シャワシャワと独特な蝉の声が響く。森の中では聞こえなかった声と開けた場所に出たことで脳天を突き刺すような暑さが降り注ぐ。それなのに鳥肌は薄く残り、体は余計に重くなる一方だった。
「ここは何もないところですが、ぜひゆっくりして行っていただけると幸いです」
先頭を歩く年老いたお婆さんが薄気味悪い笑顔を絶やさず大輝に話しかける。大輝の後ろには先頭のお婆さんと全く同じ笑顔を顔に貼り付けた大人たちがついてくる。
薄暗い森で大輝を迎えたこの人たちは大輝が目指していた常世原集落の住民だった。彼らは慇懃な態度で大輝を迎えると、自ら案内役を名乗り出てくれた。案内をしてくれるのはありがたいと思ったが、どの人も笑顔を絶やさずにいる様子に本能が警鐘を鳴らしていた。
それでも、彼らについて集落に足を踏み入れたのは、森の中へ消えていったあの青年のことが気になったからだ。この辺り一帯は常世原集落以外に人が住む場所はない。だから、ここに来ればあの青年にもう一度会って話ができると考えたのだ。
「みんな、貴方様を歓迎しております」
お婆さんが言う通り、畦道の向こうで畑仕事をしていた人や物珍しそうに家の前でこちらを見ている人など、集落中の人が大輝と目が合うと深々とお辞儀をしてくれる。まるで神様か何かを崇め奉るようなその態度に、大輝は怪訝そうに眉を顰める。
「ここは常世原。見ての通り小さな集落ですが、皆、仲が良くのびのびと暮らしております。須藤様はここへはどういったご用向きで?」
「……祖母が――須藤清子さんから手紙をもらって」
「あぁ、あの清子さんですね。なるほど、それではまず清子さんのところへご案内いたしましょうか」
あの、という含みのある言い方が気になったが、案内をしてくれると言うなら渡りに船だった。小さな集落とはいえ初めてくる土地で祖母の家がわかるはずもなかった。
お婆さんはゆっくりとした足取りで集落の中を進んでいくと、ある一軒の家の前で立ち止まる。その家は廃屋のような木造の平家で、壁面には植物が蔦を張っていた。石で出来た塀は所々欠落しており、家との隙間には雑草が好き放題に伸びている。
本当にここに人が住んでいるのか。
思わず疑いたくなるような趣に何を言えばいいのかわからなくなり立ち尽くす。
「ここが、清子さんの家になります」
少し低いところから聞こえたお婆さんの声にハッとして顔を向けると、いつの間にかお婆さんは大輝の後ろに控えていた。お婆さんの後ろには相変わらずニコニコと絵に描いたような笑みを貼り付けた大人たちが、大輝が家の中に入るのを今か今かと待っていた。
「さぁ、どうぞ」
お婆さんが先へ促すように深々と頭を下げるのと同時に、後ろにいた大人たちが「さあ、さあ」と口々に合唱を始める。それは田んぼに潜む蛙の合唱のように煩く、耳障りだった。
大輝は彼らを一瞥すると、意を決したように朽ちた家に向き直る。そして、その入り口に手をかけた時、鋭い視線を感じて勢いよく振り返る。
背後には頭を下げたままのお婆さんと蛙の合唱を続ける大人たちがいる。大輝の視界にひらひらとした何かが横切る。見覚えのある――山で見た白い何かだ。その何かは先ほどよりもはっきりとした形をとっていた。
――小さな、子供の手だった。
その手は他の人たちには見えていないようで、歓迎するように大輝に手を振っている。思わずその手に見入っていると、ガラガラっと入り口の開く音がする。その音に引かれるように視線を戻すと、不機嫌そうな顔をしたエプロン姿の女性が眉間に深い皺を寄せながら立っていた。
「あの……何か用ですか」
人が本当に住んでいたんだ、と失礼なことを思いながらも意識はあの手に引っ張られる。女性を一瞥した後、本能が赴くままに手の方を振り返るが、そこには何もなくなっていた。
「何もないのなら、もういいですか」
怒ったような声色に大輝は慌ててカバンから一通の手紙を取り出す。
「すみません……俺、須藤大輝って言います。おばあちゃん……須藤清子さんから手紙をもらってきました」
「清子さんから……?」
女性は訝しげにしながらも大輝から手紙を受け取ると、封筒の表面に目を滑らす。そして、ちらっと大輝の後ろに視線を移すと、疲れたように大きく息を吐き出しながら少しだけ体を横にずらした。無言で顎を引くと、目線で中へ入れと促す。
大輝は呆気に取られながらも小さく頷くと、後ろを振り返ってお婆さんたちに礼を伝えようとした。
「いいのです。これも私たちのお役目。どうか、この場所で、ゆっくりとお寛ぎくださいませ」
お婆さんは小さく首を横に振ると頭が地面につきそうなほど深くお辞儀をする。後ろに控えていた大人たちも、それに倣うように深く頭を下げる。気味が悪く感じた大輝は逃げるように女性の横を通って家の中に入る。
「どうか、どうか。私たちに、安寧を」
