「……ミナミさん、買うの?」
ririさんの声が震えていた。
私のスマホ画面には『決済確認』のポップアップが表示されている。
価格は50,000円。
大学生の私にとって、大金だ。けれど、それ以上に重いのは、ここで逃げれば「ケントが敵である」という事実を確定させてしまうかもしれない恐怖だった。
「……確かめなきゃ」
私は乾いた唇を舐め、震える指で『購入する』をタップした。
【決済が完了しました】
【ダウンロードを開始します……10%……45%……】
街の喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
プログレスバーが進むにつれ、私の心臓は早鐘を打っていた。
もし、ケントが脅されているだけだったら?
もし、あれが合成映像だったら?
そんな一縷の望みは、ダウンロード完了の通知と共に消え去った。
【再生しますか?】
私はイヤホンを片耳だけririさんに渡し、再生ボタンを押した。
*
ザザッ……ザザザッ。
激しいノイズの後、映像が乱れながら映し出された。
場所は、さっきの配信と同じ、あのカビ臭いお堂の中だ。
カメラのアングルが変わっている。
さっきまでは配信者が持っていたカメラだが、今は『三脚で固定された定点カメラ』の視点だ。
その画角の端に、配信者だった男二人組が映っている。
『うぐっ、放せ! なんだよこれ!』
『警察呼ぶぞ! おい!』
二人は、お堂の柱に荒縄で縛り付けられていた。
その目の前には、無数の『眼の写真』が貼られた祭壇がある。そして、カメラのすぐ脇に、誰かが立っている気配がした。
「……静かに」
冷徹な声。
紛れもない、ケントの声だった。
画面に、ケントの横顔が見切れた。
彼は怯えている様子も、脅されている様子もない。
ただ淡々と、事務的に、捕らえられた二人を見下ろしていた。その目は、私が知っている優しい彼氏の目ではなかった。
実験動物を見るような、感情のない目だ。
『おい兄ちゃん! あんたもグルか!? これ犯罪だぞ!』
「犯罪?」
ケントが鼻で笑った。
「君たちは土足で聖域に入り込み、興味本位で神聖な『眼』を撮影し、金稼ぎの道具にした。その罪の重さが分からないのか?」
『はあ? 何言ってんだお前!』
「……来るぞ。先生が」
ケントが居住まいを正した。
お堂の奥、暗闇の中から、衣擦れの音が近づいてくる。
ヒタ、ヒタ、ヒタ……。
現れたのは、喪服の女だった。
上質な黒い喪服。
顔には、不気味な仏の面をつけている。
その場に凍りつくような威圧感。けれど、暴力的な荒々しさではない。まるで商品を検品するかのような、冷徹で静かな視線だった。
『……騒がしいですね』
仮面の奥から、機械で変声されたようなくぐもった声が響いた。
女は、縛られた配信者の前に立つと、その頬に優しく触れた。
『あなたたちは、大きな勘違いをしています』
『ひっ、なんだよ……離せよ……!』
『この柩村は、何かを隠している場所ではありません。むしろ逆。ここは全てを曝け出すための聖地』
女は、配信者の男が持っていたスマホ――配信が切れたままの画面を拾い上げた。
『あなたたちは、この村を「ネタ」として消費しようとしましたね。面白おかしく騒ぎ立て、自分の承認欲求のために聖域を荒らした。それは、「見る者」としての作法に反します』
『見る者……?』
『ええ。人間にとって最も正しい在り方とは、干渉せず、ただ静かに覗き見ること。フリマアプリと同じですよ』
女の言葉に、私は息を呑んだ。
ここで、アプリの話?
『画面の向こうから、誰かの人生の切れ端を、誰かの秘密を、安全な場所から一方的に覗き見る。そして、対価を払ってそれを手に入れる。それこそが、現代における最も純粋な愛であり信仰です』
女が懐から何かを取り出した。
銀色に光る、太い布団針のようなものだ。黒い糸が通されている。
『ですが、あなたたちは対価を払わず、土足で踏み込み、ただ騒ぎ立てた。覗く資格のない者は、商品になるしかありません』
『は? しょうひん……?』
『ケント。押さえていなさい』
「はい、先生」
ケントが慣れた手つきで、男の頭を強引に後ろへ反らせた。
『や、やめろ! 何する気だ!』
『商品に傷がつかないよう、梱包してあげるだけですよ』
女が針を近づける。
狙いは眼球そのものではない。
上下の瞼だ。
『あなたたちのその眼は、もう世界を見る必要はありません。これからは、あなた自身が「見られる側」のコンテンツになるのですから』
ザクリ。
鈍い音がして、針が男の瞼を貫いた。
『ぎゃああああああああああ!!』
絶叫が響き渡る。
女は手早く、まるで破れた布を繕うかのように、男の上下の瞼を縫い合わせ始めた。
「……!」
私は口元を押さえ、吐き気をこらえた。
これは拷問じゃない。
この手つき、この丁寧さ。
まるで、出品するために商品をメンテナンスしているような、事務的な作業だ。
『騒がないで。出品写真がブレてしまいます』
女は慈愛に満ちた声で囁きながら、二針、三針と縫い進める。
男の右目は完全に縫い合わされ、血と黒い糸が混じり合って塞がれた。
『はい、出来上がり。これであなたは、余計な情報を見なくて済む。……素晴らしいジャンク品」になりましたよ』
男は失神し、ぐったりと項垂れた。
女は満足そうに頷き、もう一人の男の方を向いた。
『在庫は多い方がいい』
映像がプツリと途切れた――。
ririさんの声が震えていた。
私のスマホ画面には『決済確認』のポップアップが表示されている。
価格は50,000円。
大学生の私にとって、大金だ。けれど、それ以上に重いのは、ここで逃げれば「ケントが敵である」という事実を確定させてしまうかもしれない恐怖だった。
「……確かめなきゃ」
私は乾いた唇を舐め、震える指で『購入する』をタップした。
【決済が完了しました】
【ダウンロードを開始します……10%……45%……】
街の喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
プログレスバーが進むにつれ、私の心臓は早鐘を打っていた。
もし、ケントが脅されているだけだったら?
