辿り着いた補給部は、植物と鑛石が混ざり合ったジャングルのようだった。
そこかしこで試験管が沸騰している。
花の香りと、金属を削るような鋭い音が遅れて立ち昇った。カウンターの上においてあった金色のベルを鳴らすが、それらは全て騒音によって揉み消されてしまった。
瑞は小さく溜め息を吐いてから、両手を口元に寄せ大きな声を放つ。
「おーい、琥珀くーん!!!」
しばらくの沈黙の後、革靴が床を蹴る音が近づいてくると同時に人懐っこい笑みを浮かべながら顔を出したのは、官給員の琥珀だった。
煤竹色の柔らかい髪が大きな軍帽の隙間から揺れている。
「いらっしゃい! 楓教官から連絡もらってるよー。もう少ししたら、お湯が沸いて灰重石が溶けるから飲んでいきますか?」
「いや、いい。それより琥珀、俺の武器調整を頼む。……それから、鬼を縛るための『音の楔』も頼む」
栴の言葉に、琥珀は「分かってるって」とばかりに喉を鳴らした。
彼は作業台に散らばっていた小さな天秤を引き寄せると、手際よくエメラルドの粉末と乾いた鈴蘭の花弁を調合し始める。
その周囲には、星の瞬きを強引に封じ込めたような小瓶がいくつも転がっていた。
――まるで、誰かが零した宝石の礫のように。
「ねぇ、絶対に飲んで行った方がいいですよー」
「ずいぶん勧めるねぇ、なんでだい?」
瑞が首を傾げて問いかけると、琥珀は目を細めてチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「この間ですね。柊さんが任務に行くって言うんで、灰重石のお茶を勧めたんです。そうしたら『いらん!』って凄い剣幕で。
……結局、あの人。スライムじみた水の鬼に、肺まで泥で満たされかけたらしいですよぉ。灰重石には水への耐性を高める効能があるって、あれほど教えたのに」
人の悪い笑みを浮かべる琥珀を、二人は無言で見合わせた。
「……琥珀くん、そのお茶を二つ。いただけるかなぁ」
「あ、瑞さんは分かってくれる!? 待ってて、すぐ淹れますので!」
瑞の言葉に満面の笑みを浮かべて、琥珀は奥へと戻っていった。
琥珀が奥から運んできたのは、薄い磁器のカップに注がれた無色透明の液体だった。一見するとただの白湯のようだが、窓から差し込む銀河の光を浴びると水面が微かに黄色い蛍光を放つ。
「お待たせしました! 熱いうちに飲んでね。あ、底に溜まっている結晶は噛み砕いちゃっていいんで」
栴と瑞は無言でカップを手に取る。
一口含めば、それは飲み物というよりは「冷えた硝子」を流し込んでいるような無機質な感覚だった。
喉を通り、胃に落ちるたび、自身の骨の比重が重厚な鉱石へと作り変えられていくような奇妙な強張りが全身を走った。
「……相変わらず、味という概念がない」
「僕は嫌いじゃないよぉ、この喉越し。指の先まで正しく調律された気分」
栴は微かに眉をひそめ、冷えた指先を温めるように空のカップを包み込んだ。
少しの沈黙。補給室を、試験管の沸騰する音だけが満たす。
栴が空になったカップを置くと、琥珀はカウンターの上に二つの小道具を並べた。
「はい、これが頼まれていた品です。
栴さんにはこれ。新しい『研摩剤』です。銀河の砂と月長石の粉を調合しています」
生成色の小瓶の中では、青白く発光する微細な粉末が鎮座しており、少しだけ瓶を振ってみると星が流れるような音が鼓膜を震わせる。
栴はその小瓶を手に取り、光にかざして純度を確かめる。
満足げに目を細めると、腰のベルトに固定された黑革のケースへと収めた。
