あの夏、神様に選ばれた君へ

 大輝と朔。二人は同じ年の夏に生まれた。
 集落では子供が産まれる人数が少なく、二人の幼い子供が産まれたときは集落総出で祝いの席を開いたほどだった。
 二人は祝福されていた、はずだった。
 降りそそぐ祝福は、やがて呪いへと変わっていく。
 そんなことも知らずに、二人は元気よく育った。
 集落にたった二人だけの子供は、当然のように一緒に過ごし、兄弟のように仲良くなった。
「おーい! 早くこっちに来いよ!」
「ぇえ、こ、怖いよぅ……」
 等間隔に突出した石を飛び越えた川の先で大輝は水を怖がってなかなか踏み出せない朔に声をかける。集落には子供が楽しく遊べるよう遊具はなく、集落を取り囲む山が二人の遊び場だった。集落の奥、神道家側の森には近づいてはいけないと言われていたが、それ以外の場所は制限なくいくことができた。だから、家で遊ぶのにも飽きてきた頃から二人はよく外を駆け回っていた。
 集落を走り回っていれば、誰かしらが二人を温かい目で見守る。元気な二人を見て、まるで集落の人々の方が元気をもらっているかのように。
 そんな二人の性格は、正反対だった。
 大輝は多少の障害なら躊躇することなく飛び越えられる。ちょうど水流が早い川を、器用に石を伝って渡ってしまうように。一方で朔は大輝のように度胸はなく、何事にも慎重だった。大輝には簡単にできることも、朔には難しく、そんなときはたいてい大輝が大袈裟なほど大きなため息を吐いて、そして安心させるように笑うのだ。
「なんも怖いものなんてないだろ?」
 そう言いながら大輝はもう一度軽々と石を飛び越えて川を渡る。そして、体を震わせている朔の手を取ると彼の抗議の声を無視して走り出す。「こういうのは勢いが大事なんだよ」と顔だけ振り返って笑うと、来た道を軽やかに戻っていく。朔は小さな悲鳴を上げながらも懸命に足を動かし、なんとか石を渡っていた。
 後少しで川を渡り切るとき、「うわぁ!」という大きな叫び声と同時に、大輝の手が後ろに思いっきり引かれた。大輝が驚いて目を丸くした瞬間、木々の隙間から広がる青い空が見えたかと思うと、大きな水音を立てて二人は川へと飛び込むことになった。
 幸い、川の深さは大したことはなく、二人は川の中で座り込んでしまう。水を吸った衣服が肌にまとわりついて気持ち悪いと思うのと同時に、おろおろと今にも泣き出しそうに視線を彷徨わせている朔の様子が面白く見えて大輝は状況も忘れて腹を抱える。
「あははは! せっかく、俺が引っ張ってやったのに! 本当に鈍臭いなぁ、朔は!」
「うぅ〜っ…………! だ、だから嫌だったのに! 大輝が急に引っ張るから!」
「だってそうでもしないと、いつまで経ってもお前、川を渡れそうになかったじゃん!」
 目尻に涙を溜め、耳まで真っ赤に染めて怒る朔に大輝は心底おかしそうに笑い転げる。いつまでたっても笑いの波が引かないのを悟ったのか、朔は不満そうに口を尖らせながら立ち上がる。そして、大輝を置いてさっさと川を出ていく。一度濡れて仕舞えば、わざわざ滑りやすい石の上を渡る必要はない。
 拗ねた様子の朔に慌てたように大輝は川から身を起こすと、その後ろをついていく。
「怒るなよ。別に、水に濡れるくらいどーってことないだろ?」
「……僕は川に落ちたことを怒ってるんじゃないんだけど」
 わかってるだろ、というように片方の眉を釣り上げた朔に大輝は降参するように両手を上げる。
「悪かったって。このとうり!」
 両手を合わせて頭を下げれば、大輝に甘い朔は簡単に許してしまう。仕方がないな、と困ったように朔が笑えば、大輝は向日葵のように輝く笑顔を見せる。
 何気ない日常の一幕。
 大輝がこの集落で朔と一緒に過ごした確かな記憶。
 ずっと、忘れていた大切な思い出だ。
 そんな幼い自分達の記憶を、高校生になった大輝は少し離れたところで見ていた。
「……本当に、俺はここで朔と過ごしていたんだな」
 今になって記憶を思い出している理由はよくわからなかったが、大輝は二人の幸せな記憶を見て泣きたくなるように、心が締め付けられた。大輝が忘れて、朔が覚えていた全てがここに詰まっている。
 思い出す順番はバラバラ。詰まっている気持ちもまちまち。
 ただ、一つ共通しているのは、二人で過ごした日々は幸せで満ち溢れていたということだけ。
 だけど、大輝は知っている。
 この先にあるのは、楽しい日々じゃないことを。この幸せはいずれ終わりを迎えることを。
 笑い合いながら森を駆けていく二人の背中を見送ると、大輝はゆっくりとその場から離れるように歩き出す。
 森のなかを歩いていると、徐々に木々が鬱蒼と生い茂り、日当たりはより悪くなる。そのまま惹かれるように足を進め、たどり着いたのは小さな木造の舞台だった。
 舞台を囲うように配置された蝋燭に風もなく揺れる炎。足元に冷たい風が吹いてきて全身を撫で回すように寒気が這い上がってくる。あらゆる方向から、何か大きいものが這いずり回る音が聞こえた。
 ザリ、ザリと骨が擦れるような、土を抉るような、耳障りな音が。
 大輝はこの光景も知っていると本能で感じた。過去にこの中心で、大輝は大きな決断をしたはずだ。
 異形な存在に気圧されて動けない、大事な存在を守るために。小さな体で精一杯背伸びをして。
 幼い大輝は八ツ森様と約束をした。
 大輝が舞台の真ん中で顔をゆっくりあげれば、そこには無数の手が伸びてきていた。
 遊ぼう。
 一緒になろう。
 そう、誘っているようだった。
 数多の手の一つが大輝に伸び、歓迎するように頬を撫でた。記憶の中のはずなのに、感触がまるで本当の子供の手のように柔らかかった。ただ、その手は体の芯が凍えるように冷たかったが。
 あんなに大輝に話しかけていた八ツ森様の声が、今は何も聞こえなかった。だけど、触れ合った場所から伝わる八ツ森様の感情は、酷く悲しく、寂しいものだった。
 大輝はそっとまろいその手に自分の手を添えると、何かを感じたように目を伏せる。
 たくさんの子供の感情に通じる一つの想い。
 迷子の子供が必死に母を探す。わずかな繋がりを、一縷の望みを賭けて、子供は手を伸ばすことしかできない。
 きっとそれが八ツ森様が常世原集落に縛られ続けている理由なのだろう。
「……そうだ。八ツ森様は俺たちを捕まえたいんじゃない。ただ、自分の母さんを探しているんだ」
 大輝の祖母、清子はその事実に気がついていたからこそ、臍の緒を大事に保管していた。
 宗一郎は母と引き離された子の悲しみを受け止めるために、記録を残し、未来へと繋いだ。わざわざ新しい玩具まで用意して、子供たちの悲しみを癒そうとした。
 八ツ森様はいつだって母親だけを求めていた。だから、母親と一番つながりが深い幼い子供を狙うのだ。その子供を通して、母親のもとに還るために。
 異常な集落に残された、小さな手がかりたちが一つの線になっていくのを感じる。
「俺が、できることは……」