誠と裕二は人も車もあまり通らない道を選んで歩いていた。誠に行く当てがあるわけではなかった。
なぜ誠だけが、裕二の死の記憶を引き継いで、やり直しているのか。何にしても、やり直せるということは、助けられるということだ。
一度で終わるはずだった不幸が繰り返されるのだから、それが誠にとって幸か不幸かはわからなかった。だが、触れた指先から感じる温もりを守るためなら、なんだってやってやるという気にさせた。
何か解決の糸口があるはずだ。
「ねぇ、誠」
裕二に話しかけられ、視線だけを後ろに向ける。
「なんだよ」
「何があったかはまた後で教えてくれるとして、どこに向かっているかだけでも教えてくれないかな?」
「……今は学校を目指してる」
学校、という言葉を聞いた瞬間、裕二の顔が強張る。
「家とかだと包丁とか刃物もあって危険だ。外は論外だし……だけど、学校は基本的に危険なものがある部屋には鍵がかかってる。何かのうっかりで、それが凶器になりにくいかなって……裕二?」
誠の考えを伝えていると、裕二が立ち止まったのか手が後ろに引っ張られる。おかしなことを言ってると思われたのだろうか、と誠は少しだけ心配になる。
裕二は顔を伏せて体を震わせている。握られた手が白くなるほど強く締め付けられる。
「……よ。……それ……め……」
「……なんて言った?」
裕二は下を向いたまま何かをぶつぶつと呟いている。その声は町の喧騒にかき消され、誠には届かない。
「っ!」
もっと近づいて裕二の言っていることを聞き取ろうとした時、繋がっていた手が強い力で引っ張られる。顔の目の前にきた、裕二の柔らかい前髪の向こうから、まっすぐに誠のことを見ている。ギラリと光るその瞳は深淵をのぞいているように真っ暗で、誠は思わずたじろぐ。
「なんだよ。言いたいことがあるなら……」
「学校はダメ」
誠の言葉を遮って裕二が喋り出す。いつにない強い言葉に誠は言葉を失う。まるで目の前にいるのは裕二であって裕二じゃない人のようだった。
「学校はダメ。それだけは絶対に」
裕二は繰り返し学校はダメだと言い張った。何がそんなにダメなのか、誠にはわからなかった。
「学校以外だったらどこにでも行くよ。誠が満足するまで、いつまでも、どこまでも一緒にいる」
誠は口を閉ざす。
真顔で誠に詰め寄る裕二の顔がまるで――。
「だから、学校はやめよう?」
――迷子の子供のように、今にも泣き出しそうに見えたから。
誠は少しだけ悩んだ後、小さく頷いた。
「わかった。それならどこに……」
「誠の家に行こうよ。僕の家だと母さんがいるし」
裕二の提案に誠は眉を顰める。
(だけど、背に腹は変えられない……か)
そう考えて渋々了承すると、裕二は安堵したように微笑んだ。呑気に「久しぶりの誠の家だー」なんて言っている。その表情からは先ほどまでの危機迫るような切迫感がなくなり、いつもの裕二に戻っていた。その変化に引っ掛かりを覚えながらも、誠は気がつかないふりをする。
行き先が決まると二人は再び歩き出す。道中会話はなく、また人気の少ない道を通っていることもあり、シンとした静寂が二人を包む。
二人の沈黙は誠の家に着くまで続いた。こんなに喋らない裕二もなかなか珍しかった。
「お邪魔しまーす」
「汚いけど文句言うなよ」
「言わないよー。僕そういうこと言ったことないでしょ」
裕二の言葉に誠は肩を竦め、曖昧に受け流す。裕二はムゥっとハリセンボンみたいに口を膨らませる。
実際、誠の家は人呼べるほど綺麗かと聞かれるとそうではなかった。二階建ての家で一階にあるリビングにはタバコの吸い殻や飲み干したお酒の空き缶が転がっている。洗面所には洗濯物が、台所には洗い物が溜まっている。そして、リビングにある机の上には数千円が置かれていた。これは父親が誠に渡す食費だった。
誠の両親は小学校の時に離婚している。
