『私たちは禁忌を犯していた。八ツ森様は、あれは、あの存在は――』
「私たちが捧げてきた子供の魂の成れの果て…………」
ひゅっと喉の奥で音が鳴る。震える手で本を捲る。
『神様なんかじゃない。あんなものが神様なわけがない。神様よりももっと悍ましくて、恐ろしくて――そう、あれは、私たちの罪の集合体だ』
八ツ森様の信仰の起源こそ、ただその土地に根付いた土着信仰だった。
『私たちは、そのことにも気が付かず、何もおかしいと思わず、長年の習慣だからとそれを平然と行なってきた』
だが、いつしかその信仰は歪み、血に塗れたものに変化していく。いや、もしかしたら最初から全てが狂っていたのかもしれない。
『八ツ森様というバケモノに、私たちは――』
八ツ森様という神様を盲信する集落の人々は、それを疑うことをしない。疑うものは全て迫害し、八ツ森様こそ唯一の救いだと盲信した。
それがこの常世原集落だった。
『――私たちは、今もなお、幼き命を捧げている』
この現代においてもなお、人柱として人の命が使われている。それも、守られるべきはずの、子供の命が。
(八ツ森様は…………)
あの声も。
あの手も。
全部――。
無垢な子供だった。
その事実に気がついた瞬間、背筋を嫌な汗が流れ、腹の奥から込み上げてくるものを押し返すことができなくなる。心臓を手で掴まれたような不快感に襲われ、至る所から大気を誘う子供の声が聞こえてきた。それらは、一緒に遊んでくれる人を探している無邪気さと一緒に地獄へ堕ちようと誘う残忍さを併せ持っている。
大輝は五感を通して感じる全てを否定するように周囲の本の山を薙ぎ倒す。そして、その場に蹲って思いっきりえずいた。込み上げてくる胃酸が喉を焼き、生理的に浮かんだ涙がぼたぼたとこぼれ、畳に染みを作る。
大きな物音に驚いた朔と幸代が大輝の方を振り返った。
「大輝!?」
朔と幸代がそばに来て気にかけてくれるが、それに応えるだけの気力が大輝にはなかった。
朔は心配するように大輝の背中を摩り、大輝の手の中にある本に視線を移す。すると、朔はその内容を知っていたのか「あぁ、これか」と納得したように小さく呟く。
「……お前、これ…………このこと、知ってたのか」
不快感を隠さない、睨みつけるような大輝の視線に朔は一瞬言い淀む。視線を彷徨わせた後、諦めたように頷くと大輝の手から本を取った。
「知ってたよ……この集落の異常さも、八ツ森様の真実も」
「知ってて、なんで……」
ここに居続けることを選んだ――?
そう尋ねるように鋭い視線を送ってから、大輝はある可能性が頭をよぎった。
おかしいとわかっていても、常世原から逃げなかった理由。それは――。
「俺が、いたから…………?」
ずっと答えはそこにあったのに、大輝は見ないふりをしていた。
「俺が、生贄に選ばれたから……朔はここから逃げることができなかった…………?」
母親もおばあちゃんも大輝を守ろうとしてくれていたように、朔も大輝を守ろうとしていた。他でもない、全ての元凶であるこの常世原の場所で、離れ離れになったその日から、ずっと。
「じゃあ、俺がいたからお前は……ここに縛られてるのか…………?」
「それは、違うよ。そうじゃない……そうじゃないんだよ」
背中を摩る手を止めて、朔は震える始めた手に力を込める。そして、自分の気がついた事実に怯え、動揺する大輝に朔は安心させるように笑った。
「全部逆なんだ……大輝がいたから、僕は今日まで生きてこれた。大輝がいたから、僕はここで生きようと思えた」
声にならない否定の言葉が舌の上で転がる。届くはずのないその言葉は朔には届いたのか、彼はゆっくりと首を横に振った。それはただ大輝の重荷を減らそうとしているだけじゃなく、心から大輝のせいじゃないと思っている様子だった。
「正直に言えば、森で大輝に出会った時、本当に嬉しかった。ここに来てほしくなかったけど、元気な大輝の姿を見て、ここで自分がやってきたことは間違いじゃなかったって確信したんだよ」
出会った時、朔は心の奥が暖かくなるのを感じた。だからこそ、これ以上、大輝と常世原集落の問題を関わらせるわけにはいかないと考えたのだ。
「それでも、結局、君はここに戻ってきてしまったけどね」
諦めたように肩を竦めて笑う朔に、大輝は無性に泣きたい気分になった。朔がいくら否定しても、大輝は自分のせいじゃないと思うことができない。
