あの夏、神様に選ばれた君へ

 大輝は俯いて黙り込んでいる朔を見つめる。長い時間をかけて手掛かりを探し続けたのに、答えがこんなにも近くにあったのだ。

 神道家はこの集落の取りまとめている地主でもある。当然、儀式を執り行うときに指揮をとるのも神道家になる。それなのに朔が何も知らなかったのは、宗一郎があえて隠したからなのか。それとも、伝えても無駄だと判断したからなのか。


「もう一度、お前の父親に会いに行こう」


 その先にある答えが、朔にとって望まないものであったとしても、二人はもう立ち止まることはできない。この集落から逃げて、人並みの幸せを手に入れるためには、避けては通れないのだから。

「そう、だね……。会いに行こうか、あの人に」

 震える朔の手をとって大輝たちは立ち上がる。覚悟を決めて前に進もうとする二人に幸代は心配そうに見守りながらも、何かできることはないかと考える。

「私は外の人間だから、あんたたちが何を背負ってるのかはわからない。でも、逃げ道を作っておくくらいはできるだろうから。安心して行っておいで」

 幸代は懐から車の鍵を取り出すと指にかけてくるくると回す。鍵に取り付けられたキーホルダーがカチャカチャと軽い音を立てた。少し間抜けなその音に、大輝は緊張がほぐれたように吹き出して笑い始める。それを横で見ていた朔も、釣られたように力なく笑った。

「あんたたちはそうやって一緒に笑ってる方が似合ってるよ」

 そう言うと幸代は二人の方を鼓舞するように叩く。じんわりとした痛みに幸代の優しさと暖かさを感じながら大輝たちは次の目的に向かって行動を開始した。

「ここの片付けは私がしておくから、あんたたちはさっさと自分たちのすべきことをやりな」
「ありがとうございます、幸代さん。何から何まで……」
「やめてよね、そういう堅苦しいのは好きじゃないのよ」

 照れたように頬を赤く染める幸代に大輝と朔は改めて感謝の気持ちを伝える。

 こうして二人が再び神道家に戻る準備をしていると、幸代が何かを思い出したように声を上げた。

「そういえば、この臍の緒はどうするつもり? 何かの役に立つとは考えにくいけど……」
「これも持って行っていいですか?」

 大輝が答えるよりも前に朔が一歩前に出る。朔には何か考えがあるのか、その瞳には覚悟の光が灯っていた。それに気がついた幸代は小さく頷くと、朔の手に小さな桐箱を乗せる。ズンとした重みがその手に加わるように、朔の表情が一瞬曇ったが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。


「きっと、これがあれば……」


 桐箱を見つめながら呟かれた言葉は小さくて大輝たちには届かなかった。

 次に大輝が朔の方を見た時には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。だから、大輝は何も気が付かず、これからの話を続ける。

「外に出たら、八ツ森様に出会わないか?」
「こればっかりは分からない。境界を超えて動き回ってる八ツ森様はきっと僕らを探してるけど、どこまで自由に動けるのかは分からないから」

 朔は磨りガラスになった部屋の窓の方を見る。その時、ドサッという音が廊下の奥から聞こえてきた。その音は軽い物が落ちたと言うよりも、もっと重量のある、中身の詰まったものが床に落ちた音だ。鈍い音を立てた後、ギギギっと硬いものを引っ掻くような音も聞こえてきた。

 ハッとして三人は部屋の入り口の方に視線を向けた。この家にいるのはここにいる三人だけで、他に物音を立てるような人はいないはずだった。

 最初に動いたのは入り口の近くにいた大輝だ。自分自身が無用な音を立てないように慎重に動き、そっとヘリに手をかける。ゆっくりとした動きで廊下の方を覗き込む。廊下の奥には布を被った塊が落ちている。大きく、何かわからないそれから、ギギギという音が聞こえてくる。そして、じっと観察していると、それは徐々に大輝たちの方に近づいていた。


「……っ!」


 不気味な物体を前に大輝は思わず視線を廊下の奥から引き剥がす。そして、廊下と部屋を遮断するように、立て付けの悪い襖を無理やり閉めた。

 緊張からか心臓がうるさい。額には脂汗が滲み、手はガクガクと震えた。あれはなんだ、と考えるよりも前に朔が安心させるように優しく肩を叩く。

「何が見えたの? まさか、八ツ森様……?」
「……多分違う。でも、なんか、動いてて」

 自分が見たものを説明しようとしても、うまく言葉が見つからなかった。ただ、恐怖が心臓を撫で回すような不快感だけが残っていた。

 悍ましい、といえば簡単だったが、それ以上に気味の悪い何かに見えた。

「何かわからない、か……。もしも八ツ森様に関係するものだったら、ここから出るのはあまりいい案じゃない」

 険しい顔で朔が呟く。その言葉の合間にも何かが近づいてくる音は続いた。ゆっくりと、着実に三人のいる部屋を目指しているのがわかる。迫り来る恐怖に大輝は顔を青ざめさせながらも、「でも、ここにいたって何も始まらないだろ」と呟く。朔は大輝の言葉に驚いたように顔を上げると、同意するように小さく頷いた。

「窓から逃げよう。外に出た後のことは、その後考えよう」

 朔が示した方針に大輝と幸代が短く頷く。三人はなるべく音を立てないように窓側に移動する。何かが部屋に辿り着くよりも前に、大輝が窓の鍵を開けて静かに引いた。


 しかし、窓は開かなかった。