もし、あれが合成映像だったら?
そんな一縷の望みは、ダウンロード完了の通知と共に消え去った。
【再生しますか?】
私はイヤホンを片耳だけririさんに渡し、再生ボタンを押した。
*
ザザッ……ザザザッ。
激しいノイズの後、映像が乱れながら映し出された。
場所は、さっきの配信と同じ、あのカビ臭いお堂の中だ。
カメラのアングルが変わっている。
さっきまでは配信者が持っていたカメラだが、今は『三脚で固定された定点カメラ』の視点だ。
その画角の端に、配信者だった男二人組が映っている。
『うぐっ、放せ! なんだよこれ!』
『警察呼ぶぞ! おい!』
二人は、お堂の柱に荒縄で縛り付けられていた。
その目の前には、無数の『眼の写真』が貼られた祭壇がある。そして、カメラのすぐ脇に、誰かが立っている気配がした。
「……静かに」
冷徹な声。
紛れもない、ケントの声だった。
画面に、ケントの横顔が見切れた。
彼は怯えている様子も、脅されている様子もない。
ただ淡々と、事務的に、捕らえられた二人を見下ろしていた。その目は、私が知っている優しい彼氏の目ではなかった。
実験動物を見るような、感情のない目だ。
『おい兄ちゃん! あんたもグルか!? これ犯罪だぞ!』
「犯罪?」
ケントが鼻で笑った。
「君たちは土足で聖域に入り込み、興味本位で神聖な『眼』を撮影し、金稼ぎの道具にした。その罪の重さが分からないのか?」
『はあ? 何言ってんだお前!』
「……来るぞ。先生が」
ケントが居住まいを正した。
お堂の奥、暗闇の中から、衣擦れの音が近づいてくる。
ヒタ、ヒタ、ヒタ……。
現れたのは、喪服の女だった。
上質な黒い喪服。
顔には、不気味な仏の面をつけている。
その場に凍りつくような威圧感。けれど、暴力的な荒々しさではない。まるで商品を検品するかのような、冷徹で静かな視線だった。
『……騒がしいですね』
仮面の奥から、機械で変声されたようなくぐもった声が響いた。
女は、縛られた配信者の前に立つと、その頬に優しく触れた。
『あなたたちは、大きな勘違いをしています』
『ひっ、なんだよ……離せよ……!』
『この柩村は、何かを隠している場所ではありません。むしろ逆。ここは全てを曝け出すための聖地』
女は、配信者の男が持っていたスマホ――配信が切れたままの画面を拾い上げた。
『あなたたちは、この村を「ネタ」として消費しようとしましたね。面白おかしく騒ぎ立て、自分の承認欲求のために聖域を荒らした。それは、「見る者」としての作法に反します』
『見る者……?』
『ええ。人間にとって最も正しい在り方とは、干渉せず、ただ静かに覗き見ること。フリマアプリと同じですよ』
女の言葉に、私は息を呑んだ。
ここで、アプリの話?
『画面の向こうから、誰かの人生の切れ端を、誰かの秘密を、安全な場所から一方的に覗き見る。そして、対価を払ってそれを手に入れる。それこそが、現代における最も純粋な愛であり信仰です』
女が懐から何かを取り出した。
銀色に光る、太い布団針のようなものだ。黒い糸が通されている。
『ですが、あなたたちは対価を払わず、土足で踏み込み、ただ騒ぎ立てた。覗く資格のない者は、商品になるしかありません』
『は? しょうひん……?』
『ケント。押さえていなさい』
「はい、先生」
ケントが慣れた手つきで、男の頭を強引に後ろへ反らせた。
『や、やめろ! 何する気だ!』
『商品に傷がつかないよう、梱包してあげるだけですよ』
女が針を近づける。
狙いは眼球そのものではない。
上下の瞼だ。
『あなたたちのその眼は、もう世界を見る必要はありません。これからは、あなた自身が「見られる側」のコンテンツになるのですから』
ザクリ。
鈍い音がして、針が男の瞼を貫いた。
『ぎゃああああああああああ!!』
絶叫が響き渡る。
女は手早く、まるで破れた布を繕うかのように、男の上下の瞼を縫い合わせ始めた。
「……!」
私は口元を押さえ、吐き気をこらえた。
これは拷問じゃない。
この手つき、この丁寧さ。
まるで、出品するために商品をメンテナンスしているような、事務的な作業だ。
『騒がないで。出品写真がブレてしまいます』
女は慈愛に満ちた声で囁きながら、二針、三針と縫い進める。
男の右目は完全に縫い合わされ、血と黒い糸が混じり合って塞がれた。
『はい、出来上がり。これであなたは、余計な情報を見なくて済む。……素晴らしいジャンク品」になりましたよ』
男は失神し、ぐったりと項垂れた。
女は満足そうに頷き、もう一人の男の方を向いた。
『在庫は多い方がいい』
映像がプツリと途切れた――。

