誰かの声が重なる。
誠はハッと瞬きをすると、そこは教室ではなく自宅の玄関だった。
窓辺だと思っていたところに立っていたのは、心配そうな表情を浮かべる裕二だった。
制服から着替えたようで、グレーのシャツにカーゴ色のワイドパンツ、学校指定の白い運動靴を履いていた。裕二は呆然と固まった誠の目の前で手を振って反応を確かめている。誠はまだ夢を見ているような感覚に「なんで……?」と呟くと、裕二は優しい笑みを浮かべる。
「なんではこっちのセリフだよ。もうすぐ、集合時間だよ」
その言葉にスマートフォンの時間を確認すると、たしかにそろそろ向かわなければいけない時間だった。遅れていけば華たちが文句を言ってくるだろうと予測ができた。
今見た光景を自分の幻覚だ、と割り切ることも出来た。だが、悲痛な叫びと取り乱して泣くその姿、自分と瓜二つな生徒が落ちていく瞬間の臨場感は、ただの勘違いだと思えなかった。
茹だるような暑さなのにとても寒くて、嫌な汗が背筋を伝う。
何か大きな間違いをしているような錯覚に、足元が崩れ落ちていくようだった。
(俺は、何を忘れている?)
誠は大きく深呼吸をして呼吸を整えると手元のスマートフォンに視線を落とす。
スマートフォンの画面には通信エラーの文字が出ていて、記事が書かれたページはどこかに消えていた。なんで、と思いながらリロードのボタンを押すと、すんなりとページが復活するが、そこにはもうあの記事は表示されなかった。
誠は膝を立ててその間に顔を埋める。じんわりと目尻から何かが流れていく。心のどこかで疲れたと思ってしまうのが情けなかった。このままでは裕二を助けるなんて到底できないのではないかとすら思ってしまう。
遠くで蝉が鳴く声がする。
全てを奪っていく夏の、象徴のような音だ。
夏特有な湿気を含んだ風が、汗に濡れた肌を撫でて体がゾクリと震える。
「誠?」
何も話さず、青ざめた表情を見せる誠に裕二は不思議そうに首を傾ける。
「もしかして、お父さんがいるの?」
何かに思い至った裕二は眉間にシワを作りながら、心配そうに玄関と誠を見比べる。誠の父親が帰ってくるのは稀で、ましてやこんな早い時間に家にいることはほぼなかった。
誠と父親の仲は裕二の家族みたいには良くない。そもそも二人が出会う確率が低いということもあるが、父親は誠に興味がなかった。どこで何をしていても関心を示さず、死なれた困るからという理由で申し訳ない程度の生活費を渡してくるくらいだった。
そういう環境で誠が生きていることを裕二は知っていた。だから、玄関先で震える誠を見て、父親がいるのかと心配してくれたのだ。
「ち、がう……違うけど…………」
「そっか……ならなんでこんなところにいるの? 別れてから時間が経ってるけど、ずっとここにいたの?」
「…………」
「夏だからって油断してるとすぐに風邪引くんだからね」
答えに詰まる誠の頭に裕二は手を伸ばし優しく撫でてくれる。
大丈夫だよ、ここにいるよ。
そう言って安心させるように、何度も何度も、誠の体が震えなくなるまでずっと撫でてくれた。
どれだけそうしていただろうか。
日が落ちかけ始め、遠くで祭囃子や人々の笑い声が聞こえてきた頃、ようやく誠の気持ちは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ほら、僕、ここで待ってるから準備してきなよ」
「……わかった。裕二も、一緒に行くぞ」
「え? な、なんで? 一人で言ってきなよ」
「いいから。ほら、早くしろよ」
裕二の腕を引っ張りながら、遠慮する彼を家の中に無理やり押し込む。
「もう、勝手なんだから」
口を尖らせながらも裕二は諦めたように家の中に入ってくる。
玄関には使われなくなった金属バットと誠が近所を散歩する時に使うサンダルが置いてある。
「僕、ここで待ってるね」
誠が玄関の鍵をかけていると裕二はそう言った。
「遠慮すんなよ。上がっていいぞ」
「え、でも、着替えてくるだけでしょ?」
「いいから、早く来いよ」
少し強引な誠の言い方に裕二は困惑したような表情を浮かべる。
誠は玄関に裕二を一人で残したくはなかった。また同じことが起きたらと考えると、怖くてたまらなかったのだ。だから多少強引でも裕二には自分の見えるところにいて欲しかった。
繰り返す夏を、何度でも死んでいく裕二を思い出す。
それだけで、誠の体は情けなく、小さく震える。
誠が着替えている間、裕二は廊下の壁に背をつけて、鼻歌を歌い出す。その歌は裕二が幼い頃に母親から歌ってもらっていた子守唄だった。優しいメロディーに裕二と裕二の母親の愛情が詰まっているのが伝わってくる。それが少しだけ羨ましいと思った事もあったが、、今はその子守唄を聴いていると誠の心まで穏やかになるようだった。
一曲が終わる頃に誠は準備を終える。襟に緑のラインが入った黒いシャツに黒い長ズボンを履いて裕二のところに戻る。裕二は見慣れた誠の格好に鼻歌をやめて口元を綻ばせる。
誠はハッと瞬きをすると、そこは教室ではなく自宅の玄関だった。
窓辺だと思っていたところに立っていたのは、心配そうな表情を浮かべる裕二だった。
制服から着替えたようで、グレーのシャツにカーゴ色のワイドパンツ、学校指定の白い運動靴を履いていた。裕二は呆然と固まった誠の目の前で手を振って反応を確かめている。誠はまだ夢を見ているような感覚に「なんで……?」と呟くと、裕二は優しい笑みを浮かべる。
「なんではこっちのセリフだよ。もうすぐ、集合時間だよ」
その言葉にスマートフォンの時間を確認すると、たしかにそろそろ向かわなければいけない時間だった。遅れていけば華たちが文句を言ってくるだろうと予測ができた。
今見た光景を自分の幻覚だ、と割り切ることも出来た。だが、悲痛な叫びと取り乱して泣くその姿、自分と瓜二つな生徒が落ちていく瞬間の臨場感は、ただの勘違いだと思えなかった。
茹だるような暑さなのにとても寒くて、嫌な汗が背筋を伝う。
何か大きな間違いをしているような錯覚に、足元が崩れ落ちていくようだった。
(俺は、何を忘れている?)
