『個人情報付き』
その文字が、ナイフのようにririさんの尊厳を切り裂いていた。
「どうしよう、どうしよう……住所も、大学も……これじゃ、引っ越しても無駄だ……退学しなきゃいけないかも……」
彼女はパニックになり、震える手で自分の髪をかきむしった。
私は必死で【バイバイ】の運営に通報しようとした。けれど、指が震えてうまくタップできない。焦れば焦るほど、時間は過ぎていく。
――その時だった。
商品ページの表示が、フッと切り替わった。
【 SOLD OUT 】
「……売れた?!」
ririさんの動きが止まった。
100円。
たった100円で、彼女の平穏な日常と未来が、顔も見えない誰かに買われていった。
「誰……? 誰が買ったの?」
嫌な予感がして、私はスマホで検索をかけた。
『バイバイ M氏 焼きそば』。
検索結果の一番上に、見覚えのあるまとめブログの記事が出てきた。
「……嘘でしょ」
タイトルを見た瞬間、血の気が引いた。
【閲覧注意】M氏出品の「女子大生の食べ残し(個人情報付)」落札したったwww今から特定&実食するわwww Part1
地獄だった。
顔も見えない匿名の人間たちが、ririさんの恐怖を、人生を、下品な娯楽として消費している。
『女子大生の使用済み割箸、萌えぇ』
『焼きそばより割箸に価値がある件』
並んでいる言葉の一つ一つが、粘着質な視線となって私たちに絡みついてくるようだった。
「うっ……!」
隣で、ririさんが口元を押さえた。
彼女は立ち上がり、トイレへと駆け込んだ。
私は動けなかった。
画面の中の、カピカピになった焼きそばと、赤い口紅のついた割り箸から目が離せなかった。
M氏は、私たちを人間だと思っていない。
ただの、エサだ。
ネットという巨大な水槽に投げ込まれる、哀れなエサ。悔しくて、惨めで、涙も出なかった。
しばらくして、トイレからririさんが戻ってきた。
顔は真っ青で、ふらついていた。
でも。
「……ミナミさん」
顔を上げた彼女の瞳から、怯えの色は完全に消え失せていた。代わりにあったのは、凍てつくような、静かな殺意だった。
「許さない。絶対にあいつを見つけ出す……ぶっ殺してやる」
彼女はテーブルの上にあった、あのナプキンを掴み取った。三つの渦巻きが絡み合った、奇妙な家紋が描かれたソレを、引きちぎった。
代わりにスマホを取り出し、画面をタップした。
表示されていたのは、『デバイスを探す』という機能の画面だった。
「ミナミさん。私たち、法学部と文学部の二年だよね?」
「……うん」
「だったら、もっと頭を使おうよ。オカルトや記憶に頼るんじゃなくて、現代の文明の利器と、心理学で戦うの」
彼女はバッグの中から、キーホルダーのような小さな白い端末を取り出した。
五百円玉サイズの円盤。
『AirTag』だ。
「これ、財布に入れてたやつ。スマホと連動させれば、数メートル単位で位置が分かる」
「それを、どうするの?」
「M氏に送るのよ。『最高のエサ』の中に隠してね」
「エサ?」
ririさんが声を殺してと笑った。その笑みは、獲物を前にした猛獣のように獰猛だった。
「あいつはの変質者だよ。ミナミさんが『服従を誓う証』を出品したら、あいつはどうすると思う?」
「……絶対に欲しがるよね。気持ち悪い』
「そう。しかも、他人に買われたら困るような『個人的な秘密』なら、あいつは絶対に自分で落札する。他の野次馬に買わせたりしない」
ririさんは私の鞄を指差した。
そこには、大学の講義で使っている分厚いルーズリーフのバインダーが入っていた。
「ミナミさん、そのバインダー貸して。それと、今から言う文章をそのまま出品ページに書いて」
私たちは店員にハサミとテープを借りた。
