへと消えていることに気がついた。この集落に来て初めてちゃんと息をした気持ちになった。
「大丈夫か? だからここには来るなって言ったんだ」
「……お前は、どうして」
「いいか、よく聞けよ。今すぐここから出ていくんだ。ここはお前みたいなやつがいていい場所じゃない」
呆然とする大輝を取り残すように青年は言葉を続ける。
「今ならまだ引き返せる。まだ、普通の生活に戻れる。だから――」
「何をしている」
低く、有無を言わせぬ声が後ろから聞こえてくる。途端に目の前の青年の顔が曇ると大輝から身を離した。



