にいちゃんと俺は、喧嘩という喧嘩をほとんどしたことがない。たぶん、にいちゃんの心が海のように広いからだと思う。
優しくて、真面目で、まっすぐなにいちゃん。
小学生の頃の俺は、泣き虫でしょっちゅうベソかいて、出会った頃はさぞかし面倒臭かったであろう。でも、俺の手をぎゅっと握って「これからもいっぱい、遊ぼうね!」って笑ってくれたあの天使の顔は、未だ簡単に、脳裏に思い浮かぶ。
だけど今、俺の前には怒り顔のにいちゃんがいて、俺は「え、えっと」と慄く。
なんか、胃がキリキリと痛くなってきた。
でも、すぐに、にいちゃんの目が俺ではなく、後方を見ていることに気づいた。
「久登、千茅に何した」
「何もしてないよ」
久登先輩の声が、俺の後ろから聞こえてくる。さっきまでの『ちぃちゃん』呼びしていた柔い声色とは違う。その口調は妙に落ち着いた、優等生のものだ。
猫かぶりモード、オンってところらしい。
「俺が、何も分からないと思ってる?」
「ただ助けただけだよ。千茅くんが、走ってくる集団にぶつかられそうだったから、咄嗟に支えただけ」
「それだけ?」
「うん。それだけ。でも、和久を誤解させちゃったなら、ごめんね」
「……ほんとに?」
にいちゃんの声は低いままで、久登先輩を疑っているようだった。
そこでようやく、俺は二人が自分のせいで仲違いしかけている理由を悟った。
俺は今、たぶんだけど、当て馬ってやつになっている。
にいちゃんは久登先輩に好意があるから、俺に現在、ヤキモチ妬いているのだろう。そして、久登先輩はたぶん、にいちゃんが好きだから、ブラコンの俺から攻略しようとしてる。
つまるところ、二人は両思いってことだ。
俺はにいちゃんが大好きだし、本当はこの猫かぶりな先輩を少々、受け入れられない気持ちがある。だけど、にいちゃんの幸せを願うのが、良い弟ってもんだ。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、なんて言うし、弁えねば。
「にいちゃん、ほんとに、助けてもらっただけだよ。ほら、俺、にいちゃんの弁当のご飯、丸腰で持ってきたからさ。メッセージ送ったけど、見てない?」
俺は慌てて、腕に抱えていた内蓋だけ被せた弁当箱を、にいちゃんに見せた。すると、何度か瞬きをしてから、ぽつりと「ごめん、見てなかった」と言う。
でも、にいちゃんは機嫌を直してくれたみたいだ。安堵したみたいに、いつもみたくふにゃっと愛らしく笑った。
「えぇ〜、千茅。俺のためにわざわざ持って来てくれたの? 俺が行けばよかったのに、ごめんね。ほんと、千茅は優しいなぁ」
にいちゃんは俺に近づいて、頭を撫でてくれる。
ほんの少し、にいちゃんは俺より小さい。でも、心は俺よりもずっと、大きかった。
「いや、優しくないよ。ごめんな、にいちゃん。俺が弁当包むのミスったから、にいちゃんとこにおかず二個いった」
「ううん。謝る必要ないよ。むしろ、すぐに気づかなくてごめんね。俺がトイレ行ってたから……」
にいちゃんはそう言いながら、俺の手から弁当を受け取ってくれる。
「じゃあ、今、俺の方に千茅のおかずがあるんだよね」
「うん」
「ちょっと待っててね、取ってくるから」
にいちゃんはすぐに教室の方に向かって行った。
けど、その前に、チラと久登先輩に向けたにいちゃんの目が、なぜか獲物を狩る猛禽類のように鋭く見えたのは、俺の見間違えだろうか。
目をゴシゴシ擦って、にいちゃんの後ろ姿を見る。うん、すらっとしたにいちゃんは、いつ見ても綺麗だ。
大丈夫。あれは見間違え──そう思っていたら、ブブッとブレザーのポケットに入れたスマホが震えた。
一度ならず、何度も。スタンプでも連打されてるみたいに。
もしかして、相嶋と山本から早く帰ってこいって言われてるのかも。
俺はポケットからスマホを取り出して、画面を見た。
「ん……? って、え?」
俺の目に映るのは、画面に何度も表示される『白川久登さんからスタンプが送られました』の文字。
振り返ったら、久登先輩がなぜか、スマホを連打していた。
