夕方、撫子は一人職務室にいた。エプロンをし、アイロンを手に持った撫子は、アイロン台の上に置いたシャツを一枚一枚、丁寧にアイロンがけをする。
アイロンの使い方は日野家にいた時にもよくしていたため、撫子にとっては造作もないことだ。
アイロンがけを終えると、撫子は両手で広げ、皺がないかを確認した。シャツは慧が着ている軍服用のもの。少しの皺も、ないようにしたいのだ。
(今だに、伊集院様が私を花嫁にした理由は謎のままだ。でも、なんの取り柄もない私などに居場所を与えてくれた、あのお方のお役に立ちたい。そう思って、少しでもできることを探し、今に至る)
掃除や洗濯、料理をするのは、流石に使用人に断れてしまったが、慧のシャツのアイロンがけは、彼の花嫁という理由で、なんとかするのを許してもらえた。
(番を探す。あの提案も、伊集院様のためになりそうだと思ってのことだったけど、伊集院様は、あまりご納得されていないようだった)
もしかすると、慧は番を探すことを諦めているのかもしれない。そうであれば、自分を花嫁にしたことも納得できる。
自分には、吸血種を魅了する甘美な血が流れていると、慧は言った。番のように、完全に渇きを癒すことはできずとも、慧が言っていた通り、たとえ一時的しのぎであったとしても、渇きを癒すことができるのかもしれない。
番を探すのは困難なことのようだけど、もし、もし慧が番を見つければ、慧はその者の血を吸うことになる。
(あれ……なんか胸が、モヤっとする。どうして……??)
あの時もそうだった。慧が氷柱型の小瓶から血を飲んだ時も、撫子の胸は、なぜかモヤッとしたのだ。
(私……伊集院様が他の方の血を飲むのが、嫌なの?……どうして??)
撫子は片手で自分の首元に触れる。
(血を飲む伊集院様は、なんとも魅惑的だった。あの牙が、この首に突き刺さり、じゅるじゅると音を立て吸う……)
それはとても、良いことのような気がした。
ふと鏡が視界に入り、自分の顔が映し出される。その顔は、うっとりとして、なんとも惚けたものだった。
(……私ってば、何を考えて)
首から手を離すと、撫子は自分の頬をぱちぱちと叩く。
「撫子?」
いきなり声がして、驚いた撫子は肩を上げる。後ろを振り向くと、出入り口に慧が立っていた。仕事に行くのか、慧は軍服を着ている。
「い、伊集院様……! ど、どうされましたか??」
撫子は慌てた様子で、慧に近づく。
(い、今の見られてないよね……!?)
「お前に話があって、探していた。なんだってこんなところにいるんだ」
慧は訝しげにエプロン姿の撫子を見る。
「あっ、それは、アイロンがけをしておりまして」
そう言い、撫子は笑みを浮かべ、アイロン台の上に置かれたシャツを慧に見せる。
「私には、このくらいのことしかできないですから」
かしこまった様子でそう言った撫子に、慧は小さくため息をつく。
「……撫子、そういうのは使用人の仕事だ。あいつらの仕事を奪うな」
(あっ……)
呆れたような慧の物言いに、撫子は俯く。
(そうだわ……伊集院様の言う通り。私はみなさんのお仕事の邪魔をしている。ここのお屋敷の方はみんな優しいから、私のわがままを許してくれた)
「も、申し訳ありません。私は、余計なことを……」
落ち込む撫子に、慧はハッとする。
「あ、いや。余計なこととかではないのだが。お前が俺のためにしてくれたことは、嬉しいし……」
慧は軍服のポケットから何かを取り出すと、撫子の片手を掴み、その手の上に取り出したものを置く。それは、花びらの形になったケースに入った、ハンドクリームだった。
「手のあかぎれが、少しでも良くなれば良いと思って、だな……」
顔を上げた撫子に、慧は不慣れそうにそう言った。手の中に置かれたハンドクリームを真っ直ぐに見つめる撫子の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「な、なぜ泣く?? そんなに嫌だったのか……?」
戸惑った慧に、撫子は大きく首を振る。
「プレゼントをいただいたのは、初めてで……嬉しくて……」
ここまでして、自分のことを気にかけてくれる者など、撫子の世界にはいなかった。家族も、使用人も、みんな自分を忌まわしい呪われた子だと、蔑視しかしなかった。
「……」
涙を流し続ける撫子を、慧は静かにそっと、抱き寄せる。人間種である貧弱な撫子を抱きしめるのは、いつだって、力加減をしなくてはならない。
撫子は涙を指先で払うと、その抱擁の中から顔を上げ、慧に問う。
「そうだ伊集院様、私に何か、お話があるとおっしゃていませんでしたか?」
慧は思い出したかのように「ああ」と言うと、撫子を見据える。
