「俺、一人でririに会いに行ってくるよ」
ケントは玄関でスニーカーの紐を結びながら、きっぱりと言った。
やっと巡って来たチャンスだ。
「えっ、私も行くよ。ririさんと話したいし」
「ダメだ。相手が本当に被害者とは限らない。M氏のなりすましや、協力者の可能性もある。ミナミを危険な目には遭わせられないから」
ケントが立ち上がり、私の肩を掴んだ。
「どうしてもダメ?」
「俺を信じて、君はここで待っていてくれ。鍵をかけて、誰が来ても絶対に開けないこと」
「でも……ケントが心配だよ」
「お願いだ。ミナミに何かあったら、俺は後悔するから」
「分かった。でも、無茶はしないでね」
真剣な眼差しに、私は頷くしかなかった。
ケントはICレコーダーをポケットに入れ、「すぐに戻る」と言い残して部屋を出て行った。
*
一人の時間は、永遠のように長く感じられた。
ケントの部屋は静かすぎる。冷蔵庫のモーター音だけが響いていた。
私はソファで膝を抱え、スマホを握りしめた。
M氏からの通知が来るのが怖くて、機内モードに切り替える。
もし、ケントが戻ってこなかったら?
あのアカウント『riri_05』が、M氏の罠だったら?
ファミレスで待ち合わせと言っていたけれど、連れ去られたりしていないだろうか。
悪い想像ばかりが頭を巡る。
一時間後。
ガチャリ、とドアノブが回る音がした。
「……ミナミ、ただいま」
ケントが帰ってきた。
怪我はないようだが、その顔色は驚くほど蒼白だった。
「ケント、大丈夫だった? 相手は……」
「……ああ。会ってきたよ。高橋リナさんという、普通の女子大生だった」
ケントが慌ててリビングに入ってきた。テーブルの上に、静かにICレコーダーを置く。
「とりあえず、これを聞いてくれ。彼女の証言だ」
「何か、分かったの?」
「……決定的な事実がな」
ケントの手が震えているように見えた。
彼は再生ボタンを力強く押した。
*
【音声ファイル:202X_02_18_1430.mp3】
※録音場所:ファミリーレストラン『ガスト・■■店』
ケント:
……はじめまして。M氏被害対策室の者です。
riri_05(以下、):
あ、はじめまして……ririです。本名は、高橋リナと言います。あれ? ミナミさんは……?
ケント:
彼女は安全な場所にいます。万が一のことを考えて、今日は僕一人で来ました。会話は録音させてもらいます。
リリ:
あ、はい。そうですよね……M氏、怖いですもんね。
ケント:
単刀直入に聞きます。一ヶ月前の『試験中さん』との件。コンタクトレンズを取り戻した時の状況を教えてください。
リリ:
はい。あの時、私は指定された場所に行きました。夜の十時頃でした。
そこにいたのは、喪服を着た背の高い女性でした。顔には仏像のような仮面をつけていて。
ケント:
会話は?
リリ:
私が恐る恐る近づくと、その人は無言でコンタクトのケースを差し出してきました。
受け取ると、一言だけ『合格です』って。
ケント:
合格?
リリ:
はい。すごく冷たい声でした。
『あなたは正直に取り返しに来た。恐怖と向き合った。だから、合格です。もう試験は終わりです』
そう言って、そのまま闇の中に消えていきました。
それ以来、何も起きなくなりました。
ケント:
……なるほど。『試験』に合格したから解放された、ということか。その女性について、他に特徴は?
リリ:
それが、緊張からか、あまり何も覚えていなくて。
ケント:
無理もありません。貴重な証言をありがとうございます。
最後に一つだけ。当時の状況を確認したいのですが、その取引場所というのは、具体的にどこだったんですか?
リリ:
あ、えっと……私の住んでるアパートの裏にある公園です。すぐそこなんですけど。
ケント:
すぐそこ?
