スマホのアラームが聞こえる。
陽向はアラームを止めようと腕を伸ばすが、身体がだるい。
「…熱かも」
陽向の独り言は、部屋に差し込む朝日に吸い込まれる。
1階では人が動き回る音が聞こえるから、全員起きているのだろう。
ベット横の引き出しから体温計を出して脇に挟んだ。
ただ天井を見つめる。
「陽向〜朝ごはん出来てるわよって、あら?熱?」
母が入ってくるのと、ちょうど体温計が知らせる音が鳴った。
「ん〜…7度3分」
「微妙だね。風邪かな。どうする?」
「知恵熱かも…今日、休む、かな。自分で連絡する」
「よろしく。じゃあ、体調と相談しながらでいいから、手伝えたら手伝ってね」
布団から上体を起こして、スマホを手に取る。
母はサバサバした性格で、話していても、そんなにトーンが変わることがない。
初めて不登校になり始めた時は、たくさん喧嘩もしたし、ぶつかったこともある。
互いに、何も見えない真っ暗なトンネルを進んでいるような感覚だったんだと思う。
暗くて、不安で、分からなくて、道に迷ってる子供の様な感覚。
中学2年からの1年半は、互いに模索して戦った日々で、母もたくさん辛い思いをしてたと思う。
最初のうちは引きこもったり、本やゲームに没頭して、勉強も全く嫌だったわけじゃないから、自分のペースでやったりしていた。
家の中ではよく、「働かざる者食うべからず」と言われて手伝いをお願いされた。
家が自営業だったから、いつからか学校に行かない日は店を手伝ったりして、何かしらするようになっていって。そこから自分の進路を少しずつ考えるようになっていた。
今日も手伝えたらというのは、店のことだろうなと分かる。
微熱だから、もしかしたら休んで寝たら下がるかもしれない。その時手伝おう。
陽向は、とりあえず学校へ連絡するためにスマホと向き合った。
どれくらい寝たのだろう。
学校へ連絡した後、そのまま布団に戻って瞼を閉じて、直ぐに夢の世界へと導かれた。
昨日の疲れは、まだ引きずっているようだ。
陽向は天井を見つめながら、昨日の出来事を思い出し整理しようと考えた。
中学の時の同級生だったらしい萩尾。その友達で自分のことを心配してくれた柚井。
萩尾も柚井も記憶の中には無い名前だ。ということは、中学時代関わりは無かったはず。
「…卒アル」
ベットから降りる前に熱を測る。
6度8分…自分の普段の体温からしたら微熱だが、身体の怠さは無くなったから大丈夫だろうと思う。
陽向はベットから降りて、机横の棚に入ってるであろう、中学の卒業アルバムを探した。
2年から行っていないが、行事に出たりしたこともあったので写真があるかもしれないから、母が記念にと買っていた。
「卒アル発見。えっと…萩尾、萩尾…いた」
床に広げたアルバムの自分のクラスに、萩尾一葵はぎおいつきの名前とクラスで声をかけられたの同じ顔があった。
違うところといえば、まだ少し幼く、髪が真っ黒で垢抜けた感じがない。
「全然覚えてない…」
アルバムの写真にいくつか萩尾が写っているのもあるが、全く覚えがない。
クラスに行った時も、話したりすることも無かったのだろう。中学自体2つの小学校が一緒になっているから、小学校も違ったかもしれないと思った。
「柚井は…」
クラスページを何ページかめくるが、柚井智晴の名前は出てこない。
ということは、中学が違って高校2年生でクラスメイトになったのだろう。
1年の時から同じクラスだったら、流石に気づきそうなイケメン男子だ。萩尾も然りだが。
そんな柚井が、何故あんなに自分を心配していたのか。
陽向の頭の中には、疑問符しか浮かばない。
「イケメンの考えてることは、分からない」
いくら考えても、答えが出るわけでは無いのが分かるから、思考を放棄して、陽向はベットへ戻り寝転がった。
