ためらいの温度 触れた者を死なせる当主が生ける、ただ一輪の花嫁

 鷹臣様は本当に私に万年筆を贈ってくれた。
 遥か西の国から来た珍しい輸入物。だから私はその万年筆で、一番に鷹臣様にお礼の文を書いた。

(鷹臣様は屋敷内にいるはずだから、探してみよう)

 今日鷹臣様は非番の日で、自分の評判を良く理解している彼は、不必要な外出することは殆どない。だから私は鷹臣様を探して、屋敷中を歩き回る。私室に始まり庭や物置、厨など……思い付くままにウロウロしてみるが、見当たらない。そのうちに歩き回る私を不自然に思った使用人が、どうしたのかと尋ねてくれた。貰ったばかりの万年筆で「鷹臣様を探しているの」と懐紙に書けば、使用人は微笑みながら「裏庭にいらっしゃいますよ。非番の日の定位置です」と親切に教えてくれた。鷹臣様のちょっとした習慣を知れるなんて運がいい。

 鷹臣様の私室から庭に出て、ぐるっと回ったところにある裏庭。ころんとした花を咲かせた梅が美しく、その薄紅色を引き立てるかのように、少し離れた場所に植えられた水仙が清らかな雰囲気を醸し出している。咲残りがある山茶花の垣根から顔を出して様子を伺えば、梅の下に佇む鷹臣様の姿が見えた。

 駆け寄ろうとしたところで、パチンと鋏の音がして足が止まる。
 梅の枝を切った鷹臣様が、愛おしげにその梅を見つめていた。その眼差しがあまりに深くて……言葉に言い表せない、何とも言えない胸苦しさに襲われる。私の前ではあんな表情をすることはない。

 どうしてか、彼のことを遠くに感じた。

 この気持ちは、──何?

「華。どうかしたのか?」

 しかしそんな胸の痛みも一瞬のこと。私の気配に気がついた鷹臣様に名前を呼ばれた時には、もうそんな苦しさのことも忘れて。彼に招かれるがままに側に歩み寄った。

『鷹臣様に手紙を渡そうと思って』

 帯に挟んできた万年筆を使って、ウキウキと懐紙に用件を書く。どこにいても会話をするように意思疎通が図れるので、やっぱり万年筆は素晴らしい。私の手元を斜め上から覗き込む鷹臣様から、フッと笑い声が漏れた。

「使用人に俺の居場所を聞いてまで探してくれたのか」

 ……なぜ使用人に聞いたのがバレてしまっているのか。

「ハハッ、そんな顔をされてもな。ここに書いてあるじゃないか」

 鷹臣様が指さしたのは、今私が文字を書いている懐紙の上の方。使用人に『鷹臣様を探しているの』と書いた見せた部分だった。
 ……今度から、筆談する時には紙を流用しないようにしようと心に決めた。他人との会話内容を知られるのは少し恥ずかしい。

 懐から鷹臣様に宛てた文を出して彼に渡す。例の如く鷹臣様はすぐに開いて目を通し、呟いた。

「……良かった。華が心から喜んでくれるものを贈りたかったんだ」

 二人の間に吹いた冬の風が髪を揺らす。髪が乱れないように軽く手で押さえた私とは対照的に、鷹臣様の一つにまとめた長い銀の髪は風が吹くままに靡く。風で舞ってしまった梅の花びらも相まって、私の視線は鷹臣様に固定されてしまう。

「非番の日はまずここに来るんだ。俺は花を生けるのが好きなのだが、まずは花を調達しないといけないから」

(もしかして屋敷中にある生け花は、鷹臣様の作品なの?)

 万年筆を贈ってもらうまで、その生け花の側に備え付けられた筆で、使用人達と筆談をしていた私。
 下女として生きてきた私に生け花の教養はないが、それでも伝わってきていた生命の力強さ。どうして私が目を引かれていたのか分かったような気がした。

「花は良い。俺を恐れず、皆に等しい和やかさを与えてくれる」

 鷹臣様が手に持っていた梅の枝を彼の目の高さに掲げる。
 花に向ける視線は、先ほど見たのと同じ非常に愛おしげな様子。複雑な気持ちを抱えていると、彼がそのままの表情で視線を私に向けた。なんとなく気まずくて、誤魔化すかのように私は新しい懐紙を取り出して、万年筆で文字を書く。

『鷹臣様は、花がとても好きなのですね』
「あぁ、好きだ」

 口元に弧を描いた鷹臣様が、持っていた梅の枝を私の顔に近づける。ちょんと梅の花びらが私の唇に触れた。
 その視線は、先ほど梅に向けられていたものと全く同じ。
 何事かと思った瞬間だった。

「華」

 僅かに触れるだけだった梅の花が唇に押し当てられる。
 梅の花越しに口付けられたのだと理解した時には、すでに私からも彼からも、梅の花が離れた後。

「……触れないつもりだったのにな。許してくれ」

 それでも、紫水晶の瞳が逃げ場の無い距離感で、私を捉え続けていた。