浄研檢疫局 ――靈魂ノ鑛石と奏鳴弓

 降り注ぐ鍵盤の刃を、(せん)は舞うような足捌きで回避した。
 直後、(ひいらぎ)が二丁の拳銃を交差させゼロ距離で火を吹く。

「掃除の時間だ、野郎どもぉ!!」

 放たれた法咒弾(ほうじゅだん)が、空間を断ち割る音を立てて着弾する。
 せり出した金管楽器のベルが内部から爆発し、鈍色の火花を散らした。

 柊は反動を利用して後方へ跳ねた。
 空中で弾倉をパージし、着地と同時に次弾を叩き込む。
 その一連の動作には、重厚な体躯に似合わぬ洗練されたリズムがあった。

 壁から伸びる無数のピアノ線が生き物のように蠢き、栴の四肢を絡め取ろうと蠢く。
 栴は右手の不在を補うように、左手一本で刀を翻した。

 抜刀。
 斬撃。
 そして納刀。

 一連の所作は一条の銀光と化し、空間を切り裂く。
 
 キィィィン。

 高周波の断裂音が室内に響き、鋼の糸が塵となって霧散した。

(みずき)、余興は終わりだ」
「了解だよぉ。――とっておきの独奏を聴かせてあげる」

 瑞が奏鳴弓(そうめいきゅう)を大きく振りかぶる。
 虚空の弦を弾いた瞬間、透明な音の衝撃波が円環状に広がった。

 天井に蠢く弦楽器の群れが、まとめて引き剥がされる。
 木片と金属片が粉砕され、月光を反射しながら雪のように降り注いだ。

 ――嵐のような「消化」の攻撃は、わずか数分で瓦解した。

 三人は瓦礫の山となった音楽室の中央で、足を止める。

 硝煙のたなびく床に、栴は視線を落とした。
 そこには、先ほど切り裂いた少年の「髪の毛」が黑い泥を纏い、まるで自ら移動してきたかのように落ちていた。

 腰を落とし、左手で拾い上げようとした、その瞬間。

「めっ! 栴、バッチぃから触っちゃダメ!」

 瑞が慌てて駆け寄り、栴の腕を掴む。
 だが栴は眉ひとつ動かさず、指先を汚すことも厭わずにそれを回収した。

「……貴重な検体だ。あの少年の『忌』を知る、唯一の物的証拠になる」
「もう、栴のそういう極端なところ……嫌いじゃないけど、心配になっちゃうよぉ」

 瑞が溜息をつく。
 その横で、柊が空になった弾倉を吐き出しながら口を開いた。

「これだけ派手に楽器をブッ壊しても、親玉は引きこもったままか。二手に分かれて、ボスの居場所を洗った方が早いんじゃねぇか?」

 即座に瑞が首を横に振る。
 
「ダメだよぉ。今の攻撃で僕も靈力(れいりょく)をかなり使わされたし……、それに、この校舎、生きてる。ぜーったい、分断されるのを待ってるんだよ」
「……だが、闇雲に歩くのも得策ではない」

 栴は静かに告げる。

「瑞。お前の『耳』を使え。この校舎の心音を暴き出せ」

 冷徹でありながら、疑いの余地のない信頼を含んだ声だった。
 瑞は小さく息を吐き、戦いの熱を冷ますように目を閉じる。

 そして、粉砕され、半分だけ鍵盤の剥き出しになったグランドピアノへと歩み寄った。

 ――ここからは、演奏家(パフォーマー)ではなく調律師(エグザミナー)の仕事だ。

 瑞は木屑を払い、ゆっくりと腰を下ろす。
 瓦礫の山に、不釣り合いな静寂が降りた。
 
 深く、深く。
 鍵盤を押し込む。

 選ばれたのは、ホルストの組曲『惑星』より『木星(ジュピター)』。

 瑞の霊力がピアノを媒介に増幅され、旋律となって空間を震わせ始める。
 壁を、床を、空気の粒子一つひとつを。

 それは単なる探知ではない。
 建物全体を強制的に共鳴させ、隠れた不純物を炙り出す――「音の檢疫(けんえき)」だった。

 旋律が校舎の隅々まで波及していく。
 瑞の閉じた瞳の裏に、音の反響が三次元の地図を描き出した。

 だが、不意にその表情が歪む。

「……瑞?」

 呼びかけと同時に、演奏が激しさを増した。

「……澱んでる場所が、二つあるよぉ。一つは地下のボイラー室。そこに、一〇九号の少年……さっきの、攻撃的な悪意の塊がいる」
「もう一つは」
「三階の奥。(きゅう)理科準備室……。ここには悪意がない」

 瑞の声が、わずかに揺れる。

「それどころか……透き通りすぎてる。悲しみだけが、何十年も、そこに溜まってる」

 最後に、低音が強く打ち鳴らされる。
 その一音は、眠っていた「何か」を呼び覚ますように、長く尾を引いた。

「栴。あそこには、この廃校そのものを形作っている『原種』がいる。
 一〇九号を、あそこまで肥大化させた……この場所の、本当の主だよ」

 それは、外来の鑛石によって汚染されるよりも前から、この地に留まっていたもの。
 純粋で無垢で、しかしそれゆえに抗う術を持たない――「原種」の気配だった。




 ※


 三人が三階を目指し、音楽室の扉を蹴破った瞬間。
 校舎が、断末魔のような軋み声を上げた。

 ――ガガガ、ガリガリッ!!

 廊下の床が跳ね上がり、牙を剥く。
 瑞の『木星』によって急所を暴かれた「一〇九号」の悪意が、構造そのものを書き換え始めたのだ。

「ちっ、土壇場でこれかよ! 逃がさねぇってか!」
 
 柊が吠え、二丁の拳銃を乱射する。
 だが放たれた弾丸は歪んだ空間の屈折に飲み込まれ、あらぬ方向の壁を砕くにとどまった。

 次の瞬間。
 廊下の中央が、巨大な口のように裂けた。

 重力が失われる。
 平衡感覚が、泥のように溶け落ちていく。

「柊、瑞を頼む!」
「栴、お前こそ――ッ!」

 奔流する瓦礫の波が、柊の巨躯を闇の奥へと押し流した。
 叫び声が届く前に、空間が強引に引き裂かれる。
 
 栴は瑞の腕を掴み、崩落する階下へと飲み込まれるのを辛うじて免れた。
 だが、背後で音楽室の扉が歪み、潰れ、消失する。

 ――柊の気配が、完全に断たれた。

「……瑞、止まるな! 走れ!」
「わ、わかってる! でもこれ……道なんて、ないよぉ!」

 二人の前に広がっていたのは、もはや廊下ではなかった。

 左右の壁は呼吸するように脈動し、理科室の机や椅子の残骸が意志を持った飛礫(つぶて)となって襲いくる。

 栴は利き手でない左手で刀を抜いた。
 迫りくる障害物を紙一重で斬り伏せ、あるいは弾き飛ばす。

 空間はさらに歪みを増していく。
 
 一歩踏み出すごとに距離感が狂い、出口までの十メートルが果てしない深淵のように引き伸ばされる。

 酸素は薄く、空気は反魂香(はんごんこう)と硝煙が混じり合った不快な熱を帯びていた。

「栴、あそこ! 空間の繋ぎ目が綻んでる!」
 
 瑞が奏鳴弓の先端で指し示したのは、歪みの中心に生じた小さな光の亀裂だった。
 
 栴は迷わない。
 即座に瑞の腰を抱き寄せ、崩れゆく現実の狭間へと身を躍らせた。