サマータイムリープ

 裕二と別れて教室に入ると華が「誠! どこにいってたのよ!」と怒ったような声をあげる。

「次の補習の課題! 出してないのあんただけなんだけど!」

 彼女の指摘に誠は課題、と考え込む。そして、前日に出されていたプリントを思い出す。

「やってあるの? やってないの? やってないなら自分で先生に言ってよね」

 返事をしない誠に不機嫌そうな様子を見せる。

「今から出すから、そんな怒るなよ」
「怒ってなんかないわよ!」

 これ以上華を怒らせるのは面倒だと思い、仕方なく誠は自分の机の中から目的のプリントを探す。それを華に渡そうとすると、奪い取るように持って行かれ、やっぱり怒っているじゃないか、と思ったが口に出すことはなかった。






 夕方まで続いた補習を終える。誠が裕二を迎えに行こうと立ち上がった時、後ろから肩を掴んできた人がいた。

 誠は反射的にその手を勢いよく振り払う。その肩は、誠が絶対に触れてほしくないところだった。

 誠が突然掴んできた誰かに非難の視線を浴びせようと振り返ると、驚いた顔をした女子生徒が立っていた。女子生徒はボブカットの髪に星型のヘアピンをつけており、いかにもスポーツマンらしい引き締まった体をしていた。

「ご、ごめん。驚かせちゃったよね」

 その女子生徒――鈴木夏菜子はしゅんとした様子で誠に謝る。その様子を見て、誠も過剰に反応しすぎてしまったとバツが悪くなる。

「いや……俺のほうこそ悪い」

 誠は申し訳ないなと思いながらも、夏菜子になんのようだったかを尋ねる。

「えっと、華がさ、この後みんなで遊びに行かないかって。毎日勉強ばかりで息が詰まりそうだしって」

 後ろを振り返りながら夏菜子は要件を述べる。誠が顔を向けると、華と悠真が一緒にいて、手を振っていた。

「それって、他クラスのやつも呼んでいいやつ?」
「うん。いいと思うよ……田辺くんでしょ?」

 毎日のように一緒に過ごしているからか、クラスが違っても二人でワンセットのように憶えられているようだった。

 誠はメッセージアプリを開くと『俺のクラスのやつと遊びに行くぞ』とメッセージを送る。そのメッセージに一分もしないうちに既読マークがつくと裕二からのメッセージが流れてきた。

『わかった! すぐにそっちに行くね』というメッセージの後にやっぱり犬のスタンプが一緒に流れてくる。
 誠は既読だけつけるとスマートフォンをズボンのポケットに入れる。夏菜子と一緒に華と悠真の方に行くと、隣町にある大型ショッピグモールの話で盛り上がっていた。
 裕二が来て、ショッピングモールに行くことが決まると、五人で校舎の外に出る。

 ふと横を見ると、隣にいたはずの裕二がいなくなっていた。ぽっかりと開いた隣の空白に誠は一瞬で血の気が引く。


 その瞬間、記憶がフラッシュバックする。


 当たり前の日常。
 いなくなった裕二。
 虚ろな瞳で、真っ赤な血に塗れた裕二。
 決して届くことのない、手。

 探そう――咄嗟にそう思い、振り返ると裕二は思いの外すぐ近くにいた。


 裕二は校舎を見上げてどこかを注視していた。僅かに見える横顔からは張り詰めた表情が伺える。

(あそこ……何かあるのか?)

