サマータイムリープ

 ショッピングモールは夕方なのにそこそこの人で賑わっていた。

「やっぱり人すごいね」

 行き交う人たちを見ながら夏菜子が呟く。このショッピングモールは誠たちが住む地域では一番大きい。駅に直結していることもあり、遠いところに住む人でも気軽に来やすい立地が魅力的だった。

「さ、時間は有限よ。早速行くわよ」

 華の言葉にみんなが頷く。最初に入った店は女子向けの服屋だった。
 華と夏菜子が色々な服を見ながら、楽しそうに話し合っている。

「ほら、こっちのおとなしめの服と、こっちの服、どっちがいいと思う?」

 華が両手に服を掲げながら誠に尋ねる。誠が適当に選ぶと、華は「誠はこっちの方が好みなんだ……」と呟いて店の奥に行ってしまった。

 その様子を少し遠くから見ていた悠真は誠のことを残念なやつ、と思いながら華に同情した。

 誠の態度は鈍いというより、単純に人間に興味がない人の返しだった。
 誠はおそらく気がついていないが、華は誠のことが好きだった。そのことは華を知っている人であれば誰でも察しており、誠だけがそれをわかっていなかった。

「本当に、あいつ、残念なくらい鈍感だよな」
「本当にね。華もすごくアピールしてるのにね」

 そんなことを二人で話し合っていると、華がプリプリと怒りながら近づいてきた。

「聞いてよ。こいつ、何着ても『いいんじゃね』しか言わないんだけど」
「だから、わかんねぇって言ってるだろ。そんなに怒るなら、俺に聞くなよ」
「あんたが一番暇そうにしてたから、役目をあげてるんでしょ! 第一、女の子が服を選んでるんだから少しは興味持ちなさいよ」
「無理言うなよ。何着ても一緒にしか見えないんだから仕方がないだろ」

 華と誠が悠真たちの前で喧嘩を始める。二人の喧嘩を見慣れている悠真たちはまたか、と呆れる。

「また、二人喧嘩してるねー」

 どこに行っていたのか、突然夏菜子たちの後ろから裕二が声をかけてきた。その声に悠真は驚いたのか、やや大袈裟にその場で跳ねた。

「お、お前! 急に出てくんなよ!」
「ん? ごめんね?」

 悠真が怒るが、裕二はのほほんとした返事をする。気の抜けたような彼の答えに悠真は疲れたようにため息を吐く。
 その横で誠は華に言い負かされたのか、不貞腐れたように眉間に皺を寄せている。

 怒る華を宥めながら店を出て、その足でフードコートに向かう。もうすぐ六時になるからか、フードコートは人で溢れかえっていた。
 誠たちは五人で座れる席を探して、歩き回る。どこも家族連れや、誠たちと同じように遊びに来た子供でいっぱいだった。

 その時、たまたま目の前で、席を離れた家族連れがいた。これ幸いと、誠たちはその席に荷物を置いて場所を取る。

「早く見つかってよかったね」

 夏菜子が嬉しそうに言う。その横で悠真が「あー腹減った」と言って椅子に座り込む。

「ちょっと、まだ座らないでよ。ほら、買いに行くよ」

 悠真の腕を取り、華が言う。

「竜ヶ崎くんと田辺くんは何を食べるの?」
「うーん、僕は家に帰ったらご飯用意してあるからなぁ」

 食が細い裕二は、フードコート内を見渡して今から食べても平気そうなものを探す。

「俺は、ハンバーガーでも食べるわ」

 そう言って裕二の方を見ると彼はまだ決めかねているようで、唸りながら悩んでいた。

「俺のポテト少しつまむか? あそこでシェイクでも買えばいいだろ」
「え? いいの? ……ならそうしようかなぁ」
「決まりだね! じゃあ、みんなで買いに行こう」

 夏菜子の言葉に裕二は微笑みながら頷く。

 誠が商品を買いに行くと、夏菜子は裕二に近づき二人だけで聞こえる声で話しかける。

「ねぇ、田辺くん。知ってたらでいいんだけど、竜ヶ崎くんってもしかして、人に触れられるの苦手なのかな?」
「え? どうして?」
「今日、肩に触れた時、すごく嫌そうな顔してたからさ。もしかしてそうなのかなって」

