結局、二人の勝敗は五分五分で落ち着いた。
十分に遊び尽くすと、裕二と誠は外に出る。昼間よりは幾分か和らいでいるが、それでも夏の暑さは猛威を振るっている。
「もうこんな時間なんだね」
夕暮れの空を見て裕二が呟く。もくもくと立派な入道雲が真っ赤な絵の具を溶かしたような空に浮かんでいる。
二人で遊んでいると時間があっという間に過ぎてしまう。裕二との最後の夏休みも、一瞬で過ぎてしまうのではないかと思えるほどだった。
「あはは、難しい顔してる。何考えてるの?」
「……別に、なんも考えてない」
誠のぶっきらぼうな返答に、彼は人懐っこい笑顔を見せる。
誠は目を細めて裕二の顔を見る。柔らかく笑うその顔が何よりも好きだった。
見た人を安心させるような笑顔は、鬱々とした誠の気持ちも明るくさせてくれる。
彼に釣られるように、誠は頬を緩めようとした――その瞬間、頭の奥が誰かの指で掻き回されるみたいに痛くなる。
先ほど感じた違和感に痛みが伴っているような感覚だった。
誠はその場に立っていられなくなり、頭を抱えて座り込んでしまう。突然のことに裕二は驚きながらも、誠の背中を撫でてくれる。
「どうしたの!? 大丈夫?」
すぐに裕二の言葉に答えることはできず、頭の中に流れてくる何かに誠は必死に抗う。
しばらくそうしていると誠は痛みに支配されていた頭の中がはっきりしていくのを感じた。
「……大丈夫だ」
「大丈夫そうには見えないよ……顔も青ざめてるし、体も震えてるよ」
裕二の指摘に誠はようやく自分の状態に気がつく。まるで恐ろしいものに直面した小動物のように、小刻みに体が震えていた。
(どうして――?)
そう考えていると、裕二が水筒を差し出した。
「涼しい場所で過ごしてたから気が付かなかったけど、もしかしたら脱水かもしれないよ。飲めそうなら、飲んで」
水筒を受け取りながら誠は「ありがとう」と伝える。それに裕二は安心させるように笑みを浮かべる。
受け取るために顔を上げた誠は目に映った光景に目を見開く。
裕二の顔には真っ赤な何かが、ぬるく、ベッタリと塗りたくられていた。
それは血だったのか。ペンキだったのか。
――誠の脳は、それが裕二の死を予感させる色だと本能的に理解した。
その時、頭の中に虚ろな瞳で生気を失った裕二の顔が流れ込んでくる。
「っ!?」
誠は水筒から手を離し、裕二の顔を両手で挟んでよく見る。
カンっと金属が地面にぶつかる音が響く。
目を見開き、鼓動が早くなるのを感じる。どこからか錆びた鉄の匂いがするようだった。
しかし、改めて見る裕二の顔には何もついておらず、戸惑う表情を浮かべている。
「本当に大丈夫? もしも無理そうなら、僕のお母さん呼ぶよ?」
「だい、じょうぶ…………大丈夫だけど……」
もう一度裕二の顔をじっと見つめるが、やはり何もなかった。まるで蜃気楼のように、赤い何かで塗れた彼は彼方へと消えてしまっていた。
夏の暑さに誠の頭がいかれてしまったのか。
バクバクと大きな音をたてる心臓の鼓動を聞きながら、気持ちを落ち着けるように深呼吸をする。
「……大丈夫。心配かけてすまん」
裕二を安心させるように呟いたが、胸の奥でくすぶる恐怖は、どうしても拭えなかった。
今見た「何か」が、ただの暑さのせいであってほしいと願うように、誠はゆっくりとまばたきをする。
裕二は、先ほどより血の気を取り戻した誠の顔を見てほっとしたのか、誠に手を握ると、誠のことをゆっくりと引っ張り上げた。一瞬立ちくらみのような感覚はあるが、頭痛はだいぶ良くなっていた。
「もう! 心配かけないで。急に座り込むから何かあったのかと思ったよ」
「悪いって。本当に急に頭が痛くなったんだ」
「え……それって大丈夫なの? 病院に行って診てもらいなよ」
「そんな大事じゃない」
「わからないだろ? 専門的なことは専門家を頼らないと」
ぷくっと頬を膨らませる裕二の間抜け顔に誠は心の中でクスッと笑う。
裕二は誠が真面目に話を聞いていないのを感じ取ったのか、不機嫌そうに肩を揺らして歩き始める。
商店街の終わりにたどり着くと、いつも渡っている信号が赤色を示していた。
(……赤?)