 同じように顔を上げてみても、裕二が何を見ているのかはわからなかった。

 緊張感漂う空気に声をかけることもできず裕二を見つめる。すると、先に行っていた夏菜子が二人がついてきていないことに気がつき大声を出した。

「どうしたのー? 忘れ物ー?」

 その声につられるように華と悠真も誠たちの方に体を向ける。

 夏菜子の声に裕二はゆっくりと視線を下ろした。そして、一呼吸置くと、ゆっくりと振り返った。

 ふんわりと優しく笑う裕二と視線が交わる。
 いつもと同じ表情なのに、どこか硬さが残り、仮面を貼り付けているようだった。

「なんでもないよ……ほら、誠もそんなところで突っ立っていないで行こう?」

 いつも通りに話す裕二の姿に誠の中には違和感が残る。
 小さな骨が喉に刺さっているような、ほんの少しの違和感が――。


 誠の手を引いた裕二の手がやけに冷たかった。
 駅に繋がる商店街は夕方の時間帯だからか活気が溢れていた。
 早い時間から酒に溺れる大人たちを横目で見ながらみんなで歩いていく。店から流れてくるエアコンの冷気が、涼しくて気持ちがいいと感じた。
 たしか、裕二はこのなんともいえない涼しさが好きだと、言っていなかったか。
 いつその話をしたのか――。
 一人で考え込みながら歩いていると、いつの間にか商店街の端まで来ていた。
 最後の横断歩道でちょうど赤信号になったところなのか、先に歩いていた華と夏菜子が並んで足を止める。
 誠はその信号をぼんやりと見つめる。
 赤い色が、一瞬脳裏をよぎった。

 赤信号。
 赤い色。
 赤い夕日。
 赤い水溜り。
 赤い手。
 赤い、笑顔。
 赤…………赤……赤、赤、赤――?

 目の前に広がったのは、とても鮮やかな赤色とその向こうで儚く微笑む裕二だった。

 咄嗟の行動だった。

 誠は裕二の腕を掴むと、自分の後ろに隠すように引っ張った。

 突然のことに、裕二はほんの一瞬だけ諦めたような目をした後、困ったように誠を見上げた。他の三人も突然のことに目を見開いていた。

「な、なによ……?」

 代表して華が怪訝そうな視線を送る。誠は華の問いかけに答えたかったが、自分の体験したことをどう表現すればいいのかわからなかった。


 夢のようで、現実な。
 忘れてはいけない何かを忘れている。
 その正体の端を掴めそうで掴めない。
 気持ちの悪い、この感覚を。

 誠はなんとか言葉を口にしようとしたが、結局できなかった。

 黙ってしまった誠の手を裕二が上から重ねる。

 まるで「安心して」と言うように力を込めて握られた手の温もりが、彼が死んでいないと裏付けている。

「…………いや……なんでもない。裕二も悪かったな」
「いいよー。きっと大きい虫でも飛んできてびっくりしたんでしょ」

 ほっと息をつき微笑んだ裕二の言葉に、華たちも安心したように胸を撫で下ろす。

「もう! 大袈裟なんだから! 男子なんだから、それくらいで驚かないでよね」
「男子で一括りにするな。俺だって、大きな虫が突然現れたら、ひっくり返るわ」

 華が冗談で誠の背中を叩くと、悠真が反論する。それに対して、華は「情けない!」と言って笑う。


 何気ない日常がそこにあって。

 現実のはずなのに、薄い膜を通して見ているような日現実感がまとわりついて離れない。

 誠は何に対して自分がこんなに怖いと感じているのかわからなかった。

 そうこうしているうちに信号は青に変わる。それに気がついた夏菜子が歩き出し、他の人も続いた。


「毎日補習ばっかりで嫌になるよね」


 華が嫌そうに顔を顰めながら言う。それに夏菜子が「ほんとにね」と返す。悠真はその後ろでスマートフォンを片手に歩く。


「見ろよ。刃物持った不審者がうろついているって……うわ、これ、この辺の話じゃん」



 悠真が見せてきた画面には一本の動画が流れていた。全身黒い服で覆われた男が刃物を振り回している。誰かを切り付ける様子は見られなかったが、警察が到着すると同時に逃走するところまでが映されていた。

「物騒だね。犯人はまだ捕まってないの?」
「そうみたいだな。俺たちも気をつけないとなー」

 裕二は「たしかに、気をつけなきゃね」と言って少しだけ顔を強張らせる。




「――次こそは、ちゃんと」
 小さく呟かれた裕二の声が誠の耳に残り続けていた。