にいちゃんは昔から海のように広い心で、俺に接してくれた。
小学生の頃の俺は、負けず嫌いで、すぐ悔し泣きした。そんな俺を励ますために、にいちゃんがお気に入りのシールをくれた日のことは、未だはっきりと覚えている。
──ほら、ちがや。これね、僕の名前と似たシール。ちがやは僕の弟になったから、これは兄弟の証ね!
そう言って、にいちゃんは可愛いピクシーのシールをくれた。
あれがとても嬉しくて、俺はあの日からワクワクマンシールを集め始めた。
あの日のことは鮮明に脳裏に浮かぶのに──今、俺の目の前には、怒り顔のにいちゃん。
直視できなくて、「え……えっと」と目が泳いでしまった。
ただ、にいちゃんが怒りを露わにしているのは、俺に対してじゃないのかもしれない。
「久登、千茅に何した?」
その声で、にいちゃんを見た。綺麗なアーモンド型の目は、俺ではなく後ろを見ている。
「何もしてないよ」
背後からは、さっきまでの「ちぃちゃん」呼びした柔い声色とは違う、落ち着き払った久登先輩の声。
「ふざけないで。俺が何も分からないって思ってる?」
「ただ助けただけだよ」
「助けた……?」
「うん。千茅くんがC組の人らにぶつかられそうになってたから。咄嗟に、支えただけ」
「それだけ?」
「うん。それだけ。和久を誤解させたなら、ごめんね」
「……ほんとに?」
にいちゃんの声は低いまで、久登先輩を信じられないようだった。
まるでそれは、浮気を咎めるカップルの会話のよう──って、待って。なんか俺、当て馬になってない?
俺はほんの少しその場から移動して、二人を交互に見た。
久登先輩の一方通行なのかと、思っていた。けど、互いのことを意識し合っているのは、丸わかりだった。今、まさに二人はじっと目を逸らさずに、見つめ合っている。
そういえば、にいちゃんが高校入ってすぐの時に「僕ね、男も女もどっちも好きになれる人間だった」って、夕飯中にカミングアウトした。
父さんも母さんも、子どもたちが幸せならオールOKみたいな感じだから、すんなり受け入れた。俺も、にいちゃんは優しさに満ち溢れているし、性別関係なく誰を好きになってもおかしくないなって、すぐに納得した。
もしかして、あの時、にいちゃんがカミングアウトしたのは、久登先輩を好きになったからだろうか。
綺麗すぎるがゆえに、にいちゃんは人との距離感に悩んでいたのに。クリスマスの日、久登先輩の肩に寄り掛かって寝ていた姿を思い出したら、腑に落ちた。
ただ、久登先輩は二面性どころか、他にも色んな顔を持ち合わせていそうな化け狐みたいだ。そんな先輩に、にいちゃんは勿体無いと思う。
だけど、もし、二人が両想いなのだとしたら──弟の俺は、幸せを願うしかない。にいちゃんの幸せを願える、いい弟でありたい。
だからこそ、久登先輩がにいちゃんに相応しくない行動を取らないように、俺がちゃんと見張っておかなければ。
そして、こんなことで仲違いさせてはいけない。
「にいちゃん! 助けてもらっただけだから! ほら、見て。丸腰で持ってきた白米、落としそうだったとこを助けてもらった!」
慌てて、内蓋だけ被せた弁当箱を見せる。にいちゃんは瞬きを何回かしてから「なんで白米…」と呟く。
「いや、これには訳があってさ」と、俺は簡単に説明をしたら、にいちゃんはまたいつものように、ふにゃっとした笑顔を見せてくれた。
「えぇ〜、千茅。僕のためにわざわざ? 僕が行けばよかったのに、ありがと。ほんと、千茅は優しいなぁ」
にいちゃんは俺に近づいてくると、ほんの少し背伸びをして、頭を撫でてくれた。
「いや、優しくないよ」
だって、にいちゃん来たら、相嶋あたりがうるさいだろうし……というのは心に留めておいた。
「てか、ごめん。俺がミスったせいで」
「ううん。謝る必要ないよ。僕こそトイレ行ってたから、気づかなくてごめんね」
そう言って、にいちゃんは俺から白ご飯を受け取る。
「じゃあ、今は僕の方におかずが二つなんだね」
「うん」
「ちょっと待ってて。取ってくる」
にいちゃんはそう言ってから、チラッと久登先輩の方を見た。その目が、なんか……猛禽類のように鋭かった気がする。
今のは、何? そう思っているうちに、あっという間に教室に向けて、駆けて行く。
思わず、目を擦った。でも、にいちゃんの後ろ姿は、やっぱりいつも通り小動物みたいだった。
「あれは、見間違え……だよな?」
ぽつりと呟いたその時、スマホを入れたブレザーのポケットが震えた。しかも、スタンプでも連打してるみたいに持続的な振動だ。
「相嶋のやつ、どんだけからあげ食べたいんだよ……」
友人からの催促だと思って、呆れ果てながらスマホを取り出す。
「ん……? って、え?」
俺の目に飛び込むのは『白川久登さんからスタンプが送られました』の文字。
振り返れば、少し離れた場所にいる久登先輩。むすっと頬を膨らませながら、スマホを連打していた。
小学生の頃の俺は、負けず嫌いで、すぐ悔し泣きした。そんな俺を励ますために、にいちゃんがお気に入りのシールをくれた日のことは、未だはっきりと覚えている。
──ほら、ちがや。これね、僕の名前と似たシール。ちがやは僕の弟になったから、これは兄弟の証ね!