(だって、そうだろう。俺がいなければ、何も気にせずに朔はこの集落から逃げることができたのに。俺がいたから……いつか戻ってきてしまう可能性を考えて、常世原から逃げることもできなかった)
どこへも行けず、この集落で異端児のような扱いを受けて。辛くなかったはずないのに、それでも、なぜ朔は笑って大輝のことを許せてしまうのか。
大輝は自分の不甲斐なさを悔やむように唇を噛み締める。力よく噛んだからか端の方から血が滲み、鉄臭い味が口腔内に広がっていく。
その時、大輝の沈んでいく気持ちを吹き飛ばすように、背中が力強く叩かれた。
「そんな情けない顔するんじゃないよ! あんたらがどんな運命を背負って、何に悩んでるのか。外野の私には何もわからないけど、今二人がこうやって再開できたことを素直に喜べばいいんじゃないの?」
負の思考の渦に飲み込まれかけていた大輝の耳に幸代の快活な声が入ってくる。
「難しく考える必要はないよ。あんたたちは、二人でこの集落から出ていけばいい。子供であるあんたたちがこの集落の変な慣習の犠牲になる必要はないし、幸せになっちゃいけない謂れもないんだから」
幸代は二人に近づくと、大きく手を広げて大輝と朔を纏めて抱きしめる。柔らかな胸の中に抱かれ、じんわりと伝わる人の温かさに大輝と朔は驚いたように瞬きを繰り返す。
「子供の幸せを守るのが大人の役目さ。ここの連中がその役目を果たさないなら、私が代わりにその役目を果たしてあげようじゃない」
朗らかに笑う幸代を見て先に噴き出したのは朔の方だった。
「ふふ……幸代さんって、なんだか、お母さんみたいですね」
「私は独身だし、こんなに大きな子供を持った覚えもないけどね」
緊張の糸が切れたように柔らかな笑顔を浮かべる朔を見て、大輝の頭を支配していた悪い考えや感情もどこかへと消えていく。その温かさは、大輝の母が与えてくれたものと似ていた。
「さぁ、落ち込むのは後にして、調べるのを続けるよ」
幸代に背中を力強く叩かれ、鼓舞された大輝たちは再び部屋の中を探し始める。
「私たちが捧げてきた子供の魂の成れの果て…………」
ひゅっと喉の奥で音が鳴る。震える手で本を捲る。
『神様なんかじゃない。あんなものが神様なわけがない。神様よりももっと悍ましくて、恐ろしくて――そう、あれは、私たちの罪の集合体だ』
八ツ森様の信仰の起源こそ、ただその土地に根付いた土着信仰だった。
『私たちは、そのことにも気が付かず、何もおかしいと思わず、長年の習慣だからとそれを平然と行なってきた』
だが、いつしかその信仰は歪み、血に塗れたものに変化していく。いや、もしかしたら最初から全てが狂っていたのかもしれない。
『八ツ森様というバケモノに、私たちは――』
八ツ森様という神様を盲信する集落の人々は、それを疑うことをしない。疑うものは全て迫害し、八ツ森様こそ唯一の救いだと盲信した。
それがこの常世原集落だった。
『――私たちは、今もなお、幼き命を捧げている』
この現代においてもなお、人柱として人の命が使われている。それも、守られるべきはずの、子供の命が。
(八ツ森様は…………)
あの声も。
あの手も。
全部――。
無垢な子供だった。
その事実に気がついた瞬間、背筋を嫌な汗が流れ、腹の奥から込み上げてくるものを押し返すことができなくなる。心臓を手で掴まれたような不快感に襲われ、至る所から大気を誘う子供の声が聞こえてきた。それらは、一緒に遊んでくれる人を探している無邪気さと一緒に地獄へ堕ちようと誘う残忍さを併せ持っている。
大輝は五感を通して感じる全てを否定するように周囲の本の山を薙ぎ倒す。そして、その場に蹲って思いっきりえずいた。込み上げてくる胃酸が喉を焼き、生理的に浮かんだ涙がぼたぼたとこぼれ、畳に染みを作る。
大きな物音に驚いた朔と幸代が大輝の方を振り返った。
「大輝!?」
朔と幸代がそばに来て気にかけてくれるが、それに応えるだけの気力が大輝にはなかった。
朔は心配するように大輝の背中を摩り、大輝の手の中にある本に視線を移す。すると、朔はその内容を知っていたのか「あぁ、これか」と納得したように小さく呟く。
「……お前、これ…………このこと、知ってたのか」
不快感を隠さない、睨みつけるような大輝の視線に朔は一瞬言い淀む。視線を彷徨わせた後、諦めたように頷くと大輝の手から本を取った。
「知ってたよ……この集落の異常さも、八ツ森様の真実も」
「知ってて、なんで……」
ここに居続けることを選んだ――?
