戻ってきた。
そう思った時誠は図書館にいた。激しい頭の痛みに、思わず手を添える。
誠はここに戻ってくる直前に、落ちていく子供を庇って一緒に階段の下に落ちたはずだった。
直前の世界で裕二は死んでいないはずなのに、誠はまた世界をやり直している。それはつまり、裕二を助けるだけではこのループは終わらないということだった。
だけどループを抜け出す糸口は見つかった。
他でもない、ループの中心にいる裕二自身が手がかりだった。
裕二は何かを知っていて、それを隠している。裕二も誠と同じようにこの夏を繰り返しているのであれば、協力してこの夏を終えることができるかもしれない。小さな希望が誠の胸に生まれた。
ふと隣に勉強道具が一式置かれているのを見つける。開かれた参考書の上に文鎮がわりに筆箱が置かれている。シンプルな紺色のそれは裕二が気に入って使ってるやつだった。
ここに裕二もいる――と気づいたとき、視界の端に裕二のふわふわとした髪の毛が見える。誠はすぐに立ち上がって彼を迎えたが、裕二は暗い顔で俯いてこちらには目も向けない。
その姿は様子のおかしかった前回の裕二の姿と重なり、誠は顔を硬直させる。
誠が声をかけあぐねていると裕二がゆっくりと顔を上げて、笑顔の仮面を貼り付けた。いつもと同じ顔なのに、その向こうにはドス黒い感情の嵐を内包しているようだった。
「誠、どうしたの? 何か探しにいくところ?」
その歪んだ感情を隠しもしない様子に誠の背筋が震える。
何かを見落としているのか、それとも気がついていないのか。
正解はわからなかったが、このままではダメだと本能的に理解する。
とにかく、なんでもいいから声をかけろと、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
「…………流石に、通用しない、か」
髪の毛を指先に巻き付けながら、裕二は乾いた笑い声を上げる。それもすぐに消え失せ、裕二は死んだような顔で床を見つめた。静かで誰もいない図書館にその声だけが重たく沈んでいく。
「…………裕二……お前は、全部知ってるんだろ。俺たちが時間をやり直していることを」
誠の質問に裕二は答えず口を引き結ぶ。その態度こそが答えだった。
「憶えてる、か……うん。憶えてるよ。全部…………全部ね」
裕二は正面にやってくると誠の顔を下から覗き込む。そして、能面のような感情を読み取れない顔でじっと見つめる。冷たく、温度のない表情に誠の足は逃げるように無意識のうちに後ろに下がった。
「誠が憶えてないことも、全部、僕は憶えてるよ」
「俺が、憶えてないこと……?」
裕二の言っていることがわからず誠は狼狽える。
「誠が知らないことも知ってるよ。例えば――」
裕二は誠を試すように目を細め、ニィッと引き攣った笑みを浮かべる。明確に敵意を持った視線が誠の心臓を掴んだ。
「――このループの終わらせ方とかね」
トンっと裕二に体を押されて、誠はその場でタタラを踏む。
裕二の言葉が理解しようと、何度も頭の中で反芻させる。
「どういう、ことだよ……」
もしも初めから裕二がこの繰り返す夏の終わらせ方を知っていたのなら、どうしてさっさと終わらせないのか。
なぜ自分が死ぬ運命を繰り返し続けたのか。
裕二の心が、考えが、今の誠には見当もつかなかった。
(このループも終わらせ方も知っていたのに、それでも繰り返し続けた理由……?)