そう言って、にいちゃんは可愛いピクシーのシールをくれた。
あれがとても嬉しくて、俺はあの日からワクワクマンシールを集め始めた。
あの日のことは鮮明に脳裏に浮かぶのに──今、俺の目の前には、怒り顔のにいちゃん。
直視できなくて、「え……えっと」と目が泳いでしまった。
ただ、にいちゃんが怒りを露わにしているのは、俺に対してじゃないのかもしれない。
「久登、千茅に何した?」
その声で、にいちゃんを見た。綺麗なアーモンド型の目は、俺ではなく後ろを見ている。
「何もしてないよ」
背後からは、さっきまでの「ちぃちゃん」呼びした柔い声色とは違う、落ち着き払った久登先輩の声。
「ふざけないで。俺が何も分からないって思ってる?」
「ただ助けただけだよ」
「助けた……?」
「うん。千茅くんがC組の人らにぶつかられそうになってたから。咄嗟に、支えただけ」
「それだけ?」
「うん。それだけ。和久を誤解させたなら、ごめんね」
「……ほんとに?」
にいちゃんの声は低いまで、久登先輩を信じられないようだった。
まるでそれは、浮気を咎めるカップルの会話のよう──って、待って。なんか俺、当て馬になってない?
俺はほんの少しその場から移動して、二人を交互に見た。
久登先輩の一方通行なのかと、思っていた。けど、互いのことを意識し合っているのは、丸わかりだった。今、まさに二人はじっと目を逸らさずに、見つめ合っている。
そういえば、にいちゃんが高校入ってすぐの時に「僕ね、男も女もどっちも好きになれる人間だった」って、夕飯中にカミングアウトした。
父さんも母さんも、子どもたちが幸せならオールOKみたいな感じだから、すんなり受け入れた。俺も、にいちゃんは優しさに満ち溢れているし、性別関係なく誰を好きになってもおかしくないなって、すぐに納得した。
もしかして、あの時、にいちゃんがカミングアウトしたのは、久登先輩を好きになったからだろうか。
綺麗すぎるがゆえに、にいちゃんは人との距離感に悩んでいたのに。クリスマスの日、久登先輩の肩に寄り掛かって寝ていた姿を思い出したら、腑に落ちた。
ただ、久登先輩は二面性どころか、他にも色んな顔を持ち合わせていそうな化け狐みたいだ。そんな先輩に、にいちゃんは勿体無いと思う。
だけど、もし、二人が両想いなのだとしたら──弟の俺は、幸せを願うしかない。にいちゃんの幸せを願える、いい弟でありたい。
だからこそ、久登先輩がにいちゃんに相応しくない行動を取らないように、俺がちゃんと見張っておかなければ。
そして、こんなことで仲違いさせてはいけない。
「にいちゃん! 助けてもらっただけだから! ほら、見て。丸腰で持ってきた白米、落としそうだったとこを助けてもらった!」
慌てて、内蓋だけ被せた弁当箱を見せる。にいちゃんは瞬きを何回かしてから「なんで白米…」と呟く。
「いや、これには訳があってさ」と、俺は簡単に説明をしたら、にいちゃんはまたいつものように、ふにゃっとした笑顔を見せてくれた。
「えぇ〜、千茅。僕のためにわざわざ? 僕が行けばよかったのに、ありがと。ほんと、千茅は優しいなぁ」
にいちゃんは俺に近づいてくると、ほんの少し背伸びをして、頭を撫でてくれた。
「いや、優しくないよ」
だって、にいちゃん来たら、相嶋あたりがうるさいだろうし……というのは心に留めておいた。
「てか、ごめん。俺がミスったせいで」
「ううん。謝る必要ないよ。僕こそトイレ行ってたから、気づかなくてごめんね」
そう言って、にいちゃんは俺から白ご飯を受け取る。
「じゃあ、今は僕の方におかずが二つなんだね」
「うん」
「ちょっと待ってて。取ってくる」
にいちゃんはそう言ってから、チラッと久登先輩の方を見た。その目が、なんか……猛禽類のように鋭かった気がする。
今のは、何? そう思っているうちに、あっという間に教室に向けて、駆けて行く。
思わず、目を擦った。でも、にいちゃんの後ろ姿は、やっぱりいつも通り小動物みたいだった。
「あれは、見間違え……だよな?」
ぽつりと呟いたその時、スマホを入れたブレザーのポケットが震えた。しかも、スタンプでも連打してるみたいに持続的な振動だ。
「相嶋のやつ、どんだけからあげ食べたいんだよ……」
友人からの催促だと思って、呆れ果てながらスマホを取り出す。
「ん……? って、え?」
俺の目に飛び込むのは『白川久登さんからスタンプが送られました』の文字。
振り返れば、少し離れた場所にいる久登先輩。むすっと頬を膨らませながら、スマホを連打していた。