ウエストポーチと呼ぶにはあまりに無骨で、機能的なその装備品。 そこには魂を検疫し、研ぐためのあらゆる「道具」が秩序正しく収納されている。
「助かる。これなら、あの逃げ出した霊石の『未練』も一息に削ぎ落とせそうだ」
「瑞さんには、特製の『音の楔』を。……使いすぎないでくださいね?」
差し出されたのは、銀色に輝く小さな音叉だった。瑞はそれをアクセサリーのように指先で回すと、ピンと爪で弾いた。
澄んだ『ラ』の音が響き、補給室の喧騒がその一瞬だけ静寂に塗り潰される。
「とっても素晴らしい出来だ。これなら、どんなに汚れた不協和音でも正しく調律れそう」
瑞は音叉をマントの裏側に優雅に忍ばせると、壁に立て掛けてあった『奏鳴弓』を手に取った。
「……お茶、ごちそうさま。琥珀、あとは頼んだ」
「帰ったら栴の武勇伝を聞かせてあげるねぇ」
「はいはーい、楽しみにしてまーす。二人とも、あんまり無茶して石を傷つけないようにね!」
琥珀の声を背に受けながら、二人は補給室の扉を開けた。
そこから先は局内の静謐とは切り離された、不穏な影が渦巻く世界へと繋がっている。
栴は軍帽の鍔を指でなぞり、冷徹な観察者の瞳で闇を見据える。瑞はその隣で、まだ残る灰重石の余韻を楽しみながら、見えない楽譜をなぞるように指を動かした。
軍服の裾を夜風にたなびかせ、二人の「殉」は歩き出す。
欠けた魂を研ぎ直し、歪な鬼を調律する――そのはずだった。
「……行こう、瑞。迷子の『欠片』が、孤独に震えている音がする」
「オッケー。僕が最高の旋律で、寝かしつけてあげるからねぇ」
二人は局の巨大な鉄扉へと手をかけた。
その向こう側、霧に沈む不条理な戦地では白馬の操る漆黒の怪物が、静かに牙を剥いて待ち構えていた。
そこかしこで試験管が沸騰している。
花の香りと、金属を削るような鋭い音が遅れて立ち昇った。カウンターの上においてあった金色のベルを鳴らすが、それらは全て騒音によって揉み消されてしまった。
瑞は小さく溜め息を吐いてから、両手を口元に寄せ大きな声を放つ。
「おーい、琥珀くーん!!!」
しばらくの沈黙の後、革靴が床を蹴る音が近づいてくると同時に人懐っこい笑みを浮かべながら顔を出したのは、官給員の琥珀だった。
煤竹色の柔らかい髪が大きな軍帽の隙間から揺れている。
「いらっしゃい! 楓教官から連絡もらってるよー。もう少ししたら、お湯が沸いて灰重石が溶けるから飲んでいきますか?」
「いや、いい。それより琥珀、俺の武器調整を頼む。……それから、鬼を縛るための『音の楔』も頼む」
栴の言葉に、琥珀は「分かってるって」とばかりに喉を鳴らした。
彼は作業台に散らばっていた小さな天秤を引き寄せると、手際よくエメラルドの粉末と乾いた鈴蘭の花弁を調合し始める。
その周囲には、星の瞬きを強引に封じ込めたような小瓶がいくつも転がっていた。
――まるで、誰かが零した宝石の礫のように。
「ねぇ、絶対に飲んで行った方がいいですよー」
「ずいぶん勧めるねぇ、なんでだい?」
瑞が首を傾げて問いかけると、琥珀は目を細めてチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「この間ですね。柊さんが任務に行くって言うんで、灰重石のお茶を勧めたんです。そうしたら『いらん!』って凄い剣幕で。
……結局、あの人。スライムじみた水の鬼に、肺まで泥で満たされかけたらしいですよぉ。灰重石には水への耐性を高める効能があるって、あれほど教えたのに」