誠が憶えていなくて、裕二が憶えていることとは一体なんなのか。
それにこそ、全ての答えがあるのではないか。
「…………色々と聞きたいことはある。でも、俺は回りくどいことは苦手だから、単刀直入に聞くぞ」
ぐるぐると一人で考えることをやめて、誠は目の前の裕二と話し合うことを選ぶ。裕二はそれすらわかっていたかのように、諦めたように肩を竦めた。
「どうやったらこれは終わるんだ? 裕二が死なない方法はないのか?」
「あはは! 僕が死なない方法? 何言ってるんだよ、誠」
誠の言葉に裕二は大きな声で笑い始める。楽しそうに、腹を抱えて笑う裕二を誠は久しぶりに見た気がした。
「そんなの、あるわけないだろ!」
裕二は誠の胸ぐらに手を伸ばし、その体を引き寄せる。
「本当に、君は! 何もわかってない!」
額と額がガツンっとぶつかる。あの祭りの日と同じ、深淵を覗き込んでいるような真っ暗な瞳が誠の意思すら飲み込んでいきそうだった。
「これは! この夏は! 君が僕の死を受け入れて初めて終わるんだよ!」
誠の視界の端で裕二は小型のナイフを取り出す。
全てがスローモーションのようにゆっくりと動く。
裕二がナイフを首に当てた時、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
肉を切る音とともに、世界が赤一色に染め上げられる。
真っ赤な血が誠の頬を濡らす。
何度も見てきた。赤く、染まった、裕二の、体。その絶望の色に、誠の心臓は止まったかのようだった。
裕二は最後の仕上げというように、息も絶え絶えになりながら首に刺したナイフを引き抜く。すると、流れる血液はドクドクと脈打つように勢いが増していく。
ふらつく足取りで誠の方に近づくと、裕二はいつものように優しい笑みを浮かべる。それは、狂気に堕ちた悍ましいそれとは違って、どこまでも誠のことを気遣っていた。
「僕を…………殺して………………」
「…………は?」
誠は何が起きたかわからず崩れ落ちていく裕二をただ見ている。
目の前の事実を認めたくなかった。
何を犠牲にしても助けたかったはずの裕二が自殺を選ぶ結末を。
膝を床につき、地面を這うようにして裕二のそばに行く。裕二はまだ死んでいないのかヒューヒューと細い呼吸音がする。
虚な瞳には何が映っているのか。裕二は嬉しそうに誠に笑いかける。
まるで、これが最後かのように。
裕二の首元を押さえるが、どくどくと流れる血の勢いは依然強いままだ。無意味だとわかっていても、何もせずにはいられない。
ただひたすら、目の前から流れていくそれを止めたくて必死に押さえる。
止まれ、止まれ――止まれ!
誠の願いに反して、生暖かい血液は誠の手を染めていく。
「どうしたら……どうすればいいんだよ!」
裕二が誠の前で死ぬ運命を全力で否定するように何度も首を横にふる。
「なんでこんなことになるんだよ。こんな結末、俺は望んでないっ!」
誠は涙を流し、嗚咽を漏らす。そして、怒ったように裕二に話しかけ続ける。
「おい、死ぬな! 目を開けろよ! いつもみたいに馬鹿みたいに笑えよ!」
この残酷な運命が許せなかった。
裕二が死ななければいけない現実が憎い。
どうしてその役目を変わってやれないのだろうか。
どうして、俺たちだったのか。
ふと迷子の子供のように、顔を覆って立ち尽くしていた裕二の姿が頭の中をよぎる。
その時の裕二はなんて言っていたのか。
あぁ、そうだ。
裕二はあの時、たしか――。
「俺を! 置いて逝くな!」
誠の言葉がかつての裕二の言葉と重なる。
あの時の裕二もこんな気持ちだったのだろうか。
「……いじょ……ぶ…………だい、好き……だから…………」
裕二は繰り返し大丈夫を伝える。掠れた、消えてしまいそうな声なのに、誠を安心させようとしているのが伝わってくる。
「お前が言ったじゃないか……置いて逝くなって……なぁ、頼むから……なぁ…………!!」
涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で裕二の顔を覗き込む。もう裕二の瞳は誠のことを映していなかった。だけど、最後まで裕二の唇は誠に「大丈夫」と伝えていた。
