あの夏、神様に選ばれた君へ

 完全に朔の気配がなくなると、大輝はベッドに寝転んだ。とても眠れる気分ではなかった。


「なんで、あいつはこんなに俺を助けようとするんだ?」


 天井に滲んだ染みを見つめる。木目に浮かんだ染みはまるで人の目のようで、じっと監視されているような気持ち悪さを感じ大輝は体勢を変える。


 手招く白い手。朔に追い縋るように群がった手。何かを求めて彷徨う無数の手。


 どれも違うようで、全部同じ存在のように思えた。


「八ツ森様、か…………」


 スマートフォンを起動して見るが圏外なのは変わらず、それはただの箱になっていた。ネットが繋がらない環境にいたことがない大輝は、打開策の見つからない状況に深いため息を吐く。

「そういえば、夢で見たあの子供は……どんな顔をしてたっけ」

 ようやく緊張がほぐれてきたのか、大輝の意識は徐々にまどろんでいく。薄れていく意識の向こうで、夢で見たあの子供が笑っていた。




 *




 翌朝、学校に行くときの癖で五時半に目が覚めた。夜中のこともあってか、なんだか寝た気にはならなかったが、大輝は身支度を整えると部屋の外に出る。

 廊下は薄暗く、ひんやりとした空気が足元から漂ってくる。


 朔は、来てくれるだろうか。


 進む足が先を急ぎ、気がつけば最後は廊下を走っていた。永遠にも思えるその道を進み、靴を履くのも煩わしく思いながら玄関の扉に手をかける。

 一瞬、その先に誰もいないことを想像して、手が止まった。だけど、大輝は唾液を飲み込み、震える手に力を込めて扉を引く。

 眩しい朝日が、山の隙間から大輝を照らす。眩むような光の洪水に、思わず目を細める。



 視界がその光に慣れてくると、門のそばで空を見上げて立っている朔がいた。



 そこに彼がいることに、大輝は安堵し胸を撫で下ろす。そして、嬉しい気持ちと泣きたくなるような気持ちが心をかき乱し、不恰好な笑顔を浮かべてしまう。


「おはよう、大輝」


 太陽の光に飲み込まれてしまいそうなほど儚く笑った朔の下へ、大輝は近づいていく。



 朔は神様ではなく、大輝を選んだのだ。



 そのことが、大輝の胸の奥に仄暗く、小さい喜びを灯した。


『お前も所詮、この宿命からは逃れられない』


 昨日宗一郎から聞いた言葉が、ふと頭をよぎる。


『これは、そういう呪いなのだから』


 頭の中で警鐘が鳴り響く。

 大輝の足取りは弱々しくなり、鈍い痛みを訴える頭を抱える。


 呪い――呪いってなんだ。


 記憶をひっくり返して何かを思い出そうとする。そのとき、首の跡が焼けるように熱を持つ。

 ハッとして顔をあげると、微笑みながら大輝が来るのを待っている朔の顔が一瞬、テレビの砂嵐のようにブレる。


「……お前、誰だ?」
「…………」
「お前、朔じゃないだろ」
「…………」

「……お前は――お前は!」


 口が裂けそうなほど引き伸ばされた口元とグルンッと回った眼球に大輝は目を見開く。皮膚は爛れ、塩酸をかけられたようにドロドロに溶けていく。それでも、何かは大輝の方に手を伸ばした。まるで、大輝を取り込み、自分のものにするかのように。



「――八ツ森様っ!」



 大輝がそれの名前を呟くと、朔だった体の中心から無数の手が伸びてきた。大輝は咄嗟にそれらを交わすと、家の中に逃げ込もうと玄関の扉に手をかける。


 ガチャン!


 何かがぶつかる音がし、先ほどはすんなりと開いたはずの扉は、なぜか固く閉ざされていた。


「なんでっ……!? なんでだよ!」


 先ほどまでの高揚感は消え、足元から這い上がってくる悪寒に体を震わせる。早く中へ、と思っても扉は音を立てるだけで、開く気配はない。


「オカえ、リ」

「おか、エリ」

「おカエ、り」


 母親に愛情を求めるような、甘く無邪気な声が重なり合う。ゆっくりと伸びる手は大輝のすぐそばまで迫っていた。