冷血美麗な吸血種への嫁入り

音もしない真っ暗な闇が覆い尽くす地下ホールで、撫子が恐怖でガタガタと震える小さな体を丸めていると、暗闇の視界に、眩しいほどの光が降り注ぐ。撫子は思わず両手を顔の前に出し、光を遮る。眩しい光に目を細め瞬きを繰り返すうちに、だんだんと視界が鮮明になってくる。
そして、見えた世界に愕然とし、膝の上に両手を下ろす。

(何……これ……)

仮面をつけた大勢の者達が、ホール中央のステージ場にいる撫子を囲むようにしている。みな、撫子を見てどよめき声を上げていた。

「さあ、ご覧にいれましただろか。見ての通り、こちらは上質な若い人間の娘」

いつの間にか、顔に白いペイントした、シルクハットを被った男が撫子の隣に立っていた。男は座り込む撫子の周り、スッテプを踏み浮遊するかのように自由に歩き回っている。

「娶るのもよし、玩具にするのもよし、奴隷にしてしまうのも良いかも……なんてねっ!」

ギャハハハッと笑い声を上げるシルクハットの男。その笑い方は、なんとも不気味だった。

「その娘なら二百万で買おう」
「いや、私は五百万出そう」

仮面をつけた者達は、番号の書かれたプラグを上げ、値段を口にする。

「私は七百万だ」
「一千万。若い娘の血は美味いからな」

笑みを浮かべる仮面の者達。とても人間がする会話とは思えず、撫子は身を震わせながら後ずさる。

(逃げないと……)

撫子は本能的にそう思い立ちあがろうとするも、恐怖ですくんだ体は言うことを聞いてくれず、足がもつれ、顔から派手に倒れ込んでしまう。

「っ……」

ズキズキと額が痛む。手で触れると、血がついた。

「__!!」

殺気満ちた視線が、刺すように自分に向けられているような気がした。撫子は恐る恐るゆっくりと首を横に動かす。
一気に血の気が引いた。
仮面越しでも分かる。獲物を捕食しようとする獣の瞳が、いくつも自分を見ている。

(吸血種……!!)

「あっ……あっ……」

ガタガタと震え出す体。湧き上がる冷や汗。逃げようにも、体に力が入らない。撫子の血に誘われたのか、観客席にいた者たちが、飢えた獣のように、撫子に近づいて来る。
このままでは確実に殺される。

「動いて……動いてよ……」

撫子は震える両手で、必死に自分の両足を叩いた。だが、そこでふと思った。このまま逃げて、生き長えたとして、自分に何があるのかと。呪われ、両親に見放され、妹に蔑まれ、もう自分にはどこにも居場所はない。生きていたって、意味がない。死ねば、この張り裂けそうな胸の苦しみからも、解放される。
目をぎらつかせ、牙を見せた獣が、撫子のすぐ目の前まで迫る。

(……もう、このまま、死んでしまえばいいんだ)

絶望した撫子が、死のうとした、その時だった。

「__一兆」

低く、気高い声だった。けして大きな声などではなかったというのに、背筋が凍った様に、獣はみな、動かなくなった。会場の空気は一気に張り詰め、静寂に包まれる。

(一体、何が起こって……)

ホールの奥から、誰かがこちらに歩いてくる。コツコツコツと、一歩進むごとに聞こえるその足音が、なぜか撫子の胸に大きく響く。

(何。この感じ……)

「うっ……!!」

突如、首元の痣が痛みだし、撫子は首元を押さえ込んだまま、這いつくばるように床に身をかがめた。

「っぐっ……!! うっ……!!」

足音が近づいてくるほどに、痛みは強まり、あまりの痛さに、撫子は声も出せずに悶絶する。

『__愛しているわ』
 
頭の中で声がした。儚く美しい女性が、愛おしそうに囁いている。

(……愛している? 一体、誰に言って……この頭の中の声は何??)

撫子がもがき苦しんでいると、ステージ下、真正面でその足音は止まった。薄暗い暗闇から、ルビーのように赤い瞳が、撫子を見据えた。
__それは、獣の瞳。
っと、次の瞬間。

「俺を見ろ」

目の前にいたはずの男がいつの間にか、後ろに立っていた。穏やかさなどかけ離れた、人を支配してしまうその無慈悲な口調は、恐怖を感じさせるもののはず。
それなのに、なぜ__?
不思議だった。この上ないほどの恐ろしさを感じるはずなのに、撫子は振り向かずにはいられなかった。撫子がゆっくりと後ろを向くと、そこには、黒い軍服を着た一人の男が立っていた。顔を上げ、男を見た撫子は息を呑んだ。

(……なんて、綺麗なの……)

艶のあるダークブラウンの髪、筋の通った高い鼻に切れ長の目。肌は白く、陶器のようにシミ一つない。その美術品のように繊細な顔立ちは、神が創り上げた最高傑作のようだ。
世にも美しい美麗な男に、撫子の心の臓は大きく高鳴り、鼓動を速める。いつの間にか、首元の痛みは治り、頭に響いていた声も消えていた。
美麗な男は跪くと、撫子の顎先を白く滑らかな指先で持ち上げた。ルビーのような赤い瞳が、心の中まで見透かすように、じっと撫子を見つめる。撫子は引き寄せられるように、その男の瞳から目が逸らせなかった。わずか数秒にしか満たない時間だったが、撫子にはとても長く思えた。

「……虫けらどもが」

苛立った様子でそう言った美麗な男は、撫子の視界を塞ぐように、片手で撫子を自分の胸に引き寄せると、目にも止まらぬ速さで懐にある鞘から剣を抜き、一瞬にして、ステージ上にいた獣の腹を切る。
撫子には何が起こっているのか分からなかった。
美麗な男は深いため息をつくと、血のついた剣を鞘に戻し立ち上がる。撫子が辺りを見ると、地面には自分を襲おうとしていた獣が倒れ、辺りには獣たちのと思われる血が飛び散っていた。

(……これ、みんな死んでるの……??)

「安心しろ、吸血種は簡単に死にはしない」

現実ではないかのような恐ろしい光景に呆然としている撫子に、美麗な男は淡々とそう言う。


「ジョーカー」

ステージの端にいたシルクハットの男が、美麗な男の元へやって来ると、美麗な男の前に跪き、深々と頭を垂れる。まるで従者の様なその動きに、撫子は驚いた。それだけではない。シルクハットの男は、この美麗な男の前では息を殺し、微塵も無礼がないように最善の敬意を払っているようだった。先程の揚々とした姿からは想像もつかない。気づけば、観客席にいた他の者たちも、美麗な男と視線を合わせないよう頭を下げ、じっとしている。
その姿は、絶対的な支配者への服従と、怯えに見えた。

「この娘は俺が買い取る。異論はないな?」

美麗な男の赤い瞳が、冷血に光る。有無を言わせない圧倒的なオーラに、シルクハットの男は頭を垂れさせたまま、ただ頷いた。

(彼は何者なの……)

美麗な男は、撫子の両膝に腕を通すと、軽々と抱き上げる。

「きゃあ……!」

驚き悲鳴を上げた撫子を一瞥すると、美麗な男は優雅な足取りで、ドアへと向かった。