リリ:
はい。このファミレスの裏の坂を登ったところにある、『ハイツ・愛の園』ってアパートの――。
ケント:
……えっ? 愛の園?
リリ:
『ハイツ・愛の園』です。私、そこの一〇三号室に住んでて……。あの、どうかしましたか?
ケント:
…………嘘だろ。ミナミと同じだ。
*
プツン。
音声が途切れた。
部屋の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
私は自分の耳を疑った。
「ハイツ……愛の園って。ここじゃん」
「そうだ。ミナミ。これを聞いて、俺も確信した」
ケントが、青ざめた顔で私を見た。
「ririさんは一〇三号室。君は二〇五号室。二人とも、同じアパートの住人となれば犯人は絞られる」
「もしかしたら、単なる偶然とか……」
「偶然じゃない。必然だ。犯人は、ネットのストーカーじゃない。あのアパートのゴミ捨て場を漁れる人間だ」
点と点が、線で繋がった。
私の口紅も。
ririさんのコンタクトレンズも。
すべて、私たちが無意識に『ゴミ』として出したものだ。
それが拾われ、出品された。
つまり、犯人は――。
「管理人……! 喪服の女は、おそらく共犯だな」
私が叫ぶと、ケントは深く頷いた。
「管理人はゴミの分別チェックと称して、住人のゴミ袋を開けることができる。合鍵を使って侵入することだって容易だ」
今まで「得体の知れないネットの怪物」だと思っていたM氏の正体が、急に生々しい人間の悪意として輪郭を帯びてきた。
あの脂ぎった笑顔。
いやらしい目つき。
あの男が、私のゴミを漁り、部屋に入り込み、盗聴器を仕掛けた?
「……吐き気がするよ、ほんと」
「ああ。許せないな」
ケントの目が、冷たく光った。
今まで見たことがないほど、攻撃的な目だった。
「ミナミ。明日、管理人に会いに行こう。直接、乗り込んで、問い詰めるんだ」
ケントは玄関でスニーカーの紐を結びながら、きっぱりと言った。
やっと巡って来たチャンスだ。
「えっ、私も行くよ。ririさんと話したいし」
「ダメだ。相手が本当に被害者とは限らない。M氏のなりすましや、協力者の可能性もある。ミナミを危険な目には遭わせられないから」
ケントが立ち上がり、私の肩を掴んだ。
「どうしてもダメ?」
「俺を信じて、君はここで待っていてくれ。鍵をかけて、誰が来ても絶対に開けないこと」
「でも……ケントが心配だよ」
「お願いだ。ミナミに何かあったら、俺は後悔するから」
「分かった。でも、無茶はしないでね」
真剣な眼差しに、私は頷くしかなかった。
ケントはICレコーダーをポケットに入れ、「すぐに戻る」と言い残して部屋を出て行った。
*
一人の時間は、永遠のように長く感じられた。
ケントの部屋は静かすぎる。冷蔵庫のモーター音だけが響いていた。
私はソファで膝を抱え、スマホを握りしめた。
M氏からの通知が来るのが怖くて、機内モードに切り替える。
もし、ケントが戻ってこなかったら?
あのアカウント『riri_05』が、M氏の罠だったら?
ファミレスで待ち合わせと言っていたけれど、連れ去られたりしていないだろうか。
悪い想像ばかりが頭を巡る。
一時間後。
ガチャリ、とドアノブが回る音がした。
「……ミナミ、ただいま」
ケントが帰ってきた。
怪我はないようだが、その顔色は驚くほど蒼白だった。
「ケント、大丈夫だった? 相手は……」
「……ああ。会ってきたよ。高橋リナさんという、普通の女子大生だった」
ケントが慌ててリビングに入ってきた。テーブルの上に、静かにICレコーダーを置く。
「とりあえず、これを聞いてくれ。彼女の証言だ」
「何か、分かったの?」
「……決定的な事実がな」
ケントの手が震えているように見えた。
彼は再生ボタンを力強く押した。
*
【音声ファイル:202X_02_18_1430.mp3】
※録音場所:ファミリーレストラン『ガスト・■■店』
ケント:
……はじめまして。M氏被害対策室の者です。
riri_05(以下、):
あ、はじめまして……ririです。本名は、高橋リナと言います。あれ? ミナミさんは……?