誠は大きく深呼吸をして呼吸を整えると手元のスマートフォンに視線を落とす。
スマートフォンの画面には通信エラーの文字が出ていて、記事が書かれたページはどこかに消えていた。なんで、と思いながらリロードのボタンを押すと、すんなりとページが復活するが、そこにはもうあの記事は表示されなかった。
誠は膝を立ててその間に顔を埋める。じんわりと目尻から何かが流れていく。心のどこかで疲れたと思ってしまうのが情けなかった。このままでは裕二を助けるなんて到底できないのではないかとすら思ってしまう。
遠くで蝉が鳴く声がする。
全てを奪っていく夏の、象徴のような音だ。
夏特有な湿気を含んだ風が、汗に濡れた肌を撫でて体がゾクリと震える。
「誠?」
何も話さず、青ざめた表情を見せる誠に裕二は不思議そうに首を傾ける。
「もしかして、お父さんがいるの?」
何かに思い至った裕二は眉間にシワを作りながら、心配そうに玄関と誠を見比べる。誠の父親が帰ってくるのは稀で、ましてやこんな早い時間に家にいることはほぼなかった。
誠と父親の仲は裕二の家族みたいには良くない。そもそも二人が出会う確率が低いということもあるが、父親は誠に興味がなかった。どこで何をしていても関心を示さず、死なれた困るからという理由で申し訳ない程度の生活費を渡してくるくらいだった。
そういう環境で誠が生きていることを裕二は知っていた。だから、玄関先で震える誠を見て、父親がいるのかと心配してくれたのだ。
「ち、がう……違うけど…………」
「そっか……ならなんでこんなところにいるの? 別れてから時間が経ってるけど、ずっとここにいたの?」
「…………」
「夏だからって油断してるとすぐに風邪引くんだからね」
答えに詰まる誠の頭に裕二は手を伸ばし優しく撫でてくれる。
大丈夫だよ、ここにいるよ。
そう言って安心させるように、何度も何度も、誠の体が震えなくなるまでずっと撫でてくれた。
どれだけそうしていただろうか。
日が落ちかけ始め、遠くで祭囃子や人々の笑い声が聞こえてきた頃、ようやく誠の気持ちは少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ほら、僕、ここで待ってるから準備してきなよ」
「……わかった。裕二も、一緒に行くぞ」
「え? な、なんで? 一人で言ってきなよ」
「いいから。ほら、早くしろよ」
裕二の腕を引っ張りながら、遠慮する彼を家の中に無理やり押し込む。
「もう、勝手なんだから」
口を尖らせながらも裕二は諦めたように家の中に入ってくる。
玄関には使われなくなった金属バットと誠が近所を散歩する時に使うサンダルが置いてある。
「僕、ここで待ってるね」
誠が玄関の鍵をかけていると裕二はそう言った。
「遠慮すんなよ。上がっていいぞ」
「え、でも、着替えてくるだけでしょ?」
「いいから、早く来いよ」
少し強引な誠の言い方に裕二は困惑したような表情を浮かべる。
誠は玄関に裕二を一人で残したくはなかった。また同じことが起きたらと考えると、怖くてたまらなかったのだ。だから多少強引でも裕二には自分の見えるところにいて欲しかった。
繰り返す夏を、何度でも死んでいく裕二を思い出す。
それだけで、誠の体は情けなく、小さく震える。
誠が着替えている間、裕二は廊下の壁に背をつけて、鼻歌を歌い出す。その歌は裕二が幼い頃に母親から歌ってもらっていた子守唄だった。優しいメロディーに裕二と裕二の母親の愛情が詰まっているのが伝わってくる。それが少しだけ羨ましいと思った事もあったが、、今はその子守唄を聴いていると誠の心まで穏やかになるようだった。
一曲が終わる頃に誠は準備を終える。襟に緑のラインが入った黒いシャツに黒い長ズボンを履いて裕二のところに戻る。裕二は見慣れた誠の格好に鼻歌をやめて口元を綻ばせる。


