猫かぶりな兄の親友は、ブラコンの俺を構いたい

 俺の平穏は、大体いつも久登(ひさと)先輩に壊される。

 寒波の続く、一月下旬。駄菓子屋の奥の小上がりにいた俺──相良千茅(さがらちがや)は、ぬくぬくとしたストーブとこたつの熱で、ぼんやりとした土曜の午後を過ごしていた。
 ばあちゃんの「ちぃちゃん、店番頼むな〜」という声も、まどろみの中ではどこか夢の続きみたいに聞こえる。
 でも、少子化のこのご時世。どうせ今日も、客なんて来ない。なーんて、そんな静けさに甘えていたら、引き戸の向こうからやけに丁寧な男の声が聞こえてきた。

「こんにちは、おばあちゃん。これからお出かけですか?」

 聞き慣れた声。だけど、どこか感じの違う声の主は、ちょうど外に出たばあちゃんと鉢合わせしたらしい。

「まぁ久登くん、これから隣の野木さんとこ行ぐのよ。寒がったべぇ。ほら、中さ入れ」
「ありがとうございます。雪ひどいんで、おばあちゃんも気を付けてください」
「ありがとなぁ。ちぃちゃんと仲良ぐしてな〜」

 二人のやりとりが終わる気配を感じて、ようやく俺もこたつから顔を上げた。
 ばあちゃんに向けて、完璧な笑顔を向けていたであろうその男──白川久登(しらかわひさと)先輩は、俺と同じ高校の二年生だ。にいちゃんの親友で、いわゆる優等生ってやつなんだけど。
 ばあちゃんを見送った後の久登先輩は、くるっと店の方を向いた瞬間、豹変した。

「ちぃちゃん、今日なんか、めちゃくちゃ雪凄いんだけど! やーばいっ!」

 今日も絶賛猫かぶりだった久登先輩は、思いっきり素を出してきた。軽い。今日もノリが軽い。

 ただ、どうしたよ、今日の先輩は。
 身長は180半ばあるし、とんでもなく顔がいいくせに、その輝きを隠すみたいに、全身が雪でコーティングされている。リュック前抱きのまま、モッズコートはずぶ濡れ。なんか濡れた犬っぽ……いや、絶妙にダサい。
 その様子で、ばあちゃんの前で優等生をしていたのかと思ったら、噴き出しそうになった。

 そんな久登先輩は俺を見るなり、パッと花が咲くみたいな甘い笑顔を浮かべてみせる。
 ダサいってのは訂正だ。俺の眠気なんか、どこかに飛んでいくくらい、今日も先輩の顔は眩しかった。

「また来たんですか」
「えへへ。うん。今日も来ちゃった~」

 にこにこというか、へらへらとしながら、久登先輩は店に入ってくる。
 だけど、来ちゃったじゃないから。雪のっけて入ってくるなよ。床汚れる。
 なんて思っていたら、先輩についている雪が、今まさに床目掛けて落ちていく。

「先輩、雪」

 犬に「ハウス」と指示するみたいに、俺は指を外へ向ける。
 すると、久登先輩はようやく自分の状況を把握したらしい。柔らかな垂れ目を、大きく見開いた。

「あははっ、ごめんごめん~」

 柔和に笑うと、久登先輩はくるりと俺に背を向けた。外で勢いよく雪を払って、華麗に店内に戻ってくる。

「もうさ~、今日、雪すっごいのなんの。前が見えなくて、死ぬかと思ったよねぇ。こんな豪雪、久々で笑った〜」

 久登先輩はけらけら笑いながら引き戸を閉めると、びしょ濡れのコートを脱いで、適当に丸めた。
 結構、雑だなこの人と思っていたら、さも当たり前のようにこっちにやってきて、小上がりの段差の端にちょこんと腰を下ろす。

 そんな久登先輩は、やや長めの茶髪を耳にかけながら、端整な顔を俺の方に向けてきた。
 垂れ気味の目に、それを縁取る長い睫毛。上品に伸びた鼻筋に、ハリのある唇。
 こういうイケメンって、なんで何やっても許されると思ってんだろうな。
 なんて考えていたら、久登先輩は垂れた目尻をさらに緩めてみせた。

「ねぇ。ちぃちゃん、もしかしてまた寝てた?」
「寝てないです」
 
 俺は間髪入れずに、返事した。
 
「いや、寝てたよね?」
「寝てないです」
「え〜? だって、ちぃちゃん、ヨダレ垂れてるよ。ヨ・ダ・レ」
「えっ、嘘」

 俺は慌てて、手の甲で口元を拭った。だが、手が濡れる感覚はない。もしかして、と思って久登先輩の方を見たら、案の定そうだった。
 笑いを堪えるみたいに、久登先輩はくつくつと肩を震わせている。

 くそう。また、揶揄ってきたのかよ。

 久登先輩はいつもこうだ。油断したら、すぐにおちょくってくる。
 恨めしい気持ちで睨みつけると、久登先輩は「ごめん、ごめん。許してー。ちぃちゃん可愛いから、つい揶揄っちゃった」なんて、笑って誤魔化そうとした。

 そんなんで許すか、この野郎。
 こちとら、可愛いとは程遠い普通の男子高校生だぞ。そりゃ久登先輩に比べたら小さいけど、平均身長はあるし、運動神経ならそこらのやつらには負けてない。元バスケ部だから、筋肉だってある。全国大会に出た時なんて、平凡な顔の俺でも女子にかっこいいって騒がれた。
 正直、可愛いよりかっこいいって言われる方が断然嬉しいんだよ──って……そもそも俺、この人が苦手だから、許すも何もないんだけど。
 へらへら笑う久登先輩を見ながら、自分ばかりが振り回されるこの状況に、思わずため息がこぼれた。
 
「……てか、なんで先輩、俺にこんなに構うんですか?」
「え~? 何でって、ちぃちゃんを口説くためだけど?」

 聞いた俺が馬鹿だった。開いた口が塞がらない。
 ……そういうのは、にいちゃんに言ってくれよ。

「あーはいはい、また冗談ですね。間に合ってますー」

 久登先輩の軽口に随分と慣れ切ってしまった俺は、適当にあしらうことにした。
 
 かっこよくて、礼儀正しくて、文句なしの優等生。
 それが、世間一般の白川久登への印象だと思う。
 俺もずっと、にいちゃんの親友に相応しい、品行方正な理想の先輩だって、信じていた。
 入学式の日に、保健室で俺の膝に湿布を貼ってくれた久登先輩の姿も、未だ色鮮やかに思い出せる。

 なのに、今では、その面影はどこへやら。
 にいちゃんがいないところでは、俺に冗談ばかり言って絡んでくる、かなり面倒臭い先輩。
 それが、この人の今の印象だ。
 
 かっこよかったはずの久登先輩が、こんな風に変わってしまったのは、一ヶ月前のこと。クリスマスの日の一件が、原因だった。