浄研檢疫局 ――靈魂ノ鑛石と奏鳴弓

 浄研檢疫局(じょうけんけんえききょく)ーー。
 そこは、現世で死を迎えた「魂」が最後に行き着く終着駅である。生者が立ち入ることは、決してない。

 魂は死後、生前の記憶や感情が持つ質量によって結晶化する。 それらは色とりどりの「鑛石(こうせき)」となり、終着駅であるこの場所へと運び込まれるのだ。

 鑛石を檢疫(けんえき)し、穢れを削ぎ落として「清らかな鑛石」と変化させ輪廻へと還す。
 その役割を担うのが、黒い軍服に身を包んだ少年たち――「(じゅん)」と呼ばれる、見習い執行官である。

 ……だが時折。
 檢疫を受ける前に、自らを壊し、欠けたまま現世へ逃げ出す魂があった。




 浄研檢疫局、地下深く。第零理科室。
 棚に並ぶ硝子瓶の中で、無数の鑛石が淡い光を放っている。
 規則正しいピアノの旋律が、その静謐を波紋のように揺らしていた。

「……(みずき)。少し、音が高い」

 檢疫台に向かい、拡大鏡を覗き込んでいた(せん)が、顔を上げずに呟いた。
 白手袋を嵌めた指先でピンセットを操るその仕草は、感情を排した精密機械の作動に近い。

「おや、ご機嫌ななめだねぇ。この石の持ち主は、エルガーよりも軽快なワルツがお望みかな?」

 背後でピアノの蓋を閉じる音が響く。
 瑞は優雅に(くろ)のマントを翻し、栴の隣へと歩み寄る。その傍らには、一振りの白木の弓――『奏鳴弓』が、主の出番を待つように静かに立て掛けられていた。

「栴。今日の「患者」の具合はどう?」
「……最悪だ。靈子(れいし)の比重が軽すぎる。記録帖にある数値の半分もない」

 淡い藍色の鑛石に、栴はレンズの焦点を合わせた。
 拡大鏡越しに見えるその表面には、鋭い牙で食いちぎられたような歪な痕跡がある。

「魂を剝離(はくり)――余計な未練を削ぎ落とす必要さえない。この魂は、自らの一部を現世へと切り離し逃走している」

「自ら欠ける選択かぁ。……それはもう、鑛石じゃなくて『鬼』だね」

 魂の一部が未練として現世に留まれば、生者を喰らう化け物――「鬼」となる。
 放置すれば、生者の世界の秩序は乱れる。
 そしてそれは、この浄研檢疫局の秩序すら危うくする。
 瑞の微笑から、柔らかな温度が消えた。

「殉見習いとして、これは迷子のかわい子ちゃんを探しに行かないとだねぇ」
「あれのどこをどう見たら、可愛く見えるんだ」
「濁った瞳とか、凄くキュートだよぉ」

 呆れた表情で瑞へ視線を向けつつ、栴は立ち上がると軍帽を深々と被る。

「先に(かえで)教官へ報告に行く」


 ※


 栴と瑞は理科室を後にし、教官室へと続く回廊へと足を踏み入れた。

 廊下の突き当たりにある扉を開けるたび、季節や時刻は気まぐれに入れ替わる。
 この『浄研檢疫局』において、空間の連続性はあまり意味をなさない。
 
 二人が歩いている廊下の右側はどこまでも続く蓮池に面しており、左側は真昼の光が差し込む古い図書館の書架が並んでいる。

「今日は「局」の機嫌が少し悪いみたいだねぇ。昨日より、三度ほど空気が蛍光を放つウェルネル石のように変化してるよ」
 
 茶色の髪を揺らしながら、瑞が見上げた先に天井はない。
 そこには巨大な真鍮製の歯車がゆっくりと回転し、星の代わりに銀色の砂時計がゆっくりと回っていた。

 そこは、理《ことわり》の壊れた、美しく組み上げられた迷宮だった。
 死者を正しく迷わせるためだけに、過不足なく設計された場所。



 
 二人がたどり着いたのは、一面が沈丁花の香りに満たされた「教官室」だった。
 部屋の中央では、上司である楓が白いロングコートの軍服を身に纏い、すでに活動を止めた古い天秤を眺めていた。
 彼は二人を見ると、秋の入り日のような薄明に沈む寂寥とした笑みを浮かべた。

「……開梱(かいこん)した魂に、不備があったようだね」
 
 楓は二人が報告する前に、すべてを察していた。彼はこの局の「目」でもある。
 故に彼にはこの支配下において隠し事は不可能に近い。

「はい、一〇九号鑛石に欠損を確認。本体は鬼と化し、逃走しました。追跡の許可を」

 栴が日誌を差し出すと、楓はそこに細い万年筆で文字ではなく「散りゆく紅葉」のような紋章を記した。

「許可しよう。ただし、あの廃校は今、さまざまな悪意に満ちたモノたちが反乱を起こしている。……琥珀(こはく)のところへ寄りなさい。
 あの子が君たちのために、新しい『研摩剤』を調合しているはずだ。……武運を祈る」
「ありがとうございます!」

 二人は一礼し、補給部を目指して歩き出した。




 移動の途中、栴は無意識に窓の外へ目を向ける。
 そこには重力に逆らって逆巻く、銀河の川が横たわっていた。現世ではあり得ない色彩を宿した鳥たちが硝子細工の羽根をカチカチと鳴らし、その岸辺を飛び交う。

 静謐と喧騒が混ざり合うその光景を、栴は検疫官の冷めた目で見つめていた。
 どんなに美しく着飾ろうと――栴にとって、ここは死者の掃き溜めでしかなかった。

「……行こう、琥珀が待っている」

 自身の思考を断ち切るように、栴は窓から視線を外した。