にいちゃんの親友は、何かと俺に構いたがる。
普段は優等生なのに、二人きりだとノリが軽い。にいちゃんを狙ってるくせに、俺との距離が近い。
やたらとウザ絡みしてくるし、にいちゃんのことで牽制までしてくるから、ほんと困ったもんだ。
俺の平穏は久登先輩に壊されて、正直、物凄く苦手だった──はずなのに。
どうしてこの人が、こんなにも気になってしまうんだろう。
◆
「ちぃちゃん、ばっちゃんは隣さ行ってくるがら、今日も店番頼むなぁ」
寒波の続く、一月下旬。駄菓子屋の小上がりで、コタツに入っていた俺──相良千茅は、眠気を噛み殺しながら「はーい。気をつけてなぁ」と返事をした。
東北の内陸にあるこの町は、今日も雪模様。特にこの日は風が強くて、引き戸のガラスはもはや真っ白だ。
こんな天気ならどうせ客は来ないし、店番くらい朝飯前〜。なんて油断していたら、ものの数秒も経たずに、俺の平和な土曜日は終わった。
「こんにちは、千茅くんのおばあちゃん」
「あんらまぁ、久登くん。雪がひどいども、よぐ来だねぇ。寒がったべぇ」
店の入り口から、ばあちゃんに話しかける、穏やかな男の声。
聞こえた瞬間、俺の眠気は速攻で吹き飛んだ。
慌てて、顔を上げる。ばあちゃんの向こうには、モデルのように手足の長い、ダウン姿の男。
フードを被ってるから、顔は分からない。けど、絶対にそうだ。その声は俺の天敵で、にいちゃんの親友──白川久登先輩だ。
やばい。逃げないと。ばあちゃんが相手してるうちに、早く。
危機を察した俺は、そろりとコタツから出て、畳の上に四つん這いになった。
「おばあちゃんはこれから、どこかに行くんですか?」
「んだんだ。おらはこれから、隣の野木さんとこにお茶しに行ぐのよ」
「足元悪いんで、気をつけてくださいね」
なんて立ち話をする二人のやりとりをBGMに、俺は気配を殺す。奥のガラス戸を開けたら、店と繋がるばあちゃんの家だ。
音を立てないように、そっと開ける。よし、このまま逃げ込めれば、俺の勝ち──と思ったのも束の間。
「ちぃちゃーん! 今日なんか、めちゃくちゃ雪凄くてやばいんだけどぉ〜! って、ちぃちゃん、何してんの?」
猫かぶりな優等生の声から、一転。俺の背後からノリの軽い、クソデカボイスが飛んでくる。
ばあちゃんちの廊下まで、あとほんの数センチ。
なのに、終わった。やばい、最悪だ。俺は四つん這いのまま、その場で静かに項垂れた。
「ちぃちゃーんってばぁ。まーた、俺から逃げようとしてたぁ〜?」
「してないです」
「えぇ〜? その逃走ポーズ、結構さまになってるよ?」
なんか褒めてくるあたり、余裕綽々で尚更ムカつく。
でも、見つかったからには、逃げられやしない。観念して振り返ると、この店には不釣り合いな程の美形が立っていた。
ただ、さっきまでの好青年じゃない。目を細めて、楽しげに俺を見るその姿は、化けの皮を剥いだ本来の先輩だった。
「ほんと逃げようとなんてしてませんけど?」
「え〜? じゃあ何してたの?」
「ストレッチしてたところです」
起き上がって体勢を整えながら、なんとか誤魔化す。
「ストレッチ、ねぇ……。でも、さっきの体勢、膝とか痛くならない?」
「え? なんで膝? 別に痛くないですけど」
そう言ったら、久登先輩は一瞬だけ、右膝のあたりにチラッと目線を落とした。でも、すぐに俺の顔に視線を戻して、何か面白いものを見つけたみたいに口元を緩めてみせる。
「な、なんですか。その顔というか、その視線」
「知りたい?」
久登先輩はにっこり笑うと、さも当たり前のように小上がりの段差に腰を下ろす。先輩の手がフードを外した瞬間、端整な面立ちがよりハッキリと露わになった。
垂れ気味の目に長い睫毛、上品な鼻筋にハリのある唇。頰には雪で濡れた茶髪が張りついていて……耳にかける仕草が妙に大人っぽい。
なんでこんなに色気あるんだよ、この人。
俺なんか「まだ中学生でいける」と、本気で周りに頷かれるくらい童顔だってのに、無性に腹が立った。
「別に知りたくはないです」
「いやー、知りたいって顔してるから、特別に教えてあげよっかなぁ」
「知りたくな──」
「ちぃちゃんさ、また寝てたでしょ?」
久登先輩は問答無用で、言葉を被せてきた。
「はい? 寝てないですけど?」
「いや、寝てたよね?」
「いえ、寝てないです」
眠かったし、コタツにうつ伏せてはいた。けど、意識は飛ばしてなかったから、ギリセーフだ。
だけど、そう簡単に引いてはくれない。
「え〜? だって、ちぃちゃん、こーこ」
久登先輩はそう言いながら、自分の口元をツンツンと触る。
「ここ……?」
「うん。ヨダレ垂れてるよ。ヨ・ダ・レ」
「えっ、嘘っ!」
俺は慌てて、手の甲で口元を拭った。高校生にもなってヨダレ垂らすとか、恥ずかしすぎる。
「……って、あれ? 濡れないじゃん」
もしかして、と思って久登先輩の方を見たら、案の定そうだった。 久登先輩は腹を抱えて、くつくつと肩を震わせている。
くそ……! また、騙してきたのかよ!