時計を確認にすると12時になろうとしてる。
「手伝い行こ」
気持ちを切り替えて、着替える為に立ち上がる。
引き出しから、ジーパンとパーカーを取り出して着た。
部屋から出て、洗面台へ向かい歯を磨いてから髪を整え、キッチンにぶら下げてあるエプロンとバンダナをつけた。
キッチンのすぐ横にあるドアの奥からは、母が話している賑やかな音が溢れていて、店が混んできているのがわかる。
店は家に併設されていて、普段は母1人で回していた。
「よし、行きますか」
陽向はドアに手をかけて、深く深呼吸をすると店へと足を踏み出した。
「チョコドーナツとオールドファッション、米粉のと…」
中に入ると母は、女性のお客さんの対応をしていた。その後ろにも数人お客さんが待っている。
陽向は慣れた手つきで手を洗うと、消毒をして手袋をつける。
トングとトレーを取って、商品ケースへ向かった。
「お待たせいたしました。商品お決まりでしょうか?」
待っているお客さんへ声をかけて、笑顔を向ける。
学校とは違って、小さい時から慣れているこの場所では、胸が苦しくなることはない。
手伝いをするようになってからは、お客さん相手であれば緊張というものもしなくなった。
「ありがとうございましたー」
目まぐるしくお客さんが変わるのに対応して、やっと落ち着いたところで一息つく。
この辺は駅に近く、大学や高校も近くにあるため、もう少ししたら次のお客さんの波が来る可能性がある。
「母さん、少し休んでくれば?俺、店番してるから」
「体調は大丈夫?」
「うん、熱も下がったし。多分ただの知恵熱」
「知恵熱?昨日、何かあったの?帰ってきた時も疲れてそうだったけど」
母親の感は鋭いなと思う。
陽向は、昨日の事を話そうか迷ったが、母にとりあえず休んで欲しいと思った。
「色々…あったかな。今度話すよ。今はとりあえず休んで」
「そう、分かった。じゃあ、後お願いね。少し休んで、追加も準備してくるから」
「分かった」
母は気にした素振りは見せるが、追及してくることはなく適度な距離感を取ってくれる。
家の中に入っていく後ろ姿を見送って、先程までバタバタしていて片付けられなかったトングやトレーを洗ったり消毒して片付ける。
商品を入れる茶袋が少なくなっていることに気づき、下の棚から新しい物を出そうと屈んだ瞬間、店のドアに付けている小さなベルが音を奏でた。
「いらっしゃいませ…」
「いらっしゃいました」
陽向はいつもの様に反射的に笑顔を作り、お客さんを向かえる為に顔を出した。出したのだが、目の前に立っている相手の顔を見て固まってしまった。
「な、なんで…」
「今日休んでたから、これを返しに」
入口に立っていた客は、柚井だった。
陽向の驚きが伝わったのか、バツの悪そうな顔をしている。
制服のままなので学校帰りなのだろう。。
柚井は、徐にショーケースの上に小さな紙袋を置いて、一歩下がった。
陽向は、恐る恐る中身を確認して驚いた。
中には昨日押し付けたお弁当箱と、一緒に可愛くラッピングされているお菓子が入っていた。
「これ…」
「サンドイッチ、美味しかったからお礼に。ご馳走様でした」
「あ、あれは…俺が勝手に」
勝手に押し付けて逃げたのに、戻って来るとは思わなかった。しかもお礼のお菓子付きで。
陽向は、驚きと戸惑いで柚井の顔から、視線を外すことができなかった。
「お腹空いてたから、助かったし、美味しかったし、嬉しかった」
目の前の柚井が優しく微笑んで紡ぐ言葉に、今まで感じたことのない温かさが胸に広がった。
「八代?」
柚井を見て黙ってしまった陽向に、顔の前で手を振って柚井が近づく。
「あ、ありがとう…作ったかいがありました」
