サマータイムリープ

 ミンミンと耳障りな音が頭に残る。


 夏は大事なものを奪っていく。

 両親が離婚し、母親が家を出ていったのも。
 部活で肩を壊し、引退を余儀なくされたのも。


 裕二の命を何度も奪っていくのも、暑い夏のことだった。



 *



 誰もいない教室で、誠は目を覚ます。二回目と同じ目覚め方だったが、そばに裕二がいない。

 誠は虚ろな瞳で宙を見ながら、スマートフォンをポケットから取り出す。ロック画面には八月十三日の十二時半と書かれていた。


 また、時間が進んでいた。


 最初に裕二がトラックに轢かれ死んだ日はまだ七月の終業式。そして二回目、電車に轢かれ死んだ日は八月の頭で、つい先ほど不審な男によって刺殺されたのは八月九日だった。

 冷静な頭で考えると、この繰り返す夏が少しずつ進んでいることに気付くことができた。その時初めて、この繰り返す夏が異常なのだと分かった。

 漫画でよくあるタイムリープは同じ時、同じ場所に帰って来ることが多く、登場人物の大まかな行動は変わらないのが鉄則だった。

 それを考えると、誠の身に起こっているこの現象はタイムリープというべきなのか。

 そういう知識がない誠にはこれらの出来事に名前をつけることは難しかった。だが、何にしても今も裕二が生きているということが大切だった。

 どうすれば裕二を助けることができるのだろうか。
 これまでの裕二の死に法則性などないように思えた。

(だけど、裕二は何か知っているんじゃないか……?)

 ふと、誠はそう思った。
 前回の夏、裕二は不思議なことを口にしていた。


『今度こそ、僕を殺して』


 今度、という言葉はまるで何回も繰り返した経験があるかのような言い方だった。

(もしもあいつが何かを知っているのなら、どうしてあいつは一人で抱え込もうとしているんだ)

 思考の渦に飲み込まれそうになった誠は首を軽く振って考えるのをやめる。
 このループを抜け出す糸口が他にないなら、できることはなんでもやるしかない。

 方針を決めたところで誠は立ち上がって教室を出ようとした。教室の扉を誠が開くよりも前に、誰かが勢いよく扉を開けた。

 そこに立っていたのは息を切らした裕二だった。

 切羽詰まった様子に誠は一瞬たじろぐ。裕二は息を整えながら、誠を見て安堵と諦念の気持ちを混ぜ合わせたような表情を見せる。

「……あ、ここに、いたんだね。教室に行ってもいなかったからさ、探しちゃったよ」

 裕二はそう言って誠の手を握る。ヒヤリとした冷たさが、誠の腹の底に重石を乗せる。

 裕二はその教室から離れるように強引に誠の手を引っ張っていく。誠は一瞬眉を顰めた後、裕二の足を止めるように、立ち止まり裕二の腕を引く。

「何してるの? 早く行こうよ」

 裕二は頑なに誠に顔を見せようとしない。まるで誠を遠ざけるようなその行動に誠は既視感を覚える。


『今度こそ、僕を殺して』


 呪いのような言葉が脳内で何度も再生される。裕二の背中に血まみれの姿が重なる。最後の最後まで、笑っていた裕二の顔が瞼の裏にこびりついて離れない。

「どうしたんだよ、裕二」
「……みんなが待ってるよ。だから早く行こう」
「どうしたって聞いてるんだよ。なんで答えない」
「……みんながね、お祭りに行こうって。ほら、高校最後の夏祭りじゃん?」

「おい! いい加減にしろよ! そんな話今は関係ないだろっ」


「関係あるよっ!」


 裕二の怒鳴り声に誠は息を呑み込む。繋がった手が痛いほど強く握られる。

 裕二はバッと振り返った。

 裕二はボロボロと大粒の雫を落としながら、悔しそうに表情を歪める。

 その顔を見て誠は僅かに目を見開く。

 楽しげに笑う姿は何度も見たことがあるが、裕二が泣いているところは久しぶりに見た。

 裕二は無理やりいつも通りに笑おうとして、失敗した。何度も何度も笑おうとしては、どんどん表情が歪んでいく。

 やがて笑うのを諦めた裕二は、繋がれた手を額にまで持っていって祈るように震える声を絞り出す。

「ねぇ、誠。お願いだから。今だけでいいから、僕と一緒にみんなのところに行こう?」
「なんで……お前が泣くんだよ」
「ごめん……泣きたいわけじゃないんだけど、なんでかな……」

 誠の指摘に裕二は溢れる涙を半袖の裾で乱暴に拭う。何度拭っても次から次へと涙はこぼれてくる。

 裕二は安心させるように笑みを浮かべる。だけど、それもすぐに口元がへの字に曲がってしまい、うまく笑えていなかった。その様子に誠はきゅっと心が締め付けられるようだった。

 裕二の明日を願っているが、その顔を曇らせたかったわけじゃない。何か知っているなら教えて欲しかったが、詰問して裕二を傷つけたかったわけではない。


 ただ、裕二とちゃんと話がしたかっただけなのに。


「俺は、察しが悪いから言葉にしてくれなきゃ、お前の気持ちはわからない……だから、教えてくれよ。裕二の言葉で、何を思ってるのか」
「……言葉にしたって無駄だよ。誠にはわかりっこない」
「言ってみなきゃわかんねぇだろ」
「……もういいよ。この話、僕はしたくない」
「裕二……」

 裕二は大きく息を吐き出すと、誠から顔を背ける。涙はまだ溢れてきているようで、何度も拭っており、目元は赤く腫れていた。このまま裕二の意思を無視して問い詰めるべきか、それとも尊重してやめるべきか。誠はどちらがいいのかわからず、口を閉ざす。二人の間に沈黙が訪れる。階下から聞こえる他の生徒の話し声がよく聞こえた。

「わかった。もう何も聞かない」

 その言葉に裕二は顔をあげる。食い下がられるとでも思っていたのか、本当にいいのかと表情が訴えている。



「それでも、俺はお前を諦めない」



 裕二と喧嘩がしたいわけでも仲違いしたいわけでもなかった。誠の願いは最初から決まっていた。


 裕二が死ぬ運命を否定して、裕二が生きる明日を手にするのだ。


 一人で降りていく誠の後ろ姿を裕二は呆然と見つめていた。



「じゃあ、どうして……? なんで誠は、あの日…………」



 裕二はその手から消えた温もりを閉じ込めるように手を握る。今にも崩れ落ちてしまいそうな小さな呟きは誰にも聞かれることはなかった。