元から母はネグレクトの傾向があり、父は酒、タバコ、ギャンブル狂いだった。そして父は酒に酔うと手が出るタイプで、それに愛想をついた母が出て行く形で二人は別れている。裕二の幼少期は両親の言い争いの記憶で埋まっているが、そんな時に裕二と裕二のお母さんが誠のことを面倒見てくれたから、道を踏み外すことなく誠は成長することができた。
「ほら、先に二階に行ってろ」
「はーい」
二階にある誠の部屋に裕二を促す。裕二は勝手知ったる様子で二階に登っていく。二階には誠の部屋があり、他には父親の寝室と書斎があった。どちらもあまり帰ってこない父親なため使われることはほとんどない。
誠は台所に向かい、使われていないコップにお茶を入れる。その時、シンとしたゴミで溢れたリビングを見て誠は裕二の家を思い出した。幼い頃はなんで自分の家とこんなに違うのかと神を恨んだこともあった。
そんなことを思い出しながら、誠はお茶の入ったコップを持って二階に向かう。自分の部屋に近づくと裕二が上機嫌に鼻歌を歌っているのが聞こえた。能天気に歌うその声を聞いて誠は緊張していた体がほぐれていくのを感じた。
「入るぞ」
誠は肘を器用に使って扉を開けた。
「わ、ありがとう。喉渇いてたんだよね」
裕二は誠からコップを渡されると嬉しそうに顔を綻ばせた。
裕二は誠のベッドを背もたれにして座っていた。部屋の中にある小さな円テーブルに持ってきたお盆を乗せる。裕二は勢いよくコップの半分ほど飲み干した。暑い中、図書館からここまで急いで戻ってきたからかよっぽど喉が渇いていたのだろう。
誠は裕二と肩を並べるようにように座る。エアコンをつけてはいるからか、触れ合ったところから伝わるお互いの熱が心地いい。いつもよりも明らかに近いその距離に、裕二はそっと誠の方に視線を送る。
「どうしたの、誠。なんだか今日はちょっとおかしいよ」
「……なんて、言えばいいのかわかんね」
誠は言葉通り、自分の体験してきたことをどんな言葉で伝えればいいのかわからなかった。自分自身もまだ状況が飲み込めていないのに、ましてや本人お前は死んで、俺は時間をやり直しているなんて簡単に言えるわけがなかった。
「そっか。じゃあ、なんでもない話をしようよ」
裕二は深く聞き出そうとはせず、明るく話題を変えてくれた。誠は裕二の気遣いに心の中で感謝しながら小さく頷く。
「そうだなぁ……誠は勉強どれくらい進んでる? 僕は全然でさぁ、さっきも数学の勉強してたんだけど、さっぱりわかんないんだよね」
そう言いながら裕二はカバンの中から数学の参考書を取り出す。パラパラと無意味に参考書を開きながら、嫌なものを遠ざけるようにその本を机の上に置く。
「数学なんてやらなくても、大学に行けたらいいのに」
唇を尖らせるその顔はアヒルみたいで、誠は思わず吹き出した。それを見た裕二は少しだけ目を見開くと、安心したように笑った。
「よかった。ようやく眉間のシワ取れたね」
その指摘に誠はハッとして裕二を見る。
細められた瞳で誠のことを見ている裕二に言葉を失う。そこでようやく誠も自分が過剰なほどに緊張していたのだと自覚した。
誠は小さく「悪い」と呟くと、裕二は小さく首を横に振って誠の手を握る。
「誠の不安や悩みをさ、僕なんかじゃ頼りないけど、一緒に抱えさせてよ」
「……裕二」
「僕らは親友だろ? それに一人で抱えるよりも、二人で抱えた方がきっと解決策だってみつかるよ」
きゅっと握った手に力が込められる。誠もそれに応えるように力を込める。
「誠が辛い思いをしていると、僕もしんどい。だから、一緒に考えようよ」
真っ直ぐに、真摯に向き合う裕二に誠は少し考えてから頷く。
頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどう伝えればいいのかなんてわからなかった。だけど、誠は裕二の言葉を信じたいと思った。裕二は誠がどうしようもない迷路に迷い込んだ時、いつでも一緒に悩んでくれたことを知っているからこそ、今回の不思議なことも一緒に探せば解決策が見つかるのではないかと、淡い希望を抱く。
繰り返す夏の、悪夢のような出来事を、突破する解決策が。