大丈夫なわけない。
隣に裕二がいないのに。
どうしてそんな酷いことが言えるのか。
そんなことを伝えるくらいなら、裕二はなぜ一緒に生きようとしてくれなかったのだろうか。
一人取り残される誠は、この先どうしたらいいのか。
「なぁ…………ゆうじぃ……」
血は流れ続ける。
薄く開いた瞳からは光りが失われていた。
裕二は死んだ。
誠の目の前で、自らが死ぬ運命をただ受け入れる。
なんでも、どうしても、答えてくれる友人はもういな
い。
誠は、また、一人になる。
そう思った時誠は図書館にいた。激しい頭の痛みに、思わず手を添える。
誠はここに戻ってくる直前に、落ちていく子供を庇って一緒に階段の下に落ちたはずだった。
直前の世界で裕二は死んでいないはずなのに、誠はまた世界をやり直している。それはつまり、裕二を助けるだけではこのループは終わらないということだった。
だけどループを抜け出す糸口は見つかった。
他でもない、ループの中心にいる裕二自身が手がかりだった。
裕二は何かを知っていて、それを隠している。裕二も誠と同じようにこの夏を繰り返しているのであれば、協力してこの夏を終えることができるかもしれない。小さな希望が誠の胸に生まれた。
ふと隣に勉強道具が一式置かれているのを見つける。開かれた参考書の上に文鎮がわりに筆箱が置かれている。シンプルな紺色のそれは裕二が気に入って使ってるやつだった。
ここに裕二もいる――と気づいたとき、視界の端に裕二のふわふわとした髪の毛が見える。誠はすぐに立ち上がって彼を迎えたが、裕二は暗い顔で俯いてこちらには目も向けない。
その姿は様子のおかしかった前回の裕二の姿と重なり、誠は顔を硬直させる。
誠が声をかけあぐねていると裕二がゆっくりと顔を上げて、笑顔の仮面を貼り付けた。いつもと同じ顔なのに、その向こうにはドス黒い感情の嵐を内包しているようだった。
「誠、どうしたの? 何か探しにいくところ?」
その歪んだ感情を隠しもしない様子に誠の背筋が震える。
何かを見落としているのか、それとも気がついていないのか。
正解はわからなかったが、このままではダメだと本能的に理解する。
とにかく、なんでもいいから声をかけろと、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
「…………流石に、通用しない、か」
髪の毛を指先に巻き付けながら、裕二は乾いた笑い声を上げる。それもすぐに消え失せ、裕二は死んだような顔で床を見つめた。静かで誰もいない図書館にその声だけが重たく沈んでいく。
「…………裕二……お前は、全部知ってるんだろ。俺たちが時間をやり直していることを」
誠の質問に裕二は答えず口を引き結ぶ。その態度こそが答えだった。
「憶えてる、か……うん。憶えてるよ。全部…………全部ね」
裕二は正面にやってくると誠の顔を下から覗き込む。そして、能面のような感情を読み取れない顔でじっと見つめる。冷たく、温度のない表情に誠の足は逃げるように無意識のうちに後ろに下がった。
「誠が憶えてないことも、全部、僕は憶えてるよ」
「俺が、憶えてないこと……?」
裕二の言っていることがわからず誠は狼狽える。
「誠が知らないことも知ってるよ。例えば――」
裕二は誠を試すように目を細め、ニィッと引き攣った笑みを浮かべる。明確に敵意を持った視線が誠の心臓を掴んだ。
「――このループの終わらせ方とかね」
トンっと裕二に体を押されて、誠はその場でタタラを踏む。
裕二の言葉が理解しようと、何度も頭の中で反芻させる。
「どういう、ことだよ……」
もしも初めから裕二がこの繰り返す夏の終わらせ方を知っていたのなら、どうしてさっさと終わらせないのか。
なぜ自分が死ぬ運命を繰り返し続けたのか。
裕二の心が、考えが、今の誠には見当もつかなかった。
(このループも終わらせ方も知っていたのに、それでも繰り返し続けた理由……?)
