「ちぃちゃーん、来たよー……って、あれ? 寝てる?」
寒波の続く、一月末。引き戸が開く音がした後に、軽快な男の声が俺──相良千茅の耳を打った。
ここは、俺のばあちゃんが趣味でしている駄菓子屋だ。自宅の一画を改装した、六畳ほどの空間。壁に沿うように駄菓子の棚が三つあって、近所の子どもが数人来たら、すぐ密になるような店。
俺はそんな駄菓子屋で、毎週土曜に三時間だけ、ばあちゃんの家に来るついでに、店番を任されている──のだけど。
店の奥にある小上がりの畳は、冬になるとストーブの熱で常にぽかぽかだ。ほんの少し目を瞑っていたはずが、随分と眠りこけていたらしい。
ハッと目を開けたら、スマホで見ていた動画は既に止まっている。視線を感じて顔を上げた瞬間、俺の背中にじんわりと嫌な汗が滲んだ。
寝起きの俺なんて、見ても楽しくないだろうに。
黒いモッズコートを着た身長の高い男が一人、俺をじっと見つめている。
その人は目が合うなり、俺が女子だったら勘違いしそうなほど、甘い笑顔を見せてきた。
「やっほー、ちぃちゃん。来ちゃった」
手をひらひらと振りながら、俺をそう呼ぶこの人は、白川久登先輩だ。
やや垂れ気味の目に、それを縁取る長い睫毛。上品に伸びた鼻筋に、ハリのある唇。
相変わらず顔の良い久登先輩は、俺の高校の二年生で、にいちゃんの親友でもある。
そんな久登先輩は、色素の薄い髪にほんの少し雪をつけたまま、俺のいる小上がりに近づいてきた。畳部分に手をつくと、さも当たり前みたいに段差の端に腰を下ろして、垂れた目尻をさらに緩めてみせる。
「ちぃちゃん、また寝てたね?」
「寝てないです」
俺は間髪入れずに、返事する。
女子ウケしそうな、久登先輩の甘いマスクには、油断禁物だ。なかなかに曲者のこの人の前では、絶対に弱みを見せてはいけない。
俺はぐっと表情を引き締めて、すっと目を逸らした。
「いや、寝てたよね?」
「寝てないです」
「え〜? だって、ちぃちゃん、ヨダレ垂れてるよ」
「えっ、嘘」
俺は慌てて、手の甲で口元を拭った。だが、手が濡れる感覚はない。もしかして、と思って久登先輩の方を見たら、案の定そうだった。
笑いを堪えるみたいに、久登先輩はくくっと肩を震わせている。
くそう。また、揶揄ってきたのかよ。
俺は恨めしい気持ちで、久登先輩を睨みつけた。
すると、久登先輩は「ごめんごめん。許してー。ちぃちゃん可愛いから、つい揶揄っちゃった」なんて、笑って誤魔化そうとする。
そんなんで許すか、この野郎。こちとら、可愛いとは程遠い、平均身長はある普通の男子高校生だぞ。元バスケ部だから筋肉だってあるし、可愛いよりかっこいいって言われる方が嬉しいんだからな。
って……そもそも俺はこの人が苦手だから、許すもなにもないんだけど。
へらへら笑う久登先輩を見ながら、俺は軽くはぁ、とため息をこぼした。
かっこよくて、礼儀正しくて、文句なしの優等生──それが、世間一般の白川久登への印象だと思う。
俺もずっと、にいちゃんの友達に相応しい、品行方正な理想の先輩だって、信じていた。
入学式の日、校内で迷子になっていた俺を、颯爽と助けてくれた先輩の姿は、未だ色鮮やかに思い出せる。
なのに、今では、その面影はどこへやら。
にいちゃんがいないところでは、俺に冗談ばかり言って絡んでくる、かなり面倒臭い先輩。
それが、この人の今の印象だ。
あの──かっこよかったはずの久登先輩が、こんな風に変わってしまったのは、一ヶ月前のこと。クリスマスの日の一件が、原因だった。



