あの夏、神様に選ばれた君へ

 伸ばしかけた手を後ろから思いっきり引かれる。驚いた拍子に目を瞬かせると、次の瞬間には白い何かはいなくなり、初めからそこには何もいなかったようだ。


「お前、ここに何をしにきた」


 今度は肩を掴まれ強引に体の向きを変えられる。

 目の前には好き放題に伸びた黒い髪の隙間から煌々と輝く金色の瞳を持った同い年くらいの青年が、鬼のような形相で大輝を睨みつけていた。


「今すぐここから立ち去れ、余所者!」


 大輝の意見を聞こうともせずに下山を促す青年に大輝の機嫌も急降下していく。


「勝手なこと言うな。第一、お前は誰だよ」

「誰だっていいだろ。余所者のお前が知る必要なんてないんだから」


 そう言って大輝の腕を引っ張ってくるが、大輝も抵抗するように足に力を込めてその場に留まる。すると青年は苛立ったように深いため息を吐くと、大輝に向き直る。

「僕たちの場所に、余所者が入ってくるな」

 チラチラと見える瞳の奥に冷たい光が差す。

「神様の天罰が下るぞ」

 そこには、一瞬の感情の揺れが見えた気がした。

 大輝はなぜかその瞳に見覚えがあることを思い出す。

 一歩も引かない青年の気迫に大輝は言葉を詰まらせるが、ただの脅しだと考えて聞き流す。痛みが出るほど強く掴まれた手を振り払うと、大輝は青年を無視して歩き出す。好き勝手言われて腹立たしい気持ちで肩を揺らすと、青年は「ちょっと待てって!」と声を荒げながら後ろを追いかけてくる。


「人の話が聞けないのか? その耳は飾りか何かか?」
「…………」
「無視するなよ。僕が話してるだろ……だから、止まれって!」


 ついに痺れを切らした青年が大輝の行く先を塞ぐように前に躍り出る。どうしても追い返したいのか、青年は強い決意を瞳に宿しながら大輝を睨みつけている。初対面にここまで執着される理由が大輝にはわからなかった。


「…………神様なんて俺は信じてない」


 負けじと大輝も睨み返すと、青年は何かに耐えるように唇を引き結ぶ。そして何かを言おうと口を開いた時、遠くから地面を踏み締める音が聞こえてくる。その音は四方八方から聞こえてくるようで、大輝は辺りを見渡す。

「……時間切れ、か」

 目の前で青年がポツリと言葉を紡ぐ。その意味を問いただそうと視線を向けた時、背筋を何かが這がってくるような不快感に襲われる。青年の瞳は先ほどとは違い、昏く光を宿しておらず、何かに対する諦めと、深く執念深い怒りを灯していた。生気が抜け落ちたようなのっぺらとした表情で、青年は大輝に背を向けると大輝のことなんて初めから知らなかったように歩いて行ってしまう。


 思わず「おいっ!」と声をかけると、青年は顔だけ振り返って、今にも泣きそうな顔で笑った。



「またね、大輝」



 その姿が一瞬ブレると、記憶の中の誰かと重なる。以前もこうやって、大輝は誰かと別れた気がするのに、肝心の誰かがモヤがかかったように思い出せない。

 大輝は大きく目を見開くと、先ほどとは反対に追い縋るように手を伸ばす。しかし、その手が彼に届くことはなかった。代わりに背後からいくつもの足音が近づいてくる。


 大輝の周囲から足音以外の音が消える。うるさいほど鳴いていたカラスの声も一瞬どこかへと消える。



 山が、息を止めた。



 尾を引かれるような気持ちで音のする方を振り返ると、深々と頭を下げた年配の男女が複数人立っていた。

 どうして大輝がここにいることを知ったのか。

 なぜこのタイミングで現れたのか。

 彼らは誰なのか。

 聞きたいことは山ほどあったが、ニタリと歪んだ笑みを浮かべているのを見て言葉を飲み込む。全員が手本のようにゆっくりと頭を下げ、同じ角度でぴたりと動きを止める。まるでカラクリ人形が動く時のように軋んだ音が耳にまとわりつく。


「ようこそ、おいでなさいませ、須藤大輝様」


 警報音のようなカラスの鳴き声が薄暗い山に響き渡る。その声の合間に、複数の子供の笑い声と、いくつもの地面を抉る音が重なる。


 そして、ごくりと唾を飲み込む大輝の脳内にあの声が響く。



 ――おカエり。