久登先輩はいつもこうだ。この一ヶ月近く、俺を見かける度にウザ絡みしてくる。油断したら、すぐにおちょくってきて、本当に面倒臭い。
なんでこんな人が、二年の学年トップなのか。絶対、何かの間違いだと思う。
恨めしい気持ちが沸々と湧いて、久登先輩をキッと睨みつける。でも、俺の睨みはたぶん、全然怖くなかったんだろう。
久登先輩は「あははっ」と軽く笑い飛ばす。それどころか、赤ちゃんでも見るみたいな柔い目をしていた。
「ごめん、ごめん。許してー。ちぃちゃん可愛いから、つい揶揄っちゃった」
そんな軽いノリで謝ってくるのも、気に食わない。
しかも、可愛いって何だ。俺は顔も身長も、どこにでもいる、いたって普通の高校生。
強いて言えば、中学ではバスケ部のエースで全国にも行ったけど……それと可愛いは別の話だ。今の俺に、誇れるものは何もない。
だけど、「可愛くないんで!」とムキになったら、それこそ思う壺だ。怒れば怒るほど、楽しそうにするから、ぐっと堪える。
なんでこんなに振り回されなきゃいけないんだ。俺の口から、声にならない息が漏れた。
「……てか、なんで先輩、俺にこんなに構うんですか?」
「え~? 何でって、ちぃちゃんを口説くためだけど?」
聞いた俺が馬鹿だった。開いた口が塞がらない。
……そういうのは、天使みたいな俺のにいちゃんに言ってくれ。
「あーはいはい、また冗談ですね。間に合ってますー」
随分と軽口に慣れた俺は、諦めて適当にあしらうことにした。
かっこよくて、礼儀正しくて、文句なしの優等生。
それが、世間一般の白川久登への印象だと思う。
俺もずっと、にいちゃんの親友に相応しい、品行方正な理想の先輩だって、信じていた。
なのに、その面影はどこへやら。
久登先輩がこんな風に変わってしまったのは、一ヶ月前のクリスマス。あの日を境に、俺たちの関係は変わってしまった。
普段は優等生なのに、二人きりだとノリが軽い。にいちゃんを狙ってるくせに、俺との距離が近い。
やたらとウザ絡みしてくるし、にいちゃんのことで牽制までしてくるから、ほんと困ったもんだ。
俺の平穏は久登先輩に壊されて、正直、物凄く苦手だった──はずなのに。
どうしてこの人が、こんなにも気になってしまうんだろう。
◆
「ちぃちゃん、ばっちゃんは隣さ行ってくるがら、今日も店番頼むなぁ」
寒波の続く、一月下旬。駄菓子屋の小上がりで、コタツに入っていた俺──相良千茅は、眠気を噛み殺しながら「はーい。気をつけてなぁ」と返事をした。
東北の内陸にあるこの町は、今日も雪模様。特にこの日は風が強くて、引き戸のガラスはもはや真っ白だ。
こんな天気ならどうせ客は来ないし、店番くらい朝飯前〜。なんて油断していたら、ものの数秒も経たずに、俺の平和な土曜日は終わった。
「こんにちは、千茅くんのおばあちゃん」
「あんらまぁ、久登くん。雪がひどいども、よぐ来だねぇ。寒がったべぇ」
店の入り口から、ばあちゃんに話しかける、穏やかな男の声。
聞こえた瞬間、俺の眠気は速攻で吹き飛んだ。
慌てて、顔を上げる。ばあちゃんの向こうには、モデルのように手足の長い、ダウン姿の男。
フードを被ってるから、顔は分からない。けど、絶対にそうだ。その声は俺の天敵で、にいちゃんの親友──白川久登先輩だ。
やばい。逃げないと。ばあちゃんが相手してるうちに、早く。
危機を察した俺は、そろりとコタツから出て、畳の上に四つん這いになった。
「おばあちゃんはこれから、どこかに行くんですか?」
「んだんだ。おらはこれから、隣の野木さんとこにお茶しに行ぐのよ」
「足元悪いんで、気をつけてくださいね」
なんて立ち話をする二人のやりとりをBGMに、俺は気配を殺す。奥のガラス戸を開けたら、店と繋がるばあちゃんの家だ。
音を立てないように、そっと開ける。よし、このまま逃げ込めれば、俺の勝ち──と思ったのも束の間。
「ちぃちゃーん! 今日なんか、めちゃくちゃ雪凄くてやばいんだけどぉ〜! って、ちぃちゃん、何してんの?」
猫かぶりな優等生の声から、一転。俺の背後からノリの軽い、クソデカボイスが飛んでくる。
ばあちゃんちの廊下まで、あとほんの数センチ。
なのに、終わった。やばい、最悪だ。俺は四つん這いのまま、その場で静かに項垂れた。
「ちぃちゃーんってばぁ。まーた、俺から逃げようとしてたぁ〜?」
「してないです」