人の悪い笑みを浮かべる琥珀を、二人は無言で見合わせた。
「……琥珀くん、そのお茶を二つ。いただけるかなぁ」
「あ、瑞さんは分かってくれる!? 待ってて、すぐ淹れますので!」
瑞の言葉に満面の笑みを浮かべて、琥珀は奥へと戻っていった。
琥珀が奥から運んできたのは、薄い磁器のカップに注がれた無色透明の液体だった。一見するとただの白湯のようだが、窓から差し込む銀河の光を浴びると水面が微かに黄色い蛍光を放つ。
「お待たせしました! 熱いうちに飲んでね。あ、底に溜まっている結晶は噛み砕いちゃっていいんで」
栴と瑞は無言でカップを手に取る。
一口含めば、それは飲み物というよりは「冷えた硝子」を流し込んでいるような無機質な感覚だった。
喉を通り、胃に落ちるたび、自身の骨の比重が重厚な鉱石へと作り変えられていくような奇妙な強張りが全身を走った。
「……相変わらず、味という概念がない」
「僕は嫌いじゃないよぉ、この喉越し。指の先まで正しく調律された気分」
栴は微かに眉をひそめ、冷えた指先を温めるように空のカップを包み込んだ。
少しの沈黙。補給室を、試験管の沸騰する音だけが満たす。
栴が空になったカップを置くと、琥珀はカウンターの上に二つの小道具を並べた。
「はい、これが頼まれていた品です。
栴さんにはこれ。新しい『研摩剤』です。銀河の砂と月長石の粉を調合しています」
生成色の小瓶の中では、青白く発光する微細な粉末が鎮座しており、少しだけ瓶を振ってみると星が流れるような音が鼓膜を震わせる。
栴はその小瓶を手に取り、光にかざして純度を確かめる。
満足げに目を細めると、腰のベルトに固定された黑革のケースへと収めた。
ウエストポーチと呼ぶにはあまりに無骨で、機能的なその装備品。 そこには魂を検疫し、研ぐためのあらゆる「道具」が秩序正しく収納されている。
「助かる。これなら、あの逃げ出した霊石の『未練』も一息に削ぎ落とせそうだ」
「瑞さんには、特製の『音の楔』を。……使いすぎないでくださいね?」
差し出されたのは、銀色に輝く小さな音叉だった。瑞はそれをアクセサリーのように指先で回すと、ピンと爪で弾いた。
澄んだ『ラ』の音が響き、補給室の喧騒がその一瞬だけ静寂に塗り潰される。
「とっても素晴らしい出来だ。これなら、どんなに汚れた不協和音でも正しく調律れそう」
瑞は音叉をマントの裏側に優雅に忍ばせると、壁に立て掛けてあった『奏鳴弓』を手に取った。
「……お茶、ごちそうさま。琥珀、あとは頼んだ」
「帰ったら栴の武勇伝を聞かせてあげるねぇ」
「はいはーい、楽しみにしてまーす。二人とも、あんまり無茶して石を傷つけないようにね!」
琥珀の声を背に受けながら、二人は補給室の扉を開けた。
そこから先は局内の静謐とは切り離された、不穏な影が渦巻く世界へと繋がっている。
栴は軍帽の鍔を指でなぞり、冷徹な観察者の瞳で闇を見据える。瑞はその隣で、まだ残る灰重石の余韻を楽しみながら、見えない楽譜をなぞるように指を動かした。
軍服の裾を夜風にたなびかせ、二人の「殉」は歩き出す。
欠けた魂を研ぎ直し、歪な鬼を調律する――そのはずだった。
「……行こう、瑞。迷子の『欠片』が、孤独に震えている音がする」
「オッケー。僕が最高の旋律で、寝かしつけてあげるからねぇ」
二人は局の巨大な鉄扉へと手をかけた。
その向こう側、霧に沈む不条理な戦地では白馬の操る漆黒の怪物が、静かに牙を剥いて待ち構えていた。