田辺裕二が死なずに明日を迎えるための糸口が。
二人でなら見つかるのではないかと。
なぜ誠だけが、裕二の死の記憶を引き継いで、やり直しているのか。何にしても、やり直せるということは、助けられるということだ。
一度で終わるはずだった不幸が繰り返されるのだから、それが誠にとって幸か不幸かはわからなかった。だが、触れた指先から感じる温もりを守るためなら、なんだってやってやるという気にさせた。
何か解決の糸口があるはずだ。
「ねぇ、誠」
裕二に話しかけられ、視線だけを後ろに向ける。
「なんだよ」
「何があったかはまた後で教えてくれるとして、どこに向かっているかだけでも教えてくれないかな?」
「……今は学校を目指してる」
学校、という言葉を聞いた瞬間、裕二の顔が強張る。
「家とかだと包丁とか刃物もあって危険だ。外は論外だし……だけど、学校は基本的に危険なものがある部屋には鍵がかかってる。何かのうっかりで、それが凶器になりにくいかなって……裕二?」
誠の考えを伝えていると、裕二が立ち止まったのか手が後ろに引っ張られる。おかしなことを言ってると思われたのだろうか、と誠は少しだけ心配になる。
裕二は顔を伏せて体を震わせている。握られた手が白くなるほど強く締め付けられる。
「……よ。……それ……め……」
「……なんて言った?」
裕二は下を向いたまま何かをぶつぶつと呟いている。その声は町の喧騒にかき消され、誠には届かない。
「っ!」
もっと近づいて裕二の言っていることを聞き取ろうとした時、繋がっていた手が強い力で引っ張られる。顔の目の前にきた、裕二の柔らかい前髪の向こうから、まっすぐに誠のことを見ている。ギラリと光るその瞳は深淵をのぞいているように真っ暗で、誠は思わずたじろぐ。
「なんだよ。言いたいことがあるなら……」
「学校はダメ」
誠の言葉を遮って裕二が喋り出す。いつにない強い言葉に誠は言葉を失う。まるで目の前にいるのは裕二であって裕二じゃない人のようだった。
「学校はダメ。それだけは絶対に」
裕二は繰り返し学校はダメだと言い張った。何がそんなにダメなのか、誠にはわからなかった。
「学校以外だったらどこにでも行くよ。誠が満足するまで、いつまでも、どこまでも一緒にいる」
誠は口を閉ざす。
真顔で誠に詰め寄る裕二の顔がまるで――。
「だから、学校はやめよう?」
――迷子の子供のように、今にも泣き出しそうに見えたから。
誠は少しだけ悩んだ後、小さく頷いた。
「わかった。それならどこに……」
「誠の家に行こうよ。僕の家だと母さんがいるし」
裕二の提案に誠は眉を顰める。
(だけど、背に腹は変えられない……か)
そう考えて渋々了承すると、裕二は安堵したように微笑んだ。呑気に「久しぶりの誠の家だー」なんて言っている。その表情からは先ほどまでの危機迫るような切迫感がなくなり、いつもの裕二に戻っていた。その変化に引っ掛かりを覚えながらも、誠は気がつかないふりをする。
行き先が決まると二人は再び歩き出す。道中会話はなく、また人気の少ない道を通っていることもあり、シンとした静寂が二人を包む。
二人の沈黙は誠の家に着くまで続いた。こんなに喋らない裕二もなかなか珍しかった。
「お邪魔しまーす」
「汚いけど文句言うなよ」
「言わないよー。僕そういうこと言ったことないでしょ」
裕二の言葉に誠は肩を竦め、曖昧に受け流す。裕二はムゥっとハリセンボンみたいに口を膨らませる。
実際、誠の家は人呼べるほど綺麗かと聞かれるとそうではなかった。二階建ての家で一階にあるリビングにはタバコの吸い殻や飲み干したお酒の空き缶が転がっている。洗面所には洗濯物が、台所には洗い物が溜まっている。そして、リビングにある机の上には数千円が置かれていた。これは父親が誠に渡す食費だった。
誠の両親は小学校の時に離婚している。