ハッとして隣を見るが、裕二は暑そうにしながら立っていた。
(なんで、こんなに心がざわつくんだ)
先ほどから感じる違和感は、誠に一体何を伝えようとしているのか。それが何か、具体的にわからないことに誠は余計に苛立つ。
商店街は夕方の買い物客で賑わい、誠たちと同じように信号を待っている人もたくさんいた。
みんながそれぞれの日常を送っている。
その当たり前の日常に、誠たちもいる――はずだったのに。
誠は不意に目の前で通り過ぎていく車を中でも遠くから来ているトラックに目がいく。商店街を走る車にしてはスピードが出ていたから気になったのかもしれない。
だから、誠は気がついた。トラックの運転手が前を向いていないことに。
叫ぼうとした。
でも声よりも先に、誠の視線は裕二を探してしまう。
その一拍が、致命傷となるとも知らずに。
あ――と脳が現実を理解した瞬間、目と鼻の先をトラックが通に抜けていく。
ビュンっと風の唸り声と、風圧に体が押されてその場に尻餅をつく。
一瞬の間を開けて、大きな衝撃音が商店街に響く。
遅れて聞こえた、ぐちゃり――と誰かの肉が潰れる音と共に。
「……は?」
壊れたブリキの人形のように、ゆっくりとトラックが進んだ方を見る。
ぐしゃぐしゃになった店の一部とトラックの全面。
そこには赤い――何かがいないか?
トラックとの間に、何かいないか?
何か――あぁ、あれは人間の手だ。人間の手が、トラックと瓦礫の隙間からゆらゆらと飛び出ている。
あれはなんだ――?
あれは人か――?
人なんだとしたら、いったい誰の――?
そこで誠はようやく気がついた。
先ほどまで隣にいた裕二がいないのだ。
それを理解した瞬間、脳が最悪のストーリーを描き出す。
どれだけ否定しても、夏の暑さがあざ笑うように誠に現実を突きつける。
嗅いだことのある錆びた鉄の匂いが、あたりに充満する。
あれは、あれは――!
あそこにいるあれは、裕二――?
目の前からいなくなった裕二。
向こうで変わり果てた姿になっている裕二。
人間の形をしているはずだった裕二。
ついさっきまで笑っていた裕二。
真っ赤に塗りつぶされた、裕二。
「っう! うえぇぇ!」
誠はその場にガクンと膝をつき、胃の中のものをぶちまけた。
無音だった世界はようやく音を取り戻したのか、周囲の人たちの悲鳴が耳に入ってくる。
つい先ほどまで笑っていた裕二がトラックと瓦礫の隙間で肉塊に変わっていた。
突き出た腕は意思がない人形のようにぴくりとも動かない。
虚ろな瞳は光を宿さない。
裕二が死んだ――?
誠の脳はいつまで事実を否定する。
認められなかったのだ。
認められるわけがなかった。
ついさっきまで二人は何気ない会話を楽しんでいたのに。
一緒に笑い合って、ふざけあって、それで、それで――明日も当たり前のように来るのだと、そう思っていたのに。
それなのに、裕二が、死んだ――?
