猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい

 久登(ひさと)先輩と押し問答をすること、数分。ほとほと困り果てていたら、この状況を救ってくれるかの如く、手元のスマホが震えた。

 画面を見たら、『相良(さがら)和久(わく)』と表示されている。

 ナイスタイミング、にいちゃん……!
 俺は助けを求めて、素早く応答ボタンをスライドした。スマホを耳に押し当てて、テンション高めに声を上げる。

「もしもし、にいちゃん?」
『あ、千茅(ちがや)?』
「うん。何?」
『あー、あのさ、久登の連絡先教えるから、ちょっと俺の代わりに何度か、電話かけてくれない?』
「えっとぉ……? 久登先輩に電話……?」

 にいちゃんからの思いがけない言葉に、声が裏返る。
 俺にとって、にいちゃんからの電話は何よりも嬉しいことなのに、内容は久登先輩絡みだなんて。俺のテンションは、瞬く間に急降下していく。
 ただ、俺の目の前にいるけど──なんて言葉は飲み込んだ。だって、そしたらにいちゃんから電話を代わってと言われてしまう。
 とりあえず、俺は話を聞いてみることにした。
 
「なにかあった?」
『久登、学校でも遅刻なんかしたことないんだけどね、予備校に来てないし、連絡つかなくて。そろそろ授業始まるから、僕の代わりに千茅から電話して貰えたら助かるなぁって。雪がひどいから心配でね』
「先輩って、にいちゃんと同じ予備校行ってんの……?」

 すごく失礼な話だが、こんな大雪の日に駄菓子屋へやって来るくらいだ。久登先輩は、小学生よりも暇人なんだと思っていた。

『え? あ、うん。千茅がおばあちゃんとこで店番してた時に、連れて行ったことがあるでしょ。あの日から通うって』
「へぇー」

 いつだったか、にいちゃんは予備校前に、久登先輩をここに連れて来た。
 ばあちゃんのこの駄菓子屋は、結構街中と程近いエリアにある。にいちゃんが通う予備校も、ここから歩いて徒歩10分もない。
 そうか、あの日からにいちゃんと予備校に……。

 もしかして、久登先輩は今日、糖分補給のために寄ったのか? ワクチョコ、小腹空いたら食べるのにちょうどいいサイズだもんなぁと思いながら、目と鼻の先に座る久登先輩を見やる。
 すると、先輩は「ここにいるのは内緒にして」とでも言いたげに、口の前に人差し指を立て、しーっと唇を動かした。

 久登先輩にはよく揶揄われるし、にいちゃんにチクろうと思えば出来る。
 でも、この人はにいちゃんの前では猫をかぶっているくらいだ。俺を恋敵とでも思って変な質問をしてくるくらいだし、にいちゃんにはサボってるなんて知らされたくないはず。

 もしかしたら、久登先輩に貸しを作れるかも。
 いや、弱味を握ってしまったのかもしれない。

 なんて、良からぬことを考えたら、俺の口は勝手に「わかった、連絡してみる」と、動いていた。
 自分でもびっくりだ。

『ほんと? 助かる。連絡先送るね』

 にいちゃんがホッとしたように息をつくのが、電話越しに分かった。

「ん、了解」
『じゃあ、またね』
「はーい。勉強頑張って」

 プーップーッと、にいちゃんとの通話を切れたことを確認してから、俺はスマホをレジの横に置く。
 久登先輩の方に視線を戻すと、先輩が制服のブレザーを着ていることにようやく気づいた。

 予備校、行くつもりはあったんじゃん。なのに、なんですぐに行かないんだか。

 そんな俺の呆れた視線に、久登先輩は気づいたみたいだ。さっきまでの図々しさは消え去って、今はただ、気まずそうに笑った。

「ちぃちゃん……ごめんね? 嘘つかせて」
「ほんとですよ」
「あー、えっと……予備校行くから、ワクワクマンチョコクランチ……ううん、ワクチョコ10個くれる?」

 なんかしおらしくされると、こっちの調子が狂いそうだ。

「万札は対応してないですよ、1200円です」

 俺はそう伝えて、立ち上がる。ワクチョコ10個入りの箱を、レジ近くの棚から取り出してから、また久登先輩の方を見た。
 結構、冷たい口調になってしまったのに、久登先輩はなんか優しい目をしている。

