サマータイムリープ

 貼り付けたような笑顔を見せる彼に、誠は言葉にし難い恐怖を覚える。

 裕二なのに裕二じゃない、そんな感覚に――。


「ねぇ、ごめんね。言わなかったんじゃなくて、ちょっとタイミングを逃しちゃってさ」


 裕二が一歩、また一歩と近づいてくる。


「本当は一番に伝えたかったんだ。だけど、どうしても言えなくてさ」


 いつもよりも早い口調で、捲し立てるように裕二は言葉を紡ぐ。


「言いたくても言えなくて。どうしたら言わなくて済むのかを考えたりもしてさ」


 また一歩、もう一歩近づいてくる。

 そうして裕二は手を伸ばせば触れられるような位置にやってくる。


「でも、どんなことをしても君は知っちゃうんだ。そうして君は――」


 裕二は先ほどの誠のように、胸ぐらを掴むとぐっと自分の方に誠を引き寄せる。下から見上げる裕二の瞳は前髪の隙間からジッと誠の瞳を見つめている。真っ黒で、光りを灯さない、深い谷底を見ているような瞳に誠は視線を逸らすことができない。



「――君は、いつも死んでしまう」



 裕二はいつもと同じように笑った。


 暖かく優しい笑みと深淵を覗いているかのような真っ黒の瞳がアンバランスで、気味が悪かった。目の前にいるのは裕二のはずなのに、得体の知れない何かと対峙しているようだった。これは本当に裕二なのだろうか、と考えずにはいられなかった。

「ねぇ、どうしたらいいの? どうしたら君は生きていてくれる? どうしたら、君は生きようと思ってくれる? どうしたら僕はよかったの?」

 さらに顔を引き寄せ二人の呼吸が重なる。裕二の息遣いが肌で感じられる。

 裕二は顔を伏せて胸ぐらを握りしめる手に額を乗せる。
 震える声で、まるで泣いているかのように細い声で言葉を紡ぐ。

「どうしたら……君と、明日を迎えられるのかなぁ」

 誠から俯いた裕二の表情は見えなかった。だけど裕二は堪えきれなくなったように、体を震わせ、嗚咽を漏らし始める。掴まれた手を伝って誠のシャツにシミを作る。

 寂しく震わせる肩を思わず誠がつかもうとした時、誠の体が後ろに思いっきり引かれる。

 裕二の手が離れ、ハッと驚いて振り返ると消えたはずの華が顔を強張らせたながら誠の腕を引っ張っていた。

「なん、なのよっ! あんたも、裕二も、おかしすぎるわよ!」

 人混みにあえて紛れながら、裕二を置いてその場から少しでも離れる。誠は腕を引っ張られながらも裕二の方を振り返る。裕二は両手で顔を覆って俯いている。動く様子は見られなくて、その場に立ち尽くして口を小さく動かした。他の誰にも伝わらなくても、誠には裕二が何を言ったのがわかった。



「置いていかないで」



 裕二は確かにそう言っていた。泣きながら、迷子の子供が親を探しているかのような不安定なその様子を見て、気がつくと誠は華の手を振り払っていた。華は驚いたように立ち止まり、誠の方を振り返る。

「なんで? あいつのところに戻るの? おかしくなったあいつと話にで行くつもり?」

 険しい顔をする華と後ろで立ち尽くす裕二を交互に見つめる。

「話をしてどうするのよ。訳のわからないことを言いわれて、あんたが傷ついてるところを黙って見てろっていうの!?」
「じゃあ、誰があいつの話を聞いてやるんだよ!」
「あんたじゃなくてもいいじゃない! 悠真でも、親でも、誰だって……!」

