あの夏、神様に選ばれた君へ

 親子の関係のはずなのに、まるで宿敵を前にしたような様子だった。

「贄にも選ばれず、生まれてきた意味も果たせないお前に唯一できることだったはずだ」
「…………」
「それとも、情が湧いたのか、その男に?」

 射殺すような鋭い視線が大輝に向けられる。大輝は思わず唾を飲みこみ、後ずさる。


「なんの、話だよ」


 状況についていけてない大輝の戸惑いを孕んだ声は沈黙の中へと溶けていく。


「なぁ、説明してくれよ……お前の父さんは、一体なんの話をしてるんだよ」


 助けを求めるように朔の手を引くが、朔は口を硬く引き結びながら宗一郎を睨むだけだった。すると、宗一郎が哀れなものを見るように目元を微かに緩める。

「かわいそうな男だな。何も知らず、ここに来たのも偶然だと思っているのだろう」

「偶然って……だって、俺のところにおばあちゃんから手紙が……それも、俺の母さんのことがあったからで…………」

「その手紙の差出人――須藤清子ではないと知ったのだろう? なら、誰がその手紙を出したのか、考えはしなかったのか」


 脳裏に生きているのが不思議なくらい弱りきったおばあちゃんを思い出す。幸代は半年前から寝たきりのおばあちゃんには手紙は出せないと言った。

 それならば、一体誰が母の事情を知り、大輝を常世原集落に招き入れたのか。

 首を垂れて決してこちらを見ようとしない人々から目の前の宗一郎へ視線を移す。


「まさか、あなたが……いや、この集落の人たち全員で…………?」


 そこまでして大輝をここに連れてきたかったのか。


 驚愕の思いのままに瞳が揺れる。指先から体温が急激に奪われていき、朔の温もりだけがかろうじて大輝の心を繋ぎ止める。


 全てが仕組まれていたことだとしたら。


 母が事故に遭うのも、大輝が手紙を受け取り常世原集落に来ることになるのも。


 この土地を懐かしく思い、離れがたい気持ちが生まれたのも。


 朔と出会い、心惹かれるのも――全て、必然なのだとしたら。


 一体、いつから決められていた運命だというのか。



「――たとえ、ここに来ることが決まっていたことだとしても」



 励ますように、大輝の心を支えるように、朔は繋がれた手に力を込める。

「大輝だけは何があっても守るって決めたんだ。大輝がこの手を頼ってくれる限り、僕は大輝の未来を諦めたりしない!」

 そう言うと朔は大輝の手を引っ張り宗一郎たちから逃げるように反対に向かって走り出す。集落の入り口からは遠ざかってしまうが、朔には何か考えがあるようだった。

 戸惑いと衝撃からうまく立ち直れなかった大輝はなすがままになりながら、顔を少しだけ後ろに向ける。

 宗一郎を除く全員が頭を上げて二人をじっと見ていた。

 薄く引き伸ばされた唇に、目を細めるように笑う仮面を一様に貼り付けながら。

 その中心で、宗一郎だけが大輝たちから視線を逸らしていたのが、深く頭の奥に刻まれていく。

 二人は集落の中心付近まで戻ってくると、朔は道を探すように辺りを見渡す。辺りは田畑に囲まれ、思い出したようにポツポツと民家が建っているだけで、逃げ場なんてどこにもなかった。


「大丈夫、大丈夫だから。大輝は絶対に逃してみせる。絶対に、だ……だから――」

「……なぁ、朔。お前も、知ってたのか……? 俺が、ここに訪れるってこと」


 否定して欲しい気持ちと、本当のことを知りたいという気持ちがぶつかり、大輝の声は弱々しく震える。朔は一瞬肩を震わせた後、口を開きかけた。その視線は誤魔化すように揺れていたが、やがて諦めたように小さく頷いた。

「そうじゃなければいいと思ってた。ここじゃない新しい場所で、こんなクソみたいな場所なんて忘れて。ただ、幸せに生きていて欲しかった」

 涙を堪えるように俯いたその姿に幼い子供の姿が重なる。夢や幻覚で何度も見た、懐かしい姿が、今の朔と同じように涙を堪えて立っている。

「……俺は、お前と会ったことがあるのか」

「…………あるよ。ずっと昔のことだけど。いや、今はそんなことどうでもいいよ。それよりも早くここから逃げる算段をつけないと」



「どうでもよくない……どうでもいいわけないだろ!」



 大輝は繋いでいた手を振り払うと、朔の肩を勢いよく掴みかかる。その衝撃に耐えられなかった朔はバランスを崩し、二人して地面に倒れ込んでしまう。


「俺は、俺が忘れてることがあるなら知りたい……! どうして知らない場所なのにここを懐かしく思うのか。どうして八ツ森様とやらの声を聞くと、嬉しさで胸が溢れるのか」


 気持ちが昂るほどに視界が滲む。大輝の下で朔が目を見開き、小さく息を呑む音がする。



「どうして、朔にこんなにも惹かれるのか、俺は知りたい!」



 一筋の雫が頬を伝って朔の目元に落ちていく。朔の指先がぴくりと震えると、彼はゆっくりとその手を持ち上げ大輝の頬に添える。そして、次々と溢れてくる涙を親指で拭うと、彼自身も次第に顔を歪めた。まるで、押さえ込んでいた感情のダムが決壊するように、朔は嗚咽を漏らし始める。


「言えない……言えるわけないっ! だって、君は、あの夜――」


 朔は頬に添えていた手を赤い印がついた大輝の首に回すと、自分の顔を隠すように大輝のことを抱きしめる。震える体から伝わる体温が、近くて遠くて、そのことが寂しくて大輝の目に新たな涙が浮かぶ。




「――命を賭けて、僕を守ってくれたんだから」




 その話を聞いても思い出せない記憶が恨めしかった。

 朔を苦しめる過去の自分が憎かった。

 何より、ここまで追い詰められるほど、朔を一人ここに残し、のうのうと幸せを享受して生きていた自分が許せなかった。


 その幸せが、朔の自己犠牲とも言える献身のもとに成り立っていることが、許せなかった。


「……一緒に、ここから逃げよう」


 大輝も恐る恐る朔の背中に手を回す。触れ合った体から二人の体温が溶けて混ざり合う。

 暖かいはずなのに、なぜか寒かった。

 触れ合えるほど近くにいるはずなのに、過去を忘れた大輝と過去を抱える朔とでは雲泥の差があった。


「一緒に逃げて、逃げて、逃げて。それでもダメなら、また逃げて」


 大輝の覚悟に朔の手に力が入る。


「この先、何があっても、俺はお前の手を離さないから」


 ここにいたいと思う気持ちが、大輝の中から消えていく。それよりも大事なものを見つけたから。


(今度は、俺が守る。俺が、この手を引く番だ)