陽向は恥ずかしさもあって、視線を逸らしてしまった。自分の為に作ったものだったけど、誰かに美味しいと言われて嬉しいと感じる。
陽向は、自然と口角が上がってしまうのを感じて、口元を隠した。
「ん?待って、作ったかいがって…あのサンドイッチ、八代が作ったの?」
「…はい」
「…うそ…」
目の前で柚井が呆気に取られた顔をしている。
イケメンはどんな表情もイケメンなんだなと、柚井からの慌てた質問に頷きながら、考えていたが柚井の反応がどうやらおかしい。
自分が作ったお弁当ではダメだっただろうか。
陽向は、柚井の反応に不安になった。
「お、俺が作ってたらダメだった?」
「え、違う!その逆で、嬉しくて」
良かったと言おうとして陽向は考えた。
何が良かったのだろう。嬉しいというのもどういうことだろうか。
陽向の頭に疑問符が浮かび上がる。聞くだけの勇気はないから、話が途切れて沈黙が流れた。
「あのさ…いきなりで、ごめんなんだけど…八代にお願いがあって」
ショーケースに落としていた視線を柚井に向けるが、視線を合わせることは出来ないから、話す口元を見た。
お願いってなんだろ、無理難題だったらすぐに断ろうと、次の言葉に身構える。
「友達になってほしくて」
「え、友達?」
「そ、友達…嫌だったらハッキリ言って」
柚井の口から出てきた言葉に戸惑う。
柚井は気まずそうに微かに落ち着きなく揺れて、陽向の返事を待っている。
「と、友達って…どんな」
「どんなって…話したり、遊んだり、お昼一緒に食べたり」
「無理…かも、しれない」
柚井とは色んな意味でレベルが違う気がする。
見た目も周りにいる人達も、状況も。陽向には、眩しい世界に、いきなり飛び込めと言われているようでこわかった。
「…かもってことは、可能性がゼロじゃないってことだよね」
視線を落としていた陽向の頭上から、諦めとは別の話が返って驚いた。
「じゃあ、お試しってことで、お昼一緒に食べよ。毎日じゃなくていいから」
「…お試し…」
「そう、お試し。そうだな…もし一緒にお昼食べても良いって思ったら、Mineに連絡くれる?スタンプだけでもいいし」
「…Mine、やってない」
イケメンってこんなに距離感近いのかなとか、断られること考えないのかなとか。
色々思うところはあるのだが、何処までも前向きに話を進めて来る柚井に、断るタイミングが無い。
陽向の返答に柚井が驚きを隠せない顔をしていて、どうしようと考える。
元々スマホ自体苦手で、SNSを重要ししていなかった。家族とはショートメールか電話済むし、中学の時の友達ともそんな感じだ。
学校連絡は、タブレットに送られてくるから不便を感じたことがなかった。
「それなら…これ、八代の机の上に置いて」
柚井はしばらく考えるように視線を落として、思いついたように飴の入ってる籠に目を向けて、1つ取ると陽向に差し出す。
ショーケースの上に置いてあるのは、ドーナツ買ってくれたお客さんにオマケで渡しているものだ。
「飴?」
「そう、昼にOKだったら飴を1つ。八代の机に置いといて。そしたら俺、あの場所に行くから」
「非常階段?」
「うん」
何の迷いもなく頷く柚井を前に、断ることは出来なくて。
どうして、そんなに自分と友達になろうとしてくれるのか、理解ができない。
自分から発信するなんてこともしたことないのに、いきなり難易度高めに攻めてくる柚井の考えについて行けない。
「…できるか、分からない」
こんなに気にかけてくれていても、応えられるか分からない。
陽向はドーナツを見つめて呟くように話す。
「ゆっくりでいいから…お試しだし、八代に任せるよ。俺は待つから」
頭に温かを感じて、バンダナ越しに撫でられてることに気づく。
