冷血美麗な吸血種への嫁入り

疲れていたせいか、いつの間にか寝てしまっていた。

(いけない)

焦って蔵の扉を開けると、日はまだ暮れていなかった。安心したのも束の間、日が暮れる前に山に行き、食料を調達しなければならないことを思い出した。さすがにもう、西園寺様は帰られただろう。撫子は藁で手作りした籠を背負うと、毛布を肩にかけ、屋根裏部屋を出た。
冷たい風が頬を掠め、肩にかけた毛布に顔をうずめる。庭園には薔薇好きの若葉のために、年中薔薇が咲き誇るように、四季折々の薔薇が埋められている。今の時期は花色が深く、香り高い秋薔薇が咲いており、辺りを囲む紅葉の木は徐々に色褪せ、また一枚、一枚と地面に葉が落ちてゆく。
庭園を横切り、山へ入ろうとした時だった。

「おや? 良い香りがすると思って来てみれば……」

声がして後ろを振り向くと、そこにはアメジスト色の瞳をした、端正な顔立ちの男がいた。男は太陽の光を遮るように傘をさしている。磨かれた靴に、光沢のある上品なスーツに身を包んでいるあたり、身分が高そうだ。

(良い香り……? ああ、薔薇の花のことね)

「お嬢さん、貴方はここのお屋敷の方ですか」

(……どうしよう。なんと答えたらいいのかしら)

無闇に人と話すのは禁止されている。しかし、ここで何も返さないのは無礼な態度をとったことになってしまう。そんなことになれば、また和子に蹴られる。それは嫌だ。

「あっ……私は、そ、その……」
「ん? 何ですか?」

口籠る撫子に、男は優しい笑みを浮かべ、近づいてくる。撫子は思わず後退する。指先にちくりと針で刺されたかのような痛みを感じ視線を向けると、指先から、つーっと赤い血が流れ落ちた。薔薇の花の棘で、指を切ってしまったようだ。

「ああ、大変だ。怪我をしてしまいましたね」

男は心配気に、アメジスト色の瞳を揺らす。

「い、いえ。このくらい、大したことありません……」
「手当した方がいいですよ。それに、勿体無い」
「え……?」

(勿体無い……??)

撫子が首を傾げた、次の瞬間だった。男の手が、背中に撫子の手を掴む。そして、男は舌でペロっと、撫子の指に流れる血を舐めたのだ。堪能するように、血をごくりと飲むと、男は不敵に微笑んだ。
男の口元には、二本の尖った牙がある。

(この方は、吸血種……ということは、もしかして、この方が若葉の婚約者の西園寺一心様)

まずい。撫子がそう思った時には、もう遅かった。

「一心様?」

甘さを帯びた甲高い声に、撫子の心臓はドクンと、大きく嫌な音を立てた。男の後ろに、若葉の姿が見えたのだ。笑みを浮かべていた若葉は撫子を見た途端、その表情は一変した。

「あんたっ……なんでここに」

眉間に皺を寄せ、怒りを露わにした若葉だったが、自分に振り向いた一心に、また笑みを浮かべた。

「若葉さん、この方は?」
「うちの女中です。とてもドジな人で、一心様にお手間を取らせて申し訳ありません」

若葉は眉を下げ心から申し訳なく思っていることを表すと、一心にバレないように撫子に冷ややかな視線を送った。
あとで覚えていろ。若葉がそう言っているのだと、撫子には分かった。

「そうでしたか。お綺麗な女中さんですね。それに、良い血を持っている。……もっと欲しくなるな」

そう言った一心のアメジストの瞳は、ギラリと光った。その獣が捕食するかのような瞳に、撫子はゾクッとした。これが吸血種。本物は初めて見たが、恐ろしいほどに顔が整っていて、その声も、気品ある仕草も全て、撫子たち人間を誘惑してくるかのようだ。
一心が熱帯び視線を撫子に向ける姿に、若葉は心底気に食わなさそうに顔を顰めると、何かを思いついたかのように、ニヤリと笑った。若葉がこの顔をした時は、決まって何かを企んでいる証拠だ。今度は一体何をするのかと思っていると、若葉は一心の腕に抱きついた。

「一心様!! その女は呪われているのです」
「呪い?」
「そう呪い!! 首元をご覧になって」

若葉は恐ろしいと言うように目を瞑り、一心の腕に抱きつきながら、怯えたような顔をする。
一心の視線は撫子の首元に向く。

「ちょっと失礼するよ」

そう言い、一心は撫子の着物を捲る。

「こ、これは……」

撫子の首元にある蜘蛛の糸のような痣を見て、一心は悶絶した。バッと撫子から手を離すと、一心は片手を振り上げる。パンッと、大きな音が庭園に鳴り響いた。頬を叩かれた撫子は、地面にひれ伏すように倒れた。

「忌々しい呪われた人間め。こんな人間の血を飲んでしまったとは、私の高貴な血が汚れるだろう!!」
「わ、私は何も__」
「うるさい黙れ!!」

逆上した一心は片手から炎を放つ。炎は撫子の腕を掠め、古びた着物は焼かれ、撫子は腕に火傷を負った。

「っぐっ……!」

じりじりとした激しい痛みが撫子を襲う。一心は狂気的なまでに、鋭い瞳で撫子を見下ろした。先ほどとは打って変わった一心の姿に、撫子は言葉を失った。

「一心様、このご無礼、どう償わせて頂けば良いのか……。そうだわ! よろしければ、私の血を差し上げます。ですので、どうかこの女中をお許しください」

大きな瞳をうるうるさせ謝る若葉に、一心は頬を寄せる。

「若葉は優しいね。こんな汚らわしい女のために、自分を差し出すなんて。でも、嬉しいよ。君みたいな美しい女性に、そう言ってもらえるのは」

立ち上がった一心は若葉の肩を抱くと、撫子に背を向け、そのまま歩き去っていく。顔だけ振り向かせた若葉は、地面にひれ伏した撫子を見て、良い気味だというように、蔑むような笑みを浮かべた。