元から母はネグレクトの傾向があり、父は酒、タバコ、ギャンブル狂いだった。そして父は酒に酔うと手が出るタイプで、それに愛想をついた母が出て行く形で二人は別れている。裕二の幼少期は両親の言い争いの記憶で埋まっているが、そんな時に裕二と裕二のお母さんが誠のことを面倒見てくれたから、道を踏み外すことなく誠は成長することができた。
「ほら、先に二階に行ってろ」
「はーい」
二階にある誠の部屋に裕二を促す。裕二は勝手知ったる様子で二階に登っていく。二階には誠の部屋があり、他には父親の寝室と書斎があった。どちらもあまり帰ってこない父親なため使われることはほとんどない。
誠は台所に向かい、使われていないコップにお茶を入れる。その時、シンとしたゴミで溢れたリビングを見て誠は裕二の家を思い出した。幼い頃はなんで自分の家とこんなに違うのかと神を恨んだこともあった。
そんなことを思い出しながら、誠はお茶の入ったコップを持って二階に向かう。自分の部屋に近づくと裕二が上機嫌に鼻歌を歌っているのが聞こえた。能天気に歌うその声を聞いて誠は緊張していた体がほぐれていくのを感じた。
「入るぞ」
誠は肘を器用に使って扉を開けた。
「わ、ありがとう。喉渇いてたんだよね」
裕二は誠からコップを渡されると嬉しそうに顔を綻ばせた。
裕二は誠のベッドを背もたれにして座っていた。部屋の中にある小さな円テーブルに持ってきたお盆を乗せる。裕二は勢いよくコップの半分ほど飲み干した。暑い中、図書館からここまで急いで戻ってきたからかよっぽど喉が渇いていたのだろう。
誠は裕二と肩を並べるようにように座る。エアコンをつけてはいるからか、触れ合ったところから伝わるお互いの熱が心地いい。いつもよりも明らかに近いその距離に、裕二はそっと誠の方に視線を送る。
「どうしたの、誠。なんだか今日はちょっとおかしいよ」
「……なんて、言えばいいのかわかんね」
誠は言葉通り、自分の体験してきたことをどんな言葉で伝えればいいのかわからなかった。自分自身もまだ状況が飲み込めていないのに、ましてや本人お前は死んで、俺は時間をやり直しているなんて簡単に言えるわけがなかった。
「そっか。じゃあ、なんでもない話をしようよ」
裕二は深く聞き出そうとはせず、明るく話題を変えてくれた。誠は裕二の気遣いに心の中で感謝しながら小さく頷く。
「そうだなぁ……誠は勉強どれくらい進んでる? 僕は全然でさぁ、さっきも数学の勉強してたんだけど、さっぱりわかんないんだよね」
そう言いながら裕二はカバンの中から数学の参考書を取り出す。パラパラと無意味に参考書を開きながら、嫌なものを遠ざけるようにその本を机の上に置く。
「数学なんてやらなくても、大学に行けたらいいのに」
唇を尖らせるその顔はアヒルみたいで、誠は思わず吹き出した。それを見た裕二は少しだけ目を見開くと、安心したように笑った。
「よかった。ようやく眉間のシワ取れたね」
その指摘に誠はハッとして裕二を見る。
細められた瞳で誠のことを見ている裕二に言葉を失う。そこでようやく誠も自分が過剰なほどに緊張していたのだと自覚した。
誠は小さく「悪い」と呟くと、裕二は小さく首を横に振って誠の手を握る。
「誠の不安や悩みをさ、僕なんかじゃ頼りないけど、一緒に抱えさせてよ」
「……裕二」
「僕らは親友だろ? それに一人で抱えるよりも、二人で抱えた方がきっと解決策だってみつかるよ」
きゅっと握った手に力が込められる。誠もそれに応えるように力を込める。
「誠が辛い思いをしていると、僕もしんどい。だから、一緒に考えようよ」
真っ直ぐに、真摯に向き合う裕二に誠は少し考えてから頷く。
頭の中はぐちゃぐちゃで、何をどう伝えればいいのかなんてわからなかった。だけど、誠は裕二の言葉を信じたいと思った。裕二は誠がどうしようもない迷路に迷い込んだ時、いつでも一緒に悩んでくれたことを知っているからこそ、今回の不思議なことも一緒に探せば解決策が見つかるのではないかと、淡い希望を抱く。
繰り返す夏の、悪夢のような出来事を、突破する解決策が。
田辺裕二が死なずに明日を迎えるための糸口が。
二人でなら見つかるのではないかと。


