突き放すような低い声に大輝はゆっくりと意識を目の前に戻すと、全てを隠すように朔は無理やり視線を大輝から逸らす。ひまわりのように輝いていた金色の瞳に再び影が差し、そのことがもったいなく思えた。
「大人が怖いのか? 確かにここの人たちはなんだか様子がおかしいけど、別に怖がるほどのことじゃないだろ」
異常なまでの歓迎に、貼り付けたような作り物の笑顔を思い出して一瞬体が震えるが、大輝は彼らのことを無理やり頭の隅に追いやる。
「母さんに言えば、きっと助けになってくれるって。それに、朔はこんなところにいていいやつじゃないと思う」
そう言ってポケットからスマートフォンを取り出して初めて気がついた。画面の右上にある電波を示す表示が、圏外を表していることに。
森に入った時から電波状況は悪かったが、まさか圏外になっているとは思わなかった。大輝はただの箱になったそれを持ち上げて気まずそうに頬を引き攣らせる。すると、その顔が面白かったのか、朔はぷっと口元を抑えて笑い出す。怒った顔か沈んだ顔しか見たことがなかった大輝は、控えめに可愛らしく初めて笑った朔に目を奪われる。
「はは……何それ。自身満々だったくせに……それじゃ、意味ないじゃん」
緩んだ頬をみられたくなかったのか、朔はできる限り顔を背けながら肩を震わせた。
その顔をもっと近くで見たい。楽しく笑う、朔をこの目に焼き付けたい。
そう思ったら、大輝の足は勝手に朔の方に向かって進んでいた。無言で近づいてくる大輝に朔は気がつき、不思議そうに見上げる。大輝は朔の目の前にくると、朔の頬を自分の手で包み込み、顔を自分の方に向ける。一瞬驚いたように体を硬直させたが、すぐに朔は頬を上気させふんわりと笑った。
「どうしたんだよ……そんな顔するなよ。それとも、お母さんのことが恋しくなっちゃったの?」
朔は大輝と同じように大輝の頬に手を添えるとゆっくりと引き寄せて額同士をコツンとくっつける。触れたところから伝わる微かな暖かさが、朔の生を実感させ、大輝は知らずうちに息を吐き出す。
「大丈夫――お前だけは、何があっても絶対に守るから」
目を閉じた朔の瞼の裏には誰が写っていたのだろうか。遠い昔を思い出すような様子に、大輝は何も言えなくなった。
「――だから、笑ってよ、大輝」
願いが、静かな祈りが大輝の体中を駆け巡っていく。初対面なのに、どうして朔が大輝に執着するのか分からなかった。だけど、同じように大輝の中にも朔に対する執着が芽生え始めているのを感じていた。その感情は、おそらく朔のように美しくて綺麗で、純粋なものではない。もっとドス黒くて、澱み切った泥と同じだった。
大輝の自覚に、朔の背後で様子を伺うように揺れていた、幾重にも重なった無数の手が喜びを示すように手を伸ばす。朔を通してその手に魅入られる。求められていることに優越感すら感じる。どこからか子供の愛らしい声が聞こえてくる。その手に応えようと、朔の頬から手を離す。
あと少し。あと一歩のところでその手は横から攫われる。
「約束を違えるな――大輝はお前たちには渡さない」
暗闇に一筋の光がさすように、大輝の鈍くなった思考に朔の声が入り込む。その声は静かな怒気を含み、大輝を追い出そうとした時とは違う明確な拒絶の意思があった。
無数の手は残念そうに揺れると、背景に溶け込むように消えていってしまった。
「……やっぱり、お前は一刻も早くここから出ていくべきだ」
先ほどとは打って変わって覇気が失せた声色に、大輝は何もなくなった空間を見るのをやめて朔に視線を戻す。期待した自分を罰するように、ひどく歪んだ笑みを浮かべている。そして、大輝の体を軽く押しやると、朔はその場に立ち上がった。大輝よりも低い位置にある朔の表情は長い髪に覆われて見ることはできなかったが、これ以上踏み込んでこないで、という拒絶の意思ははっきりと感じ取ることができた。
朔と仲良くなれる、と感じていただけに、その明確な線引きに大輝は少なからずショックを受ける。
「……ごめん。でも、さっき言ったことは嘘じゃないから」
引き止めようと大輝が伸ばした手は、朔によって振り払われる。
「必ず、守る。たとえ、僕が――」
強く風が吹く。木々のざわめきが、空気を切り裂くような鋭い風の音が、朔の言葉をかき消してしまう。
もう一度尋ねようとした時には、朔は大輝から逃げるように走り去っていってしまった。一人残された大輝は伸ばしかけた手の行き場を失い、激しい喪失感に苛まれながら朔の背中を見送ることしかできなかった。