起きていられなくなった誠は地面に向かって倒れ込んでいく。
支えてくれる人も、心配してくれる人も、もういなかった。
(――ちくしょう)
意識が
途切れる最後、誠は心の中で毒を吐く。
しかし、いつまでたっても地面にぶつかる衝撃は来なかった。
十分に遊び尽くすと、裕二と誠は外に出る。昼間よりは幾分か和らいでいるが、それでも夏の暑さは猛威を振るっている。
「もうこんな時間なんだね」
夕暮れの空を見て裕二が呟く。もくもくと立派な入道雲が真っ赤な絵の具を溶かしたような空に浮かんでいる。
二人で遊んでいると時間があっという間に過ぎてしまう。裕二との最後の夏休みも、一瞬で過ぎてしまうのではないかと思えるほどだった。
「あはは、難しい顔してる。何考えてるの?」
「……別に、なんも考えてない」
誠のぶっきらぼうな返答に、彼は人懐っこい笑顔を見せる。
誠は目を細めて裕二の顔を見る。柔らかく笑うその顔が何よりも好きだった。
見た人を安心させるような笑顔は、鬱々とした誠の気持ちも明るくさせてくれる。
彼に釣られるように、誠は頬を緩めようとした――その瞬間、頭の奥が誰かの指で掻き回されるみたいに痛くなる。
先ほど感じた違和感に痛みが伴っているような感覚だった。
誠はその場に立っていられなくなり、頭を抱えて座り込んでしまう。突然のことに裕二は驚きながらも、誠の背中を撫でてくれる。
「どうしたの!? 大丈夫?」
すぐに裕二の言葉に答えることはできず、頭の中に流れてくる何かに誠は必死に抗う。
しばらくそうしていると誠は痛みに支配されていた頭の中がはっきりしていくのを感じた。
「……大丈夫だ」
「大丈夫そうには見えないよ……顔も青ざめてるし、体も震えてるよ」
裕二の指摘に誠はようやく自分の状態に気がつく。まるで恐ろしいものに直面した小動物のように、小刻みに体が震えていた。
(どうして――?)
そう考えていると、裕二が水筒を差し出した。
「涼しい場所で過ごしてたから気が付かなかったけど、もしかしたら脱水かもしれないよ。飲めそうなら、飲んで」
水筒を受け取りながら誠は「ありがとう」と伝える。それに裕二は安心させるように笑みを浮かべる。
受け取るために顔を上げた誠は目に映った光景に目を見開く。
裕二の顔には真っ赤な何かが、ぬるく、ベッタリと塗りたくられていた。
それは血だったのか。ペンキだったのか。
――誠の脳は、それが裕二の死を予感させる色だと本能的に理解した。
その時、頭の中に虚ろな瞳で生気を失った裕二の顔が流れ込んでくる。
「っ!?」
誠は水筒から手を離し、裕二の顔を両手で挟んでよく見る。
カンっと金属が地面にぶつかる音が響く。
目を見開き、鼓動が早くなるのを感じる。どこからか錆びた鉄の匂いがするようだった。
しかし、改めて見る裕二の顔には何もついておらず、戸惑う表情を浮かべている。
「本当に大丈夫? もしも無理そうなら、僕のお母さん呼ぶよ?」
「だい、じょうぶ…………大丈夫だけど……」
もう一度裕二の顔をじっと見つめるが、やはり何もなかった。まるで蜃気楼のように、赤い何かで塗れた彼は彼方へと消えてしまっていた。
夏の暑さに誠の頭がいかれてしまったのか。
バクバクと大きな音をたてる心臓の鼓動を聞きながら、気持ちを落ち着けるように深呼吸をする。
「……大丈夫。心配かけてすまん」
裕二を安心させるように呟いたが、胸の奥でくすぶる恐怖は、どうしても拭えなかった。
今見た「何か」が、ただの暑さのせいであってほしいと願うように、誠はゆっくりとまばたきをする。
裕二は、先ほどより血の気を取り戻した誠の顔を見てほっとしたのか、誠に手を握ると、誠のことをゆっくりと引っ張り上げた。一瞬立ちくらみのような感覚はあるが、頭痛はだいぶ良くなっていた。
「もう! 心配かけないで。急に座り込むから何かあったのかと思ったよ」
「悪いって。本当に急に頭が痛くなったんだ」
「え……それって大丈夫なの? 病院に行って診てもらいなよ」
「そんな大事じゃない」
「わからないだろ? 専門的なことは専門家を頼らないと」
ぷくっと頬を膨らませる裕二の間抜け顔に誠は心の中でクスッと笑う。
裕二は誠が真面目に話を聞いていないのを感じ取ったのか、不機嫌そうに肩を揺らして歩き始める。
商店街の終わりにたどり着くと、いつも渡っている信号が赤色を示していた。
(……赤?)