 人々が往来する道の真ん中で大声を出し合ったからか、周りの人が何事かと二人を見ていた。だけど、誠たちにはその視線はこれっぽっちも視界に入っていなかった。

「誠じゃなくてもいいじゃない……」

 華は限界を迎えたのか、静かに涙を流し始める。唇を噛み締めながら、泣くのを必死に堪えているが、うまくいかず結局顔をくしゃくしゃにする。

「なんでこうなるのよ……ひっく、うぅ……ただ、楽しい思い出を作りたかっただけなのに……」

 泣きじゃくる華を見て誠は少しだけ罪悪感を覚える。いつも気丈に振る舞う彼女だったが、まだ十八にも満たない少女に過ぎなかった。

 誠は泣いている華にどうしていいか分からなくなる。

「それでも、俺はあいつと話がしたい。話をしなきゃいけない気がする」

 誠の強い気持ちに、華は涙を拭いながら顔を伏せる。

「…………なら、裕二のところにでもどこにでも行けばいいよ」

 納得していないのはその態度からありありと伝わってきたが、それでも誠の選択を尊重してくれるようだった。

「それで盛大に喧嘩でもして、しばらく気まずい思いをして過ごせばいいんだ」

 そう言い切ると華は誠の視線から逃げるようにそっぽを向く。

「ありがとう、華」

 華は鼓舞するように誠の背中を叩く。思いのほか力強く叩かれ、背中に鈍い痛みが走る。だけど、その痛みが誠の頭を冷静にさせる。


 裕二とはちゃんと話さなければいけない。


 先ほどは自分の感情のまま、裕二に詰め寄ってしまったが、それではいけないと今ならわかる。


 誠は人とちゃんと向き合って話すのが得意ではない。

 幼い時、いつも喧嘩していた両親を見て育ったから、人と向き合って本音を話す方法なんて知らなかったのだ。

 裕二は何かを知っていて隠している。

 もしかしたら、裕二も誠と一緒でこの繰り返す夏の記憶を持っているのかもしれない。

 そうじゃなければ、これまでの不可解な発言を説明することができない。

 何度も見た、窓辺に崩れ落ちていたその人は、おそらく裕二なのだろう。

 もしそうならば、裕二と一緒にどうすればこの悪夢みたいに繰り返す夏を終わらせられるのかを考えたかった。

 裕二が誠に漏らしたように、二人で一緒に明日を迎える方法を考えたかった。

 誠はもう一度裕二と話をするために歩き出す。そう離れていないのに、すれ違ってしまった二人の心の距離を表しているかのようにやけに遠く感じた。

 後ろから華が見守る視線を感じる。普段なら鬱陶しいだけのそれが、今は一人ではないと思えて心強かった。

 長くて短い道のりを経て裕二の前に立っても、彼は顔を上げなかった。今も泣いているのか、肩で大きく呼吸をしている。


「……やだ……一人は嫌だ……置いていかないで……」


 誠は俯く裕二と視線を合わせるようにその場にしゃがみ込む。下から彼の顔を覗きこ込む。


「僕を、一人にしないで……」


 裕二の声に誠は小さく頷くと顔を覆っていた手をゆっくりと包み込む。そして優しくその手を顔から外す。


 その時になって裕二はようやく誠に気がついたように、顔をわずかに上げた。頬を赤く染め、涙で濡れた裕二の瞳と誠の瞳が絡み合う。


「はは、不細工な顔」


 泣いたせいか腫れ上がった目元を見ながら、蜂に刺されたみたいだと思い誠は吹き出した。声を押し殺してクスクスと笑う誠を裕二は呆然と見つめる。その瞳がきらりと瞬く。


「俺はどこにもいかない。裕二を置いていったりもしない」
「…………」
「だから、ちゃんと話そうぜ。お前が隠していることも、全部ちゃんと、話をしよう」
「でも……」
「言っても無駄なんて言うなよ。俺が裕二と話がしたいんだ。突拍子のないことでも、たわいのない話でも。何か悩みがあるなら力になりたい」


 裕二の手を優しく握りながら、誠は立ち上がる。裕二は自分より上にある誠の顔を呆けた様子で見ている。

「俺も、悪かった。ついカッとなって怒鳴って……」

 裕二は何かを言おうと口を少しだけ動かすが言葉にならず吐息だけが漏れる。裕二はきゅっと口を結んだ後、意を決したように口を開いた。

「……わかった。ちゃんと話す。だから、誠も僕の話をちゃんと聞いて。先走ったりしないで」

 繋いだ手に裕二も力を込めて繋ぎ返す。


「僕を置いていかないって約束して」


 その言葉に誠は小さく頷いた。

「わかった」

 誠の返事を聞いて裕二はようやく安心したように微笑んだ。

 考えることは山積みだけど、二人ならなんとかなるような気がする。

 誠が頭の片隅で考えていると、二人のそばを小さな子供が走り抜けていく。その子供を追うようにもう一人の子供が駆けていく。どうやらおいかけっこをしているようで、大人達の足元を縫うように走っていく。

 危なっかしさに思わず目で追いかけると、その子供が階段に向かって走っているところだった。


 あっ――と、誠は思った。


 その時、なんで体が動いたのかは、後になってもわからなかった。

 まるで何かに操られているように、誠は裕二の手を離すと走り出した。

 小さな子供が、勢い余って階段から落ちるところを見たから、本能的に手を伸ばしていた。

 裕二は走り出した誠の手を反射的に取ろうとして手を伸ばすが、後少しのところで届かなかった。


「あっ……あぁ……!」


 裕二の視界が何かと重なる。思い出したくもないその記憶が、足を竦ませる。

 階段から落ちる子供を誠が守るように抱きしめる。


 誠の体が宙を舞う。


 届け、と願いながら最後の望みをかけて裕二は手を伸ばすが、無情にもあと少し届かなかった。指先を誠のシャツが少しだけかすっただけだった。


 誠は子供の頭を守るように抱え込みながら、階段の下まで転がり落ちていった。階段の下では、守られていた子供が火がついたように大きく泣いており、誠はぴくりとも動かなかった。

 頭を打ったのか、どこか怪我をしたのか。遠目からでも地面にじわじわと血溜まりが広がっていくのがわかる。


 裕二の世界から音が消える。


 階段の縁に立ち尽くしながら、倒れている誠を見下ろす。

 事態に気がついた周囲の大人や、階段を利用していた人たちが、慌ただしく動き始める。

 救急車を呼ぶ人、誠に大きな声で話しかける人、スマートフォンを構えて面白がってカメラを回す人。

 見たことのあるピンク色の浴衣が視界の端にうろつく。その誰かは半狂乱になりながら階段を駆け降りていく。

 誰かが話しかけていたような気もするが、よく聞き取れなかった。

 遠くで花火が上がったのだろうか。辺りが何度も輝く。美しいはずのその光に赤い血が反射して気分が悪かった。


 裕二はその場に座り込む。


 どうしてこうなってしまうのだろうか。


 何がいけなかったのだろうか。


 何度繰り返しても、君だけが死んでしまう。


 君だけを助けたい――そう思うことはそんなにいけないことなのだろうか?


 裕二はポケットにしまっていた小さな折り畳みのナイフを取り出した。



「――誠の嘘つき」


 そう呟いて、ナイフを自分の首元に突き刺した。