ほとほと困り果てていたら、この状況を救ってくれるかの如く、手元のスマホが震えた。
画面を見たら、『相良和久』と表示されている。
にいちゃん……! 助かった!
俺は慌てて、応答ボタンをスライドした。スマホを耳に押し当てて、声を上げる。
「もしもし、にいちゃん?」
『あ、千茅? あのさ、久登の連絡先教えるから、ちょっと俺の代わりに何度か、電話かけてくれない?』
「えっと……久登先輩に電話……?」
大好きなにいちゃんからの思いがけない言葉に、声が裏返りそうになる。
でも、今、俺の目の前にいるけど、なんて言葉は飲み込んで、とりあえず話を聞いてみることにした。
「なにかあった?」
『久登、学校でも遅刻なんかしたことないんだけどね、予備校に来てないし、連絡つかなくて。そろそろ授業始まるから、僕の代わりに千茅から電話して貰えたら助かるなぁって』
「先輩って、にいちゃんと同じ予備校行ってんの……?」
すごく失礼な話だが、雪の日に駄菓子屋にやって来るくらいだ。久登先輩は、小学生よりも暇人なんだと思っていた。
『え? あ、うん。この前、千茅がおばあちゃんとこで店番してた時に、連れてったでしょ。あの日から通うって』
「へぇー」
先週、にいちゃんは予備校に行く前に、久登先輩をここに連れて来た。
ばあちゃんの家は、結構街中に近いエリアにある。にいちゃんが通う予備校も、ここから歩いて徒歩10分もない。
もしかして今日は、糖分補給のために寄ったのか? ワクワクマンチョコちょうどいいもんなぁと思いながら、俺は目と鼻の先に座る久登先輩を見やる。
先輩はまるで「ここにいるのは内緒にして」とでも言いたげに、しーっと人差し指を立てていた。
久登先輩にはよく揶揄われるし、にいちゃんにチクろうと思えば出来る。でも、この人はにいちゃんの前で猫をかぶっているくらいだし、俺には変な質問までしてきた。
にいちゃんのことが好きなら、サボってる姿なんて、見せたくはないはずだ。
もしかしたら、久登先輩に貸しを作れるかも──なんて良からぬことを考えたら、俺の口は「わかった、連絡してみる」と、勝手に動いていた。
自分でもびっくりだ。
『ほんと? 助かる。連絡先送るね』
にいちゃんがホッとしたように息をつくのが、電話越しに分かった。
「ん、わかった」
『じゃあ、またね』
「はーい。勉強頑張って」
プーップーッと、にいちゃんとの通話を切れたことを確認してから、俺はスマホをレジの机に置く。
久登先輩の方に視線を戻すと、コートの下に制服のブレザーを着ていることに、俺はようやく気づいた。
予備校、行くつもりはあったんじゃん。なのに、なんで行かないんだか。
そんな俺の呆れた視線に、久登先輩は気づいたみたいだ。さっきまでの図々しさは消え去って、今はただ、気まずそうに笑った。
「ちぃちゃん……ごめんね? 嘘つかせて。あ、えっと……予備校行くから、ワクワクマンチョコ10個くれる?」
「万札は対応してないですよ、1200円です」
俺は立ち上がって、ワクワクマンチョコ10個入りの箱を、レジ近くの棚から取り出した。
「あ、そっか。ごめん」
久登先輩はすぐに財布にお札を戻して、500円玉3枚取り出した。俺がレジを打ち始めたら、小上がりから立ち上がって、近くまでやってくる。受け皿として使っている木皿に、そっと小銭を置いてくれた。
預かり金1500円を打ち込むと、古いレジスターらしい音で、チン、と引き出しが開く。俺はそこから300円を取り出した。
「手、出してください」
「え? あぁ……うん」
そう言って差し出された久登先輩の手のひらに、俺の指先がわずかに触れる。ただお金を返しただけなのに、その瞬間、先輩の体が跳ねるのが分かった。
え、何。今の反応。
不思議に思いながら、俺よりも10センチくらい身長の高い久登先輩を見上げた。いつもなら、嫌ってくらい俺の方をみてくるくせに、先輩はなぜか恥ずかしそうに目を逸らす。
まあ、いいけど。
「先輩、ちょっと待ってくださいね。袋入れます」
俺が白いビニール袋に手を伸ばしたその時、久登先輩から「ちぃちゃん」と呼ばれた。
顔を上げたら、久登先輩はふっと目を細めて、柔らかい眼差しを俺に向けている。
「シール交換しようと思ってたけど、それ。ちぃちゃんに、あげる。和久に黙ってくれた、お礼」
本当に、この人は何をしに来たのか。
ワクワクマンシール、欲しいって言ったくせに。
俺とシール交換してみたいって言ったよな。
でも、俺が返事をする前に、久登先輩は背中を向けて、リュックを背負う。
「じゃあね、ちぃちゃん」
一瞬だけ俺の方を向いて、久登先輩は手を振りながら、引き戸を開ける。あっという間に、パシャリと扉を閉めて、外に出ていってしまった。
先輩がいなくなった後の狭い店内は、静かだ。一人だと時計の針の音が、やたらとうるさく聞こえる。
レジの上には、取り残されたワクワクマンチョコの箱。俺はその箱を見つめながら、小さく呟く。
「あの人、ほんとに、何しにここに来たんだ?」
ここ最近、ありとあらゆる迷惑を被っているのだから、ちょっとくらい貰ってもいいか。
なんて、適当に理由をつけながら、俺はワクワクマンチョコの箱を手に取った。
でも、久登先輩からこんな形で貰うことに、スッキリはしない。
「あー、もう。めんど……」
俺は独りごちながら、もう一度スマホを手に取った。
ロック画面には、にいちゃんからのメッセージ。仕方なく、それを開いて久登先輩の連絡先を登録することにした。
そして、ぽちぽちと指を動かして文章を作っていく。
《千茅です。ワクワクマンチョコ、ありがとうございました。返してって言われても、返しませんからね。それでは》
つい可愛げない文章を打って、ほんの少し送信するのを躊躇った。けど、タメ口がいいとか言うくらいだし、まぁいいかとボタンを押す。
「帰ったら、開けさせてもらお」
メッセージを送った先で、久登先輩が何を考えているかも知らずに、俺は再び、小上がりに戻った。