顔は見れないから表情は分からないけど、声はとてつもなく優しく聞こえる。
勇気を出して、理由を聞こうと口を開きかけた時、ドアが開く音が聞こえた。
「あら、お友達?」
母が休憩を終えて、追加のドーナツを持って戻ってきた。
柚井の姿を見て、同じ制服を着ているし、話をしていたから友達だと思ったのだろう。
「クラスメイトです。今はまだ」
否定しようか、どうしようか迷っている間に、柚井が含みのある言い方をした。
母は、きょとんとした表情の後、何かを悟ったかのように微笑んだ。
陽向には、母の笑顔に複雑な感情と、柚井に対する困惑が入り交じっていた。
「そうなのね。もし良かったら、これサービスするわね。陽向のクラスメイトくんに」
追加で持ってきた自慢の抹茶ドーナツを袋に入れて差し出した。
「抹茶大丈夫かしら?うちの自慢の商品よ」
「大丈夫です。ありがとうございます」
柚井は嬉しそうに袋を受け取り、軽く頭を下げた。
母も笑みを深めている。
すっかり話すタイミングを逃した陽向は、黙って2人のやり取りを見てることにした。
「それじゃ、俺はこれで帰ります。ドーナツすみません。ありがとうございます」
「また来てね。今度は買いに」
「はい。八代、また明日」
リュックにドーナツをしまうと、柚井は改めて頭を下げた。
母もちゃっかり息子のクラスメイト相手に、商売してるなと、陽向は考えながら柚井を見送る。
柚井から「明日」と言われても返すことはできなかった。
その後も店に立ったが、頭の中では柚井の言葉が繰り返されていた。
「お試し期間の友達」とはなんなのか。
どうしてそんなに自分を気にかけてくれるのか。
柚井はイケメンだし、友達だってそれなりにいるだろし、わざわざ陽向となる必要はないだろうに。
イケメンの考えることは分からない。
陽向は、どうすればいいのかを考えて、小さなため息が漏れた。
陽向はアラームを止めようと腕を伸ばすが、身体がだるい。
「…熱かも」
陽向の独り言は、部屋に差し込む朝日に吸い込まれる。
1階では人が動き回る音が聞こえるから、全員起きているのだろう。
ベット横の引き出しから体温計を出して脇に挟んだ。
ただ天井を見つめる。
「陽向〜朝ごはん出来てるわよって、あら?熱?」
母が入ってくるのと、ちょうど体温計が知らせる音が鳴った。
「ん〜…7度3分」
「微妙だね。風邪かな。どうする?」
「知恵熱かも…今日、休む、かな。自分で連絡する」
「よろしく。じゃあ、体調と相談しながらでいいから、手伝えたら手伝ってね」
布団から上体を起こして、スマホを手に取る。
母はサバサバした性格で、話していても、そんなにトーンが変わることがない。
初めて不登校になり始めた時は、たくさん喧嘩もしたし、ぶつかったこともある。
互いに、何も見えない真っ暗なトンネルを進んでいるような感覚だったんだと思う。
暗くて、不安で、分からなくて、道に迷ってる子供の様な感覚。
中学2年からの1年半は、互いに模索して戦った日々で、母もたくさん辛い思いをしてたと思う。
最初のうちは引きこもったり、本やゲームに没頭して、勉強も全く嫌だったわけじゃないから、自分のペースでやったりしていた。
家の中ではよく、「働かざる者食うべからず」と言われて手伝いをお願いされた。
家が自営業だったから、いつからか学校に行かない日は店を手伝ったりして、何かしらするようになっていって。そこから自分の進路を少しずつ考えるようになっていた。
今日も手伝えたらというのは、店のことだろうなと分かる。
微熱だから、もしかしたら休んで寝たら下がるかもしれない。その時手伝おう。
陽向は、とりあえず学校へ連絡するためにスマホと向き合った。
どれくらい寝たのだろう。
