冷血美麗な吸血種への嫁入り

朝、目覚めた撫子は、洗面所で顔を洗い歯を磨くと、鏡台の椅子に座り、櫛で丁寧に髪を溶かした。そして、ここからが重要だ。これは毎日の大仕事。撫子は鏡台の引き出しに開けると、中から丸い缶を取り出した。

(これをずっと使うことになるとは、思いもしなかった)

撫子は缶の蓋を開けると、パフを指で挟み、お粉を首元にはたく。和子から投げ渡された化粧道具、それは撫子にとって、なくてはならない必需品となった。ここに来てからと言うもの、撫子はこの化粧道具で、毎朝こうして、首元の痣を化粧で隠しているのだ。
この痣を見られてしまえば、呪われた娘だと、ここを追い出されてしまうかもしれない。そんな恐怖と闘いながら、どうかバレませんようにと、祈りを込めて、撫子は今日もお粉をはたく。
着替えた撫子がダイニングルームに入ると、カーテンが閉まり、天井のシャンデリアが点けられていた。朝なのになぜだろうかと不思議に思っていると、ダイニングルームの椅子に、部屋着物姿の慧がいた。

「伊集院様……起きてて平気なんですか?」

慧は読んでいた新聞から顔を上げ、撫子に視線を向ける。

「ああ……目が冴えてな」
「そうでしたか」

撫子は慧の正面の椅子に腰を下ろした。すぐに女中が料理を運んできて、撫子の前に置く。こういったことに慣れていないのか、撫子はそわそわとしながら、目の前に置かれる料理と、隣に立つ女中に視線を右往左往させている。食事の用意が終わって女中がダイニングルームを出ていっても、撫子は食べようとしない。

(なぜ食べない)

目の前には、撫子に栄養をつけてもらいたくて、慧がわざわざ人間種の料理人を雇い作らせた料理がある。

(……ああ、そういうことか)

慧は撫子の視線が、同じテーブルに着く自分の前に向いていることで気づいた。

「俺は人の食事はしない」

吸血種が人間の食べ物を美味いと感じることはない。口に入れた時の感触や歯応えは分かるが、味が何もしない。いつしか、真似事で口にしたことがあったが、何が良いのかさっぱりだった。

「俺のことは気にせず、お前は食べろ。そんな貧弱な体ではもたないぞ」
「……はい」

そう言われ、撫子は小さく返事をすると、箸を持ち食事をする。

(俺が先に食べないと、食べられないと思ったんだな……。公爵という俺の身分を気にしているというより、自分が誰かより先に食べること自体が良くない行いだと、彼女の中で強く根付いているように思える)

撫子はパクパクと、その小さく華奢な体に食べ物を入れていく。

(食欲はあるようだな……よかった。あの時、持ち上げた彼女の体は驚くほどに軽く、腕の中にいるのが嘘のようだった)

体型維持というには、あまりにも細すぎる身体。古着とも言えない粗末な着物から見えた手足は、栄養が行き届いていないせいで、骨が浮き出ていた。髪も無造作で、ろくに手入れもされず、水仕事のしすぎで、手はあかぎれだらけだった。そして、他者に対するあの以上な怯えようと、体にあったいくつも傷。それは昨日今日でついたものではない。

(彼女は日常的に、手をあげられていた……おそらく、家族に)

「おかわりもあるから、たくさん食べろ」
「はい、ありがとうございます」

撫子は、慧に小さな笑みを浮かべそう言うと、食事を続ける。

(こんな純粋そうな少女を、どうしてそこまでして虐げたのか……人間種のやること理解できん)

食事をする撫子を横目に、慧は新聞をテーブルの上に置くと、着物の懐から、赤い液体が入った、氷柱型のガラスの小瓶を取り出す。
撫子の大きな瞳が、小瓶を捉える。

「血……」

小さく呟いた撫子は、手を止め、小瓶をじっと見る。

「そうだ。これは、人間種の血だ。我々吸血種は、人間種に対する吸血行為は、パートナー、または番以外とは禁止されているが、こうして毎月決まった本数と血の量を國から支給されている。ついでに言うと、吸血種同士での吸血行為は認められている。俺たちは、どちらかが理性を失っても、相手を止められるからな」

慧は小瓶の蓋を開けると、瓶の中の血を一気に飲み干す。そして、またすぐに懐から小瓶を取り出し、同じように一気に飲み干す。牙から溢れた血を手で拭うと、下でペロリと舐める。そんな慧を、撫子はなんとも言えない表情で見ていた。

「……美味しいんですか」
「……いや?」

では、どうしてそんな飢えたように一気に飲み干すのかと、撫子は言いたそうだった。その視線に、慧は思わず言う。

「吸血鬼は、番__運命の相手以外の血を口にしても、渇きは癒されない」

パートナーとなった者の血であれば、一時的な渇きは癒されるだろうが、また渇望する。いくら飲もうとも、癒されなければ、それは終わりなき悪夢だ。だからこそ、吸血種は番を探す。しかし、番は永い時を生きる中で、いつ見つかるか分からない。ゆえに、番を見つけるのを止め、パートナーを選ぶ吸血種もいる。最悪の場合、苦しさのあまり、心臓を焼き、自害する吸血種もいる。

「伊集院様は、まだご自分の番には、出逢われていないのですか?」

慧が血を飲み干すその姿を見て、撫子は慧の渇きは癒やされていないのだと思ったようだ。
撫子のその問いに、慧は一瞬だけ目を丸くすると、視線を伏せた。

「どうだろうな」

気丈に言ったつもりだったが、その声は自分でも分かるほどに細々としたものだった。
箸を置いた撫子は、改まったように姿勢を正し慧を見た。

「伊集院様、私に、伊集院様の番を探すお手伝いをさせていただけませんか?」
「……は……?」

ポカーンとした慧に、撫子は慌てて言う。

「もし、伊集院様の番が見つかったら、私は速やかに花嫁の座を降りますのでご安心を!」
「いや……そういうことではなくてだな」
「あっ、でも……私は他に行く所がないので、使用人として、このお屋敷に居させていただければ……」

そう言ったところで、撫子はハッとしたような顔をすると、バッと顔を下げた。

「図々しいことを言って、申し訳ありません……」

(こうしてすぐに謝るのも、自分が意見を言ったことを後悔するのも全て、受けた仕打ちが傷となっているからなのか)

「手当をしていただいて、こんな上質なお着物まで着させていただいて、こうしてお食事まで……何から何までお世話になっているのに、私は何もできず……」

撫子は身をすくめ、申し訳なさそうにする。

「お前は俺の花嫁だ。俺がすることは全て、お前が受けるべき当然の恵だ」

(どうしてこんなことを口にするのか、そんなものは分からない……だが、この脆く弱い人間種の少女を、俺は放って置けない)

撫子の目が、大きく見開かれる。曇っていた少女の瞳が、光を宿した瞬間だった。

「ありがとう……ございます」

そう言いながら、撫子は朗らかな笑みを浮かべた。

(なんだ……これは)

慧は名前のつけられない、奇妙な感情を胸に抱いた。思わず、自分の胸に片手を置く。

(……この少女は一体、何者なんだ。なぜこんなにも、俺に不可解な言動をさせる?)

思い悩んだ吸血種は、目の前にいる純真無垢な少女を見つめるも、その答えは出なかった。