ハッとして隣を見るが、裕二は暑そうにしながら立っていた。
(なんで、こんなに心がざわつくんだ)
先ほどから感じる違和感は、誠に一体何を伝えようとしているのか。それが何か、具体的にわからないことに誠は余計に苛立つ。
商店街は夕方の買い物客で賑わい、誠たちと同じように信号を待っている人もたくさんいた。
みんながそれぞれの日常を送っている。
その当たり前の日常に、誠たちもいる――はずだったのに。
誠は不意に目の前で通り過ぎていく車を中でも遠くから来ているトラックに目がいく。商店街を走る車にしてはスピードが出ていたから気になったのかもしれない。
だから、誠は気がついた。トラックの運転手が前を向いていないことに。
叫ぼうとした。
でも声よりも先に、誠の視線は裕二を探してしまう。
その一拍が、致命傷となるとも知らずに。
あ――と脳が現実を理解した瞬間、目と鼻の先をトラックが通に抜けていく。
ビュンっと風の唸り声と、風圧に体が押されてその場に尻餅をつく。
一瞬の間を開けて、大きな衝撃音が商店街に響く。
遅れて聞こえた、ぐちゃり――と誰かの肉が潰れる音と共に。
「……は?」
壊れたブリキの人形のように、ゆっくりとトラックが進んだ方を見る。
ぐしゃぐしゃになった店の一部とトラックの全面。
そこには赤い――何かがいないか?
トラックとの間に、何かいないか?
何か――あぁ、あれは人間の手だ。人間の手が、トラックと瓦礫の隙間からゆらゆらと飛び出ている。
あれはなんだ――?
あれは人か――?
人なんだとしたら、いったい誰の――?
そこで誠はようやく気がついた。
先ほどまで隣にいた裕二がいないのだ。
それを理解した瞬間、脳が最悪のストーリーを描き出す。
どれだけ否定しても、夏の暑さがあざ笑うように誠に現実を突きつける。
嗅いだことのある錆びた鉄の匂いが、あたりに充満する。
あれは、あれは――!
あそこにいるあれは、裕二――?
目の前からいなくなった裕二。
向こうで変わり果てた姿になっている裕二。
人間の形をしているはずだった裕二。
ついさっきまで笑っていた裕二。
真っ赤に塗りつぶされた、裕二。
「っう! うえぇぇ!」
誠はその場にガクンと膝をつき、胃の中のものをぶちまけた。
無音だった世界はようやく音を取り戻したのか、周囲の人たちの悲鳴が耳に入ってくる。
つい先ほどまで笑っていた裕二がトラックと瓦礫の隙間で肉塊に変わっていた。
突き出た腕は意思がない人形のようにぴくりとも動かない。
虚ろな瞳は光を宿さない。
裕二が死んだ――?
誠の脳はいつまで事実を否定する。
認められなかったのだ。
認められるわけがなかった。
ついさっきまで二人は何気ない会話を楽しんでいたのに。
一緒に笑い合って、ふざけあって、それで、それで――明日も当たり前のように来るのだと、そう思っていたのに。
それなのに、裕二が、死んだ――?
起きていられなくなった誠は地面に向かって倒れ込んでいく。
支えてくれる人も、心配してくれる人も、もういなかった。
(――ちくしょう)
意識が
途切れる最後、誠は心の中で毒を吐く。
しかし、いつまでたっても地面にぶつかる衝撃は来なかった。