「えぇ〜? その逃走ポーズ、結構さまになってるよ?」
なんか褒めてくるあたり、余裕綽々で尚更ムカつく。
でも、見つかったからには、逃げられやしない。観念して振り返ると、この店には不釣り合いな程の美形が立っていた。
ただ、さっきまでの好青年じゃない。目を細めて、楽しげに俺を見るその姿は、化けの皮を剥いだ本来の先輩だった。
「ほんと逃げようとなんてしてませんけど?」
「え〜? じゃあ何してたの?」
「ストレッチしてたところです」
起き上がって体勢を整えながら、なんとか誤魔化す。
「ストレッチ、ねぇ……。でも、さっきの体勢、膝とか痛くならない?」
「え? なんで膝? 別に痛くないですけど」
そう言ったら、久登先輩は一瞬だけ、右膝のあたりにチラッと目線を落とした。でも、すぐに俺の顔に視線を戻して、何か面白いものを見つけたみたいに口元を緩めてみせる。
「な、なんですか。その顔というか、その視線」
「知りたい?」
久登先輩はにっこり笑うと、さも当たり前のように小上がりの段差に腰を下ろす。先輩の手がフードを外した瞬間、端整な面立ちがよりハッキリと露わになった。
垂れ気味の目に長い睫毛、上品な鼻筋にハリのある唇。頰には雪で濡れた茶髪が張りついていて……耳にかける仕草が妙に大人っぽい。
なんでこんなに色気あるんだよ、この人。
俺なんか「まだ中学生でいける」と、本気で周りに頷かれるくらい童顔だってのに、無性に腹が立った。
「別に知りたくはないです」
「いやー、知りたいって顔してるから、特別に教えてあげよっかなぁ」
「知りたくな──」
「ちぃちゃんさ、また寝てたでしょ?」
久登先輩は問答無用で、言葉を被せてきた。
「はい? 寝てないですけど?」
「いや、寝てたよね?」
「いえ、寝てないです」
眠かったし、コタツにうつ伏せてはいた。けど、意識は飛ばしてなかったから、ギリセーフだ。
だけど、そう簡単に引いてはくれない。
「え〜? だって、ちぃちゃん、こーこ」
久登先輩はそう言いながら、自分の口元をツンツンと触る。
「ここ……?」
「うん。ヨダレ垂れてるよ。ヨ・ダ・レ」
「えっ、嘘っ!」
俺は慌てて、手の甲で口元を拭った。高校生にもなってヨダレ垂らすとか、恥ずかしすぎる。
「……って、あれ? 濡れないじゃん」
もしかして、と思って久登先輩の方を見たら、案の定そうだった。 久登先輩は腹を抱えて、くつくつと肩を震わせている。
くそ……! また、騙してきたのかよ!
久登先輩はいつもこうだ。この一ヶ月近く、俺を見かける度にウザ絡みしてくる。油断したら、すぐにおちょくってきて、本当に面倒臭い。
なんでこんな人が、二年の学年トップなのか。絶対、何かの間違いだと思う。
恨めしい気持ちが沸々と湧いて、久登先輩をキッと睨みつける。でも、俺の睨みはたぶん、全然怖くなかったんだろう。
久登先輩は「あははっ」と軽く笑い飛ばす。それどころか、赤ちゃんでも見るみたいな柔い目をしていた。
「ごめん、ごめん。許してー。ちぃちゃん可愛いから、つい揶揄っちゃった」
そんな軽いノリで謝ってくるのも、気に食わない。
しかも、可愛いって何だ。俺は顔も身長も、どこにでもいる、いたって普通の高校生。
強いて言えば、中学ではバスケ部のエースで全国にも行ったけど……それと可愛いは別の話だ。今の俺に、誇れるものは何もない。
だけど、「可愛くないんで!」とムキになったら、それこそ思う壺だ。怒れば怒るほど、楽しそうにするから、ぐっと堪える。
なんでこんなに振り回されなきゃいけないんだ。俺の口から、声にならない息が漏れた。
「……てか、なんで先輩、俺にこんなに構うんですか?」
「え~? 何でって、ちぃちゃんを口説くためだけど?」
聞いた俺が馬鹿だった。開いた口が塞がらない。
……そういうのは、天使みたいな俺のにいちゃんに言ってくれ。
「あーはいはい、また冗談ですね。間に合ってますー」
随分と軽口に慣れた俺は、諦めて適当にあしらうことにした。
かっこよくて、礼儀正しくて、文句なしの優等生。
それが、世間一般の白川久登への印象だと思う。
俺もずっと、にいちゃんの親友に相応しい、品行方正な理想の先輩だって、信じていた。
なのに、その面影はどこへやら。
久登先輩がこんな風に変わってしまったのは、一ヶ月前のクリスマス。あの日を境に、俺たちの関係は変わってしまった。