「大人が怖いのか? 確かにここの人たちはなんだか様子がおかしいけど、別に怖がるほどのことじゃないだろ」
異常なまでの歓迎に、貼り付けたような作り物の笑顔を思い出して一瞬体が震えるが、大輝は彼らのことを無理やり頭の隅に追いやる。
「母さんに言えば、きっと助けになってくれるって。それに、朔はこんなところにいていいやつじゃないと思う」
そう言ってポケットからスマートフォンを取り出して初めて気がついた。画面の右上にある電波を示す表示が、圏外を表していることに。
森に入った時から電波状況は悪かったが、まさか圏外になっているとは思わなかった。大輝はただの箱になったそれを持ち上げて気まずそうに頬を引き攣らせる。すると、その顔が面白かったのか、朔はぷっと口元を抑えて笑い出す。怒った顔か沈んだ顔しか見たことがなかった大輝は、控えめに可愛らしく初めて笑った朔に目を奪われる。
「はは……何それ。自身満々だったくせに……それじゃ、意味ないじゃん」
緩んだ頬をみられたくなかったのか、朔はできる限り顔を背けながら肩を震わせた。
その顔をもっと近くで見たい。楽しく笑う、朔をこの目に焼き付けたい。
そう思ったら、大輝の足は勝手に朔の方に向かって進んでいた。無言で近づいてくる大輝に朔は気がつき、不思議そうに見上げる。大輝は朔の目の前にくると、朔の頬を自分の手で包み込み、顔を自分の方に向ける。一瞬驚いたように体を硬直させたが、すぐに朔は頬を上気させふんわりと笑った。
「どうしたんだよ……そんな顔するなよ。それとも、お母さんのことが恋しくなっちゃったの?」
朔は大輝と同じように大輝の頬に手を添えるとゆっくりと引き寄せて額同士をコツンとくっつける。触れたところから伝わる微かな暖かさが、朔の生を実感させ、大輝は知らずうちに息を吐き出す。
「大丈夫――お前だけは、何があっても絶対に守るから」
目を閉じた朔の瞼の裏には誰が写っていたのだろうか。遠い昔を思い出すような様子に、大輝は何も言えなくなった。
「――だから、笑ってよ、大輝」
願いが、静かな祈りが大輝の体中を駆け巡っていく。初対面なのに、どうして朔が大輝に執着するのか分からなかった。だけど、同じように大輝の中にも朔に対する執着が芽生え始めているのを感じていた。その感情は、おそらく朔のように美しくて綺麗で、純粋なものではない。もっとドス黒くて、澱み切った泥と同じだった。
大輝の自覚に、朔の背後で様子を伺うように揺れていた、幾重にも重なった無数の手が喜びを示すように手を伸ばす。朔を通してその手に魅入られる。求められていることに優越感すら感じる。どこからか子供の愛らしい声が聞こえてくる。その手に応えようと、朔の頬から手を離す。
あと少し。あと一歩のところでその手は横から攫われる。
「約束を違えるな――大輝はお前たちには渡さない」
暗闇に一筋の光がさすように、大輝の鈍くなった思考に朔の声が入り込む。その声は静かな怒気を含み、大輝を追い出そうとした時とは違う明確な拒絶の意思があった。
無数の手は残念そうに揺れると、背景に溶け込むように消えていってしまった。
「……やっぱり、お前は一刻も早くここから出ていくべきだ」
先ほどとは打って変わって覇気が失せた声色に、大輝は何もなくなった空間を見るのをやめて朔に視線を戻す。期待した自分を罰するように、ひどく歪んだ笑みを浮かべている。そして、大輝の体を軽く押しやると、朔はその場に立ち上がった。大輝よりも低い位置にある朔の表情は長い髪に覆われて見ることはできなかったが、これ以上踏み込んでこないで、という拒絶の意思ははっきりと感じ取ることができた。
朔と仲良くなれる、と感じていただけに、その明確な線引きに大輝は少なからずショックを受ける。
「……ごめん。でも、さっき言ったことは嘘じゃないから」
引き止めようと大輝が伸ばした手は、朔によって振り払われる。
「必ず、守る。たとえ、僕が――」
強く風が吹く。木々のざわめきが、空気を切り裂くような鋭い風の音が、朔の言葉をかき消してしまう。
もう一度尋ねようとした時には、朔は大輝から逃げるように走り去っていってしまった。一人残された大輝は伸ばしかけた手の行き場を失い、激しい喪失感に苛まれながら朔の背中を見送ることしかできなかった。



