あの夏、神様に選ばれた君へ

 八千代に連れられながら朔は祭壇のある場所に繋がる道を歩いていた。儀式を行う時以外、森の中にあるこの道を使う人はいないはずなのに、道は雑草の一つすらなく、隅々まで管理されていた。
 砂利を踏みながら自分の足元に視線を向ける。本当は朔だって死にたくなかった。せっかく会えた大輝ともっと一緒にいたいし、和解できた父とも家族としてもっと話がしたかった。だが、どれもがもうすでに遅かった。
 もっと早くに父親と向き合っていれば。
 もっと自分の気持ちに素直になって、大輝と過ごしていれば。
 いろんな可能性を考えては、頭の隅に追いやる。想像したところで朔が八ツ森様の生贄になることは変わらない。記録に残された子供達のように、朔もそこに名を連ねるのだ。
「何も心配入りませんよ」
 先を歩く八千代が赤ん坊を宥めるような口調で囁く。所詮八千代にとって朔も大輝も八ツ森様への供物の一つに過ぎない。ここで優しさを見せるのは朔の気持ちが鈍らないようにするためだろう。
「あなたが八ツ森様に受け入れられれば、あの子が生贄になることはありません。あなたは間違いなく、あの子を守ることができるのです」
「その言葉を鵜呑みにするほど、僕はこの集落のことも、あなたのことも信じていない」
「それはそれは……なら、どうして今こうして大人しくなさっているのですか?」
 八千代の足が止まり、自然と朔もその場で立ち尽くす。八千代はゆっくりと朔の方に体を向けて、不思議そうに顔を傾けた。朔が生まれた時からずっとこの集落にいる八千代は、ある意味で一番この因習に染まっている人物でもあった。そんな八千代はこの集落、ひいては八ツ森様に受け入れようとしない朔たちのことが心底理解できないようだ。
「それでも僕は、大輝に生きていて欲しいんだ。僕の命で大輝が明日を迎えられるのなら、僕は喜んで命を差し出す…………ただ、それだけの話」
「ずっと疑問だったのですが、なぜそこまでしてあの子を守ろうとするのですか? たしかにあの子はあの日、あなたを守るために身を捧げる約束をしましたが、言い換えればただそれだけのことでしょう」
 八千代の言葉に朔はおかしそうに笑みを深くする。きっと八千代は八ツ森様のことしか見えていないのだろう。この忌むべき慣習とともに育った弊害とでも言うべきか。朔の中心は大輝にあるように、八千代の中心にあるのはいつだって八ツ森様だ。根本からすれ違っている二人がお互いを理解することは、この先もないだろうと朔には予測できた。
「あなたがそれだけと言った絆に……繋がりに追い縋る人間もいるっていう話。きっとわからないだろうけど」
「……あぁ、いいえ。わかりますよ、わかりますとも。私も随分と長いこと八ツ森様に縋っているのですから」
 八千代の不自然な言い回しに朔は怪訝そうな表情を浮かべる。
「私が追い求めているものも、あなたが守りたいと願う絆と似たようなものですから」
「何の話を…………?」
「あなたは八ツ森様と約束をしたと言っていましたね。実は私もある約束をしているのですよ」
 突然の告白に朔は大きく目を見開く。
「私は私の子にもう一度会いたいのです。そのためには、もっと多くの子を八ツ森様に捧げなければならない」
 八千代の言葉を聞きながら、ふと朔はこの人がいつからこの集落にいたのだろかと疑念が頭をよぎった。八千代と初めて会ったのは朔と大輝が八ツ森様と初めて対面した儀式の時だったはずだが、どうしてもその時の八千代の姿を思い出すことができない。集落で過ごす中で八千代とは何度もすれ違っているはずなのに、記憶は霞み、はっきりとしない。
「私の愛しい子。あの子にもう一度会うためなら私は何でもできるのです」
 八千代が朔に向かって手を伸ばす。何かがおかしいと思っても、その違和感の正体が掴めない。目の前の老婆は一体何を言っているのか。
「あなたは……一体何を言って…………」
「私の子は八ツ森様の中にいます。私の……一番最初の、八ツ森様になった子」
 八千代の静かな声の背後から何かが這いずり回る音がする。重たい荷物を運んでいるかのような、ズリ、ズリと地面を削る音が。
 朔は無意識のうちにごくりと喉を鳴らした。本能的な恐怖からか、本能的にその場から逃げようと足が後ろへと下がる。しかし、すぐに体は何かにぶつかりそれ以上下がることはできなかった。ハッとして後ろを振り返れば、そこには――。
「……八ツ森様」
 ――無数の幼子の手が、朔の体に向かって伸びていた。ただ、母親に縋る子供のように、必死に伸ばされていた。