「そうだった。ごめん」

 久登先輩はすぐに財布にお札を戻して、500円玉3枚取り出した。俺がレジを打ち始めたら、立ち上がって、近くまでやってくる。受け皿として使っている木皿に、そっと小銭を置いてくれた。
 預かり金1500円を打ち込むと、古いレジスターらしい音で、チン、と引き出しが開く。

「手、出してください」
「え? あぁ……うん」

 差し出された久登先輩の手のひらに、お釣りを返す俺の指先がわずかに触れる。その瞬間、先輩の体が跳ねるのが分かった。
 え、何。今の反応。
 不思議に思いながら、俺よりも10センチくらい身長の高い久登先輩を見上げた。
 いつもなら、嫌ってくらい俺の方をみてくる。なのに、先輩はなぜか恥ずかしそうに目を逸らす。
 なんなんだよ、その反応は。まぁ、いいけどさぁ。
 
「先輩、ちょっと待ってくださいね。袋入れます」

 俺が白いビニール袋に手を伸ばしたその時、久登先輩から「ちぃちゃん」と呼ばれた。
 顔を上げたら、久登先輩はふっと目を細めていた。また、柔らかい眼差しだ。
 さっきから、何なんだろう。

「シール交換しようと思ってたけど、それ。ちぃちゃんに、あげる。和久に黙ってくれた、お礼」

 久登先輩はそう言いながら、財布の口を閉じる。
 本当に、この人は何をしに来たんだろう。
 ワクワクマンシール、欲しいって言ったのは先輩なのに。俺とシール交換してみたいって言うのも、久登先輩だ。

 久登先輩に一言、何か言おうとしたら、その前に「あのさ、ちぃちゃん」と、話しかけられた。

「なんですか……?」
「本当に、和久のことは恋愛的な意味で好きじゃないんだよね?」

 いや、クリスマスにも言っただろと言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。
 牽制は、一度で懲り懲りだ。

「違いますよ。前にも言いましたけど、にいちゃんはにいちゃんです。それ以上言ったら、今日のことにいちゃんにバラしますよ?」

 そう言った瞬間、久登先輩は「ううん。もう、言わないよ」と首を振った。

「そっか。そっか。うん、そうだよね」

 久登先輩は口の中で言葉を転がすように、しみじみと言う。俺の目にはその様子が、喜びを嚙み締めるように見えた。

 まだ、この人は俺をにいちゃんの好敵手として見ているのかよ。ほんと、呆れそうになる。
 あの──と言おうとしたら、久登先輩はもう動き出していた。

「じゃあね、ちぃちゃん」

 濡れたコートを着て、久登先輩は引き戸へ向かった。扉を開ける前に、もう一度だけ俺の方を向く。

「また、口説きに来るね〜」

 そう言い残して、へらりと笑った久登先輩はあっという間に外に出ていってしまった。

「口説くって……まだ冗談言ってんの?」

 俺の独り言が、静かな店内にぽつりと落ちる。時計の針の音が、やたらとうるさい。
 レジの上には、取り残されたワクチョコの箱。
 
「あの人、ほんとに、何しに来たんだ? 謎すぎるんだけど。……てか、これどうするよ」

 働いて貰ったわけじゃない箱を手に取って、ため息を漏らす。
 こういうの、ちょっとモヤる。

「あー、もう。めんど……」

 もう一度スマホを手に取ってみれば、ロック画面には、にいちゃんからのメッセージ。
 仕方なく開いて、久登先輩の連絡先を登録した。
 
《千茅です。ワクチョコ、ありがとうございました。返してって言われても、返しませんからね。でも、俺にできることがあったら、言ってください。貰いっぱなしなのは嫌なんで。一つだけなら、言うこと聞きます。それでは》

 随分と可愛げない文章になってしまった。けど、タメ口がいいとか言うくらい変な人だし、まぁいいかとボタンを押す。
 
「帰ったら、開けさせてもらお」

 メッセージを送った先で、謎すぎる久登先輩が何を考えているかも知らずに、俺は再び小上がりに戻った。