いやいや、待て待て。何してんだ、この人。
優しくて、真面目で、まっすぐなにいちゃん。
小学生の頃の俺は、泣き虫でしょっちゅうベソかいて、出会った頃はさぞかし面倒臭かったであろう。でも、俺の手をぎゅっと握って「これからもいっぱい、遊ぼうね!」って笑ってくれたあの天使の顔は、未だ簡単に、脳裏に思い浮かぶ。
だけど今、俺の前には怒り顔のにいちゃんがいて、俺は「え、えっと」と慄く。
なんか、胃がキリキリと痛くなってきた。
でも、すぐに、にいちゃんの目が俺ではなく、後方を見ていることに気づいた。
「久登、千茅に何した」
「何もしてないよ」
久登先輩の声が、俺の後ろから聞こえてくる。さっきまでの『ちぃちゃん』呼びしていた柔い声色とは違う。その口調は妙に落ち着いた、優等生のものだ。
猫かぶりモード、オンってところらしい。
「俺が、何も分からないと思ってる?」
「ただ助けただけだよ。千茅くんが、走ってくる集団にぶつかられそうだったから、咄嗟に支えただけ」
「それだけ?」
「うん。それだけ。でも、和久を誤解させちゃったなら、ごめんね」
「……ほんとに?」
にいちゃんの声は低いままで、久登先輩を疑っているようだった。
そこでようやく、俺は二人が自分のせいで仲違いしかけている理由を悟った。
俺は今、たぶんだけど、当て馬ってやつになっている。
にいちゃんは久登先輩に好意があるから、俺に現在、ヤキモチ妬いているのだろう。そして、久登先輩はたぶん、にいちゃんが好きだから、ブラコンの俺から攻略しようとしてる。
つまるところ、二人は両思いってことだ。
俺はにいちゃんが大好きだし、本当はこの猫かぶりな先輩を少々、受け入れられない気持ちがある。だけど、にいちゃんの幸せを願うのが、良い弟ってもんだ。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、なんて言うし、弁えねば。
「にいちゃん、ほんとに、助けてもらっただけだよ。ほら、俺、にいちゃんの弁当のご飯、丸腰で持ってきたからさ。メッセージ送ったけど、見てない?」
俺は慌てて、腕に抱えていた内蓋だけ被せた弁当箱を、にいちゃんに見せた。すると、何度か瞬きをしてから、ぽつりと「ごめん、見てなかった」と言う。
でも、にいちゃんは機嫌を直してくれたみたいだ。安堵したみたいに、いつもみたくふにゃっと愛らしく笑った。
「えぇ〜、千茅。俺のためにわざわざ持って来てくれたの? 俺が行けばよかったのに、ごめんね。ほんと、千茅は優しいなぁ」
にいちゃんは俺に近づいて、頭を撫でてくれる。
ほんの少し、にいちゃんは俺より小さい。でも、心は俺よりもずっと、大きかった。
「いや、優しくないよ。ごめんな、にいちゃん。俺が弁当包むのミスったから、にいちゃんとこにおかず二個いった」
「ううん。謝る必要ないよ。むしろ、すぐに気づかなくてごめんね。俺がトイレ行ってたから……」
にいちゃんはそう言いながら、俺の手から弁当を受け取ってくれる。
「じゃあ、今、俺の方に千茅のおかずがあるんだよね」
「うん」
「ちょっと待っててね、取ってくるから」
にいちゃんはすぐに教室の方に向かって行った。
けど、その前に、チラと久登先輩に向けたにいちゃんの目が、なぜか獲物を狩る猛禽類のように鋭く見えたのは、俺の見間違えだろうか。
目をゴシゴシ擦って、にいちゃんの後ろ姿を見る。うん、すらっとしたにいちゃんは、いつ見ても綺麗だ。
大丈夫。あれは見間違え──そう思っていたら、ブブッとブレザーのポケットに入れたスマホが震えた。
一度ならず、何度も。スタンプでも連打されてるみたいに。
もしかして、相嶋と山本から早く帰ってこいって言われてるのかも。
俺はポケットからスマホを取り出して、画面を見た。
「ん……? って、え?」
俺の目に映るのは、画面に何度も表示される『白川久登さんからスタンプが送られました』の文字。
振り返ったら、久登先輩がなぜか、スマホを連打していた。
いやいや、待て待て。何してんだ、この人。



