あの夏、神様に選ばれた君へ

 大輝と朔が周囲に気をつけながら神道の家までの道を進む。木々はぴたりと止まっており、二人が地面を踏みしめる音以外は何も聞こえなかった。周囲に人の気配はないのに、ずっと誰かに見られているような不快感が肌を撫でる。この土地に来てから感じていた不愉快さは増していく一方だった。
 暗闇に潜んでいるであろう集落の人と目を合わせるのを避けるように、大輝はなるべく目の前にだけ意識を集中させるようにする。朔と繋いでいる手は緊張からか少し汗ばんでおり、どちらからともなく硬く握り合っていた。先ほどから朔は思い詰めたように顔を伏せており、前を歩く大輝からでは様子を伺うことは難しかった。
 大輝が朔に意識を向けながらも前を向くと、そこには深くお辞儀をしたお婆さんが立っている。大輝は金縛りにあったように体をぴたりと止めると、その時ようやく朔が顔をあげる。朔の顔が強張るのを横目で確認しながら、大輝はお婆さんの行動に注意を払う。
 お婆さんは姿勢を崩さず、しゃがれた声で二人を迎えた。
「さぁ、さあ、神道様がお待ちですよ」
 お婆さんが指し示す方向は二人が向かっていた神道の家だった。タイミングを計ったように現れた彼女に、大輝は探るように様子を伺う。この集落の人は誰も信用ができなかった。特に集落の人の先頭に立って大輝を案内し続けたお婆さんは特に、信じることに恐怖を覚えるほどだった。
 しかし、お婆さんはそんな大輝の心情を理解していないのか、ゆっくりと顔をあげると口の端が裂けるほど笑みを深める。糸のように細められた目と顔の至る所に皺が深く刻まれた。その瞳には待ち切れないと言わんばかりに、期待と歓喜の色が滲んでいる。
「さぁ、参りましょう。その身をもって、私たちに安寧を与えてくれますように」
「あんたたちはいったい、なんなんだよ!」
 お婆さんの提案を押しのけるように、耐えられなくなった大輝が声を荒げる。後ろから不安そうな朔の視線を感じたが、今の大輝には気にかける余裕がなかった。それほど、目の前の人間が薄気味悪くて、悍ましいと感じていた。
「私たちが何であるかは関係ありません。須藤様はただ、八ツ森様と共にあっていただければそれで良いのです」
 心の奥底を無神経に撫でるような笑みを浮かべたまま、お婆さんは優しい口調で諭す。まるで、血の繋がった家族が、幼い子供あやすような口ぶりだった。
「大輝、今ここであの人と話していても何も変わらないよ」
「……わかってる」
 見かねた朔が大輝の手を引っ張る。大輝は不機嫌そうに眉を顰めたまま、渋々溜飲を下げた。二人の様子に満足したようにお婆さんは頷くと、ゆっくりとした足取りで前を歩き始める。大輝は警戒を緩めることなく、朔と一緒にお婆さんの後ろをついていった。
 目の前に見えている神道家までの道のりは短いはずだったのに、永遠のように長く感じた。それはお婆さんの歩調がゆっくりだったからか、それとも大輝が無意識のうちにあの家に戻ることを拒否していたからか。
 神道家は朔が生まれ育った場所でもあり、朔が害され続けた場所でもあった。朔は気にしていないのか、顔色一つ変えることはなかったが、それでも大輝は朔の父親と朔を会わせることに気が引けていた。何度も傷つけられてきた朔が、これ以上嫌な思いをしてほしくないと思っていたのだ。だが、同時に、これは避けては通れない道だともわかっていた。この集落の秘密を受け継いでいるであろう宗一郎に、呪いについて聞き出さなければ、おそらく大輝に未来はない、と。
 時間をかけて家にまで辿り着くと、お婆さんは家の中には入らなかった。お婆さんはそのまま家を迂回するように庭の方に向かって歩き出す。大輝と朔は顔を見合わせ、怪訝そうな顔色を浮かべながらも黙ってお婆さんの後ろをついていく。
 お婆さんは二人を家の裏手にある蔵まで連れてくるとそこで止まる。彼女は大輝たちの方を振り返ると、数刻前のように深々と頭を下げた。
「この向こうで、神道様がお待ちです」
「この向こうって……」
 たいして大きくもない蔵の中に、宗一郎が待っている理由がわからず大輝は首を傾ける。蔵の中身を知っている朔も心当たりがないのか、眉を顰めていた。
 二人の疑問にお婆さんがそれ以上言葉を連ねることはなかった。全ての答えはこの先にあるということだろうか。
「……行こう。この奥に朔の父さんがいるなら、俺たちは前に進むしかない」
「そうだね……。うん、その通りだ」
 大輝が朔の手を強く握ると、朔も答えるように手を握り返してくれた。強く固く繋がれた手がお互いの背中を勇気づけるように押す。
 重々しい蔵の扉の前に立つ。ここで朔と二人で話をしたのが随分と前のようだった。
 分厚い木の板で作られた扉は、長い年月を経て黒ずみ、不気味な気配を纏っていた。扉の向こうから大輝たちを待ち侘びているかのように。
「開けるぞ、朔」
 大輝が目だけで朔を見ると、彼も小さく頷いて返す。そして二人は扉を封じていた木の帯を持ち上げ、ゆっくりと開いていく扉の向こうへと体を潜らせた。二人がいなくなったその場には、深くお辞儀をして見送るお婆さんの姿だけが残っていた。