 夏菜子の言葉に裕二は思い当たるところがあったのか「あぁ」と誠の方を向いて呟く。

「多分それ、苦手とかじゃなくて肩に触られたくないんだと思う」

 その答えに夏菜子は首を傾ける。裕二は迷いながらも言いにくそうに言葉を続けた。

「誠が野球部だったのは知ってる? 誠、部活で肩を痛めちゃったんだって。それから、肩周りが異常に敏感になちゃってるんだよ」
「あ……そうか。そうだったんだね」

 運動部でエースだった夏菜子は自分の好きなスポーツができなくなる苦しみを知っている。だから夏菜子は悲しそうに目尻を下げるが裕二は慌てたように両手を胸の前で振る。

「でも、本人はちゃんとそのこと吹っ切れたって言ってたし、あんまり気にしすぎないであげて。夏菜子ちゃんが悲しい顔してると、誠も気になっちゃうだろうし」
「そう、だよね……わかった! 教えてくれてありがとう、田辺くん」
「ううん。全然大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだ?」

 二人の会話が一段落したところで誠がトレーに乗った商品を持って二人の元に帰った来た。二人は顔を見合わせると「なんでもない!」と笑顔で誠を迎えた。不思議に感じながらも誠は追及することはなかった。

 三人が買い物を終えて席に戻ってくると華が手を振って「おかえり」と声をかける。

「あいつ、ずーっと何にするか悩んでんの。あんまりにも決めるのが遅いから、私だけ先に買ってきちゃった」

 ペロッと舌を出して戯けたように華は言う。悠真の優柔不断さはいつものことであり、真面目であるが故に決められないのだといつしか本人は開き直っていた。

「もういっそ、あいつに選ばせない方がいいんじゃないか……?」

 遠くにいる悠真を憐みの瞳で見つめ席に座る。誠の隣に裕二も座り、夏菜子は華の隣に座る。

「あはは……どうだろう。鈴木くんなら、他の人が選んでも結局悩んでそうだけど」

 乾いた笑いと共に夏菜子が言い、同意するように華が頷く。

「あいつならやりかねないね。どうせ、ちょっと待ったとか言って全然決めらんないんだよ」

 買ってきたドーナツを口に含みながら華は笑った。
 そこへようやくご飯を決めた悠真が戻ってくる。悠真以外の四人はお互いに顔を見合わせると誰からともなく笑い出す。

 そうして五人が話しながら食事を楽しんでいると、華が時間を確認して「そろそろ帰らなきゃ」と呟いた。その言葉に夏菜子は「今何時なの?」と尋ね、華の代わりに悠真が「もうすぐ八時だな」と答える。

 帰宅するために駅に繋がる連絡通路出に出ると、生暖かい風が彼らを襲う。外は足元を照らす光だけが明るく、すでに暗かった。

「楽しかったー! やっぱりたまにはこういう日もないとねー」
「そうだね。毎日補習ばっかりだもんね」

 先頭を華と夏菜子が歩き、その後ろを悠真が来た時と同じようにスマートフォンを操作しながら歩いている。

 何気ない日常が誠の目の前に広がっている。

 そのことに心の奥底で安堵している自分を自覚する。

 今日一日、嫌な夢を見たり、幻覚を見たりして無駄に疲れてしまった。

 誠はそんなことを思いながら、肩の力を抜く。その時、軽く肘で脇を小突かれ顔を向けると、裕二に笑顔を向けられる。

「楽しかったね、誠。またみんなで来たいね」
「……そうだな。たまにならいいかもな」

 照れ隠しのようにそっぽを向いた誠に裕二は笑みを深くする。そして、鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌で隣を歩く。


「――ずっと、こんな日が続けばいいのに」


 裕二の言葉に、誠は僅かに目を見開く。それはまるでこの穏やかな日々の終わりを知っているような口ぶりだった。

 裕二は変わらず笑っていたが、なぜか泣いているようにも見えた。そのアンバランスな雰囲気に誠は思わず足を止める。


 これまでずっと見て見ぬ振りをしてきた違和感が、また顔を出す。


 それはまるで嘲笑うように誠に警告していた。


 この違和感の正体の糸を手繰り寄せ、その原因を見つれば裕二は助かるのだろうか。


(助かる…………?)