ケント:
彼女は安全な場所にいます。万が一のことを考えて、今日は僕一人で来ました。会話は録音させてもらいます。
リリ:
あ、はい。そうですよね……M氏、怖いですもんね。
ケント:
単刀直入に聞きます。一ヶ月前の『試験中さん』との件。コンタクトレンズを取り戻した時の状況を教えてください。
リリ:
はい。あの時、私は指定された場所に行きました。夜の十時頃でした。
そこにいたのは、喪服を着た背の高い女性でした。顔には仏像のような仮面をつけていて。
ケント:
会話は?
リリ:
私が恐る恐る近づくと、その人は無言でコンタクトのケースを差し出してきました。
受け取ると、一言だけ『合格です』って。
ケント:
合格?
リリ:
はい。すごく冷たい声でした。
『あなたは正直に取り返しに来た。恐怖と向き合った。だから、合格です。もう試験は終わりです』
そう言って、そのまま闇の中に消えていきました。
それ以来、何も起きなくなりました。
ケント:
……なるほど。『試験』に合格したから解放された、ということか。その女性について、他に特徴は?
リリ:
それが、緊張からか、あまり何も覚えていなくて。
ケント:
無理もありません。貴重な証言をありがとうございます。
最後に一つだけ。当時の状況を確認したいのですが、その取引場所というのは、具体的にどこだったんですか?
リリ:
あ、えっと……私の住んでるアパートの裏にある公園です。すぐそこなんですけど。
ケント:
すぐそこ?
リリ:
はい。このファミレスの裏の坂を登ったところにある、『ハイツ・愛の園』ってアパートの――。
ケント:
……えっ? 愛の園?
リリ:
『ハイツ・愛の園』です。私、そこの一〇三号室に住んでて……。あの、どうかしましたか?
ケント:
…………嘘だろ。ミナミと同じだ。
*
プツン。
音声が途切れた。
部屋の中に、重苦しい沈黙が落ちた。
私は自分の耳を疑った。
「ハイツ……愛の園って。ここじゃん」
「そうだ。ミナミ。これを聞いて、俺も確信した」
ケントが、青ざめた顔で私を見た。
「ririさんは一〇三号室。君は二〇五号室。二人とも、同じアパートの住人となれば犯人は絞られる」
「もしかしたら、単なる偶然とか……」
「偶然じゃない。必然だ。犯人は、ネットのストーカーじゃない。あのアパートのゴミ捨て場を漁れる人間だ」
点と点が、線で繋がった。
私の口紅も。
ririさんのコンタクトレンズも。
すべて、私たちが無意識に『ゴミ』として出したものだ。
それが拾われ、出品された。
つまり、犯人は――。
「管理人……! 喪服の女は、おそらく共犯だな」
私が叫ぶと、ケントは深く頷いた。
「管理人はゴミの分別チェックと称して、住人のゴミ袋を開けることができる。合鍵を使って侵入することだって容易だ」
今まで「得体の知れないネットの怪物」だと思っていたM氏の正体が、急に生々しい人間の悪意として輪郭を帯びてきた。
あの脂ぎった笑顔。
いやらしい目つき。
あの男が、私のゴミを漁り、部屋に入り込み、盗聴器を仕掛けた?
「……吐き気がするよ、ほんと」
「ああ。許せないな」
ケントの目が、冷たく光った。
今まで見たことがないほど、攻撃的な目だった。
「ミナミ。明日、管理人に会いに行こう。直接、乗り込んで、問い詰めるんだ」



