サマータイムリープ


 誠が決意を決めて話しはじめようとした時、インターホンが鳴った。


 驚いて二人で固まっていると、またインターホンが鳴る。


 何度も鳴るインターホンに普通じゃないと、警鐘が頭の中に鳴り響く。



「……これは、初めてかも」



 けたたましくなるチャイム音にかき消されるほど小さな声で裕二が呟く。誠が聞き返そうと口を開くよりも先に裕二は立ち上がった。

「誠はここにいて。僕が出てくるから」

 貼り付けたような笑顔で裕二はそう言った。だが、素直に頷けるほど誠も馬鹿ではなかった。

「何言ってるんだよ…………こんな、あまりにも変なのに、一人で行かせられるかよ」

 裕二の腕を掴んで引き止める。その間にもインターホンはなり続ける。まるで早く来いと、餌が飛び込んでくるのを待っているかのように。

 裕二は何かに耐えるように苦しげな表情を浮かべた後、そっと誠の手を引き剥がした。


「誠、お願いがあるんだ」


「お願い……? こんな時になんだよ。今じゃなきゃダメなのか。それよりも早く逃げたほうが――」



「――今度こそ、僕を殺して」



 時が止まったような気がした。



 あれほどうるさかったチャイムの音は遠くにいき、嫌な汗が背中を伝う。



 ひゅっと喉がなり、視線が定まらなくなる。



「絶対だよ!」



 ハッとして視線を裕二に戻すと、彼は誠が選べないことを許すように笑っていた。真っ白になった頭で誠が這うようにその腕に手を伸ばすも、その手が届くことはなかった。


「ま、って……!」


 勢いよく部屋から出て行った裕二を追いかけようとしたが、体が思うように動かなくて誠はその場に倒れ込む。早く行かなければいけないのに、どうして自分はいつだってこうなのか。


 今回こそ、裕二と一緒に明日を迎えるんじゃなかったのか。


 裕二のことを守るんじゃなかったのか。



「――くそっ!!」



 震える体に鞭を振るうように誠は叩くと、体勢を立て直して裕二を追いかける。


 玄関にたどり着くと、入り口の扉が閉まっていくところだった。


 その向こうには、フードを被った誰かと、こちらを見て微笑む裕二がいた。


 届け、と強く願いながら誠は手を伸ばした。だが、無情にもその扉は目の前で閉まってしまった。


 それでも諦めずに裕二のところに行こうとドアノブを回すが、裕二が扉を押さえているのかびくともしなかった。

 それなら、と誠は踵を返してリビングに向かう。リビングの窓から外に出て表にまわれば、裕二を助けにいけると考えたのだ。


 今ならまだ間に合う。
 間に合うはずだから。


 だから、俺は――――。


 
 誠は荒い息を整えながら、大きく目を見開き、目の前の光景をただ見つめる。むせ返るような血の匂いと、虚な瞳で誠のことを見ている裕二の顔が目に入る。その上に覆い被さりながら侵入者の男が何度も裕二の腹に目掛けてナイフを振り下ろしていた。


 不意にいつか見たネットの記事を思い出す。


 巷を騒がせている殺人犯の話。

 悠真が誠たちに聞かせた、通り魔の話。



 その犯人が、誠の大切なものを奪っていく。



 気がつけば誠はその男を殴り飛ばしていた。

 地面に転がったナイフを拾い、何度も男の体に振り下ろす。


 振り下ろして。


 振り下ろして。


 男の息の根が止まっても誠はその手が止められなかった。

 もはや誰の血なのかわからないほど、たくさんの血がそこらじゅうに飛び散っている。


「う、あぁ……っ! ああっ! あああああああああ!」



 その時、微かな空気の振動を感じた。


 ピタッと止まった誠の耳にヒュー、ヒュー、とかすかな吐息が聞こえる。振り返れば裕二が誠の方を向いていた。


 裕二はまだ生きていた。


 極限の状況の中、救急車を呼ぶよりも先に、裕二の腹を押さえて止血しようとした。着ていた服を脱いで、傷に当てがう。止まれ、と何度も口にしながら、裕二の傷口が塞がることを祈る。しかし、ぐちゃぐちゃになった裕二の腹からはとめどなく血が溢れ流れていく。


(どうしたら……どうすれば……? 何をしたらこれは止まる? 裕二はどうしたら助かる――?)


 絶望的な状況の中、朦朧とした意識で裕二は血溜まりの中から自分の手を引き抜くと、真っ赤に染まった手を誠の頬に当てた。その瞬間、誠はハッとして裕二の顔を見る。




 裕二は笑っていた。




 幸せそうに、満足そうに。


 やり遂げたというように。




 心残りなんてないと言わんばかりの満面の笑みだった。




「よか……た……まこ、ぶじ、で……」

「なん……で……?」


 誠にはどうして裕二が笑っているのかがわからなかった。苦しくて、しんどいなんて言葉じゃ言い表せないほど辛いはずなのに。今の裕二からは死ぬことへの恐怖すら感じない。裕二は憑き物が落ちたように晴れやかに笑っている。それが、不自然で異質だった。

 裕二は頬に当てていた手を誠の後頭部に持っていくと、ゆっくりと自分の方に抱き寄せた。力の入っていないその手に誘われるように、誠は冷たくなっていく裕二の肩に顔を埋める。鉄臭い匂いが鼻腔をくすぐる。


「も……いい……これ…………さいご……」


 裕二の言葉を誠は頭の中を巡らせる。その意味を理解した時、カッとなって怒鳴りつける。


「もういい? もういいってなんだよ…………いいわけないだろっ! お前が死ぬのを、受け入れろって言うのかよ!」
「……う、ん…………」


 裕二は諦めろと言っている。裕二が死ぬことを認められず、裕二の生きている明日を諦められない誠に、彼は諦めろと言ったのだ。


「嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ」


 誠は何を犠牲にしても裕二だけは助けたかった。


 裕二のいない明日になんか意味はないのだから。


 たとえ裕二の願いであっても、裕二の生きる明日だけは諦めたくなかった。


 そうこうしているうちに、裕二の手はゆっくりと下に下がっていく。呼吸も浅くなり、肩で息をし始める。

 どれだけ止血するために力を込めても意味はなく、残酷にも彼の命は誠の手の中でこぼれ落ちていってしまう。

 誠は一筋の涙を流す。そして心に決める。


 何に変えても、必ず裕二を助けてみせると。


 この運命に抗い、裕二と明日を迎えるのだ。



「ごめん……ごめんな、裕二……俺がもっとちゃんとしていれば、こんなことにならなくて済んだんだろ…………ごめん、ごめんっ!」


 裕二の手が力なく血溜まりに落ちていく。誠はその手を掬い上げるように自分の手と重ねる。



 鼓動の感じなくなったその手は、まるでゴム人形のように冷たかった。