そう尋ねるように鋭い視線を送ってから、大輝はある可能性が頭をよぎった。
おかしいとわかっていても、常世原から逃げなかった理由。それは――。
「俺が、いたから…………?」
ずっと答えはそこにあったのに、大輝は見ないふりをしていた。
「俺が、生贄に選ばれたから……朔はここから逃げることができなかった…………?」
母親もおばあちゃんも大輝を守ろうとしてくれていたように、朔も大輝を守ろうとしていた。他でもない、全ての元凶であるこの常世原の場所で、離れ離れになったその日から、ずっと。
「じゃあ、俺がいたからお前は……ここに縛られてるのか…………?」
「それは、違うよ。そうじゃない……そうじゃないんだよ」
背中を摩る手を止めて、朔は震える始めた手に力を込める。そして、自分の気がついた事実に怯え、動揺する大輝に朔は安心させるように笑った。
「全部逆なんだ……大輝がいたから、僕は今日まで生きてこれた。大輝がいたから、僕はここで生きようと思えた」
声にならない否定の言葉が舌の上で転がる。届くはずのないその言葉は朔には届いたのか、彼はゆっくりと首を横に振った。それはただ大輝の重荷を減らそうとしているだけじゃなく、心から大輝のせいじゃないと思っている様子だった。
「正直に言えば、森で大輝に出会った時、本当に嬉しかった。ここに来てほしくなかったけど、元気な大輝の姿を見て、ここで自分がやってきたことは間違いじゃなかったって確信したんだよ」
出会った時、朔は心の奥が暖かくなるのを感じた。だからこそ、これ以上、大輝と常世原集落の問題を関わらせるわけにはいかないと考えたのだ。
「それでも、結局、君はここに戻ってきてしまったけどね」
諦めたように肩を竦めて笑う朔に、大輝は無性に泣きたい気分になった。朔がいくら否定しても、大輝は自分のせいじゃないと思うことができない。
(だって、そうだろう。俺がいなければ、何も気にせずに朔はこの集落から逃げることができたのに。俺がいたから……いつか戻ってきてしまう可能性を考えて、常世原から逃げることもできなかった)
どこへも行けず、この集落で異端児のような扱いを受けて。辛くなかったはずないのに、それでも、なぜ朔は笑って大輝のことを許せてしまうのか。
大輝は自分の不甲斐なさを悔やむように唇を噛み締める。力よく噛んだからか端の方から血が滲み、鉄臭い味が口腔内に広がっていく。
その時、大輝の沈んでいく気持ちを吹き飛ばすように、背中が力強く叩かれた。
「そんな情けない顔するんじゃないよ! あんたらがどんな運命を背負って、何に悩んでるのか。外野の私には何もわからないけど、今二人がこうやって再開できたことを素直に喜べばいいんじゃないの?」
負の思考の渦に飲み込まれかけていた大輝の耳に幸代の快活な声が入ってくる。
「難しく考える必要はないよ。あんたたちは、二人でこの集落から出ていけばいい。子供であるあんたたちがこの集落の変な慣習の犠牲になる必要はないし、幸せになっちゃいけない謂れもないんだから」
幸代は二人に近づくと、大きく手を広げて大輝と朔を纏めて抱きしめる。柔らかな胸の中に抱かれ、じんわりと伝わる人の温かさに大輝と朔は驚いたように瞬きを繰り返す。
「子供の幸せを守るのが大人の役目さ。ここの連中がその役目を果たさないなら、私が代わりにその役目を果たしてあげようじゃない」
朗らかに笑う幸代を見て先に噴き出したのは朔の方だった。
「ふふ……幸代さんって、なんだか、お母さんみたいですね」
「私は独身だし、こんなに大きな子供を持った覚えもないけどね」
緊張の糸が切れたように柔らかな笑顔を浮かべる朔を見て、大輝の頭を支配していた悪い考えや感情もどこかへと消えていく。その温かさは、大輝の母が与えてくれたものと似ていた。
「さぁ、落ち込むのは後にして、調べるのを続けるよ」
幸代に背中を力強く叩かれ、鼓舞された大輝たちは再び部屋の中を探し始める。