ririさんはバインダーの厚紙の表紙をカッターで慎重に切り開き、その隙間に『AirTag』を滑り込ませた。分からないようにテープで封をする。
見た目は、ただの使い古したバインダーだ。
「よし。じゃあ出品して。写真はこのバインダーと……あと、ミナミさんが土下座してる写真も載せて」
「土下座!?」
「プライドなんて捨てて。あいつを誘い出すための演技なの」
私は震える手で、ファミレスの床に膝をついた。
屈辱的だった。でも、これで終わらせられるなら。
撮影完了。
そして、ririさんが考えた『M氏専用』の説明文を入力する。
*
【商品画像】

商品名:
【M氏様】専用・私の全ての懺悔と秘密(日記)
価格:
¥ 1000 (送料込み)
説明:
私が間違っていました。
ririさんを巻き込んだことも、彼氏を頼ったことも、全て私の弱さです。
このバインダーには、私が今までついた嘘、誰にも言えない秘密、そしてM氏様への謝罪の言葉を、ルーズリーフ50枚にわたって書き綴りました。
警察には見せられません。
私の全てを知っているM氏様にだけ、読んで添削してほしいです。どうか、この愚かな私を導いてください。
(※他の方が購入された場合、中身は白紙で送ります)
*
出品ボタンを押す。
心臓が早鐘を打つ。
誰でも買える値段。でも、他人が買ったら白紙という脅し文句で、野次馬を牽制する。
M氏の『支配欲』と『覗き見趣味』を極限まで刺激する、特大のエサ。
1分経過。
2分経過。
スマホが震えた。
通知音が、静かな店内に響く。
【 SOLD OUT 】
購入者の名前は――『M氏』。
「……食いついた」
ririさんが、私のスマホを覗き込んで深く頷いた。
「よし。これで荷物を発送すれば、数日後にはあいつの居場所が丸裸になる」
彼女は自分のスマホの『探す』アプリを開いた。
画面上の地図には、青い点が点滅していた――。
その文字が、ナイフのようにririさんの尊厳を切り裂いていた。
「どうしよう、どうしよう……住所も、大学も……これじゃ、引っ越しても無駄だ……退学しなきゃいけないかも……」
彼女はパニックになり、震える手で自分の髪をかきむしった。
私は必死で【バイバイ】の運営に通報しようとした。けれど、指が震えてうまくタップできない。焦れば焦るほど、時間は過ぎていく。
――その時だった。
商品ページの表示が、フッと切り替わった。
【 SOLD OUT 】
「……売れた?!」
ririさんの動きが止まった。
100円。
たった100円で、彼女の平穏な日常と未来が、顔も見えない誰かに買われていった。
「誰……? 誰が買ったの?」
嫌な予感がして、私はスマホで検索をかけた。
『バイバイ M氏 焼きそば』。
検索結果の一番上に、見覚えのあるまとめブログの記事が出てきた。
「……嘘でしょ」
タイトルを見た瞬間、血の気が引いた。
【閲覧注意】M氏出品の「女子大生の食べ残し(個人情報付)」落札したったwww今から特定&実食するわwww Part1
地獄だった。
顔も見えない匿名の人間たちが、ririさんの恐怖を、人生を、下品な娯楽として消費している。
『女子大生の使用済み割箸、萌えぇ』
『焼きそばより割箸に価値がある件』
並んでいる言葉の一つ一つが、粘着質な視線となって私たちに絡みついてくるようだった。
「うっ……!」
隣で、ririさんが口元を押さえた。
彼女は立ち上がり、トイレへと駆け込んだ。
私は動けなかった。
画面の中の、カピカピになった焼きそばと、赤い口紅のついた割り箸から目が離せなかった。
M氏は、私たちを人間だと思っていない。
ただの、エサだ。
ネットという巨大な水槽に投げ込まれる、哀れなエサ。悔しくて、惨めで、涙も出なかった。