「撫子、俺と夜会に出てくれないか?」
「……夜会、ですか??」」
アイロンの使い方は日野家にいた時にもよくしていたため、撫子にとっては造作もないことだ。
アイロンがけを終えると、撫子は両手で広げ、皺がないかを確認した。シャツは慧が着ている軍服用のもの。少しの皺も、ないようにしたいのだ。
(今だに、伊集院様が私を花嫁にした理由は謎のままだ。でも、なんの取り柄もない私などに居場所を与えてくれた、あのお方のお役に立ちたい。そう思って、少しでもできることを探し、今に至る)
掃除や洗濯、料理をするのは、流石に使用人に断れてしまったが、慧のシャツのアイロンがけは、彼の花嫁という理由で、なんとかするのを許してもらえた。
(番を探す。あの提案も、伊集院様のためになりそうだと思ってのことだったけど、伊集院様は、あまりご納得されていないようだった)
もしかすると、慧は番を探すことを諦めているのかもしれない。そうであれば、自分を花嫁にしたことも納得できる。
自分には、吸血種を魅了する甘美な血が流れていると、慧は言った。番のように、完全に渇きを癒すことはできずとも、慧が言っていた通り、たとえ一時的しのぎであったとしても、渇きを癒すことができるのかもしれない。
番を探すのは困難なことのようだけど、もし、もし慧が番を見つければ、慧はその者の血を吸うことになる。
(あれ……なんか胸が、モヤっとする。どうして……??)
あの時もそうだった。慧が氷柱型の小瓶から血を飲んだ時も、撫子の胸は、なぜかモヤッとしたのだ。
(私……伊集院様が他の方の血を飲むのが、嫌なの?……どうして??)
撫子は片手で自分の首元に触れる。
(血を飲む伊集院様は、なんとも魅惑的だった。あの牙が、この首に突き刺さり、じゅるじゅると音を立て吸う……)
それはとても、良いことのような気がした。
ふと鏡が視界に入り、自分の顔が映し出される。その顔は、うっとりとして、なんとも惚けたものだった。
(……私ってば、何を考えて)
首から手を離すと、撫子は自分の頬をぱちぱちと叩く。
「撫子?」
いきなり声がして、驚いた撫子は肩を上げる。後ろを振り向くと、出入り口に慧が立っていた。仕事に行くのか、慧は軍服を着ている。
「い、伊集院様……! ど、どうされましたか??」
撫子は慌てた様子で、慧に近づく。
(い、今の見られてないよね……!?)
「お前に話があって、探していた。なんだってこんなところにいるんだ」
慧は訝しげにエプロン姿の撫子を見る。
「あっ、それは、アイロンがけをしておりまして」
そう言い、撫子は笑みを浮かべ、アイロン台の上に置かれたシャツを慧に見せる。
「私には、このくらいのことしかできないですから」
かしこまった様子でそう言った撫子に、慧は小さくため息をつく。
「……撫子、そういうのは使用人の仕事だ。あいつらの仕事を奪うな」
(あっ……)
呆れたような慧の物言いに、撫子は俯く。
(そうだわ……伊集院様の言う通り。私はみなさんのお仕事の邪魔をしている。ここのお屋敷の方はみんな優しいから、私のわがままを許してくれた)
「も、申し訳ありません。私は、余計なことを……」
落ち込む撫子に、慧はハッとする。
「あ、いや。余計なこととかではないのだが。お前が俺のためにしてくれたことは、嬉しいし……」
慧は軍服のポケットから何かを取り出すと、撫子の片手を掴み、その手の上に取り出したものを置く。それは、花びらの形になったケースに入った、ハンドクリームだった。
「手のあかぎれが、少しでも良くなれば良いと思って、だな……」
顔を上げた撫子に、慧は不慣れそうにそう言った。手の中に置かれたハンドクリームを真っ直ぐに見つめる撫子の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「な、なぜ泣く?? そんなに嫌だったのか……?」
戸惑った慧に、撫子は大きく首を振る。
「プレゼントをいただいたのは、初めてで……嬉しくて……」
ここまでして、自分のことを気にかけてくれる者など、撫子の世界にはいなかった。家族も、使用人も、みんな自分を忌まわしい呪われた子だと、蔑視しかしなかった。
「……」
涙を流し続ける撫子を、慧は静かにそっと、抱き寄せる。人間種である貧弱な撫子を抱きしめるのは、いつだって、力加減をしなくてはならない。
撫子は涙を指先で払うと、その抱擁の中から顔を上げ、慧に問う。
「そうだ伊集院様、私に何か、お話があるとおっしゃていませんでしたか?」
慧は思い出したかのように「ああ」と言うと、撫子を見据える。
「撫子、俺と夜会に出てくれないか?」
「……夜会、ですか??」」