女性が後ろ手に閉めていく扉の向こうで、お婆さんは何かに懇願するように声を震わせた。
「ここは何もないところですが、ぜひゆっくりして行っていただけると幸いです」
先頭を歩く年老いたお婆さんが薄気味悪い笑顔を絶やさず大輝に話しかける。大輝の後ろには先頭のお婆さんと全く同じ笑顔を顔に貼り付けた大人たちがついてくる。
薄暗い森で大輝を迎えたこの人たちは大輝が目指していた常世原集落の住民だった。彼らは慇懃な態度で大輝を迎えると、自ら案内役を名乗り出てくれた。案内をしてくれるのはありがたいと思ったが、どの人も笑顔を絶やさずにいる様子に本能が警鐘を鳴らしていた。
それでも、彼らについて集落に足を踏み入れたのは、森の中へ消えていったあの青年のことが気になったからだ。この辺り一帯は常世原集落以外に人が住む場所はない。だから、ここに来ればあの青年にもう一度会って話ができると考えたのだ。
「みんな、貴方様を歓迎しております」
お婆さんが言う通り、畦道の向こうで畑仕事をしていた人や物珍しそうに家の前でこちらを見ている人など、集落中の人が大輝と目が合うと深々とお辞儀をしてくれる。まるで神様か何かを崇め奉るようなその態度に、大輝は怪訝そうに眉を顰める。
「ここは常世原。見ての通り小さな集落ですが、皆、仲が良くのびのびと暮らしております。須藤様はここへはどういったご用向きで?」
「……祖母が――須藤清子さんから手紙をもらって」
「あぁ、あの清子さんですね。なるほど、それではまず清子さんのところへご案内いたしましょうか」
あの、という含みのある言い方が気になったが、案内をしてくれると言うなら渡りに船だった。小さな集落とはいえ初めてくる土地で祖母の家がわかるはずもなかった。
お婆さんはゆっくりとした足取りで集落の中を進んでいくと、ある一軒の家の前で立ち止まる。その家は廃屋のような木造の平家で、壁面には植物が蔦を張っていた。石で出来た塀は所々欠落しており、家との隙間には雑草が好き放題に伸びている。
本当にここに人が住んでいるのか。
思わず疑いたくなるような趣に何を言えばいいのかわからなくなり立ち尽くす。
「ここが、清子さんの家になります」
少し低いところから聞こえたお婆さんの声にハッとして顔を向けると、いつの間にかお婆さんは大輝の後ろに控えていた。お婆さんの後ろには相変わらずニコニコと絵に描いたような笑みを貼り付けた大人たちが、大輝が家の中に入るのを今か今かと待っていた。
「さぁ、どうぞ」
お婆さんが先へ促すように深々と頭を下げるのと同時に、後ろにいた大人たちが「さあ、さあ」と口々に合唱を始める。それは田んぼに潜む蛙の合唱のように煩く、耳障りだった。
大輝は彼らを一瞥すると、意を決したように朽ちた家に向き直る。そして、その入り口に手をかけた時、鋭い視線を感じて勢いよく振り返る。
背後には頭を下げたままのお婆さんと蛙の合唱を続ける大人たちがいる。大輝の視界にひらひらとした何かが横切る。見覚えのある――山で見た白い何かだ。その何かは先ほどよりもはっきりとした形をとっていた。
――小さな、子供の手だった。
その手は他の人たちには見えていないようで、歓迎するように大輝に手を振っている。思わずその手に見入っていると、ガラガラっと入り口の開く音がする。その音に引かれるように視線を戻すと、不機嫌そうな顔をしたエプロン姿の女性が眉間に深い皺を寄せながら立っていた。
「あの……何か用ですか」
人が本当に住んでいたんだ、と失礼なことを思いながらも意識はあの手に引っ張られる。女性を一瞥した後、本能が赴くままに手の方を振り返るが、そこには何もなくなっていた。
「何もないのなら、もういいですか」
怒ったような声色に大輝は慌ててカバンから一通の手紙を取り出す。
「すみません……俺、須藤大輝って言います。おばあちゃん……須藤清子さんから手紙をもらってきました」
「清子さんから……?」
女性は訝しげにしながらも大輝から手紙を受け取ると、封筒の表面に目を滑らす。そして、ちらっと大輝の後ろに視線を移すと、疲れたように大きく息を吐き出しながら少しだけ体を横にずらした。無言で顎を引くと、目線で中へ入れと促す。
大輝は呆気に取られながらも小さく頷くと、後ろを振り返ってお婆さんたちに礼を伝えようとした。
「いいのです。これも私たちのお役目。どうか、この場所で、ゆっくりとお寛ぎくださいませ」
お婆さんは小さく首を横に振ると頭が地面につきそうなほど深くお辞儀をする。後ろに控えていた大人たちも、それに倣うように深く頭を下げる。気味が悪く感じた大輝は逃げるように女性の横を通って家の中に入る。
「どうか、どうか。私たちに、安寧を」
女性が後ろ手に閉めていく扉の向こうで、お婆さんは何かに懇願するように声を震わせた。