学校へ連絡した後、そのまま布団に戻って瞼を閉じて、直ぐに夢の世界へと導かれた。
昨日の疲れは、まだ引きずっているようだ。
陽向は天井を見つめながら、昨日の出来事を思い出し整理しようと考えた。
中学の時の同級生だったらしい萩尾。その友達で自分のことを心配してくれた柚井。
萩尾も柚井も記憶の中には無い名前だ。ということは、中学時代関わりは無かったはず。
「…卒アル」
ベットから降りる前に熱を測る。
6度8分…自分の普段の体温からしたら微熱だが、身体の怠さは無くなったから大丈夫だろうと思う。
陽向はベットから降りて、机横の棚に入ってるであろう、中学の卒業アルバムを探した。
2年から行っていないが、行事に出たりしたこともあったので写真があるかもしれないから、母が記念にと買っていた。
「卒アル発見。えっと…萩尾、萩尾…いた」
床に広げたアルバムの自分のクラスに、萩尾一葵はぎおいつきの名前とクラスで声をかけられたの同じ顔があった。
違うところといえば、まだ少し幼く、髪が真っ黒で垢抜けた感じがない。
「全然覚えてない…」
アルバムの写真にいくつか萩尾が写っているのもあるが、全く覚えがない。
クラスに行った時も、話したりすることも無かったのだろう。中学自体2つの小学校が一緒になっているから、小学校も違ったかもしれないと思った。
「柚井は…」
クラスページを何ページかめくるが、柚井智晴の名前は出てこない。
ということは、中学が違って高校2年生でクラスメイトになったのだろう。
1年の時から同じクラスだったら、流石に気づきそうなイケメン男子だ。萩尾も然りだが。
そんな柚井が、何故あんなに自分を心配していたのか。
陽向の頭の中には、疑問符しか浮かばない。
「イケメンの考えてることは、分からない」
いくら考えても、答えが出るわけでは無いのが分かるから、思考を放棄して、陽向はベットへ戻り寝転がった。
時計を確認にすると12時になろうとしてる。
「手伝い行こ」
気持ちを切り替えて、着替える為に立ち上がる。
引き出しから、ジーパンとパーカーを取り出して着た。
部屋から出て、洗面台へ向かい歯を磨いてから髪を整え、キッチンにぶら下げてあるエプロンとバンダナをつけた。
キッチンのすぐ横にあるドアの奥からは、母が話している賑やかな音が溢れていて、店が混んできているのがわかる。
店は家に併設されていて、普段は母1人で回していた。
「よし、行きますか」
陽向はドアに手をかけて、深く深呼吸をすると店へと足を踏み出した。
「チョコドーナツとオールドファッション、米粉のと…」
中に入ると母は、女性のお客さんの対応をしていた。その後ろにも数人お客さんが待っている。
陽向は慣れた手つきで手を洗うと、消毒をして手袋をつける。
トングとトレーを取って、商品ケースへ向かった。
「お待たせいたしました。商品お決まりでしょうか?」
待っているお客さんへ声をかけて、笑顔を向ける。
学校とは違って、小さい時から慣れているこの場所では、胸が苦しくなることはない。
手伝いをするようになってからは、お客さん相手であれば緊張というものもしなくなった。
「ありがとうございましたー」
目まぐるしくお客さんが変わるのに対応して、やっと落ち着いたところで一息つく。
この辺は駅に近く、大学や高校も近くにあるため、もう少ししたら次のお客さんの波が来る可能性がある。
「母さん、少し休んでくれば?俺、店番してるから」
「体調は大丈夫?」
「うん、熱も下がったし。多分ただの知恵熱」
「知恵熱?昨日、何かあったの?帰ってきた時も疲れてそうだったけど」
母親の感は鋭いなと思う。
陽向は、昨日の事を話そうか迷ったが、母にとりあえず休んで欲しいと思った。