 裕二は突然足を止めた誠の方を振り返った。手を伸ばしても届かない、二人の間に広がった溝が、途方もなく遠く感じるのは誠の気のせいではないだろう。


「どうしたの、誠?」


 裕二に尋ねられても誠は俯いたままで何も答えなかった。

 ジジッっと足元を照らす蛍光灯が不快な音を立てる。

 何かを言わなければいけないと思うほど、頭は真っ白になり何も言葉が出てこない。

 それどころか、これまで見たものがフラッシュバックして呼吸が浅くなっていく。


「っ俺は……!」

「二人とも! 何してんだよ。置いてくぞ!」


 駅の入り口からこちらを見ている悠真の声で誠は無意識のうちに詰めていた息を吐き出す。

 ツゥーっと冷や汗が首筋を伝って流れる。くすぐったいその感覚がとても気持ち悪かった。
 裕二は顔を青ざめさせる誠を心配そうに見つめている。

「誠、大丈夫?」

 裕二が誠の手を握った。
 暖かくて男にしては柔らかい手の感触が、不思議と心地よくて誠に落ち着きを与える。

 この温もりを誠はきっと忘れることはないだろう。

「ごめんね! 今行くよ!」

 そう言って二人はゆっくりと歩き出した。みんなのもとに行くと、夏菜子が心配そうな顔で誠を見てきた。

「竜ヶ崎くん、なんだか顔色が悪いよ? 無理させちゃった?」
「……いや、大丈夫。心配かけて悪い」
「いいんだよ。体調悪くなったら早めに言ってね」

 そう言うと夏菜子は誠に微笑んだ。その後ろで華と悠真も心配そうな表情を浮かべていた。

 五人は改札を通り、駅のホームを歩き出す。


『まもなく、二番線を列車が通過します。危ないですから黄色い線までお下がりください』


 無機質なアナウンスが鳴り響く。

 誠はその声に釣られるように顔を上げる。女子二人は何か楽しいことを話しているのか、笑い合っており、悠真は流石にホームの中では自制しているのかスマートフォンは触らずに前を向いて歩いていた。

 みんなよりも遥か遠くの方で電車の灯りらしきものが見えた。それを見て、あの電車ももうすぐここを通過するな、と頭の片隅で思う。

 取り止めもないことを考えながら、隣を歩く裕二を見る。穏やかに笑っているのに、どこか覚悟を決めたように雰囲気が固かった。



 プッ、プァー!



 汽笛が鳴り響く。

 気をつけろと、警告音が聞こえる。



 ふと、誠は繋がれていた裕二の手が離れていることに気がついた。



 ――どこに?



 手を繋がなければ。
 手を繋いで、繋ぎ止めなければ。
 命を、運命を、明日を。
 その心のままに、誠は裕二に向かって手を伸ばした。


 だが、その手が裕二に届くことはない。




「……え?」




 誰の声だっただろうか。
 照らされる、電車の光がひときわ強く輝き、誠の目をくらませる。
 どんっと何かを突き飛ばすような鈍い音が耳に入ってくる。

 誠の視界の端を何かが横切った。

 一体、何が――?

 誠はそれをゆっくりと目で追いかける。

 視線の先には、隣にいたはずの裕二がいた。

 線路に傾いていく裕二は大きく見開いた瞳を誠に向けていた。

 裕二の口が何かを紡ごうと、かすかに震える――が、それは音になることはない。

 一瞬のできことが、途方もない時間に感じられた。
 裕二――と手を伸ばした時、彼の姿が視界から消えた。

 伸ばされた手は何も掴まなかった。

 数瞬遅れて、何かが誠の顔に飛んできた。
 誠はゆっくりと頬に手を持っていき、ぬちゃりとした何かを触って確かめる。

 生暖かく、嗅いだことのある鉄臭いそれ。

 真っ赤に誠の手を染めるそれは――血だ。



 裕二だったものの、血だ。



「キャァァァァ!」

 誰かの叫び声と共に、誠の聴覚は音を取り戻す。それに連動するように五感も戻ってくる。

 永遠のような時間は、本当は一瞬で。

 隣には誰もいなくて。

 真っ赤に染まった手が真実だった。

 列車は緊急停止をしたのか、目の前で止まる。車両には血が至る所に飛び散っている。それらは全部、裕二を形作っていたもののはずだ。

 何が起きたのかわかっているはずなのに、脳がそれを理解することを拒む。

 誠はその場に膝をつき、呆然と血にまみれた手を見る。

 ゆっくりとその手を自分自身の顔に持っていく。

 頬の肉を削ぐ勢いで、爪を立てて引っ掻く。

 現実を現実として認めたくなくて。これは夢なんだと言い聞かせたくて。



 最後に見た裕二が安堵したように笑った意味を考えたくなかった。




 誰かの慟哭が聞こえる。
 それが誠のものだったのか、それとも他の誰かのものだったのか。
 気がついたら意識を失っていた誠には、何もわからなかった。