誠が憶えていなくて、裕二が憶えていることとは一体なんなのか。
それにこそ、全ての答えがあるのではないか。
「…………色々と聞きたいことはある。でも、俺は回りくどいことは苦手だから、単刀直入に聞くぞ」
ぐるぐると一人で考えることをやめて、誠は目の前の裕二と話し合うことを選ぶ。裕二はそれすらわかっていたかのように、諦めたように肩を竦めた。
「どうやったらこれは終わるんだ? 裕二が死なない方法はないのか?」
「あはは! 僕が死なない方法? 何言ってるんだよ、誠」
誠の言葉に裕二は大きな声で笑い始める。楽しそうに、腹を抱えて笑う裕二を誠は久しぶりに見た気がした。
「そんなの、あるわけないだろ!」
裕二は誠の胸ぐらに手を伸ばし、その体を引き寄せる。
「本当に、君は! 何もわかってない!」
額と額がガツンっとぶつかる。あの祭りの日と同じ、深淵を覗き込んでいるような真っ暗な瞳が誠の意思すら飲み込んでいきそうだった。
「これは! この夏は! 君が僕の死を受け入れて初めて終わるんだよ!」
誠の視界の端で裕二は小型のナイフを取り出す。
全てがスローモーションのようにゆっくりと動く。
裕二がナイフを首に当てた時、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
肉を切る音とともに、世界が赤一色に染め上げられる。
真っ赤な血が誠の頬を濡らす。
何度も見てきた。赤く、染まった、裕二の、体。その絶望の色に、誠の心臓は止まったかのようだった。
裕二は最後の仕上げというように、息も絶え絶えになりながら首に刺したナイフを引き抜く。すると、流れる血液はドクドクと脈打つように勢いが増していく。
ふらつく足取りで誠の方に近づくと、裕二はいつものように優しい笑みを浮かべる。それは、狂気に堕ちた悍ましいそれとは違って、どこまでも誠のことを気遣っていた。
「僕を…………殺して………………」
「…………は?」
誠は何が起きたかわからず崩れ落ちていく裕二をただ見ている。
目の前の事実を認めたくなかった。
何を犠牲にしても助けたかったはずの裕二が自殺を選ぶ結末を。
膝を床につき、地面を這うようにして裕二のそばに行く。裕二はまだ死んでいないのかヒューヒューと細い呼吸音がする。
虚な瞳には何が映っているのか。裕二は嬉しそうに誠に笑いかける。
まるで、これが最後かのように。
裕二の首元を押さえるが、どくどくと流れる血の勢いは依然強いままだ。無意味だとわかっていても、何もせずにはいられない。
ただひたすら、目の前から流れていくそれを止めたくて必死に押さえる。
止まれ、止まれ――止まれ!
誠の願いに反して、生暖かい血液は誠の手を染めていく。
「どうしたら……どうすればいいんだよ!」
裕二が誠の前で死ぬ運命を全力で否定するように何度も首を横にふる。
「なんでこんなことになるんだよ。こんな結末、俺は望んでないっ!」
誠は涙を流し、嗚咽を漏らす。そして、怒ったように裕二に話しかけ続ける。
「おい、死ぬな! 目を開けろよ! いつもみたいに馬鹿みたいに笑えよ!」
この残酷な運命が許せなかった。
裕二が死ななければいけない現実が憎い。
どうしてその役目を変わってやれないのだろうか。
どうして、俺たちだったのか。
ふと迷子の子供のように、顔を覆って立ち尽くしていた裕二の姿が頭の中をよぎる。
その時の裕二はなんて言っていたのか。
あぁ、そうだ。
裕二はあの時、たしか――。
「俺を! 置いて逝くな!」
誠の言葉がかつての裕二の言葉と重なる。
あの時の裕二もこんな気持ちだったのだろうか。
「……いじょ……ぶ…………だい、好き……だから…………」
裕二は繰り返し大丈夫を伝える。掠れた、消えてしまいそうな声なのに、誠を安心させようとしているのが伝わってくる。
「お前が言ったじゃないか……置いて逝くなって……なぁ、頼むから……なぁ…………!!」
涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で裕二の顔を覗き込む。もう裕二の瞳は誠のことを映していなかった。だけど、最後まで裕二の唇は誠に「大丈夫」と伝えていた。
大丈夫なわけない。
隣に裕二がいないのに。
どうしてそんな酷いことが言えるのか。
そんなことを伝えるくらいなら、裕二はなぜ一緒に生きようとしてくれなかったのだろうか。
一人取り残される誠は、この先どうしたらいいのか。
「なぁ…………ゆうじぃ……」
血は流れ続ける。
薄く開いた瞳からは光りが失われていた。
裕二は死んだ。
誠の目の前で、自らが死ぬ運命をただ受け入れる。
なんでも、どうしても、答えてくれる友人はもういな
い。
誠は、また、一人になる。