「色々…あったかな。今度話すよ。今はとりあえず休んで」
「そう、分かった。じゃあ、後お願いね。少し休んで、追加も準備してくるから」
「分かった」
母は気にした素振りは見せるが、追及してくることはなく適度な距離感を取ってくれる。
家の中に入っていく後ろ姿を見送って、先程までバタバタしていて片付けられなかったトングやトレーを洗ったり消毒して片付ける。
商品を入れる茶袋が少なくなっていることに気づき、下の棚から新しい物を出そうと屈んだ瞬間、店のドアに付けている小さなベルが音を奏でた。
「いらっしゃいませ…」
「いらっしゃいました」
陽向はいつもの様に反射的に笑顔を作り、お客さんを向かえる為に顔を出した。出したのだが、目の前に立っている相手の顔を見て固まってしまった。
「な、なんで…」
「今日休んでたから、これを返しに」
入口に立っていた客は、柚井だった。
陽向の驚きが伝わったのか、バツの悪そうな顔をしている。
制服のままなので学校帰りなのだろう。。
柚井は、徐にショーケースの上に小さな紙袋を置いて、一歩下がった。
陽向は、恐る恐る中身を確認して驚いた。
中には昨日押し付けたお弁当箱と、一緒に可愛くラッピングされているお菓子が入っていた。
「これ…」
「サンドイッチ、美味しかったからお礼に。ご馳走様でした」
「あ、あれは…俺が勝手に」
勝手に押し付けて逃げたのに、戻って来るとは思わなかった。しかもお礼のお菓子付きで。
陽向は、驚きと戸惑いで柚井の顔から、視線を外すことができなかった。
「お腹空いてたから、助かったし、美味しかったし、嬉しかった」
目の前の柚井が優しく微笑んで紡ぐ言葉に、今まで感じたことのない温かさが胸に広がった。
「八代?」
柚井を見て黙ってしまった陽向に、顔の前で手を振って柚井が近づく。
「あ、ありがとう…作ったかいがありました」
陽向は恥ずかしさもあって、視線を逸らしてしまった。自分の為に作ったものだったけど、誰かに美味しいと言われて嬉しいと感じる。
陽向は、自然と口角が上がってしまうのを感じて、口元を隠した。
「ん?待って、作ったかいがって…あのサンドイッチ、八代が作ったの?」
「…はい」
「…うそ…」
目の前で柚井が呆気に取られた顔をしている。
イケメンはどんな表情もイケメンなんだなと、柚井からの慌てた質問に頷きながら、考えていたが柚井の反応がどうやらおかしい。
自分が作ったお弁当ではダメだっただろうか。
陽向は、柚井の反応に不安になった。
「お、俺が作ってたらダメだった?」
「え、違う!その逆で、嬉しくて」
良かったと言おうとして陽向は考えた。
何が良かったのだろう。嬉しいというのもどういうことだろうか。
陽向の頭に疑問符が浮かび上がる。聞くだけの勇気はないから、話が途切れて沈黙が流れた。
「あのさ…いきなりで、ごめんなんだけど…八代にお願いがあって」
ショーケースに落としていた視線を柚井に向けるが、視線を合わせることは出来ないから、話す口元を見た。
お願いってなんだろ、無理難題だったらすぐに断ろうと、次の言葉に身構える。
「友達になってほしくて」
「え、友達?」
「そ、友達…嫌だったらハッキリ言って」
柚井の口から出てきた言葉に戸惑う。
柚井は気まずそうに微かに落ち着きなく揺れて、陽向の返事を待っている。
「と、友達って…どんな」
「どんなって…話したり、遊んだり、お昼一緒に食べたり」
「無理…かも、しれない」
柚井とは色んな意味でレベルが違う気がする。
見た目も周りにいる人達も、状況も。陽向には、眩しい世界に、いきなり飛び込めと言われているようでこわかった。
「…かもってことは、可能性がゼロじゃないってことだよね」
視線を落としていた陽向の頭上から、諦めとは別の話が返って驚いた。