しばらくして、トイレからririさんが戻ってきた。
顔は真っ青で、ふらついていた。
でも。
「……ミナミさん」
顔を上げた彼女の瞳から、怯えの色は完全に消え失せていた。代わりにあったのは、凍てつくような、静かな殺意だった。
「許さない。絶対にあいつを見つけ出す……ぶっ殺してやる」
彼女はテーブルの上にあった、あのナプキンを掴み取った。三つの渦巻きが絡み合った、奇妙な家紋が描かれたソレを、引きちぎった。
代わりにスマホを取り出し、画面をタップした。
表示されていたのは、『デバイスを探す』という機能の画面だった。
「ミナミさん。私たち、法学部と文学部の二年だよね?」
「……うん」
「だったら、もっと頭を使おうよ。オカルトや記憶に頼るんじゃなくて、現代の文明の利器と、心理学で戦うの」
彼女はバッグの中から、キーホルダーのような小さな白い端末を取り出した。
五百円玉サイズの円盤。
『AirTag』だ。
「これ、財布に入れてたやつ。スマホと連動させれば、数メートル単位で位置が分かる」
「それを、どうするの?」
「M氏に送るのよ。『最高のエサ』の中に隠してね」
「エサ?」
ririさんが声を殺してと笑った。その笑みは、獲物を前にした猛獣のように獰猛だった。
「あいつはの変質者だよ。ミナミさんが『服従を誓う証』を出品したら、あいつはどうすると思う?」
「……絶対に欲しがるよね。気持ち悪い』
「そう。しかも、他人に買われたら困るような『個人的な秘密』なら、あいつは絶対に自分で落札する。他の野次馬に買わせたりしない」
ririさんは私の鞄を指差した。
そこには、大学の講義で使っている分厚いルーズリーフのバインダーが入っていた。
「ミナミさん、そのバインダー貸して。それと、今から言う文章をそのまま出品ページに書いて」
私たちは店員にハサミとテープを借りた。
ririさんはバインダーの厚紙の表紙をカッターで慎重に切り開き、その隙間に『AirTag』を滑り込ませた。分からないようにテープで封をする。
見た目は、ただの使い古したバインダーだ。
「よし。じゃあ出品して。写真はこのバインダーと……あと、ミナミさんが土下座してる写真も載せて」
「土下座!?」
「プライドなんて捨てて。あいつを誘い出すための演技なの」
私は震える手で、ファミレスの床に膝をついた。
屈辱的だった。でも、これで終わらせられるなら。
撮影完了。
そして、ririさんが考えた『M氏専用』の説明文を入力する。
*
【商品画像】

商品名:
【M氏様】専用・私の全ての懺悔と秘密(日記)
価格:
¥ 1000 (送料込み)
説明:
私が間違っていました。
ririさんを巻き込んだことも、彼氏を頼ったことも、全て私の弱さです。
このバインダーには、私が今までついた嘘、誰にも言えない秘密、そしてM氏様への謝罪の言葉を、ルーズリーフ50枚にわたって書き綴りました。
警察には見せられません。
私の全てを知っているM氏様にだけ、読んで添削してほしいです。どうか、この愚かな私を導いてください。
(※他の方が購入された場合、中身は白紙で送ります)
*
出品ボタンを押す。
心臓が早鐘を打つ。
誰でも買える値段。でも、他人が買ったら白紙という脅し文句で、野次馬を牽制する。
M氏の『支配欲』と『覗き見趣味』を極限まで刺激する、特大のエサ。
1分経過。
2分経過。
スマホが震えた。
通知音が、静かな店内に響く。
【 SOLD OUT 】
購入者の名前は――『M氏』。
「……食いついた」
ririさんが、私のスマホを覗き込んで深く頷いた。
「よし。これで荷物を発送すれば、数日後にはあいつの居場所が丸裸になる」
彼女は自分のスマホの『探す』アプリを開いた。
画面上の地図には、青い点が点滅していた――。