「じゃあ、お試しってことで、お昼一緒に食べよ。毎日じゃなくていいから」
「…お試し…」
「そう、お試し。そうだな…もし一緒にお昼食べても良いって思ったら、Mineに連絡くれる?スタンプだけでもいいし」
「…Mine、やってない」
イケメンってこんなに距離感近いのかなとか、断られること考えないのかなとか。
色々思うところはあるのだが、何処までも前向きに話を進めて来る柚井に、断るタイミングが無い。
陽向の返答に柚井が驚きを隠せない顔をしていて、どうしようと考える。
元々スマホ自体苦手で、SNSを重要ししていなかった。家族とはショートメールか電話済むし、中学の時の友達ともそんな感じだ。
学校連絡は、タブレットに送られてくるから不便を感じたことがなかった。
「それなら…これ、八代の机の上に置いて」
柚井はしばらく考えるように視線を落として、思いついたように飴の入ってる籠に目を向けて、1つ取ると陽向に差し出す。
ショーケースの上に置いてあるのは、ドーナツ買ってくれたお客さんにオマケで渡しているものだ。
「飴?」
「そう、昼にOKだったら飴を1つ。八代の机に置いといて。そしたら俺、あの場所に行くから」
「非常階段?」
「うん」
何の迷いもなく頷く柚井を前に、断ることは出来なくて。
どうして、そんなに自分と友達になろうとしてくれるのか、理解ができない。
自分から発信するなんてこともしたことないのに、いきなり難易度高めに攻めてくる柚井の考えについて行けない。
「…できるか、分からない」
こんなに気にかけてくれていても、応えられるか分からない。
陽向はドーナツを見つめて呟くように話す。
「ゆっくりでいいから…お試しだし、八代に任せるよ。俺は待つから」
頭に温かを感じて、バンダナ越しに撫でられてることに気づく。
顔は見れないから表情は分からないけど、声はとてつもなく優しく聞こえる。
勇気を出して、理由を聞こうと口を開きかけた時、ドアが開く音が聞こえた。
「あら、お友達?」
母が休憩を終えて、追加のドーナツを持って戻ってきた。
柚井の姿を見て、同じ制服を着ているし、話をしていたから友達だと思ったのだろう。
「クラスメイトです。今はまだ」
否定しようか、どうしようか迷っている間に、柚井が含みのある言い方をした。
母は、きょとんとした表情の後、何かを悟ったかのように微笑んだ。
陽向には、母の笑顔に複雑な感情と、柚井に対する困惑が入り交じっていた。
「そうなのね。もし良かったら、これサービスするわね。陽向のクラスメイトくんに」
追加で持ってきた自慢の抹茶ドーナツを袋に入れて差し出した。
「抹茶大丈夫かしら?うちの自慢の商品よ」
「大丈夫です。ありがとうございます」
柚井は嬉しそうに袋を受け取り、軽く頭を下げた。
母も笑みを深めている。
すっかり話すタイミングを逃した陽向は、黙って2人のやり取りを見てることにした。
「それじゃ、俺はこれで帰ります。ドーナツすみません。ありがとうございます」
「また来てね。今度は買いに」
「はい。八代、また明日」
リュックにドーナツをしまうと、柚井は改めて頭を下げた。
母もちゃっかり息子のクラスメイト相手に、商売してるなと、陽向は考えながら柚井を見送る。
柚井から「明日」と言われても返すことはできなかった。
その後も店に立ったが、頭の中では柚井の言葉が繰り返されていた。
「お試し期間の友達」とはなんなのか。
どうしてそんなに自分を気にかけてくれるのか。
柚井はイケメンだし、友達だってそれなりにいるだろし、わざわざ陽向となる必要はないだろうに。
イケメンの考えることは分からない。
陽向は、どうすればいいのかを考えて、